首相の宮家挨拶、帰国記帳

(首相の宮家への就任記帳)
 菅首相が就任してから、密かに関心を持っていたことは、宮家邸への挨拶/記帳に行くかどうかということだった。関心を持った所以は、鳩山首相時代に、新聞の首相動静欄を見ていたら、鳩山首相は、6月4日(金)午後2時ごろの衆議院での新総理(菅)指名の後、次のように宮家邸に挨拶に回っている(例えば、日経の「首相官邸」欄)

▽15時53分 桂宮邸で退任のあいさつ。
▽16時11分 東宮御所で退任のあいさつ。
▽16時20分 赤坂御用地秋篠宮邸、寛仁親王邸、三笠宮邸、高円宮邸で退任のあいさつ。
▽17時9分 常陸宮邸で退任のあいさつ。

 ちなみに、昨年2009年9月の就任時には、16日(水)首班指名、21日(月)米国の国連総会等出席のため羽田出発、26日(土)帰国、27日(日)大相撲千秋楽の後の翌週28日(月)には、次のように回っている。

▽9時25分 常陸宮邸で首相就任の記帳。この後、皇居で帰国の記帳。続いて桂宮邸で首相就任の記帳。
▽10時15分 東宮御所で皇太子殿下にあいさつ。この後、秋篠宮邸、寛仁親王邸、三笠宮邸、高円宮邸で記帳。

 少し整理すると、
1) 挨拶先は、皇太子に加えて、常陸宮秋篠宮三笠宮寛仁親王桂宮高円宮の計7名(「名」と言っていいのか判らない。本稿では、皇族への特別な敬語は、知らないので使わない。)。
 ちなみに、常陸宮天皇の弟、秋篠宮は皇太子の弟、三笠宮昭和天皇の弟、寛仁親王三笠宮の長男で三笠宮の後継者、桂宮三笠宮の第2男。高円宮は、三笠宮の第3男だが2002年に死んだので、今はその女子が結婚すれば高円宮家は無くなることとなっている。
2) 就任時は、時間がないせいか、皇太子を除いて、記帳のみであるが、退任時は挨拶をしている。
3) 外国からの帰国時の皇居での記帳は、あとで触れる。

(菅首相の宮家への就任記帳)
 首班指名後13日目(組閣の8日からは9日目)の6月17日(木)に、ついに、菅首相は、宮家を歴訪した。

▽8時49分 元赤坂の東宮御所で皇太子殿下に首相就任のあいさつ。
▽9時7分 赤坂御用地秋篠宮邸、寛仁親王邸で就任の記帳。この後、三笠宮邸であいさつ。続いて高円宮邸で記帳。
▽9時42分 東の常陸宮邸で記帳。
▽10時2分 三番町の桂宮邸で就任の記帳。
▽10時16分 官邸着。

 合計約1時間半の工程で、結構時間を使う(私は浪費だと思う)。
 
 私の推測であるが、元来左派の菅首相は迷っていたのではないだろうか。しかし、首相での本当にやりたいことをやるまでは、余計な摩擦を避けるために、この慣例に従ったのだと思う。ある意味で、菅首相の密かな大望を感じた次第だ。

(麻生元首相の例)
 鳩山氏の前任の麻生首相の就任は、2008年9月である。この時は非常に慌しく、9月24日(木)の首班指名、組閣のあと、翌25日(金)午前に上記の7名の邸に赴いて記帳し(皇太子には挨拶もしたかも知れない。要チェック)、その午後2時21分に羽田から、国連総会に出席するため、米国に出発した。
 2009年の首相退任時に、先ほどの宮家に挨拶/記帳に行ったかどうかは、新聞には出ていない。前述の鳩山氏の場合は、その日の午前までは首相だったので、午後の動きも新聞に出ていた。麻生氏の場合は、翌日以降に行った可能性がある。
 麻生氏の場合、2009年1月1日の元旦に、桂宮、皇太子、常陸宮邸に記帳に行ったとある(その他の宮家に何故行かなかったのか不明)。なお、この元旦の宮家邸での記帳は、鳩山氏の場合、2010年1月初めの日経の首相官邸欄を見たが、出ていない。これは、理由は判らないが、不合理なことを廃するという観点からなら、評価すべきだと思う。

(首相以外の人の宮家邸挨拶/記帳)
 いろいろ調べていると、宮家邸への就任の挨拶/記帳は、首相だけではないようだ。政治家の日記がウェブに載っていて、検索にひっかって来るが、大臣、副大臣が行なっているようだ。例えば、次は、官房副長官の日記だが、他の副大臣でも同様の日記を見た記憶がある。
http://www.jun.or.jp/CabinetSecretary/2009-09.htm

 これは、天皇の認証の必要な副大臣以上(認証官という)では慣例になっているように見える。認証官ではない政務官でも、任意であるようだが、宮家に行っていることがあるようだ。
http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/e/49063dc2c4fb3d80aa848eb1aa9b1717

(宮家への就任記帳の問題点)
 首相の宮家への就任/退任記帳/挨拶にも違和感があるが、これが大臣、副大臣等でも行なわれているとなると、違和感もさることながら問題があると思う。

1) 宮家への挨拶にそもそもどのような意味があるか。
 宮家の意義は、家系上天皇を出せる可能性があるというだけであり、現在においてなんらの政治的実権は無い。特に高円宮は、当主が死んでいて、皇位継承権の無い女子ばかりで、それが結婚すれば宮家自体が無くなるというところであって、それへの挨拶が必要との考えは理解できない。
 天皇から認証されたということの報告ならば、皇位継承順位第1位の皇太子だけでいいのではないか。

2) 挨拶に行ったけど不在だから記帳ではなく、そもそも挨拶抜きの記帳という儀礼に何の意味があるのか。ただ、これは、時間の節約、お互い(訪問者、被訪問者)の負担の軽減という消極的な意義が無い訳ではない。

3) 副大臣までが記帳に行っているとなると、あまりにも多すぎる。トータルのマンパワーの無駄、交通渋滞の無駄とか誠に不合理な慣例であると思う。

4) このような意味のないことを、慣例ということだけで廃止することができないという理由には、2つの可能性がある。1つは、日本では皇室に関する儀礼について議論することができず思考停止になっているということ、もう1つは、皇室の権威を復権させようとする意図を持つ勢力があるのではないかということだ。何れにしろ、日本はこのままでは存続できるのかという気持になる。

(皇居への帰国記帳)
 首相が外国から帰国すると、先ず皇居に帰国の記帳に行くことが慣例になっている。これも不思議で、不合理な慣例だと思う。鳩山氏は、よく外国に行っていたが、この帰国記帳は律儀に守っていた。現在の菅首相の最初の外遊は、カナダのトロント近郊でのサミット、すなわちG8、引き続いてのG20であった。出発は24日、帰国は6月28日(月)の深夜であった。

▽28日23時48分 羽田空港着。
▽29日0時23分 公邸で仙谷、福山正副官房長官、寺田補佐官、安住選対委員長。
▽29日8時1分 官邸で仕事と生活の調和推進官民トップ会議。続いて障がい者制度改革推進本部。この後、閣議
▽9時15分 新年金制度に関する検討会。続いて社会保障・税にかかわる番号制度に関する検討会。この後、田中伸男国際エネルギー機関事務局長。
▽10時57分 皇居で帰国の記帳。

 確かに慣例にならい、皇居に帰国記帳に行った。しかし、帰国直後ではないということで、次に述べる麻生氏の時のトラブル、鳩山氏の律儀さに比して、若干合理的になったと、私は評価している。前述の宮家への就任記帳が就任後相当日日が経過してからであったことも併せ、合理化の方向であると考える。
 ただ、将来や次の首相ではどうなるかは全く判らない。とにかくこの国では、大事なこと、特に皇室関係は議論しないことになっているからだ。

(麻生元首相の帰国記帳でのトラブル)
 帰国記帳の是非は別として、麻生首相には、帰国記帳でのトラブルが2つある。第1は、2009年1月12日に、韓国で開かれた日韓首脳会談から帰国した時で、羽田空港到着は午後3時27分だった。その後内閣広報官等と空港内で若干打ち合せた後、お台場のフジテレビで1時間ほど報道番組に出演した。それから、6時24分に皇居に帰国記帳に行った。これが、帰国記帳の前に、国内で公的活動をしたということで問題になった。
http://plaza.rakuten.co.jp/tatsumikana/diary/200901120000/

 第2は、2009年2月18日に、ロシア大統領メドヴェージェフの招きに応じ、麻生首相南樺太を日帰り訪問して帰京した際に皇居で記帳したことである。総務大臣鳩山邦夫らからそれではサハリンを外国領土として認めたことになると問題視された。 (例えば、http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/1580357/%96%83%90%B6%93%E0%8At/20/ )
 
 麻生氏は、就任直後の所信表明演説で、「御名御璽を頂き、・・・」という意味不明のことを言うなどして、皇室を崇拝していた面があったから、帰国記帳の件で非難されたのは心外であったろう。これに対し、より若い鳩山氏が帰国記帳、宮家挨拶に丁寧で、皇室を大事にしていたように見えたのは意外だった。

以上