ハーバード白熱教室@東京大学

 9月26日(日)のNHK教育テレビETV特集ハーバード白熱教室@東京大学」(午後10時から11時30分)を見た。これは、2010年4月から同テレビで12回に渡り放送された「ハーバード白熱教室」のサンデル教授が、8月25日に東京大学安田講堂で講演したものを編集した放送である。かねて10月31日に放送されると予告が出ていて、私も手帳に記録していたが、たまたま本日の新聞のテレビ欄で放送予定を知り、びっくりした。ウェブによれば、反響の大きかったことから放送予定を早めたとある。9月11日に既にBSで放送されており、再放送であった。
 私は、4月以来の放送(ハーバード大学での実際の講義の録画)については、友人から面白いと聞き、実は第3回目から12回目まで見ていた。また、夏には、マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学」(早川書房2010年5月)を買い、相当真面目に読んでいた。ということで、日本で同教授が何を話すか、また日本の学生がどう発言するか興味があった。

 講義の内容を伝えるものとして、参加した人の、例えば次のブログがある。
http://lsi.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/in-japan-f6c3.html

 東大での講義を見ての主な感想は、次のとおり。
1) 日本人の学生から活発に意見が出されていて、その点感心した。サンデル教授は、来日前に日本の知人から、日本では意見が出ないだろうと言われていて、心配していたが、杞憂であった。
2) 日本の学生の意見は、一部冗長で論理性に劣るところや整理されていないところもあったが、普通の日本人に見られる情緒的かつ非論理的な発言とは違って、遥かに整理されており、よかったと思う。
3) 元来の白熱教室を見、本を読んでも感じていたことだが、このサンデル教授の講義では結論が出ない、又は出さないということがよく判った。東大の講義の放送は、実際4時間に渡ったらしいものを1時間半に編集してあるので、確実には言えないが、各テーマについて、やはりサンデル教授は結論は出していなかったようだ。最後のサンデル教授のサミングアップでも、多様な議論ができたことに意義があり、これを踏まえ、みんなが今後いろいろ考え、議論する基盤ができたことがよかったと言っていた。
4) 4月以来放送されていたハーバード大学の講義では、結論ではないが、教授は学生の種々の議論をもう少し整理して、ポイントを提示していたと思うが、東大ではそれを省略して、次のテーマに移ることが多かった。その理由としては、おそらく、a)東大での学生の意見が多様化していて、米国人であるサンデル教授の想定を越えたものがあった、b)学生の発言は、上記のとおり通常の日本人の発言より遥かに整理されていたが、論理的表現がまだ不十分で教授としてフォローしにくいところがあった、c)通訳又は学生の英語が不完全であった、などにより、教授としても短時間で整理できないところがあったのだろうと思う。

 東大での講義は、上述のとおり、日本の学生同士のディベート(サンデル教授のモデレータ付き)的なものとなって、各テーマに関しての結論ないし教授の見解を聞きたいものとしては不満足であった。以下、上記のサンデル著「これからの「正義」の話をしよう」を読んでの私見を2つ述べる。

1) サンデル教授は、功利主義(各人の効用の最大化が正義)やリバタリアン(各個人の選択の自由の保証が正義)等種々の考え方を紹介して、自分の立場は、コミュニタリアン(美徳の涵養と共通善についてともに判断することをコミュニティの目的とする)だと明かす。これは、彼のそれまでの各考え方の詳細な分析と批判を読んだ後では納得した気がする。
 しかし、コミュニティの共通善とは、言い換えるとコミュニティの善を各個人に強制することであり、ナショナリズムにつながる危険があると思う。教授は、そのため、構成メンバー間での絶えざる議論の重要性を指摘するが、それが確保できる保証はよく判らない。オープンな議論の伝統のある米国では可能かも知れないが、日本で、それが可能か、私は心配である。

2) いろいろなテーマの中で、私が理解しがたいのは、同性婚論争である。米国では、2003年にマサチュセッツ州最高裁同性婚を法的に認める決定を出した以降、幾つかの州で同性婚が認められるようになった。マ州最高裁の決定の理由は、異性婚に対して同性婚を志向する者の権利は、自律と選択の自由の問題として認められるべきということだ。自ら選んだパートナーと結婚することは、異性間でも同性間でも同様ということだ。また、同性婚否定論者の、結婚の目的は生殖であるとの説に対しては、それだけに限らないと否定する。
 私は、このような議論をしなければならない社会は、ある意味で病んでいるとの気持がする。この議論を続ければ、当事者が望めば、一夫多妻も一妻多夫も多夫多妻も拒否する理由が無くなる(しかし、マ州最高裁は、カップルだけに限って認めるとし、一夫多妻等は明示的に否定している)。私は、古い考えだが、結婚のポイントの1つは永続性にあると思う。確率的に言えば、異性婚に比して、同性婚の持続年数は短いのではないだろうか。理由は、異性間セックスの方が持続性があると推測されることと、子供ができた場合の家庭愛である。異性婚でももちろん離婚に至る確率はある。しかし、同性婚の持続の可能性が確率的に極めて低いとしたら、それを法的に認め、社会として祝福することは不適当ではなかろうか。
 しかし、離婚率の上昇とともに、同性婚を合法化することも社会の流れかも知れない。これは永続的な家族関係を基盤とする安定的な社会が、人類の共通な価値と認められなくなることであるが、避けられないことのような気がする。

以上