知的余生の方法

渡部昇一「知的余生の方法」(新潮新書、2010年11月発行)
 30年前に、渡部昇一の「知的生活の方法」(講談社現代新書1976年。私が読んだのは数年後)を読んで感激した。同書の勧めに従って、ハマトンの「知的生活」(講談社1979年)、「知的人間関係」(講談社1981年)も購入した。若かった私にとって、「知的」は、憧れのキーワードになった。
 しかし、その後2つの変化が生じた。第1は、絶えざる努力が必要な「知的生活」に私が適応できなかったことで、その後の私の生き方は怠惰に流れた。第2は、尊敬した渡部昇一のその後の論説に付いていけなかったことだ。右翼にバイアスのかかった相継ぐ評論は、正直嫌になった。ただ、教養関係の本はいくつか読んでいる。「ドイツ参謀本部」(中公新書1974年)、「英語の語源」(講談社現代新書1977年)など、面白かった。
 前置きはこれくらいで、この「知的余生の方法」は、若いときへの懐かしさと自分の現況とに鑑み、買った次第だ。
 結論は、幾つかは参考になったが、概してあまり面白くなかった。たくさん本を書く人は、全て良書にはならないのかなとの印象である。
 参考になったことの第1は、本を読む人は長生きするとの主張だ。あまり確たるエビデンスがある訳ではなく、頭を働かすと全身に行き渡るホルモンが分泌されていいという説があるくらいの程度だ。しかし、大いに勇気づけられ、妻にも紹介した。妻からは、私の読書、パソコン、携帯等に耽る習慣を止めて、運動をすべしと何時も言われていたが、これで一矢報いた。
 第2は、晩酌をする人に本を書いた人はいないという主張だ。同調者もいるらしい。私は30代以降殆ど毎日の晩酌を欠かさなかったが、これで自分が本を書かなかった理由が判ったような気がした。これは冗談で、本当はもちろん書けなかったのである。私は40代くらいまでは、酒に強いと思っていて、夜飲んだ後も仕事をしたり、読書をしたりしていた。しかし、ここ10年ぐらいは、夜テレビを見ながらうとうと居眠りをすることが多い。晩酌の量も、350mlビール缶を1-2本という程度で抑えているので、居眠りは昼に何か疲れることがあったからだろうと思っていた。
 しかし、この齢ではわずかなビールでも心身に影響することが判った。これからの選択肢は2つで、1つは、晩酌でいい気持になってうとうとしながら今後の人生を送ること、もう1つは、読書を楽しめる心身の状態を維持することだ。上述したことと若干矛盾しているようだが、私は長生きしたいとは思っていない。ただ、生きている間は、好きなことを楽しめる心身の状態を維持したいと願っている。それで、読書の方を選び、毎日の晩酌を止めることを決心した。具体的には、飲む日数を減らす。例えば家では、特段の事由が無い限り、自分からは飲まない。外で誘われて、又はイベントがある場合に普通に飲むことは問題ないとする。今日までの実績は、5日間で、飲んだのは外のイベントで1日だけである。
 第3は、渡部氏は80歳だが、記憶力を鍛えていて、今は学生時代や教師時代よりも記憶力がいいとしている。これにはびっくりし、感嘆した。このようなことが可能なら、私も今後生きている間、何らかの知的活動を続け、向上を図ることを目標にしたいと思った。
以上