アリアドネの弾丸とAi(死亡時画像診断)

海堂 尊「アリアドネの弾丸」(宝島社2010年9月)
 この本を買うきっかけは、11月に読んだ「あらたにす」(3大全国紙を一目で見れるウェブ)の「書評」→「著者に聞く」欄の記事だ。
http://allatanys.jp/C004/L0008M0060S1498TE004.html

 記事を読み出したきっかけは単純で、題名の「アリアドネ」に惹かれてだ。アリアドネは、ギリシャ神話に出てくるクレタ王ミノスの娘で、怪獣退治のテセウスに糸を与え、迷宮から脱出する方法を教えたとして有名。それから、今年の夏に見た映画「インセプション」の準主役のヒロインの役名が何故かアリアドネだった。今年は、アリアドネ流行りだなと思って、この著者へのインタビュー記事を読み出した。読後に実際に本を買おうと思った理由は、2つある。
 第1は、Ai(Autopsy Imaging、エーアイ、死亡時画像診断)がテーマだという点。たまたま昨2009年6月に「死因不明社会」(講談社ブルーバックス、2007年11月)を読んでいて、Aiには関心を持っていた。ちなみに、このアリアドネを読んだ後で、「死因不明社会」の著者を確かめたら、やはり同じ海堂尊だった。
 第2は、題名が超ネタバレと著者が明言している点。私は、最近携帯電話の電子書籍推理小説を読んで、謎解きが判らずにがっかりした(id:hatenadiary:20101024)。これは、読みにくい携帯電話で長編を読んだためと自己弁護をしていたので、紙の本で読めば推理小説もちゃんと解るのではと信じ、しかも著者が超ネタバレの題名とヒントをくれている。それで、挑戦しようと思った次第だ。
 以下、読後感として、この謎解きとAiについてコメントする。また、Aiについての個人的体験も紹介する。
1) 推理小説の謎解き
 推理小説のネタ明かしについては、結論を言うと惨敗した。つまり解らなかった。これについては多少弁解できることと弁解できないものとがある。
 多少の弁解できることから言うと、少しネタバレだが、a)動機や設定が不自然だ。また、b)最先端医療器械の専門技術が駆使されていて、普通の人にはトリックを想像できない。b)について説明する。
 推理小説の「トリックにまつわる暗黙の了解」 の1つに、「世間においてあまり一般的ではない科学技術を駆使したトリックは使用しない」というのがある。 また、昔読んだ「SF9つの犯罪」(アシモフ他編、新潮文庫1981年)にも類似の記述があったのを思い出し、本箱から引っ張り出した。編者のアイザックアシモフが、SFミステリーのルールについて書いている。架空社会では、密室殺人もタイムマシーンなどを登場されれば簡単である。しかし、SFミステリー(推理小説)としては、「その架空社会の全ての境界条件(できること、できないこと等)を丹念に読者に説明しておかなくてはならない」とある。
 最先端の医療器械の高度技術にはSF的なところがある。この本では、伏線として丁寧に説明してあることは事実で、上述のSFミステリーのルールに照らしてもクレームは付けられない。しかし、馴染の少ない技術だし、Aiがテーマだから、単なる器械の説明と思って読み流してしまった。前述の動機、設定の不自然さ(説明は省略)と併せ、推理小説としては私の好きなタイプではない。むしろ、最初から純粋な謎解きゲームと思って読んでいったらよかったのかなと思う。
 謎解きとして弁解できないことも1つあって、犯人が発射した銃声のトリックがトラディショナルなものだ。これが解らなかったということは恥かしく、あまり、謎解きに挑戦する資格は無いことを自覚した。
 謎解きは惨敗したが、小説自体は、主人公白鳥圭輔の語り口が絶妙で面白かった。ちなみに、題名中の「アリアドネ」に相当するヒロインは出てこない。
(チーム・バチスタの栄光)
 この本は、テレビドラマ化(私は見ていない)されて話題だったチーム・バチスタ・シリーズの最新版である。第1作「チーム・バチスタの栄光」(上、下、宝島社文庫2007年11月、単行本は2006年2月)が「このミステリーがすごい」大賞受賞作品だということなので、アリアドネ程度のレベルで受賞したのかと思って、わざわざ読んで見た。しかし、「バチスタ」は面白く、受賞に値すると感心した。ただ、謎解きとしては、医療の専門技術が使われていて、上述の「あまり一般的ではない科学技術を駆使したトリック」に触れるところがあると思われる。しかし、その他の設定が自然で、謎解きができなかった読者も不満を持たないのではないか。

2) Ai(死亡時画像診断)について
 著者(海堂尊)は、上述のデビュー作「チームバチスタの栄光」以来一貫して、Aiの普及を主張している。上述のとおり、私は2009年6月に、著者の「死因不明社会」をたまたま本屋で買って読んでいた。死因解明のためには、解剖がベストである。しかし、遺族の心理的抵抗と診断装置自体のキャパシティも不足しているので、該当者の全員を解剖することは困難だ。解剖の代替案として、また、解剖の際のスクリーニングとして、死亡時に画像診断装置で診断することを制度化すべきと著者は提案している。画像診断装置としては、CT、MRIなどが上げられている。著者の見解としては、Aiの普及、ないしAiセンターの設置については、医療の現場やそれを代表する厚生省と、司法解剖を所管する警察、法医、法務省との間で権限争いがあって、普及が遅れているのだそうだ。よく判らないが、本当なら残念な話である。
(義母の死)
 私には、Aiについて小さな体験がある。2009年10月に、義母が80歳で亡くなった。同年の5月に解離性大動脈瘤で緊急入院し、2か月ほどHCU(準ICU)にいて、その後入退院を繰り返していたが、家族とのコミュニケーションも可能で、全快も近いと思っていた。当日も入院中で、看護に行った妻と「では明日また」との会話を交わして別れたらしい。しかし、その3-4時間後に、個室のトイレで倒れていたのを看護婦に発見され、そのまま亡くなった。
 駆けつけた我々(私は職場から直行)に、医師は、CTの画面を見せながら死因がよく判らない旨を繰り返し説明し、解剖すれば判るかも知れないと言った。入院中の突然死なので、私はすごく不審で解剖してもいいと思ったが、直接の遺族である妻たちは、生き返るものでないからと、解剖を認める気は全く無かった。
 私は医師に、Aiは可能ですかと聞いた。医師は、瞬間ぎくりとしたようだったが、(心なしかやや強圧的に、)説明していたCTがAiだとし、更に超音波の診断図の説明もしてくれた。私は、更にMRIなど他のAiはどうですかと聞こうかと思ったが、遺族に説明するのもややこしいので、やめた。
 義母の死に関しこれ以上の話は無いが、感想は2つある。第1は、病床数200余りの程度のこの病院でも、患者の死亡時に、CT程度のAiをやっていたということだ(病院でも死因が判らなかった症例だったからかも知れない)。第2は、Aiでも死因は判らないということ。ちなみに、表題の小説の中でも、死因が判る率は、CTで3割、MRIで6割とある。これなら、義母のときにMRIを主張すればよかったのかも知れないが、数か月前に読んだ本からのうろ覚えだけでは、やや神経質だった医師や、遺体を早く自宅に運びたいと願っていた遺族への説明は難しかっただろう。
 私は、自分の場合は、死因が判らない場合は可能な範囲で明らかにしてほしいと思う。海堂尊が主張するように、死因が判る症例が多くなればそれだけ医学の発展にも通じると思う。わざわざ解剖するとコストがかさむだろうから、時間が遅れても献体して解剖してもらえればいいとも思う。ただ、ひところ問題になっていた医学生の遺体解剖実習用の献体が不足しているという状況は、近年改善されたと聞いたことがある(出所は思い出せない)ので、迷惑かも知れない。だから、死因がはっきりしない場合はCTないしMRIで診てもらいたいと遺言でもしようかと考えている。
以上