老いの才覚

曽野綾子老いの才覚」(ベスト新書、2010年9月)
 先週末に、田舎の兄に雪見舞いの電話をしていた時に、この本を薦められた。兄は7歳上だがよく本を読んでいる。かねて本屋に積み重なったいた本で関心はあったので、薦められた機会に買った。
 なかなか面白かったが、私としては困ったこともあった(それは最後に)。
 最近の老人は、遠慮を知らない、毅然としたところがない、「自分は老人だから○○してもらって当り前」と思っている、などと手厳しい。私も、かねて電車の中などで若い人に腹が立つことが多いが、中年、老年もおかしな人が多いと思っていたので、全く同感なことばかりだ。
 「老人の愚痴は、他人も自分もみじめにする」、「どんなことにも意味を見出し、人生を面白がる」など啓発される。
 「老いの基本は自立と自律」。バスのフリーパス、映画館の割引など、社会がくれるものは何でも貰おうというのは乞食根性だそうだ。払える年寄りは、自らの尊厳のために払うべきだそうだが、頭が下がる。
 それにしても、この著者は強い人だと思う。名医の時間は限られているから、高齢者は遠慮して若い人に譲るべき、ワクチンが限られているなら、高齢者が先ず受ける権利を放棄した方がいいと言う。強いというのは、このように公言したなら、いざ自分の時になったら譲らざるを得なくなる。私の場合は、例えば家人に長生きしてくれ(自分が1人になるのを恐れて)と言われたら、若い人に治療の順番を譲ることができるか甚だ自信がない。
 私が困ったのは、「老齢になると身につく老人性に、「利己的になること」と「忍耐がなくなること」の2つの柱がある」と書かれていることだ。私は、60歳を過ぎてから、「耳不順、耳したがわない」、70歳に向けて、「踰矩(のりをこえる)」ことを目指している。(参照 id:oginos:20101003)
 著者によれば、これが利己心と忍耐力の無さの表れとなる。しかし、これを曲げて、今さら世間を気にして生きる気はしない。それで微修正して、他人に迷惑をかけないことを加えた「耳不順」と「踰矩」にする。

以上