原発放射能とSI(国際単位系)

 福島原発事故との関係で、放射能等を表す単位として、シーベルトとベクレルがしばしば登場するようになった。私としてはかねて不案内な分野なので、当惑することが多い。本稿では、これらの単位が「SI(国際単位系)」により導入された単位であることを紹介し、次いで、SIの問題点についての私見を述べる。
1) シーベルトとベクレル
 「シーベルト」は、放射線の「吸収線量」の人体への影響を表す「線量当量」の単位だそうだ。大きさに応じて、マイクロシーベルト(100万分の1)、ミリシーベルト(1000分の1)も使用されていて紛らわしい。ミリ、マイクロとは微小なもののはずなのに、人体への被害が危惧されるということで最初は戸惑ったが、そのうち、少しは慣れてきた。
 その後、原発事故評価のレベル7への評価アップ(悪化)の中でしばしば登場するようになった「ベクレル」は、放射線を出す放射能の量を表す単位だそうだ。最初からテラベクレル(兆)又はペタベクレル(1000兆)のオーダーで登場し、どきりとさせる。また、このような接頭語を使わずに、京ベクレル(10ペタベクレル)と言う表現もするので、益々混乱する。例えば、チェルノブイリ放射能総放出量は、560京ベクレル(=5600ペタベクレル、560万テラベクレル)、福島原発は、その時点で63京ベクレル(=630ペタベクレル、63万テラベクレル)と言われると、極めて大量なことは理解できるが、その直感的な理解は困難で、混乱を生じていると思う。
 混乱の原因の1つは、報道される桁が、シーベルトの場合、ミリ、マイクロのレベルで、1-2桁のシーベルトのレベルだと大汚染として大問題になるのに対し、ベクレルの方は、通常の桁ではまったく問題にならず、テラ、ペタのレベルが問題になっていることであろう。このような混乱の原因は、そもそも単位の設定の考え方から生じていると思う。
 シーベルト、ベクレルは、いわゆる「SI(国際単位系)」で定められた単位であり、SIの前は別の単位が使われていた(後述)。国際度量衡局が定めた「SI」(Le système international d’unité、国際単位系)は、日本では、1992年の計量法改正により、全般的に導入されて、JISや各学会で普及が図られている。
2) SIの一般的な問題点
 しかし、私は、かねて、SIには強い疑問を持っていた。具体的な例を言うと、先ず「力」で、「kg重」が駄目になり、「N ニュートン」しか使えなくなった。次に「圧力」で、「気圧」、「バール」、「kg重/平方センチメートル」、「mm水銀柱」が全て駄目になり、「P パスカル」しか使えない。あと「熱量」についても、「カロリー」が駄目で(栄養については例外的に可)、エネルギーの単位の「J ジュール」に統一しろとのことになった。
 しかし、使えなくなった「kg重」は、物の質量に結びついていて人間が直感的に理解できる「力」の単位であり、また、静止物体の釣合い等を学ぶ初等教育の分野では、直感的理解に容易な極めて優れた単位である。これに対しニュートン単位は、運動方程式を扱うレベルにならないと理解できない概念である。また、圧力の「気圧」、「kg重/平方センチメートル」等も、人間が普段触れている量に関連した単位なので、直感的理解に優れている。熱量の「カロリー」も1グラムの水を1度C温めるに相当する熱量であって、判りやすい。これらに対し、ニュートン(質量1kgの物質の速度を1秒当り1m/秒加速させる力)の分り難さ、このニュートンを基準にした圧力のパスカル、熱量(=エネルギー)のジュールの分かり難さは、初等教育段階で生徒に理解させることは甚だ困難ではないかと想像する。中学、高校での物理の初歩が、現実の感覚と離れたことから学ばなければいけないのは、理科嫌いを増やす原因の1つになっていると私は考えている。
 SIの理念の最大のポイントは、「一量一単位」という理想を(愚直に)追うという原則である*1。また、基本量(1単位の量)を、その量の現実に沿った水準ではなく、理論的に定めようとしていることも問題を生じていると考える。これは、前述の「京ベクレル」、「ペタベクレル」などが出てくる理由である。
3) 地球科学分野におけるSIの問題点
 この原発事故で報道される単位を巡る混乱を見て、SIの問題点を改めて調べようと思った。単純に「SI」でグーグル検索すると、SIを解説する、ないしは推進する立場の人が書いた本や言説ばかりが出てくる。それで「SI 批判」で検索すると、少数だが、SIの問題点を指摘する文献が出てきた。次が出色だ。

茂野博「地球科学分野における国際単位系(SI)の使用:問題点と解決策」(地質ニュース603号,2004年11月)
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/2004/11/04_11_04.pdf

 このペーパーは、SIへの批判としては、誠に立派なもので、私としては、今までの胸のつかえがおりた。地球科学分野と限ってその分野の具体例を取り上げているが、どの分野でも共通だと思う。以下ポイントだけ紹介しよう。

現SI の大きな問題点は,前述した「一量一単位の原則」の適用である.これにより,上述した地球科学分野の数値データについて,直観性の高い分かり易い表現が許されない場合を生じる.その結果として,以下のように無視できない様々な問題が発生することが危惧される.
(1)学術的には直観性が失われることによって,考察,議論,理解などの進行が滞る.
(2)教育の場では,基礎知識に乏しい生徒・学生の理解が難しくなり,対象への興味が失われる.
(3)実験などの測定や操作の場では,直観性が低下するため,瞬間的な判断を要する場合などに失敗を生じ易く,危険な状況が発生する可能性もある.

 私見を付け加えると、(3)について、工場の現場でも同様な問題がある。例えば、圧力計は、SIの前は、kg/cm2(1kg/cm2がほぼ1気圧)が標準的な表示であった。これがSIにより、Pa(パスカル)に変り、そのため1気圧が0.1Mpaで、直観性に欠ける。高圧ガスを扱う場合、異常発生の緊急の際に直観的に正しい操作ができるかと問題になった。SI移行の際にその危険が議論されたが、SI化が強行されたと理解している。これが原因の事故が実際に起きたかは承知していない。しかし、全面的にSI化された現在においても、未熟練者にとって習熟には時間が掛かり難しいのではないかと思う。
 茂野ペーパーでは、定量的なデータの分り易い表示法について、次のような点が重要と指摘されている。 

(1)1 〜3 桁程度の整数値,小数点以下2 桁程度までの小数値などによる表示.
(2)体系性の高い単位系に基づく表現.
(3)感覚や経験に結びつく直観性の高い単位による表現.
(4)従来のデータとの継続性の高い単位による表現.
(5)値の変化幅が非常に広いデータについては、その対数値の指標化などによる表現.
上記(5)については,地球科学分野では例えば,地震マグニチュード(M),水中の水素イオン濃度(pH)が挙げられる.

4) シーベルトとベクレルに相当する以前の単位
 シーベルトとベクレルは、前項の(1)(数値の範囲の適正さ)、(3)(直観性が高い単位)の基準からは全く外れている。それぞれの単位の由来は、先ずシーベルトの場合、1kgの物体に1ジュールの熱量(エネルギー)を与える放射線の量(吸収線量、単位はグレイ)に、放射線の種類による線質係数(ベータ線ガンマ線は1、アルファ線は20、等)等を乗じたものである。私には直観として理解できない。次いでベクレルは、1秒間に1つの原子核が崩壊(壊変)して放射線を放つ放射能の量と定義されている。原子核の数をカウントするというオーダーでは、人間の感覚や経験とかけ離れたものになるのは当然だ。
 SI以前のシーベルトに相当する単位は、「レム」だった。レム単位の考え方は1kgの物体に与えるエネルギー量で、シーベルトと同じだが、基本量を1/100ジュールと(感覚に合せて?)調整していたので、シーベルトの100分の1だった。すなわち、1レム=1/100シーベルト放射線の人体への影響は、100ミリシーベルトが一応の目安のようだが、レムで言うと、10レムに相当する。これであれば、放射線の危険レベルが相当覚えやすくなるのではなかろうか。
 放射能の量を示すベクレルについては、SI以前は「キュリー」が使われていた。1キュリーは、1gのラジウム放射能の量を示すもので、これが生活実感に結びつくとは言えないが、ベクレルの原子核の数を単位とするものよりはまだ人間の実感覚に近いのではないか。それで、1キュリーは、3.7×10の10乗ベクレル、すなわち370億ベクレル又は37ギガベクレルに相当する。福島原発の放出総放射能量63京ベクレルは、1.7×10の7乗キュリー、すなわち1700万キュリー又は17メガキュリーとなる。また、次の記事の毎時放出量も、毎時100億ベクレルが毎時0.27キュリー、毎時1兆ベクレルが毎時27キュリーと、少し理解しやすくなったような気がする。本当は難しいことなのだが、少なくとも数字への拒否感は薄らぐのではないか。

 原子力安全委員会は25日、東京電力福島第一原子力発電所からの最新(1週間前)の放射性物質の放出量が1時間あたり100億ベクレル程度と推定され、4月5日時点の1千億〜1兆ベクレル程度から、1〜10%程度に減少した可能性があることを明らかにした。(朝日.com 4月25日夜 http://www.asahi.com/national/update/0425/TKY201104250440.html) 

 この放射線の吸収線量と放射能の量については、一般市民はもちろん相当の知識人にも混乱と恐怖ないし無関心を生じさせているが、その原因の1つにSIの不適切さがあると改めて確信した。かつてのSI原理主義者ないし推進論者の罪は大きいと思う。現時点で可能な改善は、「一量一単位」原則を若干修正し、分野によってその分野の「感覚や経験に結びつく直観性の高い単位」の設定を認めていくことだと考える。
 私は、本稿を書くに当って少し調べ始めて、このシーベルトとベクレルの測定方法や評価にも疑問が出てきた。この件については更に調べ、また稿を改めて述べたい。
以上

*1:長さについてのヤード、尺等の混在、重さについてのポンド、貫等の混在は、各国の内外に多大の混乱を生じていて、それを解決しようとした「一量一単位」原則の努力は、私も正当に評価している。問題はやり過ぎである。