老いる覚悟

 田舎にいる兄に薦められて次の本を読んだ。
森村誠一老いる覚悟」(ベスト新書、2011年5月発行)
 著者は推理小説作家として有名だが、こんな本も書いているのは知らなかった。前にも兄に薦められて、曽野綾子著「老いの才覚」を読み、このブログでも紹介した(id:oginos:20110118)。同工異曲とは言い過ぎだが、元気老人の後輩向けノウハウ集ということでは同じだ。ここでまた紹介する程でもないと思うが、やはり感心することもあるので、少し紹介する。
1) 時間を無駄にしない
 「余生でもっとも覚悟しなければならないことは、時間を無駄にしないことである。これからの時間を、どのように有効に使うか考えること」が重要とのこと。
 私は、余生は時間が有り余るだろうから、どう時間をつぶそうかと考えていたので、これは衝撃だった。若いときは時間がたっぷりあるから失敗も許される、しかし、老後の残された時間は限られているので、過去に蓄積された経験を活かして一発必中でものごとを進めなければいけないと言う。時間を無駄遣いしないため、日々の予定表を作るとか、2つのことを同時に行う(犬の散歩をしながらラジオを聞く、などなど)とかを提案されると、老後も結構忙しいのだと感心する。
2) 高齢者の3階層
 高齢者の社会は、それまでの組織社会から離れて新しく入る社会だが、3階層に分れるそうだ。60代が幼稚園でいえば年少組、70代が年中組、80代が年長組だ。最も勢力の強いのは年中組で、年少組は現役時代の慣性(特に大会社にいた人の場合)を引きずったままだと、年中組から生意気だといじめられる。著者は、1933年生れで喜寿を過ぎており、年中組の中でも元気あふれる長老だ。年長組になれば本当の老人だが、年中組まではがんばれと言われているわけで、少々億劫になる。
3) 量をこなす
 これは、「老い」とは直接関係ない。著者の盟友だった笹沢左保が著者に教えてくれたことで、流行作家であるためには、「量をこなさないといけない」、「いい作品を書くことだけでなく、数を出し続けることも大事だそうだ。前に、渡部昇一著「知的余生の方法」をこのブログで紹介した際に(id:oginos:20101209)、「たくさん本を書く人は、全て良書にはならないのかなとの印象である」と失礼なコメントを書いた。しかし、作家の側でも、いい作品だけを書こうとしている訳ではないのだ。量自体が目標になっていることもあり、読者もそれに憤慨してはいけないのだ。
 不肖私のブログも同様かも知れないと生意気なことを考える。自分が納得できるようなレベルの記事ばかりを目指さずに、継続して書くことにも少しは意味があると思ってもよいかも知れない。今日の記事もそういうことでご容赦願いたい。
4) デンデラ
 森村著にも姥捨山の話が少し出てくるので、家人が先週友人と見てきた映画「デンデラ*1の話を紹介する。帰ってきた家人が興奮して、酷い、判らない映画だと言う。聞いてみると、確かによく判らない映画らしい。酷いというのは、熊との格闘シーンが極めて残酷で、しかも残酷さと映画の主題との関係が判らないという。ウェブ上のコメントでも同様のものがあった。
 森村著では、これからの老人は、尊敬される(役に立つ)老人と軽蔑される(お荷物の)老人とに2極化されるそうだ。敬老時代から、老人を棄てる「棄老」の時代(昔の姥捨てだ)になるという。映画デンデラはこの流れかも知れない。

*1:http://dendera.jp/、2011年6月公開。キャッチフレーズは「姥捨山には続きがあった」。出演の女優陣が豪華。