サンデル教授の災害補償のあり方

 1週間前にNHKテレビのサンデル教授の授業を見た。
○9月10日放送 21:02 - 22:15 NHK総合 マイケル・サンデル 究極の選択「震災復興 誰が金を払うのか」
 概要は例えば次のURLにある。
http://datazoo.jp/tv/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB+%E7%A9%B6%E6%A5%B5%E3%81%AE%E9%81%B8%E6%8A%9E/511417
 私が見たのは、この副題に興味を持ったからだ。「震災復興 誰が金を払うのか」とは、日本の財務省が裏から手を回した企画ではないかと疑った。リバタリアン(各個人の選択の自由の保証が正義)の立場から、自助努力を主張し、国が補償するのは資源配分をゆがめる、必要なら各自が保険で手当すべきなどの論陣を張る人が出てくるのではないかと期待した。
 と言うのは冗談で、本当は地震津波の被災者(宮城県岩手県)と原発事故の被災者(福島県)との間の補償規模に相当の違いが出てくるのに正義があるかという問題が論じられるのを期待していた。
 その期待は裏切られたが、この番組を踏まえ、以下、1)サンデル教授の講義の概要、2)(東日本大震災において予想される)自然災害の補償内容、3)福島原発事故において予想される補償内容、4)義援金による支援の比較、5)私見を説明していく。なお、サンデル教授の「正義」論については、弊ブログでもかつて、「ハーバード白熱教室@東京大学」(id;oginos:20100927)と題して紹介している。
1) サンデル教授の講義の概要
 出演者は、東京、ボストン、上海の学生それぞれ8名程度、スタジオには、サンデル教授と在米の日本人3名。これが変わった構成で、女性のジャーナリスト、男性のシェフ、女性のダンサー。どういう意図で選ばれたか判らないが、日本の災害補償の事情に必ずしも通じた人達ではなく、あまり議論に貢献したとは思えなかった。以下、適宜テーマを拾って簡単に紹介する(もう少し詳しい内容は、冒頭のURLにある)。
 第1のテーマは、自然災害への補償のあり方で、補償資金を誰が負担すべきかとの話だ。中国の四川省地震の時に、中国政府が富裕な上海、杭州から資金を求めたことが紹介され、富裕な人が負担するのはいいというような意見も出た。が、日本では採用できない方法だ。国が税金で負担する以外の方法は考えられない。
 第2のテーマは、補償内容についてで、補償額に差をつけることが正義として許されるかとの議論だ。先ず人的被害(死亡者)の場合に、生前の所得によって補償額に差をつけていいか。次に財産上の被害(家の全半壊)の場合、家のレベル(豪邸と小宅)に応じて補償額に差をつけていいか。それらは不公平で、正義ではないのではないかとの議論がされた。
 第3のテーマは、巨額に上る原発事故の補償についてだ。補償資金の負担は、a)東京電力か、b)税金か、c)国債(将来世代の負担)か、d)電気料金の値上げかの択一(複数選択不可)の質問が、サンデル教授から参加した学生に出された。私は、補償規模や東電の負担能力に関する事実の整理が無いまま、択一で意見を求めるのはひどいと思う。負担順位を付けて規模に応じて組み合せていくことが実際だろう。
 また、リーマンショックの際の政府の支援の妥当性との比較等あまり意味のない(と私は思う)議論もあった。
 最後のテーマは、今後の原発建設を認めるか、原発所在地でない地域の人はどうするべきか、例えば原発立地地域の人達に金を払う(リスクのアウトプレースメント)ことが正義かとの議論があった。
 今、東日本大震災で進みつつある補償についての現実や問題点を踏まえた議論とはあまり思えず、総じて面白くなかった(財務省の陰謀による企画ではない)。
 以下、私が関心を持っているが番組では触れられなかった、地震津波被災地の住民と原発事故被災地の住民への補償の違いについて述べていく。
2) 自然災害への補償
 日本では自然災害の被災者に対する政府の支援は、現物給付と貸付が原則で、金銭での給付は限られている(後述の個人補償原則の影響)。「現物給付」とは、避難所の設置運営、給食、応急仮設住宅の提供(何れも無料提供)などだ。「金銭給付」で、現在確立した政府の制度としてあるのは、「災害弔慰金」と「被災者生活再建支援金」の2種である*1
 災害弔慰金は1973年に制定された「災害弔慰金の支給等に関する法律」に基づくもので、死亡者の遺族に支払われ、現在、生計維持者の死亡の場合500万円、その他の場合250万円である。生活再建支援金は、1995年の阪神大震災の後、1998年に制定された「被災者生活再建支援法」に基づくもので、家の全壊等に対し、最高300万円(所帯単位)が支払われる。
 この災害弔慰金と生活再建支援金制度は、日本の災害対策として実は画期的なもので、それまでは、大蔵省の主張する「個人補償原則」が堅持され、金銭給付制度は無かった。「個人補償原則」とはjargonで、「政府は、私有財産の補償はできない」という意味だ。金銭給付と個人補償はほぼ同じ意味で使われ、金銭給付には当局の抵抗が非常に強く、これの打破に向けて何十年も陳情が行われてきて、災害弔慰金が1973年にやっと実現した。死亡者への弔慰金だから財産補償ではないという理屈だったと聞いている。この意味で1998年の生活再建支援金は更に画期的だった。
 しかし、その後も金銭給付制度の追加には強い抵抗がある。財源が国民の税金であることから野放図な負担は不適切で、ある意味で当然の論理とも言える。ただ、被災者が期待する金銭給付が不十分であることを意識してか、政府の災害対策は、前述の現物給付に関する事業や復旧復興の公共事業(道路、河川の修復等)には熱心で、担当者は相当献身的に対応し、巨額の政府負担が行われていることは付言しておかなければならない。
 なお、災害以外の個人補償として触れておきたいのは、1980年に立法化された*2「犯罪被害者等給付金」だ。加害者が無資産ないし不明の場合、被害者ないしその遺族は、損害賠償を受けることができない。これは理論的には加害者に不法行為責任*3があるから、国が補償するいわれは無い。とは言っても被害者が可哀そうということで、永年の関係者の陳情が実って立法化された。当初最高800万円ぐらいの給付金額だったが、その後額が引き上げられ、現在では死亡者の遺族に最高3000万円程度の(災害に比しては多額の)給付金が支給される。
 すなわち、宮城県岩手県の被災者には、死者1名当り最高500万円(家計の担い手の場合)又は250万円の災害弔慰金と家が壊れた所帯に最高300万円の生活再建資金が出る。この他に、貸付を中心とした各種の支援制度がある。これらの国の支援の他、義援金によるものがあるが、4)で説明する。
3) 福島原発事故における補償(損害賠償)
 これに対し、原発被災者は、事故の責任が東電にあることが明確なので(更に国にも責任があるとされる)、民法709条の不法行為責任が適用され、損害額に応じて補償額は理論的には青天井である。この場合の補償は損害賠償の形になる。この原発事故の賠償については、さる8月に原子力損害賠償支援機構法が成立して、東電を賠償の第1次支払者とし、賠償額を他の電力会社と政府で補填するという賠償スキームが作られた。9月12日に同機構が発足している。
http://www.asahi.com/politics/update/0803/TKY201108030185.html
 東電は、このような中で、8月30日に具体的な賠償基準を発表した。この基準によれば、4人家族でのある試算では取りあえず450万円と報じられている。http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110831ddm001040034000c.html
 しかし、注意すべきは、この450万円には、「財物価値の喪失又は減少等」は「後日東電より改めて案内」として、現時点では含まれていない。失われた財産価値の算出方法によるが、理論的には青天井である。また、事業における損害への補償も予定されている(これは自然災害の場合補償されない)。
 災害弔慰金は該当者(死亡者)がいない。また、生活再建支援金については明確でないが、福島県も同法の地域指定がされているので、多分支払われるのではないかと思う。2)の自然災害の被災者への補償は、これに比較すると、相当見劣りがすると思う。
4) 義捐金
 政府の支援ではないが、一般市民からの義援金による支援も無視できない。厚生労働省の8月の発表では、日本赤十字他3団体への義援金の総計は3087億円とのこと。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110805/dst11080521090023-n1.htm
 現時点ではもっと増えているだろうし、地方公共団体等に直接寄せられる義援金もある。実際にどのような金額が被災者に配分されているかは、9月13日の宮城県の発表がある。http://www.pref.miyagi.jp/syahuku/miyagi_gienkin_haibun/
 これによれば、寄付団体からの義援金、県への直接の義援金それぞれの1次、2次配分の合計として、死亡者に100万円(1人当り)、家の全壊に100万円(1所帯当り)等とある。
 東日本大震災への義援金総額は過去最高だ。ちなみに、阪神大震災(1995年)では、義援金の総額は1788億円で、具体的な配分額は、死亡者10万円、住戸全壊15万円、住宅助成30万円、被災児童(住宅損壊かつ父母の何れかが死亡)100万円等とある。今回の東日本大震災の方が手厚い。http://kobe.kazamidori.net/scrap/shinsai2.htm
 義援金の被災者への配分額で言えば、雲仙普賢岳火砕流(1990年)、北海道奥尻島津波(1993年)の場合の方が多額だ。義援金総額も相当なもの(雲仙230億円、奥尻190億円)だったが、被災者の数が少ないため、住宅再建等に、1000万円を越える配分もされたという。
(復興基金)
 付言しておきたいのは、阪神大震災では、「阪神・淡路大震災復興基金」が設置され、被災者対策として相当の事業を行ってきたことであり、他の災害でも設置された場合がある。http://www.sinsaikikin.jp/kikin/index.htm
 阪神…復興基金は、9000億円の資金規模でその10年間の運用益約3600億円を活用し、各種の復興事業が行われた。この基金の資金提供者は兵庫県と神戸市だったが、銀行からの借入の利子の当初90%(後に75%)が国の地方交付税で手当され、兵庫県等の実質負担は少なかった。国の支出が地方交付税の特例という特殊の手法を使ったのは、上述の「個人補償原則」を免れるためであったと言われる。しかし、1998年に上記の被災者生活再建支援金制度が発足したこともあり、今回の大震災では、復興基金がどうなるかとの関心があったが、8月に宮城県で設置されたとの報道があった。http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/09/20110915s01.htm
 阪神大震災基金とは規模や性格が多少違うようであるが、今後の政府の補正予算によっては、拡大する可能性もある。
5) 私見
 サンデル教授の議論は、被災者の被災前の生活水準(死亡者の所得、損壊家屋の価値)に応じて補償金に差をつけることが正義かということだった。日本では、上述のようにその差別は無いと言っていい*4。私の感じている問題は、a)根本原因が大地震という同じものなのに、被害拡大の過程で、賠償責任を負う者が絡んでくると補償額が違ってくるということに正義があるか、b)義援金の多寡で補償内容が違うことに正義があるか、ということだ。これをサンデル教授に論じてほしかった。
 しかし、解の無いことに関し、私は少ししゃべり過ぎたかも知れない。原発被害者への補償金を減額すべきとか、自然災害被災者への補償額を(国民の税金の多額の負担の下で)増額すべきとも主張したくない。また、地域と災害を特定して贈られた義援金の寄付者の意思に反して、他の災害の被災者に備えてプールしておくべきだとも言いたくない。このような差はしょうがないことなのかと思う。
(天を恨まず)
 たまたま、9月16日の夜のNHKのニュースで、「平成22年度の文部科学白書に東日本大震災で被災した、ある中学3年生が卒業式で読み上げた答辞が全文掲載された」ことが報道されていた。震災後の3月末に行われた宮城県気仙沼市立階上(はしかみ)中の卒業式で、卒業生代表の梶原裕太さんは答辞の中で、「苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です」と感動的に述べた。http://mainichi.jp/life/edu/news/20110823k0000e040020000c.html
 同級生を3人喪った少年の哀しみは、どんな補償がされても癒されるものではない。しかし、大人としては、「天」に賠償責任能力があればとの「恨み」を捨てきれない。

*1:一般市民からの義捐金阪神大震災等の際に設置された○○復興基金(地方交付税法の付則のその都度の特例に基づく)は確立した制度とは言えない

*2:犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律

*3:民法709条、故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

*4:金額の上限が比較的低く抑えられているからかも知れない。他国の個人補償はもっと多額で、補償内容の個人差が大きいのかも知れないが、詳細は知らない。