坂の上の雲

 NHKテレビで、「坂の上の雲」のドラマをやっている(日曜日の夜8時頃から)。ご存知の方も多いだろうが、3年越しのドラマで、2009年の暮に5回放映した後に、2010年の暮に4回、今年2011年の暮に最後のセッションとして4回を行うという3部に分けた全13回のドラマである。
 私は昔、司馬遼太郎の原作を読んで感激したこともあり、毎回見ている。先週末の11日(日)は、今年の第2回、全体では第11回だった。タイトルは「203高地」で、日露戦争の際の旅順港攻略の際のポイントの激戦地だ。この回を機会に「坂の上の雲」に関する雑談を3つしたい。
1) 203高地
 全く関係の無さそうな話から始まるが、義母が2年前に亡くなる前の3‐4か月間、妻が義母の看病のため病院や実家に通った。義母の体調のいい時に昔の話をよく聞かされたという。その1つに、義母(1929年生れ)の母(私から見れば義理の祖母)の姑が厳しくて大変だったというのを何回か聞いたそうだ。もちろん戦前のことで、私はもちろん妻もこの姑には会ったことがない。それで、その姑の髪型が変っていて、それに基づいたあだ名が「203高地」だったということだ。
 私は何故か「203高地髷」のことを読んだことがあり(司馬の原作に出ていたのかも知れない)、2年前に妻から聞いたとき、その髪型の由来は日露戦争の激戦地だということを説明した。それで実際の髪型の形を、携帯電話でウェブ検索した画像で見せた。その後亡くなった後の法事でも話題になり、叔母(義母の妹)たちは覚えていたから、よほど印象的な髪形であったか、よほど厳しい姑さんだったかなのだろう。その髪型の画像は、「二百三高地髷」で画像検索すると、次のとおり沢山ある。右図はその1つで、姑ではない。
http://www.google.co.jp/search?q=%E4%BA%8C%E7%99%BE%E4%B8%89%E9%AB%98%E5%9C%B0%E9%AB%B7&hl=ja&rlz=1T4IBMA_jaJP327JP233&prmd=imvns&source=lnms&tbm=isch&ei=S6TmTuyBPe7EmQXUrqGBBQ&sa=X&oi=mode_link&ct=mode&cd=2&ved=0CBAQ_AUoAQ&biw=1070&bih=622
 妻は、このドラマの第1部(2年前)は気に入り、感心しながら楽しんでいた。去年の第2部は、日清戦争正岡子規が死んだりして、1年前の青春群像的な明るい要素が薄らぎ出したので、少し嫌い出した。今年はまさに日露戦争だから嫌がっていたが、それでも11日の「203高地」の回は、亡母の想い出にも繋がるかと(?)、少し関心を持って見始めた。しかし戦争場面ばかりなので嫌だと言って早々に風呂に入ってしまった。2年前から、日露戦争の場面を楽しみにして、今年も喜んで見ている私のことを戦争主義者じゃないかと疑っている。
 以上、何ということもない話で、得られた知見は、日露戦争後に流行した髪型が、3代(明治、大正、昭和)を経て昭和10年代まで残っていたことぐらいだ。しかし私としては、日露戦争(1904-5年)を全く見聞していない母娘が、100年以上も経った後に、その激戦地の地名に由来した風俗の昔話をしていたことが何とも言えず面白かった。
2) 薩摩弁等
 ドラマは、当時の軍人たちの出身地を反映して松山弁、薩摩弁等の方言がきつい。これで若い人たちは理解できるのかと心配になる。特に戦争の場面は、周りの音がうるさく聞き取りにくい場合が多い(年取った私だけの問題か)。作戦の詳細や遣り取りを聞きたいのに非常に困る。また、ロシア人の会話も多くて、ロシア語でしゃべり日本語の字幕が出てくる。先の薩摩弁等も、現代語ないし字幕を使わないと、若い人と年寄りがNHKのドラマから離れていくのではないか。 
 これらのことに関連して、私がかねがね不思議なのは、日本の映画、ドラマは吹替えが少なく、原語でしゃべって字幕を出すのが多いことだ。特にNHKは、社訓でそうなっているのかと思うくらい、原語主義だ。民放でも「○○芸術祭参加」と気張ったものは原語主義が多い。困ったものだ。欧米は基本的に吹替えだ。学生時代に、ドイツに赴任していた奥さんの話を聞いた。米国映画の「007」がドイツの映画館では、「ヌルヌルジーベン」と吹き替えられていたと楽しげに教えてもらった。
 これに関しては、7年前にNHK大河ドラマ北条時宗」で、モンゴル語が原語らしきもので話されていることに疑問を感じて、次のメールをNHKに出したことがあった。返事は無かった。

北条時宗の蒙古語(?)について (抄)
差出人:OGINO Shinjuro
宛先:
日付:2004年4月5日
前略
 日曜夜の大河ドラマ北条時宗」を拝見しています。質問があります。
 番組で、蒙古人がしゃべっている言葉があって、字幕で翻訳が出ています。
 これが蒙古語だとすると、昔の蒙古語ですか、現代蒙古語ですか。現代語だと、外モンゴルですか、内モンゴルですか。ところで、昔の蒙古語というのは、現在、発音の状況など判るものなのでしょうか。
 以下は、それぞれに応じた質問です。
1) 昔の蒙古語の場合。
 ドラマを本物らしくするということで、昔の蒙古語を使うという方針だろうと思います。しかし、番組で、日本人がしゃべっている言葉は、鎌倉時代の言葉ではなく、現代日本語です。アンバランスと思いますが、如何でしょうか。
2) 現代の蒙古語の場合*1
 フビライ・ハンが当時しゃべっていた言葉と違うと思うと、白けます。どっちみち大多数の日本人視聴者には理解できないので、凝り過ぎではないでしょうか。それとも、このドラマはモンゴル向けにも放送される計画だからでしょうか。
3) 一般的なコメント(上記の本文で述べたことと同趣旨なので略)

 原語主義は、安易なリアリティの追及やオリジナルの再現に固執する作者の独善のような気がすることが多い。それよりも、作品の意図を読者ないし視聴者へ正確に伝えることの価値を認識してほしいということだ。例えば、源氏物語を映画化する場合に、原語(古文)体で再現しようと考える脚本家はいないであろう。何故蒙古語やロシア語だと原語主義が尊ばれるのであろうか。
 もっとも、字幕については便利な場合もある。テレビの録画を見る場合、全部見る時間がもったいなく概要だけを知ればいいと思う時がある。我が家のテレビ録画では、1.5倍速の「早見早聞」というのがあり、音声も早回しで聞こえる。しかし、2倍速以上は音声は出ないので内容は推測しにくい。ところが字幕だと、2倍速、4倍速でもあらすじはつかめ、時間が大幅に節約できる。この方法でミュージカル映画を見たことがあると洩らしたら、友人たちから大顰蹙を買った。
3) 私の「坂の上の雲
 上述のように、私は若い時に「坂の上の雲」を感激して読んだ。公務員になった時の社内研修で、同書の第1巻のみが支給された。私はその第1巻を読んでからたまらずに第2巻以降(最終6巻まで)も買って、歴史地図などを参照しながらある程度まじめに読んだ。その結果具体的成果がどうこうということは無かったが、著者の意図通り、登って行けば手が届く「坂の上の雲」という国民的目標が明確だった当時を羨み、実際に明るく奮闘した明治の人たちを尊敬した。
 私が読んだ1970年代前半は、今から見るとまだ国民的目標はあったような気がする。少なくとも職員に読ませた役所の幹部は、「雲」は探し出せるものと期待しており、「雲」を設定できれば、日本は明治時代のように発展を続け、公務員も生きがいを感じつつ明るく仕事をしていけると期待したのだ。しかし、その後も、更に21世紀に入っても、「坂の上の雲」が無いことが明らかになり、それを前提にした生き様を求めざるを得なくなっていると思う。
 現代の「雲」は、クラウドコンピューティングの「クラウド」だ。データはもちろん、ソフトウェアもシステムのインフラもクラウドの中に預けた。我々は、このパラダイムの変換を追い求める中で、新しい「雲」を見つけて行かねばならないのだと思う。
 

*1:その後友人が調べて教えてくれたことによれば、フビライハンを演じていたのは、当時モンゴルで有名な俳優だったそうで、現代モンゴル語であろうとのこと。