ヘモグロビンA1c値の変更

 カミングアウトするが、私は20年来の糖尿病患者だ。現在は2か月に1回程度医者に行って血液検査と投薬を受けている。血液検査は、昔はもっぱら血糖値だったが、今はその代替指標として「ヘモグロビンA1c(エーワンシー)」(単に「A1c」と呼ばれることも多い)の測定が主流だ。
 先週1月26日の定期検査の際、たまたま自分が趣味的に作成した過去17年間のA1cの推移をグラフにしたものを持っていき見せた。10数年来の付合いの医師だ。それで医師が言うには、この4月からA1cの測定値が国際標準に合せて変るそうだ。従来より0.4高くなるので、このグラフもこれからは連続性を見るためにどう表すか問題だねという。他人のグラフの作り方まで心配してもらった次第だが、帰ってから調べて見た。以下はその紹介だが、国際標準化競争に敗れた日本という姿が見えてくる。先ず、糖尿病などとは縁の無い方のために、1)A1cの解説を少し、次いで、2)A1c値の変更についての関係学会のプレス発表、3)変更の経緯、4)私の感想、5)読者が誤解しないように私の病状、と述べていく。
1) 血糖値とヘモグロビンA1c(HbA1c)
 糖尿病の指標としてかねて使われているのが血糖値で、血液中のグルコース(ブドウ糖)量(mg/dl)で示す。空腹時で109mg/dl以下なら正常だ。
 血糖値の問題は、常に変化していることで、例えば食事をして糖分を体内に吸収すれば直ぐ上昇する。体調によっても変化する。従って朝食を摂らない空腹時の採血による測定が標準である*1
 次いでヘモグロビンA1cだが、先ずヘモグロビン(Hb)とは、赤血球中のタンパク質で酸素を運搬することで有名だ。正常なヘモグロビンの大半はヘモグロビンA(HbA)だ*2
 ヘモグロビンは糖とも結合しやすく、糖と結合したものをグリコヘモグロビンという。グリコヘモグロビンの1つがヘモグロビンA1c(HbA1c、単にA1cとも)とのことだ*3。ヘモグロビンと糖との結合は、1-2か月間程度安定なので、HbA1cの全ヘモグロビン中に占める割合(%で表示)は、血液中の糖分濃度(血糖値)の安定的な指標として用いられるようになっている。この割合が5.8%程度以下なら正常と言われている。
 余談だが、「Hb」はヘモグロビンの略号で世界共通のようだが、何故hemoglobinの略号が「Hg」でなくて「Hb」なのかが不思議だ。これでウェブを調べたが1時間以上無駄にした。英語のページの翻訳ぺージで、Hgだと水銀と同じになると書いてあったが、それが理由になるのだろうか。hemoglobinの略語として「Hgb」も一部使われるらしいが、これならまだ落ち着く。あまり不思議だったので、この「はてな」の「人力検索」で「何故hemoglobinの略語は、HgでなくHbか?」との質問を出した。「人力検索」は初めての利用だ。いい答をもらったら、この記事のコメントか、改めての記事で紹介したい。
2) HbA1cの値の変更
 医師の言っていた測定値の変更は、その6日前の1月20日朝日新聞のウェブ版に出ていた*4日本糖尿病学会などが、1月20日に合同で記者会見を行い、国際標準に合わせるためヘモグロビンA1cの値の変更を4月以降の一般診療で実施すると発表したとのことだ。
 糖尿病学会のホームページにも資料がある。その概要は次のとおりだ。

糖尿病学会発表資料の抜粋
http://www.jds.or.jp/jds_or_jp0/uploads/photos/818.pdf
a) 従来日本で使われてきたHbA1cは、日本糖尿病学会(JDS)が開発してきた方式(JDS値)だが、国際的に多くの国で使われているNGSP*5方式による値と0.4の差がある(NGSP値の方が高い)。
b) 本学会では、2年前から、日本の学者も海外での論文発表ではNGSP値を用いるよう推奨してきた。この4月からは国内の日常診療等においてもこのNGSP値のHbA1cを使うこととする。ただし、当分は混乱を避けるため、JSP値を併記する。
c) NGSP値を「HbA1c(NGSP)」、従来の日本でのJDS値を「HbA1c(JSP)」と表記する。NGSP値は、文字数の制限がある場合、「A1C」(全て大文字)とも表記できる。
d) 換算式(簡便型)は、HbA1c(NGSP)=HbA1c(JSP)+0.4 (単位は%)
e) 糖尿病の診断は、この3月までは、従来のJDS値を用いて6.1%以上を糖尿病型とし、4月以降は、NGSP値を用いて6.5%以上を糖尿病型とする(0.4%ポイントの差があるから、診断基準は現在と変わらない)。

 驚くべき内容で、医療の現場(医師、看護師等)や患者の相当な混乱が予想される。それから糖尿病学会のホームページをいろいろ見てみたが、変更の理由としては国際標準のNGSP値への統一ということしか説明されていない。素朴な疑問として、a)両方式は何故違うのか、b)何故日本は世界とは別の方式でやってきたのか、c)国内の患者に相当の混乱を惹き起す変更を何故する必要があるのか(学者の論文だけ国際標準化すればいいのではないか)が考えられるが、同ホームページにはそれへの説明が見当らない。
3) HbA1cの標準化の経緯
 前項の疑問は、糖尿病学会のページでは判らなかったが、いろいろ探して、次の記事を見つけてやっと得心した。c)については判らないが、a)、b)の疑問は解決した。面白いので、抜粋としても少々長いが紹介する。

http://therres.jp/pdf/dr_kashiwagi_opinion.pdf
「A1CとHbA1c ─糖尿病検査はどう変わるのか」 (抜粋)
柏木厚典(滋賀医科大学附属病院病院長)の談話 "Therapeutic Research" vol.31 no.2 2010年
 血中ヘモグロビンのうちA1は,α鎖,β鎖に結合した糖の種類によってさらに分画されます。「β鎖N末端のバリンにグルコースが結合したものがHbA1c」(注、私には理解できない)です。これを高速液体クロマトグラフィで測定し,ヘモグロビンに対するHbA1cの割合を算出し,糖化ヘモグロビンの指標として用いています。
 JDS法もNGSP法も,測定の原理・定義はまったく変わりません。ですから,当初はJDS法による測定値と,NGSP法による測定値がそれほど乖離しているとは考えていませんでした。しかし,実際には,それぞれHbA1c以外のコンポーネントも同時に測定してしまっており,同じ検体を測定すると,NGSP法ではJDS法より0.4ポイント高い値を示すことがわかってきました。
 これでは混乱を招くということで,2007年に国際臨床化学連合(IFCC)外3機関が集まり,「HbA1cはヘモグロビンのβ鎖のN末端のバリンにグルコースが安定的に結合したものを測定し,全体ヘモグロビン量に占める割合を算出する」と明確に定義づけました。*6
 こうして測定されたHbA1cは,「IFCC値(mmol/molHb)」と表記することになりました。IFCC値はJDS法と比べると約1.5ポイント低い値,NGSP法と比べると約1.9ポイント低い値を示すことがわかりました。これまでのJDS法やNGSP法では,定義以外のものも含まれた状態でHbA1cとして測定していたためです。
 しかしながら,長い間,蓄積した測定データがあるところに,突然,測定法を変えて従来よりも1.5ポイントも低い値を提示してしまったら,臨床の現場は混乱してしまいます。そこで,IFCC値は単位を%ではなく,mmol/molで示すことで日本や欧州では話がまとまりつつありました。この単位にすると,従来の測定値が6.5%の場合,関係式から算出して50.7 mmol/molとなります。このように変換すれば,まったく異なる数値になるため,現場の混乱を最小限にできると考えたのです*7
 日本は,数年間はJDS値とIFCC−HbA1c値を併記し,次第にIFCC値へ移行するとの方針で準備を進めていました。ところが,米国がこの国際単位(IFCC値)への移行に同意せず,従来どおりNGSP値を用いるという方針を貫いたため,国際単位の設定が暗礁へ乗り上げてしまいました。そこで,日本は経過措置として,まずはNGSP法を採用することで,諸外国と足並みを揃えることにしました。

 私が感心したのは次の点だ。
a)米国が真面目な国際標準化の検討に横やりを出して自国の主張Jをごり押しした(日本はまたもや敗れた)。
b)同じ測定方法であっても(測定器の校正のための)標準物質の違いにより値が相当異なり、かつ専門家もそのことに相当の間気がつかなかった。
c)国際的な合意の方向であるIFCC値の設定に際しては変更に伴う混乱を避けるため、千分比を採用するなど、本質的でない部分でいろいろ工夫されていた。
d)前述の日本糖尿学会のプレス発表でも、将来のIFCC値への移行を暗黙に予定しているようなところがあるので、将来HbA1c(NGSP)からまた変更される可能性がある。
4) 感想 
 始めにまたカミングアウトすると、私は国際標準や国際単位系というと先ず懐疑的になる傾向がある(弊ブログ「原発放射能とSI」 id:oginos:20110425 参照)。国際市場での競争が厳しい産業分野や国際的な学会での評価を競う学問の分野では国際標準や国際単位系の重要性は疑えないし、従来日本が国際標準の形成への努力が十分でなく市場で苦杯を舐めたことが多いことは承知している。しかし、個人の生活の分野では必ずしもそうではないのではないか。国内で長期間にわたり馴染んできた従来の単位や標準との継続が重要な場合もあろうし、例えば医療福祉の分野で新しい技術の芽が出れば、国際標準化を待たず、国内で早く標準化し、普及を図る方が国民のためになると思う。
 それで、HbA1cだが、日本のJDS値は、世界に先駆けてその標準化と実用化に努力してきたもののようで、NGSP値に負けたことへの無念感は上記柏木談話でも若干うかがわれる。それは、糖化ヘモグロビンの測定理論値に近いと思われるIFCC値との差が、NGSP値の1.9ポイントであるのに対し、JDS値では1.5ポイントとやや小さいことからもうかがわれるように思う(私見)。
 私の20年を越える糖尿病との付合いの中で、当初の血糖値から、途中でA1cも測定するようになった。医師から、これからはA1cで診ます、体調で日々変わる血糖値より2か月程度の平均値が判って優れていますと言われても、慣れるまで数年かかった。ただ患者としては、空腹時血糖値と異なり、採血の日の朝食を絶食する必要がなく手軽でよくなったという面はあった(検査費は高くなったが)。
 しかし、この4月からのNGSP値への変更は概念上全く変わらずに(患者にとっての意義は何もない)、値だけが0.4上がる訳だ。またそのうち、IFCC値に変るというのでは、国際標準化というのが患者にとって何なのかとの疑問が出てくる。
5) 私の糖尿病
 読者の中には、私は糖尿病で大変な闘病生活を送っているのではないかと心配する人もいるかも知れないので、取りあえず大丈夫なことを説明する。
 1989年に3年間の米国赴任から帰国して人間ドックに行ったら境界型糖尿病と診断された*8。その後完治することはなく、レベルが漸進し、今では薬を服用している(ベイスン3錠/日とアマリール1/2錠/日)。まだインシュリンの注射までは行っていない。2か月に1回程度医者に行って血液検査と投薬を受けている。合併症は無い。合併症の代表である網膜症については半年に1度程度眼科に行って検査を受けている。
 生活はごく普通である。食事は当初は意識してダイエットしたが、今はそれほど意識せずに減量できているようだ。アルコールも付合いの際は失礼の無いように飲んでいる。ただ昔ほどは飲まない。A1c値は、最近は6台半ばだ。医師からは6台前半を目標にしろと言われているが、最近2回は6.7だった。A1cの測定を本格的に始めた1995年以来の変化のグラフを別添する(医師に持って行ったもの)。
 ということで、取りあえず現時点では糖尿病とまあ適当に付き合えているかと思っている。今後悪化の可能性はあるが、その場合はインシュリン注射という道も残されている。

*1:グルコースを一定量摂った後の1時間後、2時間後、3時間後の状況をフォローする「糖負荷検査」も必要に応じ行われる。

*2:他に、HbF、異常なものにHbS、HbHなど。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%A2%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3

*3:HbAには、HbA0、HbA1a、HbA1b、HbA1cなどがあるとのこと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%A2%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3A1c 

*4:http://www.asahi.com/national/update/0120/TKY201201200469.html

*5:National Glycohemoglobin Standardization Program

*6:編者注、「安定的に結合]がポイント。

*7:編者注、mol(モル)比とは分子数の比で、重量比とは概念上殆ど変らないはずと思う。冒頭にm(ミリ)が付いているから千分比になり、従来の百分比とは値は異なる。

*8:余談だが、米国の料理人は、食器の地を見せることを恥と考えているようで、ポテトや野菜などで満杯にした皿が出てくる。一方戦後に産まれた私は、食事を残すことを恥と教えられてきたので、米国では自然に食過ぎとなった。