幼稚園の入園式は必要か

 今週、親戚の急逝で帰省した。故人と葬式の話は個人的なことなので割愛して、ある参列者と幼稚園の入園式の是非について話したことを述べたい。初めて会ったその遠縁の人は、幼稚園の園長先生で、モンスターペアレントとの対応に苦労されている話など、幼稚園の経営について興味深い話をされていた。徒競争はちゃんと順位を付ける*1など、しっかりした方針を持たれており敬服した。それで、かねて自分が思っていたことを話したら少し理解を得たようだった。幼稚園の入園式は不要なのではないかということだ。本稿ではそれに加えてついでに、初中等教育についてのかねての愚見(男女の別、制服は不要、男子に家庭科を)を述べる。
1) 入園式は不要
 以前、私の孫の幼稚園の入園式の時の写真を、息子から見せてもらったことがある。園長先生の話などのセレモニーの時間中ずっと、椅子を後ろ向きにまたいで後ろを見ているのだ。息子夫婦も困って傍に寄って説得するのだが、後ろの方が気に懸るらしく改まらなかったそうだ。
 私はそれを聞いて、3歳の子供にとって入園式という非日常の儀式はストレスなのではないかと思った。入園式などそもそもやる必要はないのではないだろうか。20数年前米国に赴任した時、息子は小学5年の9月の新学期から入学したが、始業式も何もセレモニーが無かったのを思い出したからだ。翌年中学に進学したが入学式は無かった。一般に米国では、幼稚園から大学まで、各学年の始業式はおろか、入学式、入園式もやらない。各教室で先生が必要な説明を行うだけらしい。(卒業式は盛大らしい)
 入園児の心境を思い測ると、何か月も前から、いよいよ幼稚園に入るよと言われ続け、不安が高まっているのではなかろうか。それで、いよいよ入園式になると両親も晴れ着という非日常の装いをし、幼稚園に行くと平生は見ない沢山の人がいて不安も極値に達するのではなかろうか。
(外国の小学校の入学式、幼稚園の入園式の有無)
 米国以外の国での入園式はどうなのだろうと、ウェブで調べて見た。小学校の入学式も合せて調べた。最初のキーワードは、「外国、小学、入学式」や「外国、幼稚園、入園式」。次に「ドイツ」など国名を散りばめて検索した。外国では、同じ国の中でも、地方により異なるなど統一されていないことが予想される。また、各国比較調査としてまとめられたページも無さそうだ。検索で出てくるページは、在外駐在者のブログが多い。相当調べた積りだが、以上の事情により、部分的な情報だ。以下は、そういうものだと理解してもらいたい。
a) 小学校の入学式も幼稚園の入園式も無いと思われる国−米国、英国、フランス、カナダ
b) 小学校の入学式はあるが、幼稚園の入園式は無いと思われる国−ドイツ、中国
c) 小学校の入学式も幼稚園の入園式もある国−韓国
 各国の主要都市に設置されている日本人学校では、入学式、入園式を真面目にやっているようだ。従って、この国では入学式が行われていると思っても日本人学校の場合がある。上記の調査は現地校と思われるものに限っている。
(まとめ)
 諸外国の例から見ると、入学式、入園式、それから各学年の始業式も行わないのが、グローバルスタンダードで(韓国など例外はある)、入学式等は日本の風俗だ(「入学式」は季語にもなっている)。ただ、小学校以上の学校についての入学式や始業式については、必要とは思わないが、実害は無さそうだから、あえて反対する積りはない。
 しかし、幼稚園の入園式については、前述したように、園児に不当なストレスを与えている場合があるので、廃止したらどうかと思う。入園後半年ぐらい経って落ち着いた頃、父母も参加して写真、ビデオも撮れるセレモニーを行うというようなことはどうだろうか。
 入園式をやりませんと言うと、多分親から不満が出てくるかも知れない。写真を撮る機会がなくなると言うかも知れない。モンスターペアレントから猛烈に反発されそうで怖い面はある。
2) 初中等教育についての他のコメント
 入園式の話題のついでに、それとは離れるが、初中等教育についてかねて思っていたことをここで述べよう。
a) 男女の別
 また孫(男児)の話だが、最初幼稚園で、女子はこちらに来てと先生に言われて、彼は一緒に走って行って恥をかいたそうだ。それで家に帰ってきて、男児と女児とは何かと、父親に哲学的な質問をして困らせたそうだ。
 小学校などでも男女の差別無しということで、名簿も混合記載、かけっこも混合などが多いらしい。しかし、着替えは別の方がいいだろうし、トイレも別ということで、その度に考え方を整理しなければいけない。こういう区別は、そのたび毎に上滑りな帰納的推論で納得させるのは大変だ。小学校低学年までは、名簿を別にし、行列も別に並ぶなどして、人間には大人から子供まで通じた男女という分類があるのだと理屈抜きに観念させておいた方がいいのではないかと思う。ちなみに私の息子は、スカートを穿いている子が女の子だと適当な説明をして、孫になかなか納得してもらえなかったそうだ。
b) 制服は不要
 高校まで通じる話だが学校の制服は問題だと思う。制服の問題点をいくつか挙げる。
(1) 活動的でない。
 高校の男子の詰襟、セーラー服のプリーツスカート、小学生、幼稚園児のブレザー、女児の短いスカート、男児の短ズボン(転んだときに怪我をしやすい)などが問題だ。小学以下の男児の制服は何故か短ズボンが多い。私の米国経験を言うと、男児の標準服装(制服ではない)は夏でも長ズボンで、短ズボンはリゾート地での服装だ。女児もズボンが標準で、スカートは改まったときかリゾート地だ。
(2) 不衛生
 制服はスーツみたいなもので替えが沢山あるわけではない。従って、1週間以上着っぱなしの子が多い(裕福な家は何着も替えがあるかも知れないが)。外で転んで泥が付いても翌日そのまま着ていく場合がある。(これが、少なくとも私の中高時代の標準だった)
(3) 正しいおしゃれセンスが育たない。
 学校での友達が何時も同じ制服では、おしゃれや服装に対する正しいセンスが育たず、社会に出て苦労する(私の場合)。次項の「不経済」に関連するが、身体が成長するので、最初は少し大きめのを買い、身体に小さくなるまで着ている。これでは服装のセンスを持ちようがない。
 制服擁護論者の主要な論点の1つが、この点に関連している。すなわち、制服が無いと、おしゃれを考えるのに時間を取られ勉強に影響が出る。当人も毎朝何を着ていくか考えるのが面倒だという。確かにそのような点はあるかも知れないが、総合的には服装センスが育つメリットがあるのではなかろうか。
(4) 不経済
 子供の成長は早い。成長のサイズに合せて制服を買い換えるのも大変だ。ブレザー、ジャケット、セーラー服は高額で、伸縮が効かない。ちなみにまた私の話をすると、私には兄が2人いて、中高の詰襟はすべて兄達のお下がりだった。当時はそれが普通で、私もそれで惨めだとかは全く思わなかったが、現代では、兄弟も少なく、買い替えなければいけないだろう。
c) 男子に家庭科教育を
 私の出た高校は進学校だが、何年か前、選択科目で、料理、裁縫は女生徒だけとなっているのを見た。これは大間違いだと思う。他県の大学へ進学すると、自炊の能力ないし知識は必須であろう。その後結婚した後も、料理、裁縫を他人任せにすることは許されない。男子生徒に家庭科は必修科目とすべきだと思う。

*1:園児に差を付けることはよくないとの考えから、徒競争のゴールインは皆で一緒にと言うのが一時流行った。