エルピーダ半導体

 IT関係者にとっての先週の衝撃は、DRAM半導体の日本最後のメーカーであったエルピーダ・メモリー社が2月27日(月)に発表した会社更生法申請すなわち倒産であろう。*1
 この件についての全般的なコメントは省略し、私が関心を持った、米国マイクロン・テクノロジー社を例にとって、多様な企業戦略の併存の重要性について述べたい。
 最近の世界のDRAMの生産シェアは、サムソン、ハイニックスの韓国企業が1、2位で、3位と4位を争っていたのが、日本のエルピーダと米国のマイクロン・テクノロジー社だ。マイクロン社といえば、1980年代の日米半導体摩擦の発端となった反ダンピング提訴を行った会社として思い出される。すなわち、1984年にマイクロン社は日本の7社(後述)に対し反ダンピング法の提訴をし、その翌年1985年に米国半導体工業会(SIA)も通商法301条*2に基づき提訴した。これを踏まえ、両国政府間で1986年夏に日米半導体協定が締結された。この協定のサイドレターには、日本市場における米国半導体製品のシェアを5年間で倍の20%に引き上げることなどが盛り込まれた。
 この過程で、マイクロン社の反ダンピング提訴は多分うやむやになったような気がするし、日米協定ができても、シェアも低いマイクロン社には効果が及ばず、そのうち同社は撤退するだろうと誰もが思っていた(に違いない)。というのは、a)マイクロン社は、著名な半導体メーカーが軒並み本拠を構えるカリフォルニア州シリコンバレーではなく、ポテトぐらいでしか知られていないアイダホ州*3にある小さな会社である、b)インテル社など他の米国企業は、日本企業のDRAM攻勢に嫌気がさしたか、DRAMから撤退し、マイクロプロセッサー等に注力することなど、半導体の戦略を変更していた。この結果米国でのDRAMメーカーは小さなマイクロン社だけになっていたからだ。
 しかし、このマイクロン社がその後も米国唯一のDRAMメーカーとして存続してきたことを今まで何回か確認し、私は秘かに感嘆していた。これに対し、マイクロン社が反ダンピングとして提訴した日本の企業の7社は、東芝日本電気日立製作所富士通三菱電機沖電気松下電器(順不同)であったが、今は全てDRAMから撤退している。1999年に日電、日立のDRAM部門が合体して設立(後に三菱電機が参加)したエルピーダ・メモリーの今回の破綻により、DRAMメーカーは無くなることになる。
 かつて世界を席巻した日本のDRAM7社は、全て総合電機メーカーがワンセット主義的事業戦略として揃ってDRAM部門に進出したものであった。このように各社が同じ企業戦略を採用し、お互いに激しく競争することが、日本の企業の特徴であった。戦後高度成長期を経てこれまでは一定の成果を挙げてきたが、既に、このような一様な企業戦略は、日本の産業の弱みになっているのではないかと思う。
 米国の産業は違う。半導体産業の発生からして、既成大企業の進出ではなく、新規のベンチャー企業ベンチャーキャピタルの出資を得て起業したものが殆どだ。それから日本企業のDRAM攻勢に対する対応策も戦略が分れる。すなわち、DRAMから撤退し、プロセッサに注力して大発展したインテル社、DRAMに拘り続けたマイクロン社。このように各企業の戦略が多様であることが、米国産業の活力、競争力を産み出している。個々の企業を取ってみれば破産した企業やそこで失職した雇用者も多い。しかし、新たな起業も多く、雇用を吸収し、グローバルな競争社会で大きく成長する。マイクロソフト、グーグル、フェイスブック、等々サクセス・ストーリーは多い。
 日本としては、多様な企業戦略の併存を実現することが、今後のグローバル社会での存続の鍵であろうと考える。

*1:http://www.nikkei.com/paper/article/g=9695999693819696E0E5E29C938DE0E5E2E0E0E2E3E09F9FEAE2E2E2;b=20120228

*2:貿易相手国の不公正な取引上の慣行に対して、米国政府に当該国と協議させる。

*3:米国北西部のカナダに国境を接する農業州。人口150万人程度