大往生したけりゃ医療とかかわるな

 次の本の広告が新聞に縦3段、横1ページ分で大きく出ていたので興味を持ち、買った。
中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな−自然死のすすめ」(幻冬舎新書、2012年1月1刷発行)
 たまたま同じ頃、次の新刊と雑誌が出ていて買った。NHKの番組も見た。
近藤誠「がん放置療法のすすめ−患者150人の証言」(文春新書、2012年4月1刷発行)
文藝春秋2012年6月号大型企画「よりよく生きるための最善の医療」
「どう迎える人生の最後 問われる延命治療」(NHKクローズアップ現代」5月17日夕7時30分−8時)
 本稿では、高齢者医療向けを主対象に、過剰医療、延命医療、がん治療等について、上記の3書・雑誌とNHK番組を順次紹介し、若干のコメントを述べる。約7,500字とやや長文なのでご容赦を。
1) 大往生したけりゃ医療とかかわるな(中村仁一著)
 中村仁一医師は2000年から老人ホームに携わっていて、多くの老人の死を看取ってきた人だ。
(自然死のすすめ)
 著書の第1の主張は、人間にとっては自然死が最高で、病気を治そうとする医療行為は患者に苦痛を強いているとのことだ。特に、人工呼吸器、気管切開、強制人工栄養(鼻チューブ、胃ろう等)等の延命治療は、患者に大きな苦痛を与えるばかりだという。著者の言う「自然死」とは、飢餓、脱水から始まるものだが、辛いものではないという。死に際の飢餓は、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、いい気持になって幸せムードに満たされるとのこと。脱水も、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がりぼんやりした状態になる。それから死ぬ際の呼吸困難の結果、酸欠状態によってモルヒネ様物質が脳内に分泌され、排出されず体内に溜る炭酸ガスには麻酔作用があるとのことだ。
 そんな死境にある人の気持がどうして判るのかと思うが、死地から奇跡的に生還した人の証言からも窺われるらしい。延命治療は、患者に苦痛を与え、QOL(生活の質)を大幅に下げるとともに、自然死の際の幸せムードを妨げると言う。第1章のタイトルは「医療が穏やかな死を邪魔している」、第2章のタイトルは「『できるだけの手を尽くす』は『できる限り苦しめる』」と刺激的だ。
 鼻チューブ、人工呼吸器等の苦しさは相当なもので、患者は無意識の中にも引き抜こうとする、それを防ぐために患者の両手を縛りつけるというのは確かに悲惨だ。回復の見込の無い患者に適用するのは確かに苦痛だけを与える状態のようで、医者と家族の気休めだという著者の指摘もうなづける。
 これは延命措置に関してのことなのだが、それ以外の各種医療についても、若年者向けを含め否定的だ。人体の自然治癒力を活かすことが重要で、熱、嘔吐、下痢、鼻汁、咳、痛みなどは治癒に向けての人体の正常な反応であるから、解熱剤など飲まず、そのまま治癒するのを待つのがいいとする。私がなるほどと思ったことは、年寄りは若者と異なり、「局所の症状が乏しい」との話だ。例えば、高熱などは人体の反応であってそれ自体重症ではない。それよりも微熱や平熱であっても、年寄りが普段と違って食欲が無いとかぐったりしているとかの場合は重症の恐れがあり、いきなり意識障害になった患者の例が紹介されている。
(がん死のすすめ)
 著者の第2の主張は、死ぬのはがんに限るというやや奇妙な論点だ。特に高齢者の場合だが、がん死が好ましい理由として、比較的最後の時期まで意識清明で意思表示が可能なことが挙げられている。また実際の死亡まで数か月以上の期間があり、予定(死亡)時期も告知されるので、その意識清明な間に身辺整理や必要な人たちにちゃんとお礼やお別れが言える。この場合、次に述べるような痛みを避ける意味もあり、上述のように治療しないことが前提だ。
 がん死が世の中で嫌われ、恐れられているのは、死因のトップだからだけでなく、激しい痛みを伴うものだからだ。しかし、著者によれば、がんの全てが強烈に痛むのではなく、また痛みの多くはがん治療によるものだとする。すなわち、放射線治療抗がん剤投与により体が弱体化するとともに、痛みも激しくなる。著者は、これらの治療でのがんの残党が復讐しているためだと余り論理的でないことを主張している。がん検診を受けると治療を強要されるし、また気に懸るものだからと、がん検診を受けない*1。がんに関しては、次項の近藤誠医師の主張と重なることが多い。
 週刊文春の2012年5月24日号(5月17日発売)に、著者のインタビュー記事が出ていた。タイトルは「理想は、孤独死野垂れ死に」。 これは同誌の連続インタビュー「私の大往生」シリーズの第1弾らしい。これによれば、「・・・医者とかかわるな」は44万部のベストセラーだそうだ。5ページものの記事だが本の内容が要領よくまとまっている。
2) がんの放置療法(近藤誠著)
 近藤誠氏の著書自体は買ったことがなかったが、1990年代に文藝春秋での「がんもどき」に関する同氏の連載記事を読んで非常に感心したことがある。記事をクリッピングしてしばらく友人に紹介していたことがあった*2。がんには、転移する本物のがんと転移や急激な増加はしない「がんもどき」があって、がんもどきは手術などする必要がないとのいわゆる「がんもどき理論」で判りやすかった。「がん放置療法のすすめ」の巻末に掲載されているだけでも、一般向けのがん関係著書が4冊あり、活発な活動を続けてきていることが判る。他の医師からの批判も多いと聞いていたが、今年になっても著書を出しているということは、がんもどき理論の健在を示すものだ。
 内容は、がん患者に対し無症状の間は治療をせずに放置することを勧める著者の事例報告だ。前立腺がん等計7種のがんについて、各1から4ケースの放置治療の患者事例が紹介されている。「がん放置療法」の要諦は、先ずがんと告げられた時に、少しの期間でもいいから様子を見ることにある。がんもどきの場合は進行しないし、本物のがんの場合は、既に転移していて治らない。特に高齢者の場合(がんは老化の1つとの見方もある)、本物であっても進行は緩慢であるから無症状のまま何年も続くことが多い。その後は定期的に検査する必要もない(検査すると気に懸るが、適宜検査してもいい)。
 その後いよいよ症状が出てきてから治療方法を検討するが、その場合もがんと闘う方法は好ましくない。がん治療の方法は、主として手術、抗がん剤放射線だが、手術は体の負担が大きいし、転移しているがんを取りきれない場合がある。抗がん剤は手術の場合でも併用されるが、その副作用はきつく、がんと闘っているのか、抗がん剤と闘っているのか判らない。抗がん剤は延命治療というより縮命効果が大きいと厳しい。著者は、放射線科に属しているからか、必要な場合はとして放射線治療を勧める。
 注意しなければいけないが、肝臓の初発がんは放置医療の対象外だ。肝臓がんは無症状の間に命の危険がある程度に増大する可能性が高いからとのこと。
 がんもどき理論には、他の医師からの批判が多い。私はそのような神学論争に立ち入る積りは無い。ただ、私が最初にその理論を知った1995年から17年を経ても、その効果を示す著書が出版されているということは何らかの真実があるのではないかと思う。ちなみに私の電子辞書中の百科事典「マイペディア」には、この「がんもどき」が見出しとして登録されているので驚いた(2005年版と2008年版)。
3) 最善の医療(文藝春秋6月号 大型企画)
 この企画内の記事は6つあるが、がん対策に重点をおいて、渡辺純一・松木康夫対談「何のための医療、何のための延命か」(以下「A」)、鳥集徹「専門医の証言 闘うがん、闘わないがん」(B)、奥野修司「緩和ケア医師『余命十か月の決断』」(C)の3つは読み返した。少し抜粋して紹介する。
a) 延命治療への反省が見られる。例えば、「いわゆる延命治療の弊害もよく指摘されている。・・・延命技術が進んだことで、患者の家族はどこで医療をやめるか、という大問題を抱えることになってしまった」(A)
b) 過去に過剰診療があったことを反省し、一部のがんについては「様子を見る」医師が多くなった。例えば、
「(肺がんについて)以前は診断確定や治療のために手術されることもあったが、最近は『しばらく様子を見る』のが呼吸器外科医の間では共通認識になりつつある」(B)
前立腺がんも、早期で見つかった場合は、しばらく様子を見ることが多くなった」(B)
「10年以上前は悪性度の低いがんも無条件に手術をしてしまう『過剰診療』があったと思います」(B)
B中に、「がんもどき」の言葉が2か所さらりと使われていて、市民権を獲得したように見える。
c) 抗がん剤への反省が見られる。例えば、
「かつては抗がん剤の副作用に痛めつけられる患者が多かった。しかし現在は・・・『支持療法』が発達し、激しい副作用に悩まされる患者はかなり減った」(B)
抗がん剤がだらだらと使われ過ぎているとの指摘もある。理由は、抗がん剤治療をやめる選択肢を医師が患者、家族に事前にきちんと説明できていないから」(B)
Cで紹介されている岡部健医師は、在宅緩和ケアの医師だが、自らが胃がんとなった*3。治療の詳細は省略するが、紹介したいのは岡部医師が抗がん剤に信頼を置いてないことだ。「抗がん剤は効かないのが大半で、効かなかったときは明らかに寿命を縮める」と言う。
d) 治療方法の選択への迷いが医師にもある。Bで紹介されている清水陽一医師(2008年大腸がん発見、手術、抗がん剤治療、2011年6月死亡)は、生前、講演で病状を公にし、抗がん剤臨床試験のデータを示しながら、「見ての通り、抗がん剤をしても効果はわずかで、治るわけではありません。ですが、家族がどうしてもと言うので、今、抗がん剤をやっています」と話したという。同医師の娘は、父が母のために治療したのだと言い、「治療してくれたことが家族には救いになりました」と言う。記事の著者は、清水医師のような信念の人(説明省略)でさえ悪あがきをしていたことに驚いたと言う。「闘う、闘わないという2者択一を超えて、その都度最善と考える選択をすることが、納得の最後につながる」と結んでいる。
 「最善の医療」とは、その都度考え、選択をしなければいけないようでは、私のような凡人には全く指針にならない。
4) 延命治療(NHKクローズアップ現代」、5月17日)
 同じようなテーマでの報道が重なるもので、1)の最後で紹介した週刊文春の発売日と同じ5月17日夕、NHKの「クローズアップ現代」で「どう迎える人生の最後 問われる延命治療」が放送された。http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3199.html
 この番組は、主として胃ろう(胃瘻、腹に穴を開けてチューブを通じて水分、栄養を補給する措置)を取り上げていた。番組によれば、本年3月に(社)日本老年医学会が、「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン ― 人工的水分・栄養補給の導入を中心として」を発表したとのことだ。http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/member/kaikai/jgsH23roukenjigyoujisseki.pdf
 このガイドラインを一読したが、問題は悩ましい。

ガイドラインの概要 (2012年3月 (社)日本老年医学会)
1.医療・介護における意思決定プロセス
 医療・介護・福祉従事者は、患者本人およびその家族や代理人とのコミュニケーションを通して、皆が共に納得できる合意形成とそれに基づく選択・決定を目指す。
2.いのちについてどう考えるか
 生きていることは良いことであり、多くの場合本人の益になる――このように評価するのは、本人の人生をより豊かにし得る限り、生命はより長く続いたほうが良いからである。医療・介護・福祉従事者は、このような価値観に基づいて、個別事例ごとに、本人の人生をより豊かにすること、少なくともより悪くしないことを目指して、本人の QOLの保持・向上および生命維持のために、どのような介入をする、あるいはしないのがよいかを判断する。
3.AHN*4 導入に関する意思決定プロセスにおける留意点
 AHN 導入および導入後の減量・中止についても、以上の意思決定プロセスおよびいのちの考え方についての指針を基本として考える。ことに次の諸点に配慮する。
a 経口摂取の可能性を適切に評価し、AHN 導入の必要性を確認する。
b AHN 導入に関する諸選択肢(導入しないことも含む)を、本人の人生にとっての益と害という観点で評価し、目的を明確にしつつ、最善のものを見出す。
c 本人の人生にとっての最善を達成するという観点で、家族の事情や生活環境についても配慮する。

 このガイドラインは難渋な説明が多く、解説(注釈)も付けて全15ページもある。胃ろうを中止する選択肢も認めたということで画期的とされているが、やや抽象的で医療現場での判断に苦労すると思われる。1と3との両者で「意思決定プロセス」との語が使われていて紛らわしいが、1は一般的かつ合意形成のプロセスを言い、3はAHNプロパーかつ技術的判断要素を言っている。
 1の関係者の合意形成の際に特に問題となるのは、意識不明などで患者本人の意思が確認できない場合であろう。特に中止する判断の場合には本人の意識が無い場合が多い。ガイドラインでは、「本人の意思確認ができない時は、家族と共に、本人の意思と最善について検討し、家族の事情も考え併せながら、合意を目指す」とあるが、実際の現場ではどうするのだろう。解説では、患者の年金を継続して受領することを目的とするような家族がいることもメンションしているが、そのような家族に対し、「本人の意思と最善」についてどう検討できるのだろうか。そのような例外的ケースでなく普通に考えても、回復の見込の無いまま長期間の介護を続け疲れきっている家族をどうやって良心の呵責なく開放できるようなロジックを医療サイドに与えることができるかが問題だ。医療側の経営的視点*5も絡んでくると話は複雑だ。
 NHKの番組では、長期間病院で胃ろう患者の介護をしている家族の(予想通りの)悩みが紹介された。出てきた医師のコメンテーターは、前述のガイドラインの難渋さを反映してか、判り難いコメントが多く、司会はまた、患者にとっての「最善の」医療とは何かとの答の無い問いかけばかりで、話題の重さのとおり余りインフォーマティブでなかった。
5) 感想
 文藝春秋の記事を読んだ限りでは、過剰診療や延命治療の問題が指摘され、10年前より改善しているように見える。少し安心したが、全ての医師、病院がそうかはよく判らない。
 延命治療については悩ましい。老年医学会のガイドラインでは、患者・家族を含む皆の合意形成が必要と規定されている。従来のインフォームドコンセントの場合、医師が「最善」と決定した医学的処置を患者・家族に十分説明して同意を得る手続きとのニュアンスがあり、それは医師サイドが最善の医療を判断できるとの前提があった。しかし、この合意形成のプロセスでは、医師も選択肢の選択に迷い、患者サイドも「最善」の医療の決定に参画し、責任を負わなければいけない。素人の私としては辛い、死刑執行を命令しなければいけない法務大臣ではないが、もう少し機械的に判断できる基準を提供してほしいと思う。
 中村医師の「治療は不要」という考えはよく理解できるし、自分の場合はそうしたいとの思いもある。ただ、3年前に私の義母が解離性大動脈瘤で倒れ救急車で病院に行き、数時間に及ぶ手術を受けた後、ICUで何週間も鼻チューブによる人工呼吸器だったが、その後回復して退院した(2-3か月後再入院)。鼻チューブを無意識で引き抜こうとするのを抑えるのに家族は大変だったようだが、回復の効果のあったことは確かなので、延命措置に似ているからと言って拒否してはいけないのだろう。また、文藝春秋のBで紹介した清水陽一医師が自分の主張を曲げて悪あがきをした理由に、家族の思いがあったということも心を打たれる。「最善」には、関係者が心の整理をするある程度の時間が必要という視点もあるのだろう。
 がん治療については、60代後半に入った自分としては、生き続けなければいけないとの思いも薄くなっている。がんの診断を受けても、中村医師や近藤医師等の話に従い、痛みや副作用の可能性が高い抗がん剤治療や手術は遠慮しようと思う。その場合の懸念は、30年間払い続けているがん保険だ。改めて保険約款を調べると、入院した場合にしか治療費は出ない。治療を受けないとすると保険に入る意味は無かった。がん治療の問題点を知らなかった若気の過ち(?)だったかと思う。

*1:余談だが、この著者中村医師は少し変った人だと思う。本の残りの部分には付いていけない所があるし、紹介した部分にも表現上若干気に懸る部分がある。

*2:ウェブで調べたら、1995年の文藝春秋で10回にわたり連載されたとのこと。翌1996年に「患者よ、がんと闘うな」の書名で出版されている。 http://www.amazon.co.jp/%E6%82%A3%E8%80%85%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%A8%E9%97%98%E3%81%86%E3%81%AA-%E8%BF%91%E8%97%A4-%E8%AA%A0/dp/4163514600

*3:2010年1月に胃がんが発見され、既に肝臓にも転移し外科手術で取ったものの4か月後に再び肝臓に5センチ大の腫瘍が見つかり、余命10か月と宣告された。宣告通りであれば2011年4月までだが現在も健在とのこと。

*4:AHNは、「人工的水分・栄養補給法」の略。経口による自然な摂取以外の仕方で水分・栄養を補給する方法の総称で、次のようなものがある:経腸栄養法(胃ろう栄養法、経鼻経管栄養法、間欠的口腔食道経管栄養法)、非経腸栄養法(中心静脈栄養法、末梢静脈栄養法、持続皮下注射)。

*5:高齢者の入院患者の保険点数が下がったので、胃ろうを付けて退院させ、在宅や老人施設に送ることが多くなったとの指摘がある。http://www.news-postseven.com/archives/20120424_103517.html