NHKの放送通信連携サービス(Hybridcast)

 私の住む世田谷区に、NHKの放送技術研究所(以下「技研」という)があり、毎年Open Houseをしている。今年の「技研公開2012」は5月24日(木)から27日(日)までの4日間だった。1階と地下1階の2フロアーに亘る4-50テーマの展示(全てに説明員)のほか、講演会、研究発表会も行われ、訪問者が列を作る賑やかなものだ。同じ区内のよしみもあり、講演会と展示を見に行った。http://www.nhk.or.jp/strl/open2012/index.html
 その全貌を紹介できるほどの知識も理解力も無いので、その中の「放送通信連携サービス」(登録商標「Hybridcast」)について紹介する。以下、1)Hybridcastとは、2)Hybridcastのデモ事例、3)放送かウェブか、4)現在技術での放送通信連携の順で述べる。最後の項は、将来技術のHybridcastよりも現在を充実してほしいとの感想だ。
1) Hybridcastとは
 NHK技研のパンフによれば、Hybridcastとは「放送と通信が連携したサービスを提供するシステム」であり、2012-14年度の「NHK技研3か年計画」中の3つの重点項目の第1に掲げられている*1。2年前の「技研公開」からその開発が紹介されているとのことだ。
「放送通信連携」における「通信」とはもっぱらインターネットの利用を言い、インターネットの端末はテレビ受像機のスマート化(インターネットのサーバーから受像機に各種アプリケーションをインストールする方式)と、通常のパソコンとがある。特に最近は、スマートフォンタブレット・パソコン(以下「携帯端末」)が有力な通信端末として取り扱われている。開発当初にはタブレットなどはそれほど重視されていなかったのではなかろうか。
 携帯端末の重視の理由として「セカンドスクリーン視聴」が普及したとしている。2012年2月のスーパーボウル(米国のアメリカンフットボールの王座決定戦)のテレビ視聴者1.1億人のうち60%がモバイル機器を併用すると回答したとのことだ(技研公開2012における講演「Hybridcastの展開」の資料による)。後述するが、このような「セカンドスクリーン視聴」は、まだ日本では普及していないと思う。
2) Hybridcastのデモ展示
 Hybridcastの具体的事例が展示で紹介されていた。幾つか例を挙げる。
a) 番組に連動する地図等の表示(テレビ放送とは別にウェブのサーバーから提供される。表示はスマート化された受像機又は携帯端末)
b) スポーツ番組での選手の動き図(サッカーなどでは有用とのイメージ)、個別選手のライブ試合中の記録、テレビ受像機の画面上での特定選手名の吹き出し表示(これは技術的にもちょっと高級か)
c) 番組でのクイズ、語学学習番組でのヒヤリング等の質問回答(現在の双方向放送よりもユーザーインターフェイスが改善)
d) ソーシャル(SNS)的なものとして、ツイッターのテレビ画面への表示、知人間のメッセージのテレビ画面への表示(離れた祖母と孫が同じ番組を見ていてのチャット等)
e) 手話通訳CG画面や多言語翻訳画面をタブレット上ないしテレビ画面上に表示
 技術的に大したことはなさそうだし、後述のウェブサイトとの連携等でも可能なようなことが多く、それほど面白いデモとは思わなかった。技術的には、テレビ放送とウェブ通信との同期を確保するのに相当気を遣っていたようだ。
3) 放送優先かウェブ優先か
 技研公開でのNHKの講演者が強調していたように、NHKの観点での放送通信連携はあくまで放送のためだ。しかし、世の中これだけウェブが発展している中で利用者の利便を考えれば、ウェブからのアプローチの方が実効性が高いと思われる。
 ケン・オーレット著「グーグル秘録」*2でも紹介されているように、2000年代に入ってグーグルが登場した当初は、既存のメディア(新聞、書籍、テレビ等)や広告産業は、この新メディアの影響力を軽視していた。その後グーグルが発展してからは反対に敵視したりしたが、結局既存メディアの広告媒体としてのシェアは低下せざるを得なかった。このことからも、「放送のため」を前提にしたアプローチは多分うまく行かないのではないかと思う。
 ただ、広告主のことを考慮しなくていいNHKという公共放送の存在は米国では無いので、どう考えればいいのかと思うが、テレビ視聴者が減少していく方向は多分変らないであろう。次項で述べるように、現在の日本では利用者(テレビ視聴者)の利便がないがしろにされていると思う。
4)現在の技術での放送通信連携
 Hybridcastの展示で見た、ユーザーインターフェイスだけはやや優れたデモよりも、現在でもウェブ等の利用により実現可能でかつ視聴者の利便向上に貢献できる方策が多い。すなわちデジタル放送における番組連動データ放送と、テレビ局等のウェブ・サイトの充実だ。私は、それほどテレビを見ている方ではないので(少なくとも家人より少ない)、以下の説明は完全ではないかも知れないことを予めお断りする。
a) 番組連動データ放送
 番組連動データ放送は、放送中のドラマのあらすじ、キャスト、スポーツ放送の場合の試合経過、選手名、各選手の記録などを見るのに便利だ。ドラマの途中で(詰らなさのあまり)思わず寝たりしたときにフォローするのにもいい。ところが、番組連動データ放送がある番組は予想外に少ない。在京地上波6局の週間テレビ番組表(日経新聞5月26日付けNIKKEIプラス1)を見て、番組連動データ放送のある番組(四角囲いの「デ」印が付された番組)の数を調べた(5/27(日)からの1週間分)。
NHKは、朝の連続ドラマと日曜の大河ドラマの他は、信じられないことに6/2のゴルフだけだ(朝ドラ、大河ドラマは再放送があるので、1週間当り番組数としては合計15)。地上波の民放は、最多が日本テレビで、1週間に28番組(再放送は無さそう)、最少がフジテレビで1週当り5番組だ。番組の種類としては、朝と夜のニュースバライエティ、スポーツ中継、映画等が多い(全てではない)。感心したのはBSの「WOWOWプレミアム」で、殆どの番組が番組連動データ放送付きだ。さすが有料放送、視聴者サービスは素晴らしそうだ(私は料金を払っていないので、そのデータ放送の中身は知らない)。
ちなみに、前述のNHKの技研公開の際、データ放送が少ない訳を聞いてみた。NHKの説明員によれば、番組連動データ放送のコンテンツは、BML(Broadcast Markup Language)というデータ記述言語で書かなければいけないが、日本ではBMLを書ける技術者が非常に少ないのだという。本当かなと思う。前述のWOWOWの実績もある。要するに、一般のテレビ局は視聴者サービスに力を入れていないのだと思う。
b) テレビ局等のウェブサイト
 テレビ局のウェブ・サイトは従前よりは相当整備されてきたがまだ不十分だ。現在放送中の番組名は直ぐ判るが、内容は、放送前の番組紹介で、概要や出演者ぐらいしか出ていない。例えば5/26(土)の女子バレーボールの中継(フジテレビ。日本‐ロシア戦)を見ても、番組連動データ放送は無いし、ウェブサイトを見ても概要しかない。試合経過や現にコートに出場している選手名や各選手の記録ぐらい教えてほしいものだが無い。
同26日のダイヤモンドカップ・ゴルフ(フジテレビ。同様、データ放送は無い)は、ウェブを見ると各選手のスコアは1−2分の遅れで更新されていたが、各ホールのレイアウトなどは判らなかった。翌27日(日)のゴルフの最終日になると、ウェブは様変わりして試合経過は全く出ない(私の見たのは午後から)。信じられないことに、「17:35まで(ライブスコアは)中断します」と出る。17:35は、テレビ中継(16:05からしか始まらない)の終了予定時刻だ。恐らくテレビ局側の放送の条件としてウェブにはアップしないことになっているのだろう。これは非常におかしなことで、スポンサーにとっては、ウェブにも広告を載せることとすればメリットのあることだ。テレビ局の視聴率稼ぎが動機かと思うのだが、馬鹿を見ているのは視聴者だ。
参考までに、数少ない番組連動データ放送をしていた同27日のプロ野球中継(日本テレビ)は、ハイライト(各イニングの概要)、対決データ(投手とバッターの記録)、他球場の速報等非常に充実していた。あまり野球は見ないが、これこそフアンサービスだ。
c) コメント
 前述した米国スーパーボウルのテレビ視聴者1.1億人のうち60%がモバイル機器を併せ利用していたとの話は、ウェブで提示される情報の質、量が豊富なためであろう。日本ではこのようにデータ放送やウェブサイトの活用は現時点で極めて不十分だ。その理由には放送サイドの既得権益との関係もあると推測できる。その意味でHybridcastの技術が開発されてもそれが普及するかはよく判らない。利用者の実際のニーズにタイムリーに対応できるかも判らない(現時点でもそれほど面白いデモとは思わなかった)。
 NHK技研公開の講演でなるほどと思ったことに、放送法20条2項の制約という話がある。

放送法第20条第2項
協会(NHK)は、前項の業務(放送等)のほか、・・・次の業務を行うことができる。
第2号 協会が放送した放送番組及びその編集上必要な資料(・・・)を電気通信回線を通じて一般の利用に供すること(・・・)

 要するに、NHKがインターネットに提供できる情報は、既に放送した番組とその編集用データに限られるということだ。これを文字通り解釈すれば、放送中の番組もそのコンテンツに関連する情報(例えば地図など)もウェブで配信できないことになる。NHKのHybridcast計画は、両足を縛られているのにインターネットに進出しようとするようなものだ。NHKのインターネット進出には、恐らく民放各社やインターネット関連業界の強い抵抗があるのだろう。利用者の利便からは許されないことで、何れ何らかの調整が図られることと思うが、利用者のニーズは移ろいやすい。NHKの行く末は、全般的なテレビの退潮傾向と関係業界との調整が必要な規制の中で、明るいものとは思えない。

*1:他の2つは、「高臨場感放送」(3300万の画素数と22.2チャンネルの3次元音響からなるスーパーハイビジョン)と「人にやさしい放送」(説明略)。ちなみに普通のハイビジョンは200万画素数程度。

*2:「グーグル秘録−完全なる破壊」(文藝春秋刊、土方奈美訳、2010年5月1刷)、原題 Googled - The End of the World as We Know It (by Ken Auletta)