放射線測定のウソと官邸の5日間

 福島原発事故については、このブログでも何回か取り上げた。これに関連した出版は今でも多い。最近本屋をぶらぶらしていて手軽そうな本を2冊買った。手軽という意味は、短くて読み易そう、安価、タイトルから見て私のかねての考え方に近そうということだ。
○ 丸子かおり「放射線測定のウソ」(マイナビ新書、2012年7月31日1刷発行)
○ 福山哲郎原発危機 官邸からの証言」(ちくま新書、2012年8月10日1刷発行)
 前者は、後述のとおり若干期待から外れた。後者は、菅直人内閣の官房副長官の書で、国会事故調、政府事故調等の報告書が7月に出揃ったことを期として発刊したとのこと。まあまあ面白かった。以下、両書の若干の紹介とともに感想を述べ、更に最近の政局にも絡んだ一般的な感想を述べる。
1) 放射線測定のウソ
 著者の丸子かおり氏は、IT、科学関係のフリーライターだそうで、本書執筆のきっかけは、文部科学省の「放射線の知識を持つ測定技術者の育成及び計測支援事業」プロジェクト(測定技術者用の専門学校のカリキュラムを検討)に「オブザーバー」として参加したことからとのこと。参加して実際に見聞きした放射線測定の現状は、信頼性等の面で驚くべきものだったらしい。これは、昨年末の弊ブログ「放射線量計測」(id:oginos:20111229)でも触れていたことと同様の趣旨だ。
 放射線測定の知識の無いままサーベイメーターで測定した数値をそのままネット上にアップしている例が多いが、それは非常に信頼できない数値だとする。放射線計測上、注意すべきこととして、地上1mでの測定(他の測定値との比較のため)、数回以上測って平均値を出す(最高値だけを示すのはいけない)、測定を始めてから数分間はカウント数が安定しないことに留意、測定器によって違う場合がある、最低年1回のメーカーによる校正が必要、などということが挙げられている。普通の人が数万円のサーベイメーターを買っても簡単には計測できないということがよく判る。世の中で公表されている計測値を見る際にも注意が必要ということもよく判る。
 同書で惜しむらくは、ベクレルやシーベルトなどの単位の説明が正確でないことだ。例えばシーベルトは身体に影響が出る程度を表すというのは、概略としてはそのとおりだが、具体的な算出方法が、「シ−ベルト=ベクレル×放射性物質の実効線量係数」 とだけしか書いてない。以前の弊ブログでも紹介したように、ベクレルは放射能量の単位で、1秒間当りの壊変原子核数だ(基本単位で 1/sec)。シーベルトは、放射線に被曝した場合の人体への影響を示すもので、吸収線量(吸収した物質の質量当りの吸収エネルギー量)に線質別の係数を乗じたものだ(基本単位で J/㎏)。換算の考え方、前提はいろいろあろうが、例えばシーベルト単位中の「/kg」についてどういう前提で換算しているのかを説明しないと理論的でないであろう。
 著者が正確な定義を知っているのかどうかは知らないが、現場の測定技術者にはこのような不正確、かつ実態的意味の不明な形で教育されているのかと心配になる。放射線/線量測定の理論が如何に複雑で難解かとの証左と思われる。
2) 官邸からの証言
 全238ページ(目次、エピローグ等を除く本文だけだと210ページ)のうち約半分の104ページが、「第1章…官邸の5日間」だ。すなわち、発災した2011年3月11日から、菅首相が東電本社に乗り込み、撤退の拒否と統合対策本部の設置を伝えた3月15日朝までである。
 もちろん著者は当時の官房副長官だから、基本は官邸側の主張の代弁だ。私は元公務員だからかも知れないが、著者の主張すなわち官邸の思考パターンは割にすんなり理解できて、マスコミや識者の言うように致命的に悪かったという気にはなっていない。この書も1つの証言として評価していいのではないかと思う。以下幾つか紹介し、感想を述べる。
(官邸の現場介入)
 「官邸の(過剰な)現場介入」とのマスコミ、識者からの批判に対して、著者は反論する(同書p.184以下)。「原子力災害対策マニュアル」に基づき、(現場に近い)オフサイトセンターに現地本部を設けるなどして、官邸の役割が主に後方での支援に留まっていたら、実際に実効的な事故対策が実施できただろうかとの主張だ。もしマニュアル通りであれば、東電、原子力保安院原子力安全委員会が主体となって立案し決定しなければいけないが、当時例えば避難指示等について具体的要請が来ることは無かったという。
 官邸が現場に介入しなければ、誰が避難指示を決断しえたか、東電の計画停電を延期できたか*1、東電の全面撤退を阻止できたかと言う。
 官邸の現場介入には確かに功罪の2面あると思う。1995年の阪神大震災では、当時の村山首相が当初動転してあまり動かず、暫く経って、官僚や小里貞利震災対応大臣等に任せ、結果は首相が負うという体制にし、トップリーダーとしての心構えと舵取りという点で高く評価されたという例がある*2
 これに対し、菅首相は全て自分で仕切ろうとした。当人の個性に加え、原発事故という初めてのことだったからでもあろう。しかし、これでは確かに首相に説明に行く官僚、専門家は大変だったろうと思う。質問に答えられないと無能とのレッテルを張られそうだし、いい加減な回答をする訳にもいかない。このため、官邸に上げる情報にある程度の事前チェックがかかったことがあるかも知れない。
 しかし、著者が言うように、例えば全面撤退問題に関して官僚ベースの体制でこれを拒否できただろうかと思う*3。著者によれば、3月15日午前3時頃の官邸内の関係者の会議では(枝野官房長官、海江田大臣、斑目委員長等、以下原子力保安院を含め若干のスタッフも参加)、現場作業員の生命への危険を考えて、誰も撤退拒否を言い出せず、菅首相に上げようということになった状況が生々しく描かれている(p.102以下)。状況を聞いた菅首相は即座に撤退拒否と明言し、早朝の東電本社乗り込みにつながったということだ。
 私は、少なくとも撤退問題については著者の言うとおりの面があるかと思う。
(専門家間の不一致)
 著者の、専門家ないし科学者への不信感は相当のものだ(菅首相他も同様と思うが)。特に専門家間での意見がまとまらないことに当惑したらしい。例えば、SPEEDIの試算結果が初めて官邸に提出された3月23日の話だ。屋内避難に留めるか屋外避難を指示するか等について、斑目原子力安全委員会委員長、久住静代同委員、小佐古敏荘内閣参与*4の3人が、菅首相の前で激しく議論した(p.146)。しまいに菅首相は、「もういい。専門家同士で議論してほしい。福山君はその議論をまとめてほしい」と言い置いて席を立ったそうだ。
 この人たちなら一歩も譲れない神学論争になるのもむべなるかなと思うが、官邸スタッフが専門家の意見に無条件に頼れないと思い出すのは当然だろう。
 著者は繰返し述べているが、官邸には限られた情報しか入ってこず、その一方で決定しなければいけないことが多い。今回の地震では、東電、原子力安全保安院原子力安全委員会から必要な情報が入ってこなかったとする。現場の原子炉の状況が判らず、またこのように専門家の意見も多様で、官邸は手探りのまま、決定すべきことを次々に決定していかなければいけなかった。
(電源車の手配)
 官邸の東電への不信は、3月11日夜の電源車の手配問題から始まったという話も紹介したい。同日午後7-8時頃時点での東電からの要請は、官邸に派遣された東電武黒フェローから伝えられた、電源喪失に対応しての電源車の手配だった。官邸はその重要性を認識して、自衛隊、警察の移動手段を総動員して、同日深夜には60台余りの電源車を用意して現地に送り込んだ(p.32以下)。しかし、折角の電源車は、接続プラグのスペックが合わない等の理由で使えなかった。著者はそれを聞いて脱力感におそわれ、「東電は電気屋さんではないのか、その東電がほしいというから自衛隊まで動員して送り込んだのに。東電がつなげないならこの国で誰が電気をつなげるのか」と思ったそうだ。
 私は、当時この話を新聞で読んだとき、スペックも確認せずに走り回った官邸が滑稽と思ったが、官邸に東電の人が派遣されていたとなると話は違う。官邸が東電に不信感を抱き始めたのは理解できる。
 著者が、「官邸は東電の要請や方針に基づいて意思決定をしていた。しかし、その要請や方針が実施されなかったり、不誠実であったりすることが多く、・・・後になってあたかもつじつま合わせのように、事実とは異なるストーリーがアリバイ的に発表される。(p.89)」*5とまで書いているのは尋常ではない。
3) 一般的な感想
 総じての私見を言えば、大震災及び原発事故への当初対応において、官邸の対応には決定的な間違いは無く、撤退拒否問題など成果があったものもあった。福島原発事故廃炉が終るまで完全に収束したとは言えないことは承知しているが、現時点までで、当初以上の更なる大惨事に発展しなかった要因は2つあると思う。1つは全くの幸運で(どの程度の幸運だったか、その確率を知りたい)、もう1つは当初から官邸、官僚、東電、各防災機関等関係機関間ではっきりした目標が共有されていたことにあると思う。例えば原子炉冷却水の供給など、目標、目的が明解だったので、いろいろ障害はあれ関係機関が献身的な努力の下に講じた共同対策の方向が合致して効果が上がったのだろうと思う。個々には専門家の意見が異なるなどの状況があっても、対策の目指す方向は一致していたので、結果として大きな間違いの無い対策になったのではなかろうか。
 話は少し発展するが、原発事故対策の話のあとの同書の第3章「脱原発への提言」を読んで、私は強い違和感を覚えた。私の偏った見方かも知れないが、著者の脱原発の主張は甘いと思う。太陽光発電風力発電等の再生可能エネルギーが著者の言うとおりの規模で進展すると私には考えにくい。この目標はその内容が具体化していくに従い、国民各層の意見が発散していくのではなかろうか。このようなことに関し、共有できる目標を形成し、コンセンサスを得ていくことが今の政治家にできるのだろうかとの心配だ。
 少し脱線するが、著者の属する民主党はどうして直ぐばらばらになるのだろう。2011年3月の震災後、5月には党内に「菅降ろし」の風が吹き始め、6月2日には野党の自民、公明が内閣不信任案を提出した(結局は否決)。これに強く呼応する動きが民主党内の小沢グループ等から出たことが、私には不思議でならない。政権与党としては、震災対策に苦慮する内閣を当面強く支えることが最大の責任ではないか。
 今年の夏の「野田首相降ろし」の動きも同様に理解できない。昨年の「菅降ろし」については、菅首相の個性もあって、党員が反発したい気持ちも理解できる所が少しはあったが、今年の「野田降ろし」は、政策面の争いからのように見える。私は「社会保障と税の一体改革」は今の日本にとって必要だし、消費税率アップも避けられないと思う。それが政権与党内で合意できないというのでは、どんな重要政策も実施できなくなる。
 この批判はもちろん相当部分自民党に対しても向けられる。特に8月29日に参議院での7野党提案の野田首相問責決議に賛成したことは理解できない。この7野党提案は、その中で、民主、自民、公明の消費税引上げ等に関する3党合意(8月21日)を批判している。これに賛成するとは天に唾するものではないか。
 流石に公明党は、この問責決議案には棄権した。創価学会からの指示だとの話もある。創価学会員という、国民としては限られた階層だが、その世論が創価学会という組織を通じて反映される仕組が公明党にはあるようだ。しかし、民主党自民党の議員にはそのような重しは無い。消費税引上げ反対と原発ゼロという幻想を持つ有権者のイメージを追いかけているのであろう。民主党は、現在の政権与党としての責任があるが、その責任を裏切って来たという意味で最も責められるべきだと考える。

*1:書いてあったから私も思い出したが、3月13日の夜に突然東電が発表した、翌14日早朝からの地域別の停電計画のこと。人工呼吸器で自宅療養の患者への対応等が必要ということで、官邸から東電に、先ず大口顧客への節電協力要請をするなどを指示。結果的に、自宅療養患者への対応が終るまで半日程度計画停電の実施を延期。

*2:塩田潮「国家の危機と首相の決断」(角川SSC新書、2012年7月25日1刷発行)

*3:私は、3月14日深夜の段階で東電社長は全面撤退を真剣に検討しており、官房長官と海江田大臣にその旨打診してきたと考える立場に与している。全面撤退は東電社内では決定されていなかったという国会事故調の見解には疑問を感じている(弊ブログ id:oginos:20120709)。

*4:小佐古参与は、後の4月29日に、小学校の校庭の年間20mSv基準に反対等の理由で、内閣参与を辞任したことで有名。

*5:事実とは異なる東電のストーリーの例は、電源車手配、ベント実施、海水注入中断、等。