石原都知事と橋下市長

 今週10月25日(木)に、石原慎太郎 東京都知事が突然の記者会見で、都知事の辞職と国政進出のための新党を立ち上げる旨を発表した。それから、先週から今週にかけて橋下徹大阪市長の出自に関する週刊朝日の記事「ハシシタ 奴の本性」に対する同市長の反論と週刊誌側の謝罪という話題があった。私は、石原氏も橋下氏もかねて好きではない。理由は、両氏の打ち出す政策内容に危うさを感ずることと、その強圧的な言動だ。本稿では、それについてかねてからの思いを交えて感想を述べる。
1) 石原都知事の国政進出への疑問
 私の疑問は次のようなことだ。なお、25日に都知事は辞職届を都議会議長に提出したが、地方自治法の規定では、届提出後30日以内は、都議会の承認が無いと辞職できないとのことで、その都議会は来週らしい。従って暫くは都知事の肩書が続く。
a) 80歳という高齢で首相の激務が務まるのだろうか。ちなみに石原都知事の1年間の登庁日数という2006年のデータがある。
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50360161.html
 これによれば、登庁した日数が130日と少なく、かつ登庁した日でも在庁時間4時間未満と短時間しか勤務していない日数が69日と半ばを越している。週2-3日勤務の都知事ということで非常に批判された。そのせいか、その後のデータは、ウェブで見る限り公開されていないようだ。*1
 それから5年以上経ち、勤務状況や体調が改善しているとは思えない。歩き方がすり足で年寄りっぽく、表情は緊張すると顔面神経痛になり、おかしくも面白くもない所でやたらにやけ、質問への返答は遅く、しかも相手を馬鹿にして自分の言いたいことばかりを主張する。典型的な高齢者の唯我独尊症状だ。彼の言っていることには理解できないことが幾つかある。例えば、25日の記者会見で、橋下大阪市長の「維新の会」との選挙協力について問われた時に、「連携、連帯」はあり得るが、「連合」は未だだと答えたが、これらの違いについては説明してもらわないと判らない。
b) 高齢者の周りには高齢者が集まる。石原新党に参加すると名乗りを上げたのは、「立ち上がれ日本」の平沼赳夫(73歳)、園田博之(70歳)、藤井孝男(69歳)と年寄りばかりだ。この人たちが日本の政治で何かをしたいということなら、政界での長年の活動歴の中ですればよかった。今までできなかったことが同じメンバーで、これからできるようになるとは思えない。特に石原都知事は、14年前まで国政に関与し、運輸大臣も務めた。それほど国政を憂えていたなら都知事の4期目に立候補することはなかったろう。
c) 石原知事の都政での失政が多い。代表は「新銀行東京」だ。当初から破綻すると思われた事業に1000億円もかけて進出し、行き詰ったら更に都税400億円も注ぎ込んだ。銀行への外形課税導入も失政だ。結局は高裁で敗訴し、税収の増加は実現できなかった。
 尖閣列島の購入問題もおかしい。結局は国の購入となったが、お蔭で在中国の日本人、日本企業に被害が出、日中関係への亀裂は今も続いている。その発端を作った政治家として責任を感じているかと思うが、多分本人は日中間の亀裂を奇貨として事を起こせばいいぐらいの考えであろう。とても我が国の行く末を託せる政治家とは思えない。
 私が石原都知事の業績の中で唯一評価するのは、昨年、東日本大震災がれき処理の受入れを即決したことだ(他の自治体が酷すぎるとも言えるが)。
d) 25日の記者会見では、他人の悪口ばかりを言っていたが聞きづらい。悪口の中には的外れのものもあり、私は当人の不勉強が多いと推測する。
 中央官庁への悪口は特に多く、会計方式、文部省のゆとり教育、厚生省の保育園の基準等に及んだ。会見の概要を読んだが、具体的な問題点が判らない。直観的に不勉強な人だと思う。多分都の役人が国のせいにしている部分があるのを鵜のみにしているのだろう。
 例えば、会計方式については、国の会計は複式簿記を採用していない、バランスシートを作らないから問題だとしているが、私は問題はそのことではないと思っている。知事が言いたいのは、官僚が国の資産を隠すためバランスシートを作らない、本当はその資産を処分すれば必要な財源が出てくる筈だということだろう。しかし、国の資産は、企業の資産と異なり自由に処分できるものではない。また負債も正しく計上できるものではない。例えば原発事故被害の責任は事業会社だけではなく、政策的に推進した国にもあるのは当然だが、その負債の額を正しく計上できるものではない。それから職員の退職金引当金などは多くの独立行政法人のバランスシート上に素直な形では計上しないことになっているが、これを計上すると負債超過になるからではなかろうかと私は思っている。ということで国の財政状況は本当に悪いと私は思っている。
e) 言葉遣いがおかしい芥川賞も受賞した大作家に言っていいことかと思うが、例えば、上記の会見で、次期都知事について問われた時、「(都知事は)猪瀬(副知事)さんで十分」と答えている。「○○は××で十分」と言ったら、○○も××も貶めているというのが普通の語感だろう。本当に日本語を知っている人なのだろうか。「老い」のために、遠慮が無くなり、言葉が貧困になったのだろうと思う。
2) 週刊朝日の記事を巡る論点
 10月26日号の週刊朝日(10月18日頃発売)に掲載された「ハシシタ 奴の本性」に対する橋下市長の記者会見が18日(木)に行われ、市長は、朝日新聞出版(週刊朝日を発行)と親会社の朝日新聞社の取材を拒否するとした。これに応え、翌19日には、朝日新聞出版(朝日新聞の100%子会社)と朝日新聞社が謝り、翌号以降に予定していた連載を中止した。ウェブ上等で問題点とされていることを私なりに次のように整理してみる。
a) 記事の内容面の問題 (特にa-1、a-2は、橋下市長の主な主張)

a-1) 橋下市長本人のことを議論するならともかく、父親その他親族の過去を暴こうとしている。また、政策のことを採り上げないとしているのはおかしい。
a-2) 記事は、市長は人格異常者であることを明らかにするために、市長の血脈を徹底的に調べるとする。これは、人間の本性が血脈で決定されるとの観点に立つ危険な思想で、その結果、市長の子や孫も人格異常だと断じることになる。
a-3) 市長の父親が被差別部落出身者であることを批判的に暴露しているが、その差別意識が問題である。
a-4) 市長の父親が暴力団であることを述べ、これにより被差別部落暴力団を同一視させるように読者に思わせる。
a-5) 父親の出身地として、大阪府八尾市内の被差別部落の地名を記載している。
b) 橋下市長の反論の仕方の問題 (一部の識者の指摘)
b-1) 本来は、記事の執筆者である佐野眞一氏に反論すべき。週刊朝日の出版社更に朝日新聞を責めるのは、大組織を攻める、いじめるという発想でおかしい。特に朝日新聞は、編集権が異なっているから(報道の自由の面から)おかしい。(市長は、子会社が勝手なことをやらせて親会社が責任を取らなくていいというのはおかしいと反論)
b-2) 記事への反論だけでなく、朝日新聞まで取材拒否をするのは論理的でも正当でもない。すなわち、親会社を通ずる言論統制と、朝日の読者の知りたい権利の阻害とも考えられる。
b-3) 橋下市長のツイッター等での一方的、かつ執拗な敵対的言動は異様(後述)。
c) 週刊朝日朝日新聞の卑屈な屈服 (一部の識者の指摘)
c-1) 橋下市長のルーツを扱い、かつ被差別部落のことを採り上げるなら当然予想される反発である。それに対して直ぐ謝罪するのはおかしい。
c-2) 連載中止は屈服で不適当。

3) 週刊朝日の記事を読んで見た
 私は、少し遅ればせながら、問題の週刊朝日を探したが、書店では既に無く、電子書籍でもその号は販売停止となっていた。しかし、ウェブを探せばあるもので、あるブログで記事をスキャンしたものを見つけた。それを読んで、上記に指摘されている問題点との関係でポイントを述べる。特に関係しそうなところは,できるだけ原文を記載した。
 リードは、「彼の本性をあぶり出すため、・・・彼の血脈をたどる取材を始めた」と刺激的だ。しかし、血脈が全てを決定するとの(市長が言う)危険な「血脈主義」とまでは、ここだけでは言えないと思う。
 「初めに断っておけば、私はこの連載で橋下の政治手法を検証する積りはない。橋下にはこれといって確固たる政治信条があるわけではない」というのは、a-1)後段の批判の根拠だろう。しかし、「確固たる政治信条が無い」と判断すれば、市長の政策を分析しなくてもおかしなことはない。「もし橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下家の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。」 私としては、ほぼ同感である。
 市長の父の縁者の話として、「(徹の)父は、八尾市のA地区*2の生れで、同地区には被差別部落がある。父はヤクザ組織に入っていて、全身に近い入れ墨をしていた。自殺する5時間前に会ったが、麻薬で頭が狂っているような感じだった。父の弟と愛人との間に生まれた子が金属バット殺人事件をやった。」 筆者はここで、「橋下徹の周りには修羅が渦巻いている。・・・中上健次の世界だな、と思った」と述べる。
 私は、ここまでの所ではそれほど決定的に悪い記事だとは思えない。表現にやや刺激的な所があるのは認めるが、これまでの所、血脈が全てを決める「血脈主義」の立場とは思えない*3。ある権力者の本性を明らかにするためのルーツ探しの一端であろう。問題は、今後の連載の中で何が明らかにされていくかであると思う。
 翌週発行の週刊朝日に掲載された謝罪文では、「同和地区を特定するなど、極めて不適切な記述が複数掲載された」としている。別の報道では、著者の佐野眞一氏は、週刊朝日の検証があるので今はコメントしないとしつつも、同和地区の名前を書いたことについてのみ不適切だったとコメントしている。
 橋下市長の反論は凄い。記者会見もそうだが、ツイッターも量が多いし、過激だ。ユーザー名「@t_ishin」で検索すると市長の顔写真が付いているからすぐ判る。10月18日から1週間の書込みは膨大だ。あるまとめログによれば(http://twilog.org/t_ishin/asc )、同ツイッターのつぶやき件数は、18日82件、19日77件、20日38件、22日88件だ。この間は殆ど全てが週刊朝日の記事関連で、また殆どが本人の発信だ。市長に反論したくても、これで批判されるかと思うとフォロアーの多さ(約88万人)も考えて、心が萎えるだろうと思う。
4) 感想
(地方の首長から首相へ)
 石原知事と橋下市長は、たまたま地方自治体の首長*4から国政のトップを目指している面で共通点がある。
 両人は、反対者を攻撃する、中央官僚を罵倒するという面で共通点があるが、これは首長と地方自治体の職員との関係が原因の1つではないかと推察する。地方自治体の首長は住民の直接選挙で選ばれることがその権威の源泉であり、議会に対しても、自治体職員に対してもその地位は格段に上である。人事権を握られた職員にとって、住民のサーバントであるよりも、住民から直接付託された首長のサーバントであるという気持で、4年単位の任期の首長に接していると思う。
 このような中では、首長の方でよほどの自制が無い限り、首長への批判者はいなくなる。また首長がよほど勉強しない限り、行政の真の課題、問題点は見えてこない。首長がトップダウンで政策を実施する場合も危険は多い。職員は、往々国の制度の問題点(それが完全な間違いではないことが実際多い)を指摘することで責任を逃れようとする。地方自治体には、指示待ち、思考停止の職員が多いと思う。私は、中央官僚が全ていいと言う訳ではないが、単なるトップダウンではなく、少なくとも諸般の利害の検討、調整を行いつつ、政策を立案検討していると思う(地方との差は程度問題かも知れないが)。
 地方の首長が国政のトップになった場合、従来のトップダウン方式ではデッドロックに行き当たる。官僚から説明される諸般の利害の調整問題、国会の質疑(地方と違い、首相は国会で指名される)、マスコミの糾弾等、その厳しさは、地方レベルとは比較にならない。私は現在の国の仕組がいいとは思っていないが、地方の甘いチェックシステムの中で刺激的な言動を続けている話題の2人の首長が、国政に登場するのには大きな危惧を抱いている。
(他のマスコミの反応)
 他のマスコミ、特に週刊誌が余りコメントしないのは不思議だ。新聞(日経)では単に事実関係の報道でコメントしていない。ウェブ上でも新聞の記事としてのコメントはあまり見かけない。
ウェブ上での識者のコメントは、当初上記のb)、c)等多彩であったが、朝日側が謝罪して、橋下市長が完勝に終った後はあまり見かけない。週刊朝日は26日には編集長を更迭するまでして屈服した。テレビではあるキャスター(木村太郎)は、部落問題を取り上げたのが問題だとしていて、この部落問題については、如何にタブーとされているかが判る。今週の木曜(25日)に発売の週刊文春週刊新潮もその新聞広告では、見出し記事としては無いのには驚いた。
 このように、マスコミではこの問題は、既にタブーになっているようだ。理由は、部落問題か、橋下市長の恫喝的姿勢のせいか。私は、部落問題を言い訳にして、橋下市長に屈服しているような気がしてならない。
 マスコミとは言えないが、Wikipediaの「橋下徹」の項に、この週刊朝日の問題が全く取り上げられていない(28日朝時点)のは不思議だ。Wikipediaは、一般に相当迅速に最新情報を取り込む。テレビで誰かの死亡のニュースを見て、Wikipediaを見ると既に更新されていることが多くてびっくりする。マスコミを代表に、みんなでこの事件を黙殺しているように見える。
 ちなみに、このWikipediaの記事は膨大だ。ハシモト姓の由来についても次のように触れている。

 橋下の母は次のように語っている。「あの子が生まれた時点で、向こう(橋下家の人々)との因縁を断ち切るつもりで、ハシシタ姓をハシモトと変えたんです。向こうの親たち(橋下徹の祖父母)は、反対しました。けど、橋の下を歩むようなイメージの苗字はどうか。この子は、橋のたもとを注意深く生きていくように、と願って変えました。だから、ちっちゃいときから、あの子はハシモト。その意味は当人もよく知らないはずです。」

 週刊朝日の記事のタイトルで使われている「ハシシタ」について、市長を不当に蔑む意味で著者がねつ造した読み方だとの趣旨の批難があった。しかし、「ハシシタ」のタイトルの意味は、市長のルーツ探しの一環であり、その事情は次号以下の連載で明らかにされる筈であったのだろう。
 私は、橋下市長のあのような言動の背景についてはあまり知りたいとは思わなかった。しかし、国政のトップを目指す人ならば話は別だ。佐野眞一氏が、週刊朝日とは別に将来出版することを期待している。

*1:余談だが、私がかつて勤務していたオフィスの近くを歩いていたら(2008年頃の平日の午後2時ごろ)、石原都知事が1人、車(公用車ぽい)から降りて小さなビルに入って行くのを見た。車は、ビルの次の角を曲った霊友会の本部ビルの中に入って行った(駐車場替わりか。ちなみに同氏と霊友会との関係は有名)。知事が消えた小さなビルの案内板を見たら最上階に「石原事務所」とあった。ウェブで調べると、ここで盗難事件があったとの記事があり、これは石原都知事の個人事務所らしい。http://matinoakari.net/news/item_24525.html 西新宿の都庁からは相当遠いし、真昼間に何をしていたのだろうと興味がそそられたが、当然私には判らない。

*2:記事では具体的に書かれているが、後述のとおり著者の佐野氏が不適切だったとしているので、私も書かないことにした。

*3:「血脈」とは、佐野眞一の著書のタイトルでよく使われている。商標みたいなものだ。私は読んでいないが、「小泉純一郎―血脈の王朝」 (文藝春秋社、2004/11)、「鳩山一族 その金脈と血脈」 (文春新書、2009/11)

*4:余談だが、近年、少なからぬ政治家や評論家が、テレビや、より公的な場でも、首長を「くびちょう」と発音していることに違和感を覚える。正しくはもちろん「しゅちょう」で、「くびちょう」は、印刷物の読合せ校正の際に便宜的に使うものだろう。「市長」と聞き間違えられる可能性があるからと言われるが、「くびちょう」を広辞苑で調べると、「首帳」−戦場で討ち取った敵の首と討ち取った者の氏名とを記した帳簿−とある。公式の場では正しい日本語を使ってほしい。