知の逆転

 日経新聞の書評で星5つが付いていた。星5つは「これを読まなくては損をする」の評価で、殆ど無い。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO49753630Z11C12A2NNK001/
 「読んで絶対に損しない」との評者のお墨付きもあり、買ったが、それほどではなかった。私の第1印象は、a)年寄りは頑固、b)登場した碩学6人はみんな無神論者のようということだ。以下若干冷かし気味に、1)本の概要、2)6人の生年等、3)年寄りの頑固さ、4)政治、5)宗教、6)インターネット、7)アカマイ社、8)その他について、散漫なコメントを述べる。6,000字強でやや長いがご容赦を。
1) 本の概要 

〇 ジェームズ・ワトソンほか、吉成真由美(インタビュー・編) 「知の逆転」(NHK出版新書、2012年12月10日第1刷発行)
 先ず、本の著者欄が普通でない。背表紙は流石にスペースが狭いので、標記のようにワトソンと吉成の名前しか出ていないが、表紙や奥付はフルメンバーで英語名も併記してある。

ジャレド・ダイアモンド Jared Diamond
ノーム・チョムスキー Noam Chomsky
オリバー・サックス Oliver Sacks
マービン・ミンスキー Marvin Minsky
トム・レイトン Tom Leighton
ジェームズ・ワトソン James D. Watson
吉成真由美(インタビュー・編) Mayumi Yoshinari

 単に「吉成真由美編」でいいだろうと思うがそれでは駄目なようだ。著作権は、奥付では、チョムスキー以外の吉成を含む6人だ。奥付の1つ前のページには、「チョムスキーとのインタビュー部分はチョムスキー著作権」と(英語でさりげなく)書いてある。複雑な権利関係を匂わせる。多分チョムスキーが普通でない主張をしたのだろう。
 内容は、吉成が他の6人に順次インタビューしていくもので、吉成は、更に長めのまえがき、あとがき、各インタビューの前の長めのイントロを書いている。単に「吉成編」でいいと思う所以だ。吉成の問題意識が明瞭なので、それぞれの対応の比較ができて面白いが、すれ違い的な議論もある。
2) インタビューイーの生年等
 編者(吉成)がインタビューした6人は、何れも理工系の研究者で(チョムスキー言語学だが、その理論は数学がベースと言っていい)、5人が米国人(サックスだけが英国生れだが、米国に移住)。全員米国で現在も活動中のようだ。恥かしながらそのうち3人は、聞いたことさえなかった。6人の生年、生地等は次のとおり。

3) 年寄りの頑固さ、ないし懐古趣味
 レイトンだけは50代半ばと若いが、他の5人は、75歳から85歳と相当の年齢だ(ただインタビュー時は、2010年から11年なので1-2歳若い)。編者のまえがきによれば、何れも「敵が百万あろうとも、自らよって立つプリンシプルを曲げたりひよったりしない。」しかし、誠に僭越ながら、私にとってはかつて聞いた議論を再度聞かされている気がする。かつての立場を今でも固守し、他の見方を取り入れようとしていないのではないかという気がする。
 ダイアモンドは、世界は「成長の限界」に達しつつあるとの認識の下に、その対策として、全ての人々の生活水準を均一化することを提言する。そのため日欧米の生活水準を下げる必要があると首長するが、私としては、そのような理想論が今後実現する道は想像しがたい。
 チョムスキーは、米国の帝国主義性を激しく非難する。例えばオバマ大統領については、話の仕方が上手で世界中を魅了したが、その政策は従来の米国政府と違っていないと厳しい。日本で言えば共産党社民党の主張を聞いているようだ。
 頑固とは言えないまでも、以下のように懐古主義的な意見も多い。
 ミンスキーは、1980年頃にコンピュータやロボットの知能を上げる研究が開始された以降、数字データの統計的分析のみに偏ったアプローチが取られてきたとする。そのため、福島の原発事故の際にはリモコン操作できるロボットが開発されていなかった。ドアを開けるというような現実的な問題解決型のロボットを作ってこなかったことを反省すべきだ。ちなみに、スリーマイル島原発事故の翌年の1980年に同氏が書いた論文では、リモコン操作できるロボットの研究の方向を示していたが、その方向は具体化していない。この30年間のブランクを取り返すため、1980年の位置に戻ってそこから再び始めることが必要とする。だが、人工知能の研究の歴史については、同氏も十分責任がある訳で、いきなり30年前に戻れと言われても戸惑う人が多いのではないか。
 ミンスキーは、また1952年にベル研究所でひと夏過す機会があった時、「30年もかからないような研究に手を出すな」とくり返し言われたと言う。今ではそれが「2年」になっていて、難しい問題に打ち込めるような時間と場所が極端に少なくなったと嘆く。しかし、例えば現在の日本では、研究開発の資金の出し手(政府等)から短期的成果が強く求められる。昔の良き時代のことを言われても困るだろう。
 ワトソンは、現在の大規模な生物学研究分野(ゲノミクス、システム生物学)に否定的だ。従来の博士号は、教師になるためのもので、その取得者は「考える人」を意味していた。しかし、現在の博士たちは、ハイレベルの「テクニシャン」(研究をサポートする人)に過ぎない。現在の大スケールの研究は多くのテクニシャンを必要とし、単なる操作をした人(テクニシャン)も含めた30人もの名前が連なった論文もある。これはおかしく、「個人」の概念を壊している。科学者は協調するよりお互いに競争する方がいい。何人もが一緒に働いていると、ベストの方法について皆の同意を得なければならない、総意は往々にして間違う。あくまで「個人」が際立つ必要がある。チームはせいぜいが2人だ(自分とクリックのように)。
 このように言われても、山中伸弥教授等が推進している最先端の大スケールのバイオ研究分野では困るのではないか。
 数年前に、ある中央官庁の局長がたまたまパーティで会った私にこぼしていたことがある。最近官庁の先輩(OB)の会合に呼ばれて政策の現状について講演をするが、先輩のコメントが実に腹立たしい。自分らの時にはこうした、こうできる筈だと言うが、政治、行政の環境、条件が全く変っていることを全く理解していないので、嫌になる。これからは呼ばれても行かない積りだ。この本の6人の碩学ほどの権威があるOB達ではないので、同じだと主張する訳ではないが、つい思い出してしまった。
4) 社会、政治に対する見方
 自分の理系の研究分野以外の社会、政治分野に大胆に言及しているのは、ダイアモンドチョムスキーだが、発言が前項でも一部触れたように相当過激だ。高齢のせいでもないかと推測する。
 ダイアモンドは、上述のように、世界は成長の限界に達しており、漁場は開発されつくされ、森林も伐採の限界に達していると言う。日米欧の生活水準の引下げがうまく行かない場合は、暴力的な戦いが避けられない。だが少し的外れと思われる指摘もある。例えば、日本を敵にする場合は、世界の森林を多量伐採によって荒らし、世界の漁場を多量捕獲によって荒らせばよい。森林資源、漁業資源を外国に依存している日本はそれにより滅びると言うが、論理が杜撰だ。それから、世界の人口爆発問題は自然に解決されつつあるというのもおかしい。生活が豊かになるにつれて、日本、欧州のように出生率が下っている、問題は消費の増加だというが、少しずれているのではないか。
 チョムスキーは、もっと過激だ。市場原理に従っている金融部門は繰り返し破綻し、そのたびに政府に救済されている。金融を始めとする民間ビジネスは政府による規制が不可避だ。これは少し理解しにくいが、チョムスキーの言いたいのは、政府の規制が無いと外部経済(自動車の場合の大気汚染、交通渋滞等)が価格に反映されない等の意味だろう。また、詳細は省略するが、2010年の医療改革は、保険会社や製薬会社の意見が強すぎて不徹底になり、政府予算を破綻寸前にまで追い込むほどの医療費高騰を招いているとする。大学の私立化(米国のバークレーUCLAに私立化の動きがあるとのこと)は大学を特権階級のものにすると非難する。
 両人とも論理に飛躍があるように見える(私が米国内の制度に不案内なせいもあるが)。自分たちの専門外の分野のせいか、自分の主張に沿わない事実に眼が及ばないのか、論理を追うのに読んでいて疲れる。
5) 宗教に関して
 編者からの「神を信ずるか」ないしそれに準ずる問に対する各氏の回答は次のとおり。
 ダイアモンドは、家はユダヤ教だが、自分は実践していず、また神の存否については議論しないことにしていると回答。しかしその後の宗教を巡る遣り取りは、彼の無神論的立場を示している。チョムスキーは自ら無宗教と述べる。サックスユダヤ教の家に生まれたが、信仰は持っていないと言う。
 ミンスキーレイトンとは議論がされていない。インタビュー項目とすることを拒否されたのではないか。ワトソンとも直接の話題にはなっていないが、ダーウィンの影響について「神が必要無くなった」と述べている。
 ということで神への信仰を述べた人がいず、却って無神論者であると自ら公言する人もいることは私にとって衝撃だった(私に宗教心があるという意味ではない)。米国などでは無神論者は信用されないと言われている中で、このようにその立場を明らかにしているのは普通でないと思う。高齢の故、社会の評判を気にする必要が無くなったからか、それとも日本人向けの本だからと気が緩んだからであろうか。
6) インターネットの評価
 インターネットは集合知を生むか、集合愚を生むかというのが編者の問題意識で、明示的ないし黙示的にその意図を示して、各氏に問いかけている。概してインターネットには消極的なコメントが多い。一致しているのは、検索とWikipedia(初歩的知識に限る)の便利さだ。
 チョムスキーのインターネットに対する見方は難解だ。インターネットは自由であるべきで規制は望ましくない。1995年にARPAネット(ないしNSFネット)が民間化されたが、完全に自由にしておくためには公的部門に置いておくべきだったとする主張は、私には判り難い。現代は大変細分化された社会なので、意味をなさない事柄でもサイバー上では人が集まってくる。このためインターネットは、カルトを生む土壌になるとする。
 サックスは、検索の便は評価するが、eメールには否定的だ。手軽なのでコミュニケーションのレベルを高くしていると思われるが、その実、ナンセンスや思慮の浅い思いつきを書きがちになる。自分はいつもペンでゆっくりと手紙を書くようにしている。ワトソンもeメールを使わないが、それは押し寄せる様々なチャレンジにただ対応することに時間を費やすのが嫌だからだ。
 ミンスキーは、SNS(ソーシャルネットワークシステム)について、専門家集団でない単なる小さな交流集団を作るものであるとして、その効果に否定的だ。かつての1970年代のARPAネットの時代は、これを通じてコミュニケートする相手はみんな相応の専門家で、非常に高いレベルの研究上の議論ができた。しかし、今のツイッターフェイスブックではあまり役に立つ批評は返ってこない、詰らない考えを持った人が余りにも多くて、ネットはそれほど役に立つものではなくなっているようだと言う。
 しかし、現代に生きる人にとってeメールを書かないことができるだろうか。インターネットは単なる検索の道具ではない。現代人にとっては研究の場であり、事業の場であり、生活の場である。若干の問題があるとしても、それを改善しそれと共存していかなければならない、社会のインフラストラクチャーだ。これらのインターネットに関するコメントは年寄りの繰り言とも感じられる。
 レイトンは6人の中で唯一インターネットを事業にしていることもあり、若いし、上記の人たちのような馬鹿なことは言わない。事業の内容は次項で紹介する。彼によれば、コンピュータの将来は、重厚型も含めて全て携帯型に移行し、そしてかなりの部分がクラウドの形態に移行する。そこでは情報通信量の限界とサイバー犯罪が大きな問題になろうと言う。
7) アカマイ・テクノロジー
 レイトンが1998年に、自分の学生だったダニー・ルウィン*2と一緒に創設した「アカマイ・テクノロジー社」は、今では世界で従業員3000人、売上高10億ドルの大企業に成長した。私も知らなかったが、「誰も知らないインターネット上最大の会社」とのことだ。
 事業の中身はCDS(Contents Delivery Service)と言い、世界中のプロバイダにWebコンテンツのコピーを蓄えたサーバーを配置し、ユーザーを最寄のサーバーにアクセスさせることで、コンテンツ配信を効率化・高速化するサービスだ(IT用語事典(http://e-words.jp/)。アカマイ社は既に9万台のサーバーを世界各国に置いている。レイトンは、n人のユーザーがいてm台のサーバーがあった時の最善の経路決定アルゴリズムを構築した。あるウェブサイトにアクセスが集中しそうな場合、アカマイ社の複数のサーバーにコピーを置き、ユーザーからのアクセスをそれらのサーバーに誘導する。2011年の英国のキャサリン王妃とウィリアム王子のロイヤルウェディングの時の映像は、全世界に何百万もの視聴者がいた。それで9万台のサーバーのうちの数千台にこのコンテンツをコピーして、アクセス集中を避けることができた。
 今では、主要なサーチ・ポータルサイト(グーグル、ヤフーなど)は全てアカマイ社を利用し、eコマースでは北米100社のうち96社がアカマイを利用している。日本は、北米を除いた市場で世界で2番目のアカマイの市場だ。
 レイトンは創業以来アカマイのチーフエンジニアリスト等として活動してきたが、2013年1月から同社のCEOに就任予定とのことだ。http://www.akamai.co.jp/enja/html/about/press/releases/2012/press_jp.html?pr=122512
 CDSやアカマイ社は私の全く知らない話だったが興味深い。ITには本当に夢があると思う。
8) その他
 本書は流石に面白いことが多く書かれている。冒頭に紹介した日経新聞の評者(竹内薫)は、12月30日の同紙の読書欄「回顧2012年 私の3冊」でもこの本をトップに上げ、「科学界の重鎮たちの考えを端的に知ることができるため、(900円の)本書はきわめておトクだ」としている。
 私はあと1つだけ紹介したい。冷かせない話だ。ワトソンは現在の科学者が忙しいことを心配している。

 しかしある時点で、今やっている実験は果して本当に我々の思考を変えることができるか、解きたいと思っている問題の解決になるのか、本来やるべき重要な実験の妨げになっていないかと問う必要がある。単にできるというだけの理由でやっているのではないか。多くの人は非常に忙しく立ち働いているけれども、深く考えずに、単にそれができるからそうしているだけだ。
 脳科学の分野でも全く将来性のない部分がある。でも多くの人がそれをやっている。(その理由は)それで忙しくしていられるから。どうやって本当に難しいことをやっていいか判らないから。

 私の人生は人並みに忙しかったと思うが、こう問われると本当に赤面する(研究者ではないが)。何の役に立ってきたのだろうか。

*1:レイトンの生年、生地は、この本にもWikipediaにも書かれていない。ただWikiに、1974年に高校のsenior(最上級生)、1978年にプリンストン大学卒と記載されている。http://en.wikipedia.org/wiki/F._Thomson_Leighton

*2:2001年の9.11に世界貿易センタービルに衝突した飛行機に乗っていて死亡。