原発事故調の訓詁学

 昨年12月からこの3月までの期間、たまたま頼まれて、今後の原発事故対策に関係する調査の仕事を手伝っている。その関連で、福島原発事故に関連する本を正月休みに何冊か読んだ。福島事故の調査委員会は幾つも設置されていて、このブログでも断片的な感想をいくつか紹介した。id:oginos:20120326 (民間事故調)、id:oginos:20120709 (国会事故調)、 id:oginos:20120730 (政府事故調)。この他に、東京電力の事故報告書もあり、4大調査報告書と言われている。7月30日の弊ブログで、「今後もこれ(比較評価の新聞記事)のような訓詁学ないし注釈書(比較研究)が増えるし、必要だと思う」と述べたが、その通りいろいろな本が出版されている。
 正月休みとそれに引き続いて読んだいろいろな訓詁学書により、かねて判らなかった技術的内容についてようやく一部霧が晴れたように理解できたような気がする。もちろん完全に理解できた訳ではない。原子炉の内部がまだ見られない状況で誰も事象の真実を知らないことと私のキャパシティの限界だ。次は、私が読んだ事故原因の技術的内容等についての一般向けの本だ。
A) 日本科学技術ジャーナリスト会議「4つの”原発事故調”を比較・検証する−福島原発事故13のなぜ?」 (水曜社、2012/12/7発行)
B) 渕上正朗/笠原直人/畑村洋太郎福島原発で何が起こったか−政府事故調技術解説」 (日刊工業新聞社 B&Tブックス、2012年12月25日初版1刷)
C) 門田隆将 「死の淵を見た男−吉田昌郎福島第一原発の500日」 (PHP研究所、2012年12月4日第1版1刷、同月24日2刷発行)
D) 佐藤一男 「改訂 原子力安全の論理」 (日刊工業新聞社、2006年2月初版1刷、2011年4月15日初版2刷発行)
 A)は、書名が4大報告書の比較・検証なので大いに期待したが、内容はややがっかり。B)は、政府事故調の委員が技術的内容について解説したもので、カラー図、写真が多く、一番勉強になった。C)は、ルポライターによるルポだが、技術的内容にもよく触れており、B)と併せ読むことで理解が深まった。D)は、事故の5年前に発行された元原子力安全委員長の著書。
 以下、1)A書について、2)B書について、3)C書について、4)D書について、雑ぱくなコメントを述べ、次いで、5)最悪事態の想定とその回避について、B書の内容を中心に説明する。5)は私のかねての疑問への一応の解答でもある。8,000字台で若干長いが、ご容赦を。
1) 「4つの事故調の比較・検証」(A)
 副題にあるように、13の「なぜ」について、約10人の科学技術ジャーナリストが分担執筆しているが、「解答」が書かれている訳でないのでがっかりする(書かれているのは感想)。解答が書かれないのも無理はない所があり、原子炉の中に全く入れず、燃料棒を始めとして現物の確認ができない状況では、誰にも不明なことが多い。「13のなぜ」が羊頭狗肉なのはしょうがないとして、「4つの事故調を比較・検証」もがっかりする。
 例えば、Q1「直接的な原因は地震津波か」については、「国会事故調」だけが、「地震動による配管損傷の可能性」に言及し、「現段階では津波が事故の主因とは言えない」という独自の結論に達した訳で高く評価してもいいとしている。しかし、この問題については、「政府事故調」側が発表後、「国会事故調」の主張に触れ、地震原因説も精緻に検討した結果、そうとは言えない結論に達したとしている(B書でも述べられている)。この論者が、国会事故調を「高く評価する」なら、原因論争について論者の論拠を述べてほしいがそのような記述はない。如何にも他の事故調が全く見落していた論点を指摘したから偉いと言っているように読める。
 また、別のQ5「東電の全面撤退があったか、なぜはっきりしないのか」については、官邸の勘違いとしている事故調が3対1で多いとしている(1は民間事故調)。しかし論者は多数説に反対とし、その論拠を述べている(略)。前問も本問も少数説に味方しているが、こちらの方は論者の主張があって適切と思う。
 その他省略するが、政治的社会的トピックも多い*1。科学技術ジャーナリストならもう少し科学的技術的なトピックを明解に解説してほしかったと思う。

2) 「政府事故調技術解説」(B)
 3人の著者は、順に、渕上(政府事故調の技術顧問)、笠原(東大教授、原子力工学)、畑村(政府事故調の委員長)だ。事故調報告書は、中間報告、最終報告を合せて1,500ページもあり、また判りやすさよりも正確さを強く意識して書かれたということで、私には読みづらく、ちゃんとは読んでいない。著者は、「この大事故について多くの人ができるだけ正確な事実を理解しておくことが重要と考えて」この本を書いたということで、私もその趣旨には全く同感。以下、私が霧が晴れたように理解でき、一般の方の多くもあまり知らないと思われることを幾つか紹介する。冒頭にも述べたように、全体を正確に理解した訳ではない。
a) 交流電源喪失状況の詳細
 交流電源喪失の1つの外部電源として、送電線が倒壊した写真がよく出ているが、それは5、6号機用の送電線で、重大事故を起した1-4号機は関係なかった。1-4号機では、開閉所内で遮断機が落下したことで、外部電源が失われた。しかし、仮に外部電源が来ていたとしても、次に述べる配電盤の不調のため、全電源喪失という状況は変らなかっただろうという。
 次に非常用発電機が殆ど地下1階にあり、津波で水没したが、1-4号機では全8台のうち1階にあった2台が水没を免れた。問題は配電盤が全てそれぞれの建物の地下等にあって浸水して使えなくなったことだという。もし配電盤が1台でも残っていたら、1-4号機は電源が融通できるので、残っていた2台の発電機を使った最小限の給電は可能で、被害は軽微であっただろうとのことだ。
 なお直流電源であるバッテリーも多く地下にあって水没し、残ったバッテリーも交流電源喪失により充電ができなくなって、結果全電源喪失となった。
b) 注水とベントと逃し安全弁(SR弁)
 原子炉内は注水により冷さなければならないが、それと並行して圧力容器、格納容器内の圧力が高くならないようにしなければならない。少し説明すると、圧力容器は燃料棒が燃える所で、設計圧力は86気圧(2号機の場合、大気圧との差を示すゲージ圧、以下同様)、設計温度は302度C、内容積は542立米(私の試算)だ。格納容器は圧力容器が入っている大きな容器で、設計圧力は3.8気圧、設計温度は138度C、内容積は7,500立米で圧力容器の約14倍だ。
 核反応が停止した後も崩壊熱を発し続ける核燃料を冷すためには、圧力容器内に注水し続ける必要があって、これがECCS(非常用炉心冷却装置)で、いろいろな方法が用意されている。
 一方温度上昇に応じて高まる容器内の圧力を下げることも課題で、最終的な減圧手段は、「SR弁(逃し安全弁)の開放」と「ベント」。両者とも容器内の蒸気の開放だが、内容は異なる。SR弁(格納容器内にある)は、圧力容器内の圧力を下げる手段で、開放された蒸気は格納容器につながるSC(圧力抑制室)内に拡がる。これに対しベントは、格納容器内の圧力を下げる手段で、開放された蒸気は排気塔を通じて建屋外に拡がる。ベント弁は格納容器の外部と内部にあり、両方開かないとベントができない。
 SR弁開放とベントの実施は各段階で難航し、例えば3月12日未明の1号機のベントの遅れは、官邸まで巻き込んで大問題になった。これは、格納容器内の弁の操作が電源喪失により困難になったためだ。
 SR弁開放やベントのタイミングは注水との関係で単純でない。先ず、圧力容器内の圧力が高いままではその中に注水できない。特に消防車による注水については、圧力容器内の圧力を下げて1気圧(ゲージ圧力)以下にしないと、消防ポンプの吐出水圧(1気圧程度)では圧力容器内に注水できない。また、注水できないままSR弁を開くと、圧力容器内の圧力が急に下って、いわゆる減圧沸騰が起きて水が無くなり、温度上昇→圧力上昇となる。
 ベントは格納容器の破損を防ぐため、SR弁は圧力容器の破損を防ぐためのものであるが、それらができないと各容器は破裂するのかと私は恐れていたが実際はそうでもなかった。1-3号機の圧力容器は何れも損傷して核燃料はメルトダウンないしメルトスルーしていたし、何れの格納容器もシール部分等からガスの漏洩があって圧力は下っていったようだ。5)でまた説明する。
 ちなみに、ベントをするには格納容器内のある空気弁を開けることが必要だが、作業員がそれをする手順がB書でもC書でも不明瞭で、かつ実際に開けたという明瞭な記述は数少ない。相当数のベントは実施できなかったと思われる。それでどうなったかは、5)で説明する。
c) 1977年の「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」の問題
 B書が重大な事故原因の第1に挙げているのは、1977年に原子力委員会(翌年に原子力安全委員会が分離)が定めた標記指針だ。問題は、その中の「長期間(30分以上と解されてきた)にわたる電源喪失は、送電系統の復旧又は非常用発電機の修復が期待できるので考慮する必要はない」との規定で、2011年の事故時までそのまま運用されてきた。著者は、「結果的に見て、これほど明確に裏目に出た安全指針は珍しいというほかない」と酷評している。
 この安全指針の問題点は、安全対策のための電源の多様化として、発電機単体が複数あることだけを気にしていたことにある。しかし、今回事故の問題は、上述のとおり、配電盤などの配電系が何れも地下にあって、浸水というたった1つの原因で全滅したことである。また、この指針によりその後関係者が電源喪失に関し思考停止に陥り、電源喪失を想定した対策や訓練などもしていなかった。これが大事故につながった。
3) 「死の淵を見た男」 (C)
 福島第2原発吉田昌郎所長以下の発電所作業員の現場での奮闘振りのルポで、多くの作業員が登場し、それなりに面白かった。全22章のうち11章が、1号機での3月11日の発災から12日の水素爆発までの現場の対応に当てられている。書名中の「500日」はその意味で羊頭狗肉だ。抜けている日の方が圧倒的に多い。技術面の記述も多いが、載せられている図面が原子炉の構造図と発電所内の大まかなレイアウト図だけなので、十分に理解するには、前述のB書が役に立つ(必須か)。言い換えると、両方読んで理解が深まった。
 当り前だが、格納容器(その中の圧力容器も含め)の中に作業員は立ち入れないので、格納容器内のバルブを直接手動で操作することはできない。全電源喪失の中では、格納容器の外部にあるものしか直接操作できないが、原子炉建屋内に入る必要がある訳で、厳しくなる放射能レベルの中でのその作業内容は、B書だけでは理解できないことが書かれている。
 もちろん、現場の人間の悪口は書いてなく、その点、こうしていたらよかった、こうすべきでなかったと「タラ、レバ」論で厳しく分析しているB書とは視点が違う。その意味でC書は幾らか割引いて読むことが必要だし、またやや感傷的な所もあるが、最後には不覚にも私は少し涙ぐんでしまった。
 面白かったのは、当時の菅首相の「イラ菅」ぶりで、これではみんな怖かっただろうなと思う。3月12日の1号機の爆発、同14日の3号機の爆発による衝撃の凄まじさもなまなましく書かれている。また、吉田所長が自衛隊の消防車派遣を3月11日の夕刻に既に要請しており、12日の朝7時過ぎに2台現地に到着していた。この消防車がその後大活躍するのだが、このような早い段階での要請は、著者が指摘するように吉田所長の明察だった。

4) 「原子力安全の論理」 (D)
 著者の佐藤一男氏は、1993年から原子力安全委員会委員、1998年から2000年までの原子力安全委員会委員長だ。福島事故前の2006年に書かれた本だが、事故後第2刷が出版された。名著と評価されたのだろう。しかし、上述した1977年の「安全指針」(B書で「裏目に出た指針」と酷評)をそのまま見過ごしていた最高責任者の1人とも言える訳で、胸中穏やかではないだろう。「論理」というタイトルだけあって細かい技術的なことが書いてある訳ではない。しかし具体的な事故例が多く紹介してあって読みやすい。今回事故に関連して幾つか紹介する。
 著者は、安全性のレベルを3つに分け、第1のレベル(異常の発生の防止)、第2のレベル(異常の波及拡大の抑制)、第3のレベル(異常拡大時(事故時)の影響の緩和)に分けている。福島の事故は、第3のレベルまで失敗したものだ。第3のレベルに関係するのが、「シビア・アクシデント(SA)」と呼ばれる事象(炉心損傷等)とそれへの対応策である「アクシデント・マネージメント(AM)」で、B書でもよく言及されている。
 アクシデント・マネージメント(AM)は、「知識ベース」の行動、すなわち、自分で考え、意思決定して取る行動であり、実際の事故に直面して「臨機かつ柔軟に」行われるものである。教育訓練というが、「訓練」は、予め定められた手順を迅速正確に実行するためのものである。知識ベースのAMのレベルを上げるのは「訓練」ではなく、「教育」である。SAの手順書は、如何にして状況を適切に判断し、その上で何が必要なことであり、そのためにどのような手段があり得るかを、現場で決定する助けになるようなものでなければいけない。
 日本でSAとAMが原子力安全行政上でオーソライズされるようになったのは、1992年の原子力安全委員会通産省(当時)による通達以来である。今回の福島でAMが実効を上げたかについては、いろいろな見方があり、B書にあるように、「タラ、レバ」論に立つ厳密な検証が今後のためにも必要だろうと思う。しかし、C書を読んだ印象としては、「停める、冷やす、閉じ込める」という大原則に関しては現場の関係者間では完全なコンセンサスがあり、そのためのいろいろな検討、決定と決死隊的な活動も行われたと感じた。
 D書で指摘されていることをもう1点紹介すると、異常時には、通常時とは違った目で、測定器の測定値の意味するところを解釈し、実際の状態がどうなっているかを推定する必要があるということだ。例として挙げられているのは、1979年の米国のTMI事故での加圧器水位の誤判断だが、説明は省略する。福島の事故でも、水位計、圧力計等が誤作動していた場合があることは、B書でも指摘されている。誤作動の可能性について作業員が早期に思い至ることがあれば、少しは事態が改善した可能性があるとされている。

5) 最悪事態の想定とその回避
 冒頭で触れた昨年3月の弊ブログ(id:oginos:20120326)でも書いたように、この大事故、大惨事に関し、私がずっと抱いていた疑問は、更に悲惨な超大惨事(例えば、直接被曝による死傷者の発生、メルトダウンから再臨界に至っての大爆発等)にならなかったのは何故だったか、また、どのような対策が超大惨事への進展を食い止めたのかということだ。このようなことも事故調査やその後の検証で明らかにしてほしいと思っていたが、A書の科学技術ジャーナリストの人々にはそのような観点は見られなかった。
 B書には、私がかねてこのように疑問に思っていた事故の「最悪事態」が想定されている。悲惨な超大惨事の可能性とそれを食い止めたのはどのような対策かという分析だ。あの原発の全電源喪失事故により、どのような最悪事態が想定されたかについて2つ述べられている。
 第1は、各号機の炉心に消防車による注水ができていなければ、全ての炉心が溶融し、圧力容器が溶け落ち、格納容器が破壊し、急激な放射性物質の飛散が起っていた可能性が高いということだ。後で説明するが、ここで私が注目するのは、圧力容器、格納容器について爆発と言っていないことだ。
 この消防車による注水が可能だったのは、かねてAM対策の一環として、建屋内の消火ポンプでも原子炉内の冷却ができるように改造していたことに加え、たまたま2010年の6月(事故の9か月前)に、タービン建屋外壁にこの消火系につながる注水口を増設していたことが幸いしていたとする。これが無ければ最悪事態になっていたとのことだ。しかも、C書にあるように、3月11日の午後6時には、この消火系につながる注水口に作業員を行かせ、小型バッテリーで動くことを確認するとの準備作業を行っていた。前述の自衛隊の消防車の派遣要請と併せ、従来の訓練では全くやっていなかったことだが、D書で言うまさに「知識ベース」のAMであり、高く評価されることと思う。
 第2の最悪事態は、4号機の使用済み燃料プールの破損とそれによる放射性物質の漏洩だ。これが避けられたのはある僥倖だったが、ここでは省略する。
 B書は、この2つの僥倖にも恵まれた対策に加え、最悪事態を防いだのは、「発電所の現場で対応した従業員の死を覚悟した捨て身の活動のおかげ」と称賛している。
(容器爆発の可能性)
 ところで、この最悪事態を回避できた対策に、ベントやSR弁開放が、少なくとも明示的には上げられていないのが私にとっては驚きだった。それから、上記の「最悪事態」の第1は、「全ての炉心の溶融、圧力容器の溶け落ち、格納容器の破壊、急激な放射性物質の飛散」であって、「圧力容器や格納容器の爆発」という表現が無いことにも注目した。「格納容器の破壊」とあるが、これは「爆発」とは異なることであろう。
 3月12日午前の官邸も巻き込んだ1号機のベント、15日未明の2号機のSR弁の開放とベントが大問題になっていたのは、それができないと圧力が上昇し容器が大爆発するからだと私は思っていた。後者の3月15日未明の2号機のSR弁とベントは本記事では初出だが、昨年のNHKの番組で紹介されていたので少し説明する。

2012年7月21日NHK放送の「メルトダウン 連鎖の真相」と私の疑問
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0721/
 放送の概要は、3月14日の夜、2号炉の水位が極端に下ったため注水しようとするが圧力容器内の圧力が高いため注水できない。その圧力を下げるためにSR弁を開けようとする。このSR弁を開くには、あるピストンを窒素ガスの圧力で動かす必要があるが、ピストンの反対側の圧(格納容器内の圧)が高くなっていたのでピストンが動かなかった。窒素ガス圧でピストンを動かしてSR弁を開放するテストはやっていたが、常圧の世界だったので、格納容器内圧が高い事故の状況では役に立たなかった。
 2号機にはもう1つ、ベントをしたいのに弁が開かなかったという問題があった。それは70メートル程度の配管を通る空気弁(窒素で作動?)だが、配管が格納容器の外側遠くを走るので、安全度で劣るCクラスの設計になっていたのでトラブルが生じたのではないかと疑われている。
 それで、当日は何れも解決しないまま15日の朝6時頃になって大きな音が起きたが、結局2号機は爆発しなかった。しかし何故収まったのかテレビでは判らない。
 私の疑問は、あのまま注水ができない、ないしベントができなかったとすると、格納容器ないし圧力容器の爆発というような大惨事の可能性があったとも思われるが、どうして収まったのかということだった。

 知人の専門家に教えてもらったところ、格納容器の爆発というのは殆ど考えにくい、同日の2号機の格納容器は、いろいろな接合部分などの隙間が開き、ないしクラックが生じてガスが漏洩していったのだろうとのことだ。圧力容器はメルトダウンが生じて穴が開き、ガスが抜けたのではないか。言い換えると、ベントやSR弁開放が無くても、容器の爆発は殆ど起きないし、よいことではないが、ガスは漏洩し、外部に出ていくということだ。もちろんベントで蒸気を開放した方が、格納容器の機能を維持できて本当は望ましい。
 爆発の可能性が少ないことについては、2011年3月25日に、近藤駿介原子力委員長が菅首相の求めに応じて説明した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」も参考になる。そこでは、圧力容器内及び格納容器内の水蒸気爆発については、「水温が高いうえ、ウランの化学形態(微細化する。(注)私には意味不明)により、爆発に至る可能性は小さい」とされている。
 少しずつガスが漏洩することが想定できるなら、ベント、ベントと官邸も含めたあれほどの大騒ぎをすることでもなかったことのように思える。私も信じていた「容器内圧上昇→容器大爆発」という素人にも判りやすいストーリーに基づく恐怖が、関係者にあったのだろうか。最悪事態の可能性は、本当は別の所にあったようだ。