アルジェリア人質事件の氏名公表問題

 1月16日に勃発したアルジェリアでの人質事件で、日揮と関係会社の日本人社員10人が犠牲、7人が生還した。誠に痛ましい。1月25日朝、生存者と遺体が政府専用機で帰国した(遺体のうち1人は1日遅れ)。この事件について、安否不明者の名前が政府と日揮の何れからも発表されず、帰国後25日の昼になって、政府の責任ということで菅官房長官から発表された。無事だった7人については未だに発表されていない。
 これらの安否不明者の名前が発表されないことについて、政府は、家族や遺族へのストレスを懸念する日揮の強い要望に応えてとしていた。25日になってようやく犠牲者名に限って公表されたが、帰国したという一応の区切りを迎えて、政府の責任で公表するとされた。この問題については以下に述べるように賛否両論があるが、私がびっくりしたのは、ネット上での反応の多くが氏名公表に否定的で、かつ感情的なことである。なお、日本人以外の被害者の取扱いも興味深くて調べたいが、本稿では日本人の問題だけを論ずる*1
 以下、1)氏名公表に関する経緯と賛成論、2)氏名公表反対論、3)日揮の方針、4)感想の順に述べる。
1) 経緯と氏名公表論
 犠牲者の氏名を発表しない政府に対し、1月22日内閣記者会は、公表を求める申入書を提出した。後述するが、これがネット上で大いに反発を買った。
 また、神奈川県警の記者クラブに属する17社は、23日、日揮に、帰国者の記者会見の早期実施と死亡者の氏名の公表を申し入れた。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130123/kng13012321520016-n1.htm
 氏名公表への賛成論は、マスコミ関係者や有識者に多い。その理由は、a)事件の検証のためには、関係者の実名が明らかになり、必要に応じ可能な限り証言が得られる状況が必要、b)犠牲者が匿名のままで処理されていくのは犠牲者の尊厳を損なうことに等しい、c)政府が公的に安否確認などこの事件に強く関与している(政務官の派遣、専用機の提供など)のに関係者の氏名を明らかにしないのはおかしい、d)国民の関心が高い事件の関係者の死亡ないし生還を哀しむ又は喜ぶという感情を共有することが社会、コミュニティであり、匿名ではその共有の実感ができない(私なりの表現に改めた所もある)。
 公的な発表が無い中で、朝日新聞産経新聞等が自社の取材によるとして一部の犠牲者の名前を発表し、それもネットからは非難された。
2) 氏名公表への反対論
 日揮や政府の公表反対論は前述(後でも説明)の通りだが、ネットでの主な論拠は、公表するとメディア・スクラム*2が起きて、遺族のそっとしておいてほしいという感情を傷付けるということだ。
 ネット上には、「遺族を晒しものにしてお涙頂戴記事を書きたいだけだろ」、「遺族へのいたわりとか、節度というものはマスコミにないのか」、「国民の関心が高いとかは余計なお世話。実名が必要な意味が分からない」といった過激な表現の意見が多く寄せられたとのこと。
http://www.j-cast.com/2013/01/23162439.html
 これらのネット上の批判は、「2チャンネル」などを拾い読みすると、ややヒステリックな面もあり、氏名公表論を述べたジャーナリストのウェブ・コラムには批判が殺到している(炎上)ものもあるとのことだ。
3) 日揮の方針
 日揮は、犠牲者や巻き込まれた人の名前を発表しないという方針を1月25日の社長記者会見でも堅持した。

1月25日の日揮の川名社長の記者会見の際の質疑(一部)
(先ほど政府が犠牲者の氏名を公表したようだが会社としての考え方は)
 遠藤毅 広報・IR部長「事件に巻き込まれた当人、家族、遺族にこれ以上のストレスをかけてはならないというのが考え方の根底にある。この考え方は決して変わることはない」
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/130125/mcb1301251448024-n2.htm

 生存者によるプレス会見もしないと言明しているのを、この日以前にテレビで見ている。
 この事件に対する日揮の広報には理解できないことがあり、記者会見は多いが、HPでは殆ど触れていない。26日夜の段階でもHPには次の17日の発表しか載っていない。まるで貝の殻に閉じこもったようだ。

2013/01/17付けの日揮のプレス発表 (1月26日夜時点でHPを見ても、人質事件に関する広報はこれしかない。
アルジェリアにおける建設現場駐在員拘束の報道について
 現地情報によると、昨日(1月16日)、弊社が現在、アルジェリアで遂行中のプラント建設現場において、弊社現場の駐在員が拘束されたとの情報を受けました。
 拘束された場所および人数などの詳細につきましては、拘束された現場駐在員の安全を確保するため、発言を差し控えさせていただきます。
 現在、日本政府などと協調して、拘束された現場駐在員の救出に全力を挙げて取り組んでおります。
 詳細につきましては、追ってお知らせいたします。
 http://www.jgc.co.jp/jp/01newsinfo/2013/release/20130117.html

4) 感想
 私は日揮が、氏名公表、生還者の記者会見、その他HPでの広報を頑なに否定しているのは異様だと思う。各人は、個人であると同時に社会の中で生きている。その体験は社会で共有することが重要だ。また、社外の関係者からは当然のことながら消息確認を求める人も多かったであろう。このような社会、コミュニティの中での人的関係を保ちながら生きていくことが、社会人や企業のあり方ではなかろうか。
 ネット社会の否定的な反応も理解できない。上述の中で、「国民の関心が高いとかは余計なお世話。実名が必要な意味が分からない」というのがある。私は、人間への愛情というのは、その人の名前を知ること、その人の生き方、考え方のディテールに関心を持つことであって、健全な社会は、そのような構成員への愛情、関心が基盤になっていると思う。
 しかし、ネット社会の世論は、個人への関心を否定しているようだ*3。このようなことでは、小熊英二のベストセラー「社会を変えるには」(講談社現代新書、2012年8月発行)で期待しているような「社会運動」は、日本では展開しないのではないか。
 個人情報保護の建前もあり、今後は様々な同種の事件が発生した際、如何に社会的関心と影響の大きいものであっても、企業や政府は実名の発表をためらい、報道も躊躇する可能性が予想される。それにより、a)事件の検証、b)検証に基づく体験の社会的共有、c)個人の哀楽の社会的共有によるコミュニティの維持が困難になっていくのではないかと危惧する。
 犠牲者の遺族、生存者の精神的衝撃は測り知れない。精神的立直りには相当の日にちを要する人もいて、それぞれの人の気持は尊重しなければならない。しかし、その人たちの心情は社会的に共有され得る、ないしは共有すべき、ないしは社会的に支えていける場合があると思う。可能な人から漸次その心情、体験を社会に発露してもらう場を用意することが、当人のためにも社会のためにも重要と思う。本人の心情を傷付けるようなメディア・スクラムは論外であるが、今後、適切な氏名の公表、取材のあり方について、メディア関係者などで、基準を作ることが有用だと思う。

*1:海外での飛行機事故など、日本人以外の外国人も含む事故が起きた時、日本のマスコミも政府も大使館も、日本人の消息だけを必死に追いかける。日本人以外は人間と考えていないという日本人の深層意識の表れだと思うが、ここでは論じない。

*2:メディア‐スクラム 「社会の関心が高い事件・事故において、マスメディアの記者が多数押しかけ、当事者や家族・友人などの関係者、近隣住民などに対して強引な取材をすること。集団的過熱取材。報道被害http://kotobank.jp/word/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A0

*3:一方で、フェイスブックなどは個人の実名主義が原則であり、これとは奇妙な対照を見せているが。