手話

 たまたま書店の新刊コーナーで見て買った次の本を読んで、手話に関心を持った。
〇 白井恭弘「ことばの力学−応用言語学への招待」(岩波新書、2013/3/19第1刷)
 同書は、応用言語学を巡る話題を幾つか採り上げているもので、「手話」はその1つとして、20ページ程度割かれている。手話はジェスチャーを単に寄せ集めたものではなく、立派な自然言語(この意味は後述)であると書かれていて、どんな言語かと関心を持った。図書館で手軽そうな手話の本を見繕い、2冊借りてきた。
木村晴美、市田泰弘「はじめての手話」(日本文芸社、1995年5月発行)
〇 斉藤道雄「もうひとつの手話−ろう者の豊かな世界」(晶文社、1999年6月初版発行)
 2冊とも前世紀出版の本だが、文法的なことも説明してあって判りやすかったし、手話社会を巡る複雑な状況も窺われて興味深かった。以下、これらの勉強を踏まえて、1)日本手話(自然言語)と日本語対応手話(人工言語)、2)手話と口話との歴史的対立、3)テレビで見る手話、4)感想を述べる。
1) 日本手話と日本語対応手話
 上記の3書によれば、日本の「手話」には「日本手話」と「日本語対応手話」とその中間の「中間手話」があり、ろう(聾)者の母語となり得、かつ自然言語といえるのは「日本手話」だけとのことだ。「日本語対応手話」は、日本語を基にして人工的につくられたシステムで、健聴者(耳が聴こえる健常者)にとって覚えやすい。往々日本語を声に出しながら手指が動くというものらしい*1。日本手話は、ろう者の母語とも言える速くて密度の濃い対話手段だが、公的な手話通訳で使われているのは、「日本語対応手話」だということで、また判りにくい(後述)。
 「日本手話」は、日本語とは異なった文法をもっている。「日本手話」が自然言語であることについては、斉藤著によれば、通常の音声言語の「音素」に相当する「動素」があって、単語がそれで構成されていることが1つのエビデンスとのことだ。音素とは、ある言語で意味の違いをもたらす最小の単位だ。言語とは、a)限られた(少数の)音素から無限に近い単語が形成され、b)シニフィエ(意味)とシニフィアン(記号)との組合せに恣意性があり、c)単語を文にする規則としての文法がある、などが条件と言われている。
 「音素」については、日本語は、母音と子音を合せて30個程度だが、音素に相当する手話の「動素」は、手指の形、位置、動きなどだ。その数は、アメリカの研究では、40台から60台(90台との説もある)と言われる。文法上の統語法としては、この動素の外に、表情や視線などの「非手指動作」も使われる。音声言語の場合は音素の時間配列だけだが、手話の場合、非手指動作も含めた空間的配置も用いられるので、複雑ではあるが言語と言える統語法はあるとのことだ。*2
2) 手話法と口話法との対立
 手話には、長い迫害の歴史があるという。ろう教育では、手話法と口話法(発声者の唇の形を見て言語を理解し、ろう者も自分では聴こえないながら、真似をして声を出す方法)との対立があり、事態は複雑だ。
 1760年に世界で最初にろう学校が開設されたフランスでは手話による教育が進められたが、ドイツで「口話法」に基づくろう学校が1778年に設立された。両者の論争は1880年の第2回世界ろう教育会議で口話派が勝利することで一応は決着した。しかし、その後も両者の論争は続き、20世紀後半になって口話法による教育の実効が上らないことなどから手話派の主張が主流となっている。つい最近の2010年の第21回世界ろう教育会議で、130年前の1880年のこの口話法の決議が否定されたとのことだ。
 口話法は、自然言語による高度な知的資産・能力の習得、ろう者と健聴者とのコミュニケーションの実現を目指したものだが、努力の割に習得できるろう者の割合が低い。また、口話法教育の過程で、(ろう者間の自然な対話手段である)手話を禁止することが一般的で、そのため人間としての認知能力が発達せず、ろう者間の対話もできないという弊害が指摘されてきたことで、現在では手話法が復権しているとのことだ。
 日本では、1878年に最初のろう学校が京都に設立され、手話を使っていた。しかしその後、前述の海外の影響もあり、口話法が主張された。電話の発明者のベル氏が1898年に来日して口話法を主導し、またライシャワー元駐日米国大使の父が1920年に日本で口話法のろう学校を設立したなどの話もある。戦後も長い間ろう学校の教育現場では手話が排除されていた。1970年代からは手話の再評価が行われ、認知されたとのことだ。しかし、日本のろう学校は、現在でも口話法が一定の地位を占め、手話を話せる教師は少ないとのことだ。
 私の読んだ3冊は、たまたま全て手話派で、かつ日本手話を重要視しているが、状況は単純ではなさそうだ。上述したことと重複するが、口話派の主張は、健聴者社会で使われている音声言語の習得がろう教育の目標、ないしろう者の幸福につながるもので、その過程で手話を認めると安易に流れ、音声言語の習得の妨げになるということだ。手話派の主張は、人間の認知能力の開発には、母語(第1言語)を若年期に習得することが必要で、音声言語はその後セカンド・ラングウェッジ(ただし、音声ではなく、文字の読み書き)として習得することが効率的だとする。大半のろう者にとって口話の訓練は苦痛でしかなく、かつ習得できる者は限られている。手話、次いで音声言語の習得により、多くのろう者はバイリンガリストになり得るとする。
 この手話派の主張は、私にとっては判りやすい。手話としては「日本手話」しか認めないと固執する人もいるとも言われる。しかし、本当にそうなのか、「日本手話」の通訳が十分いるのかというような疑問もあって、実際的な目標としては何がいいのか私にはよく判らない。
3) テレビで見る手話
(手話ニュース)
 本だけで手話のことを勉強していても不十分だろうと思い、身近のテレビの番組を探した。ウェブで調べると、手話ニュースNHKEテレ(教育テレビ)で、「NHK手話ニュース」(平日20:45 - 21:00 祝日20:45 - 20:50)などが放送されている。*3
 不可解なことが2つあって、第1は、この手話ニュースで使われている手話が、前述の「日本手話」、「日本語対応手話」、「中間手話」の3つのうちのどれかというのが判らない。NHKのHPの中や一般のウェブも調べたが、何故か説明されていない。
 第2の不可解は、手話が出るのは、手話アナウンサーがしゃべる場面だけで、録画画面(ニュース番組では多い)や図のパネルが表示されるところでは、字幕だけで手話は無い。ちなみに、この字幕は、放送内の音声の内容がほぼ全て表示され、かつ大きめで、漢字への振り仮名も丁寧に付いている。字幕は、アナウンサーだけがしゃべる場面でも丁寧に出ている。以上整理すると、音声と字幕は常に出ている、手話はアナウンサーが出る場面だけで、ビデオやパネルが出る場合では無い。
 ろう者に対し字幕で足りるなら、手話アナウンサーを登場させる必要はないとも思えるが、どうなのだろう。想像するに、手話アナウンサーの手話は「日本語対応手話」なので、字幕を付けた方が判りやすいということか。又は、録画画面と字幕と手話と3つも画面に出すと、錯綜して判りにくいということなのかも知れない。それにしても日本語の字幕に習熟していないろう者もいるだろうにと思う。
 東京の民放テレビで手話ニュースをしているのは、日本テレビ(地デジで4チャンネル)の日曜朝6:45-7:00に放送されている「NNNニュースサンデー」だ。これは手話ニュースと言うより、手話通訳付きニュースだ。すなわち、通常のニュース画面の右下に円状の窓が付き、手話通訳者が出てくる。通常のニュースのテロップはあるが、音声の字幕と言うものは無い。
(手話講座)
 NHK教育テレビでは、週1回日曜夜7:00-7:30に「みんなの手話」という手話講座が放送されている。私は、我が家の8日間6チャンネル分録画装置(タイムシフトテレビ。弊ブログ id:oginos:20130401 参照)を活かして、上述の手話ニュース、手話講座をざっと見てみた。
 手話自体は全く理解できないが、手話講座と他のニュースの手話通訳とは違うという印象だ。手話通訳の方が、口の開け方が頻繁で、常に表現のツールとして使っているとの感じだ。また手話講座の方が身振りや表情が豊かだ。やはり言語が違うのではないかと思われる。
 多分、手話通訳の方は前述の「日本語対応手話」で、音声を発音する口の形も読めるようにとのことだろう。手話講座の方は、表情等の豊かさから見て多分「日本手話」だろう。この手話講座のテキストを、本屋に行って買ってきたが、どの型の手話かの説明は書いてなかった。
(首相官邸の記者会見)
 首相官邸での官房長官の記者会見は、2011年の東日本大震災以後の3月13日から、手話通訳が入るようになった(後に首相も)。当初、記者会見のテレビ放送の場合、手話通訳者がテレビ画面に出てこないので、記者会見場の記者のための手話通訳かと冷やかされていた。今でも、記者会見を短く録画で報ずるテレビニュースでは出てこないことが多い。
 官邸のHPでは、過去の記者会見の動画はアーカイブとして保存されているので、その手話通訳の様子を動画で見てみた。前記のテレビの手話ニュースの手話と似ていると感じたから、多分日本語対応手話であろう。
4) 感想
 以下、若干の感想を記す。
 手話には前述のように2種類(中間も入れれば3種類)あるのに、それがあまりフォーマルに出てこない。例えば、上述の手話ニュースや記者会見は「日本語対応手話」のようだが、何故そのことを表示しないかと気になる。これらの手話通訳はどのように評価されているのだろうか。
 また、手話通訳士技能認定試験(手話通訳士試験)の厚生労働省認定試験実施法人である、社会福祉法人 聴力障害者情報文化センターのHPで、受験要領などを見ても、その認定試験の対象の手話が、どちらの型なのか書いてない。受験しようとする人は迷わないのだろうか。それから、ろう学校のHPを幾つか見たが、手話についてはっきり書いてない所も多い。授業科目の使用言語(手話かなど)も書いてない。学校選択の際に不便ではないだろうか。
 それから、前述の手話通訳士試験の実施要領と過去問題が聴力障害者情報文化センターのHP (http://www.jyoubun-center.or.jp/)に出ている。若干不思議なのは、学科試験が計3時間、計40問*4 なのに対し、実技試験(聞取り通訳が音声から手話、読取り通訳が手話から音声)が聞取り2問、読取り2問しかない(量的には合せて紙2枚程度)ことだ。手話能力がもっと審査されてもいいのではないかと思った。
 最後に、手話への言語学的興味というディレッタント的趣味だけで書いていて、聴覚障害者のために手話を学び、障害者福祉に貢献するなどの実践面に関心が薄いのは自分でも不謹慎だと思うので、お詫びを申し上げたい。

*1:手話に自然言語と人工の両者があるのは外国でも同様で、例えば米国では、米国手話(自然)と英語対応手話(人工)とがある。

*2:チョムスキー生成文法論は、音声言語が前提としている時間的配列に基づいているようだ。詳細は省略するが(自分でも理解していないが)、「普遍文法」の「Xバー理論」では、深層構造の「句」は一般に、「句構造規則」に従って「主要部」と「補部」に分解される。「主要部」と「補部」の前後順序は言語によって異なり(「パラメータ」で選択)、同一言語内ではどの種類の「句」でも分解後の前後順序は同じとされる(例えば、町田健チョムスキー入門」光文社新書、2006年2月)。しかし、手話言語の場合は、時間的前後関係だけでなく、空間的にも配列されるから、生成文法論の適用はなかなか難しいだろう。もっとも近年チョムスキーの普遍文法論には批判が多いようだ。

*3:この他、土曜に「週刊手話ニュース」午前11:40-12:00、日曜に「こども手話ウィークリー」午後7;45-7:55。何れもNHK教育テレビ

*4:学科は、障害者福祉の基礎知識、聴覚障害に関する基礎知識、手話通訳のあり方、 国語の4科目。