婚外子相続差別

 今週9月4日に最高裁大法廷は、婚外子の相続分を嫡出子の2分の1とする民法の規定を違憲とする歴史的決定を出した。 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20130904154932.pdf
 かねて予想されていた判決だが、私には違和感がある。以下、1)新判決の考え方を簡単に紹介し、次いで、2)相続差別の意義、3)婚外子の増加、4)婚姻共同体の意義、5)私見−司法と立法の視点の差について述べる。
1) 新判決の考え方
 従来の最高裁判例と日本政府の考え方の基本は、婚外子への法定相続分を2分の1とする民法の現行規定は、婚姻家族(法律婚)の保護と婚外子の尊厳と2つの価値の調整を図ったものであるとする。これに対して、従来から違憲派は、出生の状況は子供にとって選択できないものであり、これによる差別は憲法14条(法の下の平等)に違反するとしてきた。
 今回の判決は、a)婚姻や家族の形態が著しく多様化し、国民意識も多様化している、b)諸外国でも1960年代以降、婚外子と嫡出子との差別の撤廃が進み、現在その差別を設けている国は欧米先進国では日本以外に無い、c)国連(人権委員会、子供の権利委員会、女性差別撤廃委員会)も本件規定を問題にして法改正等の勧告を日本政府に対し繰り返してきた、ことなどを違憲判断への転換の理由としている。
2) 婚外子差別問題と相続差別の意義
 先ず、やや暴論に近いことから述べると、婚外子への差別は可能な限り撤廃することが必要だが、相続分差別はそれほど重要なことかとの疑問が私にある。そもそも相続制度は、歴史的に社会の階層差を承継温存するために機能してきたものであり、現代の貧困問題の原因の一端はそこにある(自分の子孫へ富を継承したいとの欲望が資本主義経済を発展させてきたとの見方もあるが)。国連の人権委員会、子供の権利委員会、女性差別撤廃委員会(前述のように、何れも日本政府に婚外子相続差別の撤廃を求めてきた)は、世界の貧困問題等もっと大きな問題の解決のための方策を推進すべきであって、富裕階層の家族内の遺産の配分の均等化などを偏執病的にあげつらうのは如何かと思う。
 遺産相続を受けることができる幸せな人は、他の恵まれない人々のことも考えて、ひっそりと受け取るべきであろう。
 ただ、婚外子への制度的、慣習的差別はまだ残っている。今回最高裁決定による民法改正を契機として、それらの差別的制度、慣習が改善されていくことが期待されので、その点は評価できると思う。
3) 婚外子の増加傾向の加速
 日本は婚外子比率が2.1%(2008年)と、諸外国のほぼ30-50%台に比して圧倒的に低い(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1520.html)。また時系列で見ると、1970年代の0.7%台から最近までは上昇しているが、戦前は高く、例えば1925年は7.26%と極めて高かったとの統計がある(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1518.html)。旧民法の家制度であった戦前の方が婚外子比率は高かった訳だ。
 戦後の新民法により婚姻が届出だけでできるように簡便になったこと(旧民法では、家族の婚姻に戸主の同意が必要)が、結婚を促し、婚外子の比率を低くしたと見られている*1。 現在でも婚姻をしている比率は、諸外国に比して高い。同棲の比率は低く、両者を合せてほぼ諸外国並みだ。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1538.html
 戦後の日本では、婚姻の簡便さと婚姻に伴う制度的なメリットにより、皆婚(みんな結婚する)が普及してきたと言われる。その後内縁関係への制度的、実質的な支援も増えており、近年婚姻届出は減少傾向だ。今回の婚外子への相続差別撤廃は、この婚姻及び婚外子の減少傾向に拍車をかけることと思われる。
4) 婚姻共同体の意義
 今回の最高裁決定中の補足意見の中に興味深いものがあった。岡部喜代子裁判官の「我が国における法律婚を尊重する意識との関係について」の補足意見である(冒頭の最高裁大法廷決定の18-20ページ)。かいつまんで紹介する。

 1995年の最高裁決定(合憲判決)における考え方は、民法に規定する婚姻の尊重、すなわち嫡出子を含む「婚姻共同体」の尊重である。婚姻期間中に婚姻当事者が得た財産は実質的には婚姻共同体の財産であって本来その中に在る嫡出子に承継されていくべきものであるという考え方だ。嫡出子はこの夫婦の協力により養育されて成長し、そして子自身も夫婦間の協力と性質・程度は異なるものの事実上これらに協力するのが通常であろう。
 これが、基本的に我が国の一つの家族像として考えられてきたものであり、こうした家族像を基盤として、法律婚を尊重する意識が広く共有されてきた。現在においても、このような家族像はなお一定程度浸透しているものと思われ、そのような状況の下において、婚姻共同体の構成員が、そこに属さない婚外子の相続分を上記構成員である嫡出子と同等とすることに否定的な感情を抱くことも、理解できるところである。

 全く堂々とした論理で、合憲論、すなわち主文への反対意見になるのかと思うと、最後は、(私には奇妙な)次のような論理で判決主文の違憲論を支持する。主文への迎合ではないか。

 しかし、今日種々の理由によって上記のような家族像に変化が生じていることは法廷意見(主文のこと)の指摘するとおりである。同時に、嫡出でない子は,生まれながらにして選択の余地がなく上記のような婚姻共同体の一員となることができない。・・・子を個人として尊重すべきであるとの考えを確立させ、婚姻共同体の保護自体には十分理由があるとしても、そのために婚姻共同体のみを当然かつ一般的に婚姻外共同体よりも優遇することの合理性、ないし婚姻共同体の保護を理由としてその構成員である嫡出子の相続分を非構成員である嫡出でない子の相続分よりも優遇することの合理性を減少せしめてきたものといえる。

(和歌山の女性の事例)
 有意義な「婚姻外共同体」の例としては、今回の最高裁判決の原審2件(東京と和歌山)のうち、和歌山市の女性(原告、40代)について本人の談話が報じられている。婚外子であるこの女性の母は、1966年に父の店に勤め始めた。その後、父は法律上の妻と2人の子供とは別居して、女性の母と同居を始め、その女性の姉と女性を産み親子4人で暮らしてきたとのことだ。2001年に父が死亡して相続問題が発生した。これによれば、この「婚姻外共同体」は30年余り続いた訳で、正統な「婚姻共同体」に匹敵し、相続分が2分の1に減らされるのには同情できる。
 しかし、普通の婚外子はこのような父との親密な婚姻共同体を形成している訳ではないだろう。正統な「婚姻共同体」の中で親子が長期に暮しているのが普通だ。
 違憲決定が出た現時点では無理だが、このような同情に値する婚姻外共同体に対しては、もっと早い時点で次のような立法的手当を講じておけばよかったと私は思う。すなわち、民法の現行第904条の2の「寄与分」の規定により、現在、被相続人(死者)の事業に関する労務の提供等や被相続人の療養看護等により特別の寄与をした相続人に対しては、相応の寄与分を認めることができ、相続人間の協議が整わない場合は家庭裁判所が定めることができる。この規定を修正、又はそれに準じた規定を新設して、被相続人との相当期間の同居などで被相続人の生活の安定に寄与した相続人については寄与分を認めることとしていたらどうだったろうかということだ。多分、同情すべき婚外子の事例は減り、今後実現する婚外子均等相続よりも嫡出子側の不満は減るのではなかろうか。
 しかし、繰り返すが、現時点では不可能になった。多数の関係者の調整を図るべきである立法府の怠慢であろう。
5) 私見−司法と立法の視点の差
 今回の最高裁決定に至る新聞、識者の論調は、比較的リベラルな司法(一般には消極的との批判もある)と保守的な国会ないし政治家とを対置するものであった。特に1996年に法制審議会が、婚外子の相続差別を撤廃する等の民法改正案を法務省に答申したのに、家制度(?)を守ろうとする自民党の議員が抵抗し、国会に提出できなかったことが代表例に上げられている。
 私は、家制度に固執する超保守派の国会議員もいるであろうが、違う面もあると思う。すなわち、国民の多くは婚外子を受け容れていないということを感じて動いている面が、立法府にはあるのではないかと思う。これに対して、司法の場は、当事者だけの議論の場だ。合憲違憲が論理的に議論されるから、場合によっては国民一般の感情に沿わない結論になるのではないか。*2
 この司法と立法との姿勢の違いについては、海外の同性婚を巡る状況においても同様である。弊ブログ(id:oginos:20130819 「同性婚」)において述べたように、海外では、各国、各州の最高裁が先ず同性婚を認め、それに対し少なくとも当初は議会が反対するという状況がほぼ共通に見られる。
 国民の多くが支持しているから正義だと一般的には言えないことはもちろんである。また、これらの問題は、関係者が少数で、国民の多くには利害が直接絡まないことだから、人権問題を持ち出されるとあえて反対しづらい。しかし、今回の最高裁判決や世界的状況を踏まえて、今後新しい家族像が形成されていくのであろうが、それが幸せな社会につながるのかについて、私は心配だ。

*1:憲法の「結婚は両性の合意のみに基づいて」の規定に基づいて簡便化された。戸籍法の届出が必要とか、証人2人が必要という条件がこの憲法の「合意のみ」に反するとの意見があるが、当時は世界で最も進んでいたらしい。欧米での婚姻は、教会での婚礼等の儀式が必要で、役所への登録の場合も証人が必要で役所の審査もあるらしい。すなわち、諸外国では意外にも婚姻は結構面倒なことのようだ。

*2:2009年の国連女性差別撤廃委員会の日本への総括所見において、日本の婚外子差別に関し、日本政府が差別撤廃の遅れを説明するために世論調査を使用していることを懸念し、条約による義務は世論調査の結果に左右されるべきではないと日本政府を非難した。堀見裕樹「国際人権法の視点からみた日本における婚外子相続分差別訴訟に関する一考察」p.131 (GEMC journal vol.5、2011.3) http://www.law.tohoku.ac.jp/gcoe/wp-content/uploads/2011/03/gemc_05_cate3_5.pdf 私は、相続分差別に係る明文の規定が条約に無く、女性差別撤廃委員会が日本への文書で述べていることだけであることを考えると、この世論調査によるべきでないとする非難は、非常に傲慢だと思う。なお、条文に明示の規定が無いこと(条文では「・・・出生・・・による差別は認められない」であって、相続には触れられていない)については、自由権規約委員会、子供の権利委員会についても同様。