絶望の裁判所

 1か月前のニュースだが、3月27日の袴田事件の再審開始決定(静岡地裁)には驚いた。1966年の事件発生以降、1980年に最高裁で死刑が確定していたのに、再審が決定し、更に異例なことに拘置も執行停止され、即時釈放された。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%B4%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 再審開始の決定を巡る新聞記事を読む限り、警察、検察もひどいが、公正たるべき裁判所の方がひどいと思う。驚いたことに、1968年の1審の陪席裁判官(熊本典道氏)が、強く無罪の心証を持っていたのに、裁判長に反対され心ならずも死刑の判決文を書かされたと告白している。(http://www.47news.jp/47topics/e/251834.php)。
 裁判所の問題については、たまたまこの判決の直前の3月中旬に、本屋の新刊コーナーに積まれていた次の本を読んでいた(買ったのは電子書籍で)。
瀬木比呂志「絶望の裁判所」(2014/3/1電子化、講談社現代新書、2014年2月発行)
 判決後に、更に図書館で裁判所関係の本を調べ、次の本を借りた。
黒木亮「法服の王国−小説裁判官 (上)(下)」(産経新聞出版、2013年7月1刷)
産経新聞社司法問題取材班「司法の病巣」(角川書店、2002年5月初版)
 これらの本を咀嚼した上での評論などはとてもできないが、簡単な紹介と断片的な感想を述べる。
(3書の概要)
 「絶望の裁判所」(以下「絶望」と略す)の著者瀬木氏は、東京地裁最高裁等に33年間勤めた裁判官で大学教授に転じた人だ。自分でも述べているが、学者向きで裁判所の組織には向いていない人のようだ。舌鋒鋭く裁判所の問題に迫っている。2000年以降裁判官の資質は更に悪化していると厳しく主張する。
 黒木著「法服の王国」(以下「法服」)は小説で、1970年に裁判官に任官した2人の主人公(いわゆるエリートと人権派)の対比的な生き方を追っている。その中で多くの著名な訴訟が採り上げられていて、2人の主人公を中心とした裁判所内の議論ないし困惑が紹介されている。いろんな訴訟が出てくるが、著者の大きな関心は、原発訴訟と自衛隊、米軍基地の違憲訴訟のようだ。エピローグで2011年3月の福島第一原発事故の発生を象徴的に採り上げ、それまでの原発訴訟における論争の不毛さを暗示させている。
 2人の若い裁判官の上司として、実在の矢口洪一(1985-90年最高裁長官、1948年任官)をモデルとする人が登場している(弓削晃太郎)。ウェブ(出典は失念)で紹介されていたあるインタビューで、著者が一時この人物を主人公にしようと考えていたとあるくらいの重要な役割を演じている。
 産経新聞取材班の「司法の病巣」(以下「病巣」)は、2000年から2002年までの裁判所を中心とした司法界のスキャンダルを追ったものだ。この時期の裁判所のスキャンダルは、a) 捜査情報漏洩事件(2000年12月、福岡地検次席検事が福岡高裁判事に対し、同判事の妻が被疑者とされているストーカー事件の捜査内容を漏洩した事件)、b) 東京高裁判事児童買春事件(2001年5月、村木保裕(43歳)判事)、c) 三井環事件(2004年4月、大阪高検公安部長三井環暴力団に絡む詐欺事件で逮捕)だ。これらのスキャンダルとその要因が報告されている。
 以下は、断片的な感想。
(裁判官の多忙さ)
 「法服」、「病巣」で指摘しているのは、裁判官の取扱い訴訟件数の多さだ。「法服」では、主人公が任官した1970年の頃の裁判官の処理状況が述べられている(その後もオーダーとしては変っていないとの感じ)。大ざっぱに言って、裁判官は1人で200件程度の単独事件(裁判官1人で処理する軽微な事件)と100件程度の合議事件(3人の裁判官が合議で処理する)を抱えている。単独事件を例に取ると月30件処理しないと「赤字」と呼ばれ、手持ち件数が増加していく。
 30件のうち5件ぐらいは相手が反論せずに欠席裁判となるので、実質的なノルマは月25件。裁判官としてまともな判決文が書けるのはせいぜい月7-8件なので、残りをどうするかというと、民事(単独事件の多くは民事)では和解だという。和解だと時間が掛かる判決文を書かなくていいし、(杜撰な)判決文を書いて控訴され取り消される恐れもない(裁判官としての評価に影響)。刑事事件では、検察の主張に沿った有罪判決文は楽だが、それの問題点を指摘しなければならない無罪判決文は大変だという。
 これに対し、「絶望」では、「裁判官多忙」は神話だと主張する。その根拠として、2012年度の地裁訴訟事件新受件数は、民事事件(行政を含む)はピーク時の2009年度の74.9%、刑事事件はピーク時の2004年度の67.5%に減少している。一方裁判官数は、2003年度から2012年度までに122.2%に増加している。また、1年間の地裁の新受等の件数は、著者の経験では360件前後である場合が多かったが、米国の連邦地裁の裁判官の担当事件(おそらく新受)は、2004年度で年間480件だとしている。
 私としては、真面目に判決文を書くのは大変そうに思えるし、「法服」の主人公が毎日裁判資料を風呂敷に包んで家に持って帰り、深夜まで仕事をしているというのを読むとその多忙さに同情する。
(法曹一元制)
 3書共通して主張しているのは、現在の裁判官のキャリアシステムは問題で、法曹一元制に移行すべきとのことだ。キャリアシステムとは、裁判官が司法修習終了後から裁判官として任用され(ただし当初10年間は判事補)、その後基本的に定年まで裁判官として勤務するシステムだ(最高裁の事務局や法務省等への出向を含む)。法曹一元制とは、初期の法曹生活を弁護士として始め、10年程度経験を積んだ弁護士の中から、改めて裁判官として任用するシステムだ(検察官についても同様なシステムが考えられる)。
 現行のキャリアシステム裁判官は、実社会における体験が乏しく、しばしば民間の意識と乖離した判決を出すことがあるとする批判があり、米英のような法曹一元制*1の導入が望ましいとされてきた。弁護士会を中心としたこの声に応え、1992年春から一応本格的な「弁護士任官制」が発足した。しかし、実績は少なく、真の法曹一元制には程遠い。「絶望」では、その一因として、最高裁事務総局が消極的だからとしている。
(司法制度改革)
 1999年から2001年にかけて内閣に設置された「司法制度改革審議会」において提言された司法制度の改革で、法科大学院の設置、司法試験合格者数の増加、裁判員制度の導入その他多くの画期的な項目が盛り込まれた。
 「法服」は、舞台が2011年までであり、ゼロ年代(2000-2009)の事件にもいくつか触れているが*2、司法制度改革の評価についてはあまり書かれていない。「病巣」は2002年の発行なので、具体的な成果については触れていない。
 これに対し、「絶望」は、最高裁事務総局の策謀により、司法制度改革は無効化され、更に悪用されていると手厳しい。事務総局の解体が必須だという。
(民事系と刑事系の対立)
 裁判官には、主たる担当事件別に民事系(行政事件も含む)と刑事系とがあり、派閥争いじみた対立があるとのことが、「絶望」と「法服」で述べられている。「絶望」では、竹粼博允前最高裁長官(2008年就任、定年前の2014年3月末に依願退官)は、刑事系であり、裁判員制度の導入(2009年)などを契機として、刑事系裁判官で裁判所内の要職を独占したとする。「裁判員制度導入…の実質的目的は、…民事系に対して長らく劣勢にあった刑事系裁判官の基盤を再び強化し、同時に人事権をも掌握しようと考えたことにある」とする。
 これに対し、「法服」では、民事系のエースである矢口洪一最高裁長官(小説では弓削晃太郎)が刑事系裁判官グループの強い抵抗を排して、陪審員制度(その後裁判員制度に)の導入を早くから推進してきたとある。矢口の考えは、刑事系は、裁判官の優越性という発想に凝り固まり、検察のストーリーに沿った杜撰な判決で、冤罪、再審が続き、国民の信任を失っていくとの危機感だ。
(裁判官の精神構造の病理)
 「絶望」では、裁判官社会の閉鎖性を強く非難する。最高裁事務総局に管理された息苦しいヒエラルキー構造だとする。その結果としての裁判官の精神構造の病理が、10項目に亘って詳細に分析されている。幾つか紹介する。
 内面性が欠如しており、そのため講演などは全く詰らない。エゴイズムと自己中心的で、他人の存在が見えていない。自分にはいいことがあって当然、いいことが自分を差し置いて他の人にあるのは許せない。慢心が度し難い。嫉妬深さが尋常ではない。人格的に未熟で、言動に幼児性がある。知的にも怠慢、などなど。
 「絶望」では、更に最高裁判事の性格類型別分類が出ている。最高裁には長官を含め15人の判事がいる(長官以外の判事のうち慣例として6人が裁判官出身)。著者は、30人の判事に接したことがあり、その観察から4つに分類したとする。
A類型(30人のうち1人、5%) 人間としての味わいのある…個性豊かな人物
 最高裁判事としては例外的に立派な人だったらしい(名前は出ていない)。
B類型(45%) イヴァン・イリイチタイプ
 イヴァン・イリイチとは、トルストイの小説「イヴァン・イリイチの死」の主人公で、帝政ロシアの官僚裁判官だ。一言でいえば、成功しており、頭がよく、しかし価値観や人生観は借り物という人々だ。事態を直視せず、物事の本質を避けて通り過ぎるという生き方で、仕事は、全てを一般論の枠内で効率よく処理する。*3
 次のC類型の判事よりは断然優秀だが、官僚としての有能性だけだとの手厳しい評価だ。
C類型(40%) 俗物、純粋出世主義者
 説明は省略。
D類型(30人のうち3人、10%) 分類不能型あるいは「怪物」?
 あまりに特異で、前記のどの類型にも収まらない人である。実名で出ているのは前述の矢口洪一氏である。司法行政を通じて裁判官支配、統制を徹底し、「ミスター司法行政」との異名を取った同氏への著者の複雑な感情が窺われる。
(冤罪は防げるか)
 冒頭に述べた袴田事件に限らず、近年冤罪の結果としての再審事件が多い。Wikiで「冤罪事件」を見ると沢山出ている。*4
 この原因として、前述のように、検察のストーリーに反する無罪判決文を書きたくないという裁判官サイドの問題が指摘されている。2009年からスタートした裁判員制度は、これに対する有力な歯止めになると私は期待する。余程の証拠捏造でない限り、一般市民の裁判員を相手にして冤罪をでっち上げるのは困難ではないかと思うからだ。
 ただし、私は、これにより裁判で全て真実が明らかになる、又は正義が実現すると考えている訳ではない。間違いは、キャリア裁判官でも裁判員でも常に起こり得る。ただ、安易な証拠捏造(警察、検察サイド)や意図的な怠慢(裁判官サイド)による冤罪発生の可能性が減少すると考えるのだ。

*1:ドイツ、フランスでは法曹一元制ではなく、一応キャリアシステムだとされている。 http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai18/18bessi6.html

*2:例えば、2006年の金沢地裁志賀原発運転差止め判決

*3:トルストイの「イヴァン・イリイチの死」についてはよく知らなかったが、短編なので、アマゾンで紙の本を購入して読んだ。最終的には、イリイチの魂が死ぬ寸前に救済されるという話で面白くないが、瀬木氏のような読み方もあるのだろう。「イワン・イリッチの死」(米川正夫訳、岩波文庫、1928年1刷、2013年6月80刷

*4: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A4%E7%BD%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%86%A4%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%96%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E4%B8%BB%E3%81%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6