ランドセル

 来春小学生になる孫のランドセルを、息子一家と買いに行くという妻に付きあった。場所は目黒区の「土屋鞄」というランドセル・メーカー。今が来春用のランドセルの注文シーズンということで、テレビのコマーシャルも多いが、その店も家族連れで大変な混雑だ。私はそれを避け、店頭にあった立派なカタログを手に取り、店の前のベンチで読みながら待つことにした。たかがランドセルと思っていたが、その豪華さとこだわりにやや吃驚した。以下はややシニカルな感想。
1) ランドセルの高級化
 ランドセルの素材は、クラリーノ(軽量人工皮革)、総牛革、コードバン(馬の尻の皮)が主で(順に高価になる)、他にややマニアックなものとしてヌメ革がある。重さは、クラリーノが1.1kg台、他が全部1.3kg台だ。値段は約5万円から上は10万円近くまでにわたり、私の思惑より高い(買うのは妻)。
http://www.tsuchiya-randoseru.jp/index_list.php
 カタログには、6年間使うことを前提とした作り方のこだわりが紹介されている。その1つとして、縫製は、「ステッチの通る位置が0.5mmでもずれたら見た目のバランスが変ってしまうので、緊張感を持って縫って」いくとのことだ。見た目のバランスより、製法を合理化して値段を下げる方が顧客の要望に応えるのではないかと私には思える。
2) 6年間使い続けるか
 ランドセルは、小学校の6年間使い続けるという前提があるようだ。1年生と6年生とでは体格に相当の差がある。街で、大きなランドセルを背負ってよろよろ歩く1年生や、逆に古く小さなランドセルを背負った大きな6年生(女子は大きい)を見かけると可哀相になる。
 実は6年間使い続けるかどうかは学校や地域、時代によって微妙に異なっているらしい。ウェブを見ていると、3年前で少し古いが、「ランドセル復権か」(2011/2/23 産経ニュース)という記事を見つけた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110223/edc11022314190006-n1.htm
 それによれば、6年生までランドセルを使うという子どもが、2003年には59.4%だったが2010年には78.5%、2011年には8割を越えているとのことだ。聖学院大学東島誠教授の「ランドセルを”卒業”したり、逆に6年生まで”完走”したりすることで、自立心を表現することができたのは過去の話。機能的で軽量、色やデザインの選択肢も多い昨今、ランドセルを使い続けることにそもそも疑問を持たない」との興味深い分析*1が紹介されている。また「子供たちの横並び意識」の反映との指摘も紹介されている。
 ランドセルは、現在の日本で、古いものを大切に使う美しい風習が残されている、ひょっとして唯一の事例ではなかろうかと思う。
 しかし、私は、体格に合わないものを横並び意識で使うという状況は、健全な美意識(健全なおしゃれ感覚)や自我意識の涵養という観点からは好ましくないことと思う。
3) 日本人の入学式シンドロームと小中一貫教育
 以前の弊ブログ「幼稚園の入園式は必要か」(id:oginos:20120218)で、入学式を祝うのは日本だけらしいと書いた。論旨は、日本の入学式は、新入園児や新入生に過剰なストレスを与えているのではないかということだった。新しい立派なランドセルを新一年生に買い揃えるのも、入学式を祝うという考えからだろう。しかし、あの大きなランドセルは、一部の新入生にとってはストレスの原因にもなっているのではないかと推測する。
 ランドセルを入学式の日に必要とするかは学校によって違うらしいが、ランドセルを背負った入学式の写真を撮りたいという父兄は多いようだ。学校側が不要だと言っても、わざわざランドセルを持って入学式に行く父兄もいるとのことだ。
 ところで余談だが、政府の教育再生実行会議は、本2014年7月3日、「今後の学制等の在り方について」という第5次提言を発表した。その中で、「小中一貫教育を制度化するなど学校段階間の連携、一貫教育を推進する」(同提言1の(2) )こと、その一環として「小中一貫教育学校(仮称)を制度化する」ことを提言した。その理由は「中1ギャップ」(いじめや不登校が中学校第1学年で急増すること)の緩和にあるとされている。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/pdf/dai5_1.pdf
 私は不思議でならない。9年間同じ学校にいることにより、人間関係(教師との間、同級生間、上下級生間)が長期間固定化することの方の弊害が気になる。いじめが長期化、陰湿化しないか。転校生、特にいわくがありそうな転校生が長期間固定化した人間関係の社会に受け容れられるか、心配でならない。また、従来5-6年生で担っていた上級生、すなわちリーダーとしての経験も教育上有効であるが、その開始年齢が遅れるのではないかとの恐れもある。
 私は、「中1ギャップ」の原因の1つは、盛大な入学式や制服の導入等、教育効果とは直接関係の無い激烈な環境変化にもあるのではないかと思っている。入学式、制服の廃止によっても「中1ギャップ」は一部改善するのではなかろうか。
 閑話休題、ランドセルの話に戻ると、仮に小中一貫教育学校が実現したら、ランドセルはどうなるだろうか。1年生から9年生まで同じランドセルとは余りにもひどい。横並び意識が抜けないとしたら7年生から脱ランドセルになるのだろうか。それとも、在学中同じものを使うべしとの規範が無くなれば、数千円の布製のバックパックを、成長に応じて適当に買い替えていくという自然な展開になるのではと期待する。

*1:この分析は私にとって実に興味深かった。かつては、「ランドセルを別の鞄に換える」という実に詰らないことが、”卒業”と呼ばれ、自立心の表現として評価されることがあったこと。また逆に、恐らく古ぼけてきたランドセルを6年生まで使うことも”完走”として称賛されていたこと。何れも、たとえ使いにくいものであっても6年生まで使うことが好ましいとの規範があったことを示している。しかし、耐久性の向上という技術的条件とデザイン面の改良がそのような屈託を無くしてしまった。恐らく次に述べられている「横並び意識」が勝ることになったのだろう。