男児の「さん付け」

 先月2月20日に発生した川崎市多摩川河川敷の中学1年生殺人事件は誠に痛ましい。事件自体の話は別にして、一連の報道で私が気になったのは、中学1年生を、「上村君」ではなく、「上村さん、上村遼太さん」と、さん付けしているところがあることだ。テレビでは、NHKがはっきりさん付け、民放は君付けが多い。新聞では、朝日、毎日がさん付け、日経、読売が君付けだ。私が読んだ週刊誌は君付けで、週刊誌は君付けが多いようだ。
 そういえば、中学校、小学校で男子生徒もさん付けで呼ぶ所が増えているとのウェブ記事を見たことがある。私はこのこのことには非常な違和感があるので、少し調べて見た。以下は、1)男児のさん付けの現状、2)川崎市教委とNHKの考え方、3)ジェンダーフリーの理論、4)英語でのPC(Political Correct)の動き、5)私の感想だ。感想的な結論は、今は時期尚早だが、長期的には敬語簡素化の観点から支持しない訳ではないというものだ。約8,000文字と長くなったがご容赦を。

1) 男児さん付けの現状
 たまたま事件が起きた川崎市は、このさん付け問題で、かねて話題になっていた。あるブログを紹介する。
「さん付け統一に疑問」 (日本再生ネットワーク 厳選ニュース 2006年3月21日 http://sakura4987.exblog.jp/3039322/ )
 2006年と少々古いが、この頃既に、小学中学での男児さん付けが進行しており、大きな問題になっていた。ここに紹介されている前年2005年3月の国会質疑で*1文部科学大臣は、さん付け、君付けは個人の問題で、a)学校で統一するのは問題だが、b)文科省は口を出さない、ただ、c)ジェンダーフリー(後述)の考えは問題としている。
 このブログの中で、先進的な自治体として川崎市が紹介されている。同市の教育委員会がさん付け統一と男女混合名簿を推奨しているとのことだ(この川崎市の話は後で詳述)。
 私の周りに聞いてみた。川崎市の隣の(東京都)町田市に息子家族が住んでいる。息子に電話して、孫息子(小3)が学校でどう呼ばれているか聞いた。息子は本人に電話口で聞いて答えてくれたが、小1からさん付けだそうだ*2
 勤務先の若い女性(20代?)に、昼食時に聞いた。男児がさん付けで呼ばれていたことはあったような気がすると言っていた。キャンプでは、男女同じテントで、ただし先生が境界に寝ていたとのこと。
 ウェブなどの情報を総合すると、男児さん付けは、現在では相当に普及しているようだ。
(私の学校時代)
 ちなみに私の場合を紹介すると、小中高は地方(富山県)で過した。同級生間は、男子同士は改まった場合に君付け(普通は呼捨て)、それ以外(女→女、女→男、男→女)がさん付けだ。ただ同じ世代でも地域差があり、50年前*3に東京に出てきて感じた文化的ショックの1つは、都会の同世代の女性から君付けで呼ばれたことだ。その後もずっと違和感を感じている。
 私より後の世代は、「女男→男が君付け、女男→女がさん付け」*4の時代が長く続いたと理解している(以上は学校の話で、一般社会にはまた別のマナーがある)。

2)  川崎市教委(10年ほど前)とNHKの考え方
 今では相当普及していると見られる「さん付け統一」は、「男女混合名簿」と並んで、1990年代から導入が始まったようだ。しかし反対論も多い。上述のブログその他で有名だった川崎市教育委員会のこの問題に対する考え方は、現在同委のHPを見ても出ていない(ページ内で検索しても不明)。次の電子掲示板は2005年と古いが、その中に、川崎市教委に質問した人が得た回答があるので紹介する。

http://www.azaq-net.com:8080/tani6010/384.html の中の(すごく長いスレッド)
「[28513] 男の子にも「さん」付け 投稿者:一見の者 投稿日:2005/02/20(Sun) 09:23:18 No.28513」と題するスレッド)の中、「BRUC05」さんの投稿

 以下は川崎市教委への私の質問とその回答です。
質問3 「男女混合名簿」と「さん付け統一」はどのような理由で推奨されているのでしょうか? それらが推奨されているということは、逆に言えば、「男女別名簿」や「くん・さんの男女別呼称」は望ましくないということになるわけですが、どのような理由から望ましくないのでしょうか?
【(川崎市教委の)回答】 学校生活の中で名簿によって毎日毎日繰り返される影響は大きく、男女別名簿一つをとって考えてみましても、いつも「男が先、女があと」という序列を作り、男子優先といったことが無意識のうちに刷り込まれていく可能性があります。習慣を変えるには形式からはいるのも大きな効果があると考えます。これからの社会は、子どもたちを「男らしく、女らしく」ではなく、「自分らしく」「個」を大切に育て、男女平等の社会を作ることが必要です。そのための一つの取組としての男女混合名簿ととらえております。
 「くん」「さん」の呼び分けについても、同じように考えられます。本来、「男だから」「女だから」と意識する必要のない場面においても性別を意識せざるをえない状況を無意識のうちにつくっているといえます。人間を性別で分けるのではなく、お互いを一人の人間として尊重できる人に育てるための環境づくりが必要であると考えます。

 ブログの著者が指摘しているように、川崎市教委は、「人間を性別で分けるのはおかしい」との考え方のもとに「さん付け統一」を推進している。性別意識をなくそうという明確な意図がある。なぜ性別意識を無くそうとするのか。それが次項で述べるジェンダーフリー理論だ。

(NHKの考え方)
 冒頭に述べたマスコミの考え方も知りたいと思い、さん付けに徹しているNHK朝日新聞に対し、それぞれの意見・質問欄のフォームに従いメールを出した。NHKは1日ほどで返信が来た。

(私の質問) 2月の川崎市の中学生殺人事件において、被害者の中学1年生を「上村さん」とか「上村遼太さん」とか、さん付けにしています。他のテレビ局では君付けの所もあります。男の子供は君付けが自然だと思っているので、違和感があります。貴局の考え方を教えてください。
(3月10日に得たNHKからの回答) (前文等 略)
NHKでは、敬称は原則として「さん」あるいは「氏」を使うことにしています。ただし、子どもの場合は、ニュースの内容によっては「君」を使う場合もあり、事案の内容を総合的に考慮して判断しています。また、学齢前の幼児には「ちゃん」を使うことにしています。

 事案の内容の総合的考慮の基準はよく判らないが、「さん付け統一」ではないらしくて少し安心した。不十分だが一応の考え方を示してくれて、NHKが少し好きになった。一方の朝日新聞は梨のつぶてだ。

3)  ジェンダーフリーの理論
 私がつたない調査で理解したところ、ジェンダーフリー理論とは、男女差別(性差別、すなわち男が上で女が下)は、性差(性別意識)から作られる、次に性差は先天的なものではなく、後天的、社会的に作られるという考えだ。従って、性差が意識されない社会を作れば、男女差別は無くなると考える。逆に性差意識が無くならなければ男女差別は無くならない。

 また、「ジェンダーフリー」は和製英語だが*5、その概念は現在欧米では見られないと反対派は主張する。すなわち、上記のようなジェンダーフリーの理論(英語ではそうは言わないが)は、欧米では1970年代から80年代に流行したが、90年代に入り消えたとのことだ。日本では90年代から2000年代にかけて、70-80年代のこの欧米の(古い)理論が導入され、学校を中心に盛んに実践された。(以上、Wikipediaの「ジェンダーフリー」の項目等)
 実践例としては、さん付け統一、男女混合名簿の他、学校での男女同室着換え、修学旅行での男女同室宿泊、男女共通体操着、保健体育共修、家庭科・技術科の共修、運動会での男女同一種目(例、男女混合騎馬戦。「混合」の意味は1騎の馬が男女混合で組み上げられること)、男女同一トイレ・靴箱、更に小学低学年からの早期性教育*6も推奨された。
 日教組のポスターらしきものが撮られているページを紹介する。ただ、何時の資料か判らない。 http://www.geocities.jp/katunan15/index14f.html
 確かに、ジェンダーフリーの教育をうたい、名簿に始まり、ロッカー、靴箱、トレーニングウェア、男女別平均、男女別平均、さん・くんの呼び方、運動会の種目などにおける男女の区別を無くすなど列記してある。もっともなこともあるが、行き過ぎと思う人が多かろう。
 ジェンダーフリー反対派は、これらは日教組の方針と考えている。教研集会などで争って事例紹介がされたかと想像する。しかし、現在の日教組のHPを見てもよく判らない。HP内検索の欄に、「ジェンダーフリー」や「さん付け」を入れても該当無しと出てくる。ただ、「男女混合名簿」でHP内検索をすると、2009-2010年版の「日教組 政策制度 要求と提言」中の提言61の自治体への提言の3に「男女混合名簿や保健体育の共修等を図る」とある。 http://www.jtu-net.or.jp/doc/proposal2009-2010.pdf (66ページ)
 興味深いことに、その後の2013-14年版の「要求と提言」では、同じ表現は消えている。 http://www.jtu-net.or.jp/doc/proposal2013-2014.pdf (38ページの「9 男女平等」欄参照)
 以前の提言が十分浸透して目的を達したとの判断からか、批判が多かったから止めたのか、隠したのか、不明だ。

(ジェンダーフリー論争の鎮静化と学校内)
 ウェブをいろいろ見ていて感じたのは、ジェンダーフリーと学校教育の問題が論じられているのは、ゼロ年代(2000-2009年)の半ば頃までで、ゼロ年代後半以降は余り出てこないことだ。ジェンダーフリー運動も反対派の運動も落ち着いているようだ。その分「さん付け」は学校内では普及しているのかも知れない。上述のように、日教組のHPから消え、川崎市教委のHPからも消えている。これは、文部科学省の指導の成果かも知れないと思うが、ジェンダーフリー推進派の中にも反発の大きさと、行き過ぎと感ずる向きがあったからかと思う。それぞれの学校、教師の問題として、多様化しているのかも知れない。
 ただ、ジェンダーフリーの点からの理論づけは無くなっても、さん付け統一は、現場では進行していると思われる節がある。a)男女平等の理念には適っていそうだし、b)男女同室宿泊などのように直接的な実害は無さそうだし、c)前述のように、文科省も口を出さない(各学校に任せる)と言っているし、などであろう。
 余談だが、6年前に前述の孫息子が幼稚園に入ってしばらくした頃、男女の区別が判らないと言って親を困らせた。幼稚園の先生が、男子はこちら、女子はそちらに並べと言ったら、自分がどちらか判らなくて女子の方に行ってしまったという。きみは男だと言ったらどうしてかと言う。誰それは女だとどうして判るかと聞く。スカートをはいているのは女子だと言っても説得力が無くて、困ったらしい。
 ジェンダーフリー論者から見れば、この話は、性差は最初からあるのではなく、社会が作り上げるものだという理論の好例かも知れない。幼稚園の先生が男女別の並べ方を指示したのは間違いで、そんな指示をしなければ性差は生じないと言うかも知れない。

4) 英語等でのPC(Politically Correct)
 若干余談だが、ジェンダーフリーに関連して、男女関係語彙の言い換えが国内外で流行っている。英語ではよく知られているように、Politically Correct (PC)と呼ばれる言葉の言い換えが行われている。例えば、man, woman → person などで、chairman → chairperson、fireman → firefighter などだ。私は正直言って理解できないが、内外揃って気にする人は多い。以下は、3人称代名詞に関する話題だ。
(男女両者を指すshe)
 最近、ある友人(大学教授)が面白いことを教えてくれた。3人称代名詞(he she) のPC用語として、「he or she」、「he/she」(以上、逆もあり)、s/heなどが使われているのは知っていたとのことが、最近、論文で単にshe と使われているのを見て驚いたと言う。
 一緒にいた友人たちも感心していたが、私も家に帰ってから調べた。手持ちの紙の辞書は古い。電子辞書のジーニアス英和第4版(大修館)は2006-08年版とある。スマホにインストールしているリーダーズ英和第3版(研究社)は2013年版で新しそうだ。「she」を引くと、友人の指摘通り次の説明があった。
不定代名詞や男女どちらも指しうる名詞などをsheで受けることも多くなった」*7

(代名詞xe)
 昨2014年6月のウェブで、次のようなものを見つけた。
「He、Sheをやめ“Xeを使用”とカナダの教育委員会ジェンダーフリー発想もPTA大混乱」  http://japan.techinsight.jp/2014/06/yokote2014062414310.html
カナダのバンクーバー市の教育委員会の決定で、he、sheを止めてxeを使おうということだ。もっとも1か月後に、別のウェブページで訂正の報告がされていた。
http://lifevancouver.jp/2014/07/news/24366.html
 he、sheを止めるのではなく、トランスジェンダー(性同一性障害。身体的性と心の性が一致しない人)の子供たちを呼ぶ時には性別を特定しない代名詞を使おうということらしい。発音は「ジー」とのこと。

(インドネシア語)
 欧米で(以上の例は英語国だが)このように男女の呼び方に悩んでいるさまを見ると、アジアの知恵も捨てたものではないと思う。私がここ一両年に訪問した、インドとインドネシアの例を取り上げると、インドネシア語の3人称代名詞には男女の区別がない。ただ公平のために言うと、2人称代名詞は何種類もあり(教科書には9種類紹介されている)、相手の性別、地位別に使い分けられていて、全くのジェンダーフリーではない。
 なお、インドネシア語には、名詞、形容詞の格変化(declension)、動詞の活用(conjugation)が殆んど無く、文字がアルファベットであることもあり、学習者には取っ掛りやすい言語と言えよう。

(ヒンディー語)
 インドの40%の人口が使っていると言われるヒンディー語の3人称代名詞にも男女の区別は無い。1人称、2人称代名詞にも男女の別は無い。ジェンダーフリーの言語かと思われるが、名詞、形容詞の格変化、動詞の活用の殆どに、男女の別がある。動詞の活用に性別の変化があるという意味は、主語の性別に応じて動詞の形が変る*8ということだ。従って、インドの恋愛小説の会話は、どちらがしゃべったという地の文が不要で、省スペースなのではと、想像する。
 ということで、3人称代名詞の性別の有無だけでは、その言語のジェンダーフリー度を測る物差しには成りにくい。私のささやかな感想では、インドネシア語ジェンダーフリー度が高いと思うが、それでもってインドネシアの社会のジェンダーフリー度が高いとは言えないであろう。

5) 感想
 感想を幾つか述べる。
a) ジェンダーフリー
 行き過ぎたジェンダーフリー論、すなわち性差意識を全て無くさないと男女差別が無くならないとの考え方にはやはり納得しがたい。特にそのために提案されてきた手段の幾つかは(男女同室宿泊、早期性教育など)、むしろ弊害があるのではないかと思う。教育のためにはもっと理論的精緻化が必要だ。
b) 男女混合名簿
 さん付け統一については次項で述べるが、男女混合名簿についてはある程度理解している。男が先と決めているのは確かにおかしい。私は中学、高校の同窓会の幹事を何回かやったが、最初にするのは男女混合名簿化だ。ただ、これは卒業後の話で、学校では男女別履修科目や運動会、身体検査などの時は男女別名簿が必要と思う。
私の案はいろいろある。第1案はやはり男女別名簿で、クラスにより男女、女男と順番を別にする。第2案は混合名簿と男女別名簿の2種類を作る。第3案は男女混合名簿に男女の別を記す欄を設けるなどである。工夫すれば、名簿など手段だからいろいろ考えられる。私の小学1年の時の名簿は生年月日順で、この年齢からすれば合理的だったと思う。
c) 敬語
 私は、かねて日本語の敬語は異常に複雑に発達し過ぎている、簡素化の方向が望ましいと思っている。普通語と丁寧語(文章語でいえば、「である」調と「ですます」調)の2種類ぐらいですませられたらと願っている。敬語のうちの敬称(さん等)についても種類が多すぎる。どれを採用すべきかと多くの国民が頭を悩ますのは時間の無駄だ。
 日本語は昔から絶えず変化してきた。江戸時代以前の文書はもちろん、明治時代の言文一致体の小説でさえ、現代では読み解くのに苦労する。君付けも明治以降の用法であるように、敬称も変化している。ということで、簡素化の方向であるなら、男児のさん付けも好ましいかという気がしないでもない。ただ、現在では問題がある。
 現在のさん付けは、私の語感では、相当の敬意と丁寧さを持った言葉であると思う。学校内でも遊びの場やごく親しい間柄での呼称としては定着するだろうかとの危惧だ。望ましくは上述の敬語で述べたように、敬称も2種類ぐらいに整理されるようになるといい。学校では、教室内の公式の場ではさん付け、その他のよりくだけた場では呼捨て(君付けもいい)などとなるのが現実的かと思う。先生によっては、個性的に、教室内でも呼捨てにするかも知れない。
 私の願いは、日本語の今後の方向としては簡素化が望ましく、それを思想的な上からの統一ではなく、それを目指した方向が自然に実現できていけたらいいなということである。
(朝日新聞の用語の手引)
 最近広告メールを見て、衝動的に「朝日新聞の用語の手引(新版)」(朝日新聞出版 2015年3月15日第1刷)を買った。朝日新聞記者が記事を書く際の手引らしいが、実に日本語は複雑だということを再確認した。例えば、「−機」と「−器」の使い分けについて、前者は「複雑または大型のもの」、後者は「単純または小型のもの」と一応の基準を示しながら、「盗聴器(機)」……などは実態に応じて使い分けるとある。敬語の例ではないが(この手引には、敬語は少なく、差別用語や風俗用語などは殆ど無い。別途記者用の手引書があるのではないか)、日本語は難しい。
 この用語の手引の内容は、私の事前の予想に反して、私のかねての語感に驚くほどマッチしている(全部ではない)。永年の新聞購読の結果、私の言語感覚、文化観が通俗的なマスコミ感覚に毒されてしまったのかと思う。しかし、日本語を標準的なものにできるだけ揃えていきたい(簡素化したい)との考えだろうと思うので、賛成だ。前述のとおり、日本語は絶えず変化している。それを踏まえた標準化の努力(若干矛盾か)が必要だろうと思っている。

*1:次の議事録の最後の段。 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009616220050311005.htm

*2:先生からの呼び方か、友達同士は授業中など公式の場だけか、休み時間や帰校後のプライベートの場でもそうかなど、細かい所は聞いていない。

*3:余談だが、今年からちょうど50年前

*4:ここではあえて、「男女」を「女男」としているが、漢字変換に相当てこずる。パソコンの漢字変換はジェンダーフリーには対応していない。

*5:接尾語の-freeの意味が違う。英語でこれに相当する概念はgender equality と言われているが、結果としての男女平等を指すようでもあり、若干ニュアンスが違うようだ。

*6:早期性教育は性差意識を無くすためだとのことだが、ジェンダーフリーとの関係は判りにくい。

*7:上述の「s/he」については、手許の電子辞書内のジーニアス英和第4版(大修館)2006-08年には、見出しに本当に、s/heがあった。読み方は、シーヒー、she or he、she slash heなどとある。それから念のため確めた手許の紙のリーダーズ英和初版(1986年第4刷)にも、s/heの見出しがあった。私は知らなかったが古い語だったのだ。

*8:各人称の代名詞の場合も、指している人の性別に応じて変化する。例えば、「私が歩く」と言う場合、私の性別に応じて「歩く」の形が変化する。