海洋散骨

 最近、初めての家族会議を開催した。メンバーは、都内に住んでいる長男、次男、同居している妻と私だ。
 議題は、私の死後は海洋散骨してほしいと、ここ1年ぐらい妻に希望を述べてきたが、理解を得られないので、他の家族の意見も訊いてみたいということだ。以下、背景、私の考え方、家族会議の結論、その他散骨に関するトピックを適当に紹介する。
 先ず墓に関する私のバックグラウンドを説明しておくと、生れは富山県の3男坊で、大学以来東京に出ている。父母などの墓は、生家の近くで長男の子供(私の甥)がケアしている。従って父母や先祖の墓のケアは必要ない。それで自分の墓はどうするかがかねての懸案だったが、墓は無くていい、むしろ海洋散骨などがすっきりしていいのではないかと思うようになってきていた。
 妻に相談したら、そんなことは考えられないというので、1年ほど没交渉状態だった。海洋散骨の話をすると、自分と一緒の墓に入りたくないのか、それほど自分が嫌いだったのかと怒る。そんなことを考えている人と暮らしているのは耐えられないとまで言う。私は、嫌いな訳ではない、妻に海洋散骨を求める訳ではない、必要なら妻の墓は何とか用意しようと言った。生きている時に一緒に暮らすのと墓に一緒に入るのとは別のことだと思うが、とにかく私の考え方をまとめて、次のようにメモを作った(多少修正)。

(考え方)

  • 人は死ねば何も残らない。
  • 自分が死んだあと、墓など、残されたものがあると子供たちの負担になると思う。また、単なる物に過ぎないものが遺骨として長く保管されることに違和感がある。
  • 土や海などに速やかに還ることが自然。墓や納骨堂などに長期に保管するのは自然に反するのではないか。
  • 土に還るというのでは、樹林墓地などもある。その多くは墓石こそ作らないが、遺骨(骨壺)を埋める。物も残るし、その場所が特定されるので、自分は好まない。海洋散骨の方がすっきりとしていい。
  • 葬式や法事については、家族が行うことなので、死にゆく自分としてはあまり気にしていない。近年葬式の簡素化が進んでいるのは、自分の考えに合っている。

(海洋散骨の例)

  • 海洋散骨の業者は幾つかあるが、たまたま自分が見学ツアーに参加した、「ブルーオーシャンセレモニー」社の例を紹介する。http://352.co.jp/ 0120-364-352
  • プランとしては、
    • チャーター散骨プラン(1隻貸切り、24名まで乗船可、22万円)、
    • 合同乗船散骨プラン(2名乗船、12万円)、
    • 代行委託散骨プラン(家族の乗船無し、5万円)などがある。
  • 葬式や火葬は普通に行っていい。日程面で、葬式との関係はなく、普通の納骨に相当すると思えばいい。何時でもいいが、葬式の1-2か月後に行うのが普通か。
  • 散骨の海域に希望はない。東京湾が近くていいと思う。
  • 遺骨の粉末化は、頼めばその業者がやってくれる。

 家族会議の結果は、とにかく両親に仲良くやってほしいということだった。その前日に、たまたま富山から上京していた兄(次兄)にも相談した。兄は、昔、散骨を希望していて、私も心強かったが、息子に反対されて墓を作ることにしたと聞いていた。息子に説得された理由を聞いたら、近所で墓地が売り出され、息子から、親(=私の兄)が土地を買えば自分が墓を立てる、散骨などとにかく論外ということだったらしい。兄の私への助言は、夫婦仲良くとのサジェスチョンのみだ。それほど信念があって、散骨を希望していた訳ではなかったようだ。
 ということで、夫婦仲良くの薦めに従い、1年ほど続いた海洋散骨論は撤回することとした。その旨、息子たちと兄に伝えた。私としては、妻からこれほど強硬に反対されるとは予想していなかった。しょうがないと思うこととした。今後、地理的に便利な場所の納骨堂などを探すことになろう。

(散骨等に関連したトピック)
 以下は、散骨等に関連したトピックだが、妻や家族会議で説明すると、話が発散し、混乱してこじれそうだから、あえて話さなかったものだ。私としては終った話だから、備忘の意味で書く。読者の参考になるかも知れない。
〇 家族単位の墓の由来
 日本で家族単位の墓が普及するのは、戦後火葬が一般化してからとのこと*1。戦後の1950年頃でも火葬の多い地方は一部で、土葬の地方が多かった*2。すなわち、土葬だと棺桶、遺体が腐食して土地が陥没する。多くの遺体を埋めることはできず、従って墓は個人単位になる*3。火葬では遺骨を骨壺に納めることにより、墓石の下に複数の骨壺を安置できる空間(カロート)を設けることができる。これが家族墓の普及の要因だ(島田裕巳著)。
〇 散骨の例
 散骨の例は日本でもある。新谷尚紀著(注1)の例を上げる。

  • 淳和上皇(840没)の遺詔は粉砕して野山に散骨すべしとのことで、その通り実施された。
  • 親鸞(1262没)の遺言は「加茂川に入れて魚に与ふべし」であったが、丁寧に分骨された。また、時宗の一遍(1289年没)も「野に捨ててけだものなどに施せ」との遺言だったが、手厚く葬られた。遺言通りにされなかったのは、散骨への抵抗があったからだろう。

 現在の高齢者の墓に関する意識を調査したものに、三菱総合研究所が2015年6月に行った「シニア調査」等がある。三浦展下流老人と幸福老人」(光文社新書、2016年3月)が65歳以上の人について集計したものを紹介している。「代々の墓に入る」36.4%、「夫婦で新しい墓に入る」21.4%に次いで、「散骨したい」と答えた人が12.8%もいる。この他樹木葬が5.6%いる。相当の割合ではなかろうか。散骨は男性に限ると13.8%、更に、「幸せではない」、「どちらともいえない」*4と感じている老人の場合は18.4%と跳ね上がる*5
〇 仏教と葬式
 仏教式の葬式が開始されたのは、鎌倉時代曹洞宗が始まりとのこと。ただし開祖の道元ではなく、第4租の紹瑾(じょうきん)が、密教的な加持祈祷や祭礼の様式を取り入れて死者の供養を始めた。更に祖先崇拝を重視する儒教の影響を受けて仏教式の葬式を確立した。元来は出家した僧に対する葬式の作法であったが、一般の在家の信者にも戒名を与えて出家したことにして、この作法を適用した(島田裕巳著)。位牌も儒教の作法を適用したものだ(新谷尚紀著)。
 仏教が一般庶民に強制されるようになったのは、江戸時代に寺請、檀家制度が幕府の制度として確立したことによる(キリシタン対策と言われる)。現代の戸籍の始まりである宗旨人別帳の作成を檀那寺に義務付けた。キリシタン対策もあり、葬儀は檀那寺(仏教)が執り行うこととなった(新谷尚紀著)。
〇 墓参り
 墓参りの習慣は、日本、中国、韓国などの東アジアでは一般的だが、ヨーロッパでは、このように遺族が定期的に墓参りする習慣は殆どないという(島田裕巳著)。トルコのイスラム教でもないという。私としてはこれは意外だった。
 世界の墓参り事情については、ウェブで調べてもあまり判らず、書物でも殆ど書かれていない。私の本棚で探すと、カソリックプロテスタントイスラム教では墓参りするとの記載がある本があった*6
 島田裕巳は、墓参りの慣習はヨーロッパにないから、日本人の習慣を「お墓参り教」と呼んでいる。私が読んだ松濤弘道著も引用しているから、根拠のあることだと思う。
 現代の日本で、葬式の無宗教化、簡略化が進んでいるが、この「お墓参り教」が日本人の中では変らないものではないかというのが島田の主張だ。しかし、私は、「お墓参り教」もタイムラグはあるが、廃れていく運命ではないかと思う。

*1:島田裕巳「葬式は、要らない」 幻冬舎新書2010年。ただし、新谷尚紀監修「お葬式の日本史」青春新書2003年)では、火葬の普及は、日清戦争以降と書かれている。

*2:田豊之「火葬の文化」(新潮選書1990年)によれば、日本の火葬率は、1896年26.8%、1950年54.0%、1980年90.1%。

*3:欧州の土葬の家族墓所では、掘り返して墓棺を縦に積み重ねていくらしい(注2の鯖田豊之著)。

*4:この他の分類は、「幸せである」。

*5:余談だが、散骨を希望していた自分は「幸せでない」等のグループだろうかと気になった。去年読んだベイズ統計の超入門書を引っ張り出した。散骨を希望することが判った時(B)に幸せでない等である(A)確率は、「Aが起きた時にBが起きる確率」×「Aの起きる確率」/「Bの起きる確率」だ。男性に限るとA(幸せでない等)の確率は33.7%と書いてあるから、右辺は、18.4×33.7/13.5 →44.9%となる。すなわち私の場合、幸せでない(どちらともいえないを含む)確率は44.9%で、半分以下だ。

*6:松濤弘道「世界の葬式」(新潮選書1991年)に、プロテスタントはメモリアルデイや故人の記念日に生花を持参して墓参、カソリックは毎年11月2日の万霊祭に教会や墓地に花やロウソクを備えて墓参、イスラム教は毎週金曜日のモスクでの礼拝の後に墓参するなどとある。これには異説があり、イスラム教は墓を作るが墓参りをしてはいけない、何故ならアラーの神以外は拝んではいけないからだという(ひろさちや「お葬式をどうするか」PHP新書2000年)。