「今並」を迎えて

 この7月に満70歳を迎えた(数えでは既に71歳)。人生70歳は、本ブログのヘッダーで紹介している、論語の「70にして心の欲する所に従い矩を踰えず(のりをこえず)」の他に、6月15日の本ブログで触れた、杜甫の曲江詩「人生70古来稀なり」にちなみ、「古稀」と呼ばれる。同日にも述べたとおり、高齢化の現在、今では人並だから、私は「今並(いまなみ)」と言っている。
 論語孔子は、数えで73歳(74との説もある)まで生きた。一方の杜甫は59歳だ。この「曲江」を詠んだのは47-8歳の頃と言われている。詩の読み方は、次のページが判りやすい。 http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_B29_3.html 
 朝廷に仕えたが、帝の不興を買い、毎日曲江のほとりで酒を飲んで憂さを晴らしているという詩だ。人生70まで生きられるのはめったにないから、今のうちに飲んで楽しんでおきたいという意味らしい。私も飲んで憂さ晴らしを続けてきて70歳に至り、杜甫を遥かに越えた訳だから、確かにめでたい。くどいが「稀」という気はしない。
(今並の会食)
 今並(古稀)の祝いということで、家族で会食をした。改まって孫に話す機会もあまり無いので、簡単な挨拶をした。孫は小5と小2の男児

 満70歳ということは70年前の1946年に生まれた。富山県に生まれ、大学から東京に出てきた。
 この70年間に、社会も私も大きく変化した。私は子供の頃、中学生、高校生、大学生の区別は何となく想像できたが、それより高齢の大人はほとんど区別ができなかった。男性でいうと、お兄さん、おじさん、おじいさんしか区別ができなく、それも外観の違いだけで、中身は同じだろうと思っていた。しかし、実はその人たちは年齢によって大きく違う。10年前に60歳になった時、これで年寄りの仲間入りかと思ったが、親戚の既に70代の叔母さんから言われた。60代は花の時代だから、大いに楽しみなさい。
 人だけでなく、社会もこれほど変化するとは全く考えられなかった。最近もイギリスがEUから脱退するなどということは想像外だった。このように、予想もできない変化の中で生きていくというのが、人生だと思う。
 それで若い人に言いたいことは、世の中も自分も変化するのが人生、その中で生きていくためには、若い時に勉強し、大人になってからも絶えず勉強を続けて行ってほしいということ。この前贈った電子辞書はそのためにも役に立つと思う。

(小学生向け電子辞書)
 前項の電子辞書について補足すると、前月に衝動的に孫に贈った。自分の今並の際に孫に何か贈ろうと思って、電子辞書にしたものだ。探したら、カシオに小学校高学年向けと低学年向けがある。高学年向け*1は100コンテンツ、低学年向け*2でも40コンテンツあるというのでびっくり。カラーだし、ふりがな付きだし、小学生にも使いやすいだろう。小学5年生と2年生なので、それぞれを買った。ちなみに、私が6-7年前に買った、同じカシオのエクスワードは、大人向けで130コンテンツ。だが、モノクロだし、そもそも図が少ない*3
 既に持っているかも知れないと思って、息子にどうだと電話で聞いたら、紙の辞書を引く習慣を身に付けた方がいいかも知れないとかで、やや消極的。しかし、それは頭が古い、圧倒的に便利だし、開いているだけでも楽しく勉強になるはずだと説き伏せた。それに電子辞書はスペースを取らないから、家の中で邪魔にはならないだろうと言ったら、それには妙に納得していた。今並の会食まで待つと勉強の役に立つのが遅れるかと思って、思い立ったら吉日、6月にアマゾンから息子の家に送った(翌日配達)。妻はそれだと直接渡す楽しみがなくなると言うが、かねて私はそういう形式はあまり気にしない。
 たまたま、大学時代の友人のフェイスブックで、七夕の10歳の孫の誕生日のプレゼントとして、「学研まんが 世界の歴史」全12巻をプレゼントしたとあった。私に勝る教育爺さんで偉いなあ。息子さんの家も広いんだろうなあ。
(70年の分量)
 雑談だが、70年というのはどの程度の長さであろうか。人類の祖先は6-700万年前と言われている。その10万分の1だ。そもそもビッグバンは130億年前だから、70年は宇宙の歴史に比べれば、更に微々たるもの。日本の歴史の中ではどうか。図書館で最新の日本史年表を調べた(私の手許の世界史年表は2006年版)。吉川弘文館の日本史年表(第55版、2016年4月)は、紀元前30世紀の原始社会から始まっている。最新は、2015年10月の「大村智梶田隆章両博士のノーベル賞受賞」までで、日本史全体で計46頁のボリュームだ。その中で、私の生れた1946年から最新2015年までの分量は、16頁で約3分の1。言いたいのは、この70年間は絶対年数では微々たるものだが、歴史の中身の分量で見ると約3分の1と相当の比重を占めている。日本の歴史の中で、自分は相当の割合を生きてきたと錯覚してしまう(本当は傍観してきただけ)。
 ちなみに、70歳を迎えた私のこれからは、同世代の友人が言っているように、終い時かと思う。身の回りに散乱しているゴミを捨てていくことが課題だ。