インフェルノ

 10月28日公開の映画「インフェルノ」をその次の週に観た。ダン・ブラウン原作のラングドン・シリーズの映画化第3作だ(小説では第4作のようだが)。私は、第1作「ダ・ヴィンチ・コード」(2006年映画化)、第2作「天使と悪魔」(2009年映画化) *1も観ていて、「ダヴィンチコード」(以下、点を省略)の方は本も読んでいる(経緯は後述)。「インフェルノ」については、後述するように小説も読んで、その違いに唖然とした。
 本稿では、1)10年前に「ダヴィンチコード」を読んだ経緯、2)インフェルノについて、映画だけでなく小説も読んだ理由、3)インフェルノの小説と映画との違い(若干ネタバレ)、について述べる。
1) ダヴィンチコードを読んだ経緯
 数年前頃まで、私は分不相応にも米国の週刊誌「TIME」を定期購読していた。語学力の問題がありあまり読めなかったが、目次と、できればカバーストーリーを読むよう努めていた。たまたま切抜きが保存してあるが、2006年4月28日号(発売は1週間ほど前)のカバーストーリーが「The ways of OPUS DEI」(オプスデイのやり方)というもので、興味を持った。
 「オプスデイ」とは、ローマ・カソリックに認められた組織で、ラテン語の「神の業」を意味している。1928年にスペインで創設され、保守的な教義の下、現在世界で約9万人の信者がいる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A4
 TIMEの記事は、オプスデイの特異な教義と秘密主義を紹介しつつ、小説ダヴィンチコードに触れている。ダヴィンチコードでは、オプスデイの狂信的な陰謀とカソリックの教義の秘密が主題で大きな問題になっている、その小説が映画化され、近々に公開される(2006年5月20日に世界同時公開)ので、オプスデイもカソリックも非常に警戒しているという内容だ。
 TIMEのカバーストーリーになった小説ということぐらいで興味を持ち、文庫本で上中下3巻を買って読んだ(本に書き込んだ私のメモによれば同年4月30日)。ダヴィンチコードの主題は、イエスキリストに妻がいて、それはマグダラのマリアだったというもので、カソリックのスキャンダルを取り扱っている。私はたまたま前年の2005年7月に、岡田温治著「マグダラのマリア(中公新書、2005年1月)を読んでいた。娼婦とも呼ばれる同マリアのいろいろな面(美術、文学での取り上げられ方)を紹介した本で面白かった。キリストとの関係についての説にも触れてあった。
 TIMEの記事の1か月後の映画公開には早速観にいって、楽しんだ。3年後の「天使と悪魔」は映画だけで本は読まなかった。両作ともカソリック教会のスキャンダルがテーマだ。今回のインフェルノの主題はキリスト教ではないとのことで、内容も深くなさそうだったが、次で述べる前作の再放送を見ているうちに、観たくなった。
2) インフェルノは映画も小説も読んだ
 映画「インフェルノ」の公開記念として、フジテレビ(東京では6チャンネル)で、10月28日(金)夜に「ダヴィンチコード」、29日(土)に「天使と悪魔」が再放送された。私は昔懐かしく、両方とも観た。何れも2時間半から2時間50分の放送だ(コマーシャルを含む)。
 問題は、不覚にも途中で何度か寝てしまったことだ。実は、夜のテレビは、1時間もののドラマは起きて見ていられるものが多いが、2時間ものは多く寝てしまう。単純に私の年齢のせいと思ってもいいが、それ以外に、2時間テレビドラマは雑なストーリーと作りが多いせいと思う(家人と珍しく意見が一致する)。テレビドラマでなく、映画の場合(映画館だけでなくテレビでの上映も含む)、ストーリーがしっかりしているので、ちゃんと最後まで観られることが多い。
 「ダヴィンチコード」と「天使と悪魔」の場合、昔観た映画なのに眠ってしまう、更にショックなのは、観たはずなのに次の場面、ないし結末が思い出せないことだ。
 再放送版を観ているうちに、「インフェルノ」を観たくなって、ウェブで数日後の映画館を予約した(家人はパス)。しかし、予約の翌日になってちゃんと観られるか不安になってきた。1つは、内容の展開に追い付いていけるだろうか。このシリーズは、謎解きとそのための観光サイト巡りだ。頻繁に場面が変り、(本質的でない)マニアック、かつ早口の謎解きについていくのは大変だ。もう1つは、そのため映画館で眠らないか。
 かねて、映画と小説と両方に金を払うのは重複投資(金額面と時間面)だと思っていたが、映画館で眠らずに理解するため、小説も買うことにした。思いついたのは、映画予約日(午後1時)の前日の夕方だ。上中下3巻の文庫版だが、紙版だと上巻だけで734円。それがKindle版(電子書籍)だと3巻合本で1,542円、安い(買わないのが一番安いが)。
 ということで、観る前の夜に電子書籍版を買い、読みだした。若い時と違い、読むのが遅い。夜遅くなるとやはり眠くて眠る(そうでないと映画館で眠りそう)。かつ割に丁寧に読んだ。映画館の街に行くバスの中でも読んでいたが、90%強しか読み終えなかった。まあいいとした。
3) 結末が違う
 小説の90%を読んだ段階で映画に臨んだ訳だが、お蔭で居眠りもせずに楽しめた。しかし、映画の最後に近くなって愕然とした。結末の方向が180度違う。*2
 ここでネタバレになるか悩むが、著作権法上の引用の概念を流用し、「自説を補強するため、他人の論文の一部分を引いて」くる形で紹介する。ストーリーに関連することには触れない。
 人類の目下の課題は、地球規模の人口増加への対応策だ。「インフェルノ」の主題(小説、映画とも)も同じだ。現在80億近い人口がこのままだと更に急増し、人類の存続は破綻する。しかし、各国の政策は、本来必要な対策に目をつぶり、食糧増産、省エネルギーなどを主張している。それらを講じても人口が急増すれば破綻するのは明白だ。「インフェルノ」の犯人が主張するのは、唯一の方策は人口削減の方策とその実行ということだ。
 犯人の計画した(実行した)方策は、伝染力の高いウィルスの拡散だ。映画版で計画したのは、中世のペストのように致死率の高い病気のウィルスだが、小説版で実行したのは、感染した人間の生殖能力を失くすような遺伝子を埋め込むウィルスベクターだ。しかもポイントは感染した人の3分の1だけが生殖能力を失うことにある。言い換えると病気で苦しむ人がいなくて、人口減少に通ずるという方策だ。この方策の是非については、倫理的面も含め議論が必要とされている。
 映画版の方策は、小説の趣旨を相当ゆがめているのではなかろうか。
 発展途上国の経済発展への懸念を表するのは、先進国民の傲慢と思い、あえて発言する勇気はなかったが、世界人口の際限ない増加にはかねて恐れを抱いてきた。正直言って、「インフェルノ」の犯人に同感する所がある。このようなウィルスベクターが開発されれば、倫理的にはどのように考えればいいのだろうか。
 私は、信仰心が薄いが、家人に同伴して、散歩方々神社仏閣にお詣りすることがよくある。家人には絶対内緒だが、その時に、自分や家族の健康、家内安全など個人的なお願いをするのは、神様たちも忙しいだろうと思って躊躇する。個人的依頼の替りに世界平和などを祈るのもためらう。過去の戦争は、人類存続のための人口調節の効果もあったのではないかとの気持があるからだ。それでは何を祈るかというと、人類存続だ。人口が少なくなっても、人類のDNAが永続するようにと祈ってきた。
 最後に言いたいのは、映画では不十分で、是非小説「インフェルノ」の方を読むことをお薦めしたい。しかし、映画も捨て難い。ヒロイン役のフェリシティ・ジョーンズが魅力的だった*3

*1:小説では天使と悪魔の方が先で、映画とは順序が違う。

*2:小説の大結末を読む前に、異なる映画の結末を観たお蔭で、小説の方は余分に楽しめた。

*3:主演男優は、3作ともトムハンクス。