映画と本(三度目の殺人、メッセージ)

 この記事のタイトルは、本当は「映画と原作」としたかった。しかし、今日紹介する本2冊のうちの1冊は原作ではなく、「ノベライズ」本というジャンルだ。すなわち、先ず映画があって、その後それをノベル(小説)化した本だ。だから映画の原作ではない。むしろ映画の方が小説の原作とも言えるが、小説→映画の場合と違って、脚色されることは少なく、映画の筋をなぞる場合が多いようだ(他に殆ど読んだことがないから詳しくはない)。
 私は、元来しみったれだから、映画と本とを両方鑑賞するということは殆どない。金と時間の二重投資がもったいないと思うからだ。しかし、この2か月で2回も二重投資をした。それぞれの理由は全く異なる。

〇 三度目の殺人
 紹介する映画の1本目は、2017/9/9に公開された「三度目の殺人」だ。是枝裕和監督作品、ベネチア国際映画祭出展ということで、前評判が高く、(前宣伝が効いて)私は公開初日の9月9日に見に行った。
http://gaga.ne.jp/sandome/ 
 映画は面白かったが、次のようなことが気に懸り、確かめたくてAmazonでノベライズ本を注文した(宝島社文庫、2017/9/6発行、著者:是枝裕和、佐野晶)。できるだけネタバレにならないようにして(多少はなるが)、紹介したい。
•先ず 「三度目」という用語に違和感を覚えた。三度目というと同じ人が3回犯した殺人の3回目を指すのではないか。ネタバレだが、映画では3回目の殺人をしたのは1回目、2回目とは異なる人だ。この場合「3番目の殺人」ないし「第3の殺人」というべきではないか。例えば「三度目の結婚」という場合、別の人の結婚回数までカウントしない。それが正しい日本語だろう。私は、映画の途中で、主人公の被告(俳優は役所広司」が裁判で無罪等になり、釈放後、第3(3度目)の殺人を犯すというストーリーだと誤解してしまった。
 くどくなるが、英語では「三度目」に当る適切な形容詞がなく、三度目の殺人は、the third murderではなく、the murder for the third time と表現するだろう。ベネチア国際映画祭の公式ウェブページの英語版を見ると「The Third Murder」と映画のストーリーに従って正しく(?)意訳されている。*1

 以下は、映画を見て抱いたその他の疑問だが、ノベライズ本を読んでも解決しなかった(上記の「三度目」も解決しない)。考えてみれば当然で、以下の疑問は、普通の小説家であれば、十分に検討し、読者に疑問と不満を抱かせないようにして小説にするはずだ。最初が映画だから、その部分はあいまいですまされるのだろう(映画には映画特有のプロットがある)。以下の疑問の詳細は、ネタバレに通ずるし、マニアックな面もあるし、また、とにかく解決していないので、省略する。
• 1度目の殺人について、動機等の詳細を説明すべき。
• 娘(俳優:広瀬すず)の足が悪くなったのが生まれつきか、事故だったかについて、娘がうそを言っているらしいが、その意味が不明。
• 娘と容疑者との関係はあったのか? 無い方が話としてはいいと思うが、あったとしたらその意味を説明すべき。
• 娘と父親との関係(経緯等)を説明すべき。
• 母親の依頼はあったのか? メールの文面が1度しか出ないので分析ができない。
•「器」という言葉に違和感。(これはノベライズ本である程度納得)
 先ほど「読者に疑問と不満を抱かせないようにすべき」と書いたが、世の小説には、結末を示さず、読者の想像に任せるということにしているものが少なからずある。日本のSFや未来派小説に多いが、私は好きではない。具体的事例が思い出せないが、例えばおどろおどろしいエイリアンが出てきていろいろ暴れるが、最後は突然消える、しかしその出現は人類に警鐘を鳴らすものであった、との類である。設定の特異性と結末への期待が、最後に唐突に裏切られてがっくりする。

〇 メッセージ
 映画と原作という観点で、8月に見た映画を紹介する。少し古いが5月19日にロードショーがスタートした映画「メッセージ」だ。ただ、今はどの映画館でもやっていない。私が5月のロードショー開始時の映画評論を読んで興味を持ったのは、地球外から来た知的生命体との意思疎通を図るため、言語学者が活躍するという点だ。
http://bd-dvd.sonypictures.jp/arrival/ 
 言語学者が活躍するというのは、特別な言語体系なのであろう。それとコミュニケーションできるというのはどういうことか。映画をいきなり見ても難解だろう、あらかじめ原作を読んでおいた方がよい、と考えた。しかし、本をわざわざ買うのも無駄遣いかと思い、近所の区立図書館で調べたら、あったので予約した。
 原作は、テッド・チャン「あなたの人生の物語」(Story of Your Life)」(原書は1998年米国、邦訳はハヤカワ文庫SF、2003年9月。なお、映画の方の原題は、Messageではなく、Arrivalとのこと) *2。 安易に図書館で予約しまったのが敗因で、入手できたのは8月になってしまった。読んだ後、ウェブで上映館を探したら、厚木市(神奈川県)の某映画館でしか上映していない。早速観にいった(後述)。現時点の9月では上映館は無く、10月からDVDが発売されるとのことだ。
 原作は面白かった。エイリアンの言語体系は2つあって、発話言語(A)と書法体系(B)だが、2つの文法は全く違うのだ。Aは遂次的、すなわちsequential、時間順の概念がある文法(これが地球人一般の言語)だが、B書法体系では各時制が同じ画面上に記述される。書き順を見ると、結論ないし将来の結末から書き出される場合がある。これから、エイリアンの時間認識は、過去、現在、未来を同時に認識しているらしいことが推論される。また、この時間認識ではBの表現の方が効率的で、Aの時間順はもどかしいのかも知れないとも推測される。科学の分野では、変分法の理解は早いのに、微分は苦手らしいことが観測される(微分は時間変化率が鍵だが、変分法は到達点が判っており、それから経路を分析する)。
 主人公の言語学者(女性)は、このエイリアンとの接触、言語の分析を通じて、エイリアンの時間認識法の影響を強く受ける。すなわち未来が判るようになる。未だ胎内にいる自分の娘が将来若くて事故死することが予見できてしまう。予見できるなら、それを避けるような手筈を講ずればいいと思うが、エイリアンも、その影響を受けた言語学者もそんなことはしない、定まっていることは受け容れるとの精神構造になっているのだ。

 映画はどうだったか。面白かった。だが、原作とは相当違う。巨大な黒い「柿の種」形状の宇宙船で地上(空中)にやってきて、世界の8か所か9か所の空中に留まり、各地の地球人と接触を行う(主人公はそのうちの1か所で活躍)。巨大な柿の種などあったっけと原作を探したが、そんなものはない。映画では8-9か所に過ぎないが、原作では地球上約130か所もの多くの場所に、エイリアンがコンタクトポイントを設置する。コンタクトする画面のサイズも人の高さ程度ぐらいで割に小さい。
 原作の文章では具体的イメージが判らなかったエイリアンの書法体系Bも、映画だから見せてくれる。過去、現在、未来の同時(正確には同画面か)表現とはどういうものか関心があったが、映画で示されたものはセンスがなく、余り感心しなかった(私は)。
 原作に無いエピソードも盛り込まれている。確かに原作通りだと見せ場がなく映画になりにくいかも知れない。両者ともよかったが、総じて、原作の方が深く思索しているようで面白かったが、内容は地味かも知れない。