笹子トンネル事故

 私事で恐縮だが、この12月から来年3月までの期間、縁があってある団体の仕事を手伝うこととなった。週4日程度だが時間が取られる。ということで、このブログも今後適当に手抜きすることになると思うので、あらかじめご容赦頂きたい。
 先週の日曜日(12月2日)に発生した中央自動車道笹子トンネルの事故は、私としては衝撃だった。以下、1)事故の衝撃を述べ、次いで事故に関連しての私の余談的な感想として、2)古代ローマ人のインフラ整備とメンテナンスへの執着、3)メンテナンスと保安の精神について述べる。
1) 笹子事故の衝撃
 事故は、トンネルの天井のコンクリート板約270枚が崩落して自動車3台が下敷きになり、死者が9名という大惨事だ。コンクリート板は1枚が横5m、奥行1.2m、厚さ約8-9cm、重さ約1.2tほどの大きさで、トンネル本体上部の天井から(詳細は省略して)ボルトで吊り下げられていたという。このボルト(直径1.6cm、長さ23cm)がトンネル本体から抜け落ちており、劣化等によるボルトの抜けが原因だったのではと取りあえず推定されている。
 事故の約2か月前に実施された詳細点検では異常無しとされていたが、それが「目視検査」のみで、実際にハンマーで叩いて音を診る「打音検査」が2000年以来なされていなかったらしい。ということで、点検ミスの可能性が指摘されている(現時点)。
 これは私にとっては、昨2011年の福島原発事故以来の衝撃だった。原発事故の場合は、私としては永年漫然とながらも安全だろうと思っていた原発が実際に爆発したということがショックだった。今回の事故は、経営トップから現場の作業員に至るまでが等しく、常に配慮すべきメンテナンス、保安の理念がないがしろにされていたということで、これまでの日本の産業を支えていた現場のレベルが劣化していたことの証左だと思われてのショックだ(以下3)で再説)。
2) 古代ローマ人のインフラ整備とメンテナンスへの執念
 道路等の社会資本のメンテナンスの重要性について、少し余談となるが、塩野七生著「ローマ人の物語」(新潮社)で、古代ローマ人インフラストラクチャーの建設とそのメンテナンスへの執念が詳細に述べられているので、紹介したい。参考までに同書は、1992年に単行本の第1巻が出版され、2006年12月に第15巻が完結した(書かれている時代は、紀元前8世紀頃から紀元後6世紀頃まで)。2002年に文庫本化が始まり、単行本から数年遅れの出版で、2011年に文庫本も最終第43巻が完結した。*1
 この大書「ローマ人の物語」の第10巻(単行本ベース)のタイトルが「すべての道はローマに通ず」で、他の巻の歴史小説風とは異なり、ローマ人が築き上げたインフラの紹介のみに捧げられている(著者の言)。
 著者(塩野)は、古代ローマ人がインフラ(道路、橋、上下水道、法制度等)の整備と更にそのメンテナンスにかけていた強固な意志について、繰り返し述べている。「全ての道はローマに通ず」で有名なローマ街道は、幹線で総延長8万キロ、軍道、支線を含めると15万キロに達する。ちなみに、国土の規模が違うが、日本の高速道路の総延長は約9100キロ、一般国道は6.7万キロである。http://www.mlit.go.jp/road/soudan/soudan_10b_01.html
 ローマ式の街道の標準は、車道が幅4メートルで両側に排水溝、更にその両側にそれぞれ3メートルの歩道があって計10メートルの幅だ。中央部の4メートル幅の車道は、深さ約1メートル余りの4層に石、砂利、土等が敷き詰められた敷石舗装で、その表面はゆるい弓形で、雨水が溜らず排水溝に流れるようになっている。また、車道のすぐ外側に樹木を植えることが厳禁されているが、これは樹木の根が敷石舗装の底部を侵食するのを防ぐためだ。車道と歩道を区別したのは、馬や馬車を全速力で走らせるためで、道とは、可能な限り早く目的地に着くためのものと、ローマ人は考えていたからだ。すなわち歩道が無いと人が車道に入ってきて邪魔になる。そのような拘りはあちこちにあるとのことだ。
 トンネルについてはそれほど詳細には触れられていないが、作られている。紀元1世紀に作られたトンネルの写真(フラミニア街道沿いのフルロのトンネル)が掲載されているが、現在使われている道路の一部のようだ。橋についても、ローマ時代に作られた橋のうち300以上が2000年経った今でも使われている。建設の素晴らしさとメンテナンスの良さの表れだ。
 インフラのメンテナンスを重要視していた例として、修復整備工事を行った皇帝等への感謝を刻んだ石碑が多く残っているとのことだ。これらの道路、水道等もローマ帝国が衰亡して以降は、メンテナンスしようとする国家がないまま荒れ果ててしまった(トンネルや橋の一部は上述のように残っている)。インフラの整備にはメンテナンスの視点が必須というのが、ローマ人を賛美する塩野の熱い主張だ。
 なお、メンテナンスには、道路等のハードのメンテナンスの他、法制度等のソフトを環境変化に応じて修正することも含まれ、ローマ人は制度の修正にも柔軟であったらしい。
3) メンテナンスと保安の精神
 ローマ人以来のメンテナンスの重要性はさることながら、その後の産業技術の分野において進められてきた技術開発の方向は、長寿命化、省力化等を目指してのメンテナンスフリーないしメンテナンスの軽減であったと思う。特に消費者向け製品については、不良品を出さず、販売した後は手離れし、メンテナンスが不要ということを目指していた。この結果、例えば自動車という複雑な製品についても、我が家では妻のメンテナンスへの関心はもっぱら洗車のみという、メンテナンスフリーの状態で使われている。
 このようなメンテナンスフリーな消費者用製品の普及が、インフラについてもメンテナンスや保安の重要性に対する感覚を鈍くさせてきているのかも知れないと思う。私は、かつて役所に勤めていた時に、保安関係の業務に間接的に関与していたことがあった。30年ほど前に、役所の先輩が鉱山事故に関し新聞記者の質問に対し、(事故を防ぐための企業の保安担当者の心得は)「1に安全、2に安全、3、4が無くて5、6に安全という意識で、設備と現場を絶えず点検すること」と答えたとの記事を読んだが、非常に感銘を受けた。普通は5までだが、6もある所が凄い。
 インフラには不断のメンテナンスが必要というローマ人以来の知恵を、笹子トンネルの関係者は忘れてしまったのだろうか。コンクリート天井からボルトが取り付けてあるトンネル本体の上部まで5メートルもあるので、打音検査も足場を組むか移動機械を入れる等の必要があり、なかなか大変だと思う。しかし、それが面倒なので双眼鏡での目視に替えていたとしたら、経営者、技術者としてその罪万死に値すると思う。長さ23cmの細いボルトを垂直にねじ込んで支えているという条件は、私のような素人でも定期的な点検が必須だと判る(適正な点検があれば多分安心)。事業者は国の安全基準に適合していたと争うかも知れないが、こんなことは施設設置者の管理責任の範疇ではないか。わざわざ国の規制を強化するようなことではない。今後の事故原因の究明と関係者の適切な処罰が、再発防止のために必要と思う。(以上は現時点での報道に基づく私の感想である)

*1:私は「ローマ人の物語」を文庫本化され始めてしばらくしてから読み始めた。文庫本は廉価で、また通勤途上でも読みやすいという利点がある。それで第31巻(単行本の第11巻に相当)まで読んだが、その巻以降の文庫本の出版予定が未だ先ということに我慢できず、その時既に発売されていた単行本の第12巻から最終第15巻までを一括購入して読んだ。ついでに買った時の余談をいうと、アマゾンストアーに出店しているある書店から、(新刊本だが)値引きされている4巻を一括購入することとした。その際送料として(確か)340円の4冊分請求されるので不合理に思いつつも注文した。先方から来た注文確認メールに返信メールを出し、「送料が節約できないかと思って、貴社から4巻一括購入することとしたのに、4倍の送料を請求されるのですか?」と婉曲に不満を述べた。すると、先方は真面目に対応してくれ、送料を特別に値引いてくれた。ネットの世界は、このように手軽に人間的なコミュニケーションができると嬉しくなった。