格闘技の審判

 ロンドン・オリンピックが終了して1週間近く過ぎたのに、続けてまたオリンピックの話題なのは気が引けるが、1つだけ。格闘技(レスリング、ボクシング、柔道等)を見ていての審判の判定の難しさについてだ。男子柔道66㎏級の海老沼匡選手の準々決勝で(7月29日)、審判3人の当初の判定は相手の韓国選手の勝利だったが、ジュリー(審判委員)の指示で覆り、海老沼選手の勝利となった。これは多く報道されている。例えば次のコラム記事は、柔道の国際審判のレベルとジュリー制度の問題点を語っている。
http://london.yahoo.co.jp/news/detail?id=20120730-00000016-scn
 このジュリー制度は、2007年に導入され、未熟な審判を補い判定をより正確なものにするために、ビデオ機器の導入を考えて決められたものだったとのことだ。審判制度の欠点を補うために導入された制度がまた判定の信頼性を疑わせるものになっているのは皮肉だ。
 本稿では、1)格闘技における判定制度の由来、2)判定による勝敗の割合、3)審判の信頼性とジュリー制度、について感想を述べる。3)項では、原子力規制のあり方にも若干脱線する。
1) 格闘技の判定制度の由来
 オリンピック競技での格闘技は、ロンドンではレスリング、ボクシング、柔道、テコンドーだ。競技の特徴は、素手での1対1の闘いで、勝敗を決める基準の1つに「決め手」があることだ。「決め手」とは私が考えた用語だが、それまでの試合の状況に拘らず(如何に劣勢であろうと)、その状態になれば勝負が決まることだ。レスリングでは「フォール」、ボクシング、テコンドーでは「ノックアウト」、柔道では「1本」だ*1
 このような「決め手」による勝敗基準に拠っていては何時間経っても試合が終らないことが十分想定されるせいか、近代スポーツとしての各競技では、ポイント制が導入されている。試合の途中での両者の優勢の度合いなどを見て、審判などが両選手にポイントを付与し、「決め手」が無く一定時間が経過した場合、その合計ないし審判の優勢判定により、勝負が決まる。柔道の「技あり」、「有効」もやや複雑なポイント制の1つと考えられる。
 次項で説明するが、「決め手」によって勝負が決まる試合は非常に少なく、ポイントを争う闘いぶりは判り難く、我が家では退屈視されることが多い。
2) 判定による勝敗の割合
 ロンドン・オリンピックでの格闘技3種目(テコンドーは除く)、すなわちレスリング、ボクシング、柔道の「決め手」、「判定」による勝敗結果について少し調べたので紹介する。階級数が多いので、日本人がメダルを取った階級の中から例示する。JOC(日本オリンピック委員会)のHPは情報が少なく、Yahooのページもあるが(http://london.yahoo.co.jp/)、詳細はやはり公式HPだ(例えば柔道のページは、http://www.london2012.com/judo/schedule-and-results/day=28-july/index.html )。
a) レスリン
 伊調馨選手が金メダルを取った女子フリースタイル63kg級の2回戦以上(ベスト16)の19試合(敗者復活戦、3位決定戦を含む。以下、ボクシングを除き、同様)のうちフォール勝ちは1試合のみだ。その前の1回戦は、実力が相違する選手の試合があるせいか、4試合中3試合がフォール勝ち。
 米満達弘選手が金メダルを取った男子66kg級での2回戦以上(ベスト16)の19試合のうちフォール勝ちは1試合だ。1回戦は3試合中フォール勝ちは0。
b) ボクシング
 村田諒太選手が金メダルを取った男子ミドル75kg級の2回戦以降(ベスト16)の15試合(8月5日の弊ブログでも書いたように敗者復活戦等は無い)のうちノックアウト勝ちは0だ。1回戦(全11試合)ではノックアウトに準ずるレフェリーストップが1試合ある。
 余談だが、レスリングや次の柔道は、各階級の試合は1回戦から決勝戦まで1日で終っているが、ボクシングの場合、日を分けている。例えばこの男子ミドル級の場合、1回戦は7月28日、2回戦は8月2日、準々決勝は8月6日、準決勝は8月10日、決勝は8月10日だ。8月5日の弊ブログでも書いたように、ボクシングの選手の健康管理に配慮してのことだろう。
c) 柔道
 結論から言うと、1本勝ちは、相当にある。例えば松本薫選手が金メダルを取った女子57kg級では、2回戦以上(ベスト16)の19試合のうち「1本勝ち」は9試合ある。この他「技あり」が3、「有効」が4で、純粋な判定である「優勢」は2試合だ。1回戦は全8試合あり、内訳は1本勝ち3、技あり2、有効3、優勢0。
 男子では、上記の銅メダルの海老沼匡選手の男子66kg級の3回戦以上(ベスト16)の19試合のうち、「1本勝ち」は4試合、「技あり」は4、「有効」は8で、「優勢」は3試合だ。1回戦と2回戦は全20試合あり、内訳は1本勝ち12、技あり3、有効5、優勢0。
 そもそも柔道での「技あり」、「有効」は、ポイント制の1種であって客観的な指標とは言えず、審判の主観的判断に依存するものだ。更に「1本」も相当審判の主観に依存するものと思う。ごく綺麗な1本勝ちを除けば素人には判り難い。
d) まとめと余談
 このように、これら3競技では殆ど審判の主観的判定により勝敗が決し、ほぼ客観的に判断できる「決め手」であるフォール勝ちとノックアウト勝ちは稀だ。
 試合の流れもポイントを争う闘いぶりは、素人に判り難い。柔道はなかなか組まないし、レスリングは、相手の背中の上に跨って次に何をしたいのか判らない。
 話は変るが、勝負の基準からすると、日本の相撲は判りやすい。相手を倒すか、土俵の外に出すかが基準だから素人でも判るし、審判(行司)の判定もそれの有無だ。この勝負基準の簡明さから、相撲がグローバルな競技になる可能性は高いと思う。国内の相撲に外国人力士をリクルートするだけでなく、外国に広めたら人気が出て、オリンピック種目にもならないかと思う。
 しかし、相撲がグローバル化するには致命的な問題があって、それは立会いの不透明さだ。仕切りから何時立ち上がるのか、力士の呼吸が合った時か、時間が来たからか、不明だ。しかし、この、行司の神秘的な指示のもと呼吸を合せて立つことで、両力士間の間隔が適度に狭い組合いを開始できることが相撲のいい所だろうが、この立会いの呼吸をグローバル・スタンダード化することは困難だ。
 ボクシングやプロレスのように各コーナーからゴングが鳴ってから開始としたらグローバルな基準になるだろうが、そうなると現在のような組み合いは期待できず、全く別の競技になるだろう。
3) 審判の信頼性とジュリー制度の意義原子力規制の分野ではどうか
 ポイント制の格闘技は素人が見ていて面白くないし(我が家の問題か)、判定の判り難さも不満だが、私は止むを得ないと思っている。審判の主観的判定が殆どの場合に決定的役割を持っていることは、体操などの採点方式の競技と同様と考えればいいだろう。問題は、審判の判定の信頼性だ。
 冒頭で述べたように、柔道で、審判の誤審を無くすためにジュリー制度を設けたのに、益々審判への信頼を落したと、何か滑稽視されている。しかし、その時の審判の当初の判定(韓国の勝ち)には異論が多いようで、考えてみれば、ジュリーの存在意義を示した訳だ。ではジュリー制度導入で万全かと言えばそうとも言えない。ジュリーも神ではない。ある意味で審判の数が増えた訳で、「真なるもの甚だ多し」の悩みは常に付いて回る。
 福島原発事故の国会事故調の報告書で提唱された原子力に関する国会の監視機能の強化(弊ブログ id:oginos:20120709 )は、政府の原子力規制委員会(9月にスタート予定)が「審判」なら、新たな「ジュリー」制度の創設を提唱するものだろう。しかし、柔道の勝ち負けなら、ビデオを見ながらいろいろ現実的、実体的な議論ができる。一方、原子力規制委員会の議論は、既に起きた事故でさえ原子炉の中は未だ見えない、原発再開の是非については、専門家の間でも神学論争だ。国会の「ジュリー」は何をできるのだろうか。
 また、「ジュリー」制度は、民間の会社での監査役機能の強化や社外取締役の設置などのコーポレートガバナンスの仕組を連想させる。コーポレートガバナンス問題は、日本だけではない。米国では、2007年のサブプライム・ローン問題、2008年のリーマン・ショック、今年に入って英国ではLIBOR疑惑等々のスキャンダルが発生し、欧米式のコーポレートガバナンス概念への疑念をもたらした。監視機能の強化、審判員の増加等の対策で全て解決できるとの考えは幻想と思われる。
 私は、審判や監視制度に100%を期待するのは無理と思うべきと思う。国会事故調ではなく政府の事故調査委員会の委員長を務めた畑村洋太郎氏の著書「失敗学のすすめ」(講談社文庫、2005年4月1刷発行。単行本は2000年11月)を改めて読んだ。心を打たれたのは、「あとがき」にも「文庫版あとがき」にもあった、「人の営みを冷たく見る見方(失敗のマイナス面だけを批難する)からは何も生まれず、人の営みを暖かく見る見方だけが新しいものを生み、人間の文化を豊かにする」という言葉だ。
 審判は誤審する*2、ジュリーも最終的には信頼できない、原子力規制委員会も全能ではない、という前提に立って、絶えず安全を考えることが事故を防ぐ基本ではないかと思う。30年ほど前に、ある中央官庁の鉱山保安担当の課長が新聞のインタビューに応え、「(企業の保安担当者は何をすべきかとの問いに対し)1に安全、2に安全、3、4が無くて5に安全という気持で毎日点検すること」と答えたのを今でも覚えている。
 誤審防止のためのジュリー制度の創設は、暖かく見るべき「人の営み」だ。技術進歩によりビデオを直ぐ見れば9割以上の確度で多くの人が納得できる結論が得られる。柔道以外でも導入を検討する価値があると思う。ただ、神学論争ないしは形式主義に陥りやすい原子力の分野では、ジュリー制度を設けるにしてもその内容を更に検討すべきと思う。

*1:これに対し、例えば、フェンシングは、1対1の闘いであるが、素手でなく道具を使うので格闘技とは言わない。更に、スポーツとしての近代フェンシングは、突きによるポイント数の多寡を争うものであって、「決め手」というものは無い。

*2:ロンドンでも可能性として報道されたが、他に審判買収疑惑もあり得る。