真なるものは甚だ少なく

 通勤途上にある寺(東京都港区)の玄関に黒板があって、法語が1-2週間に1回ぐらいで更新されて掲げてある。今書かれているのは次であるが、何時もわだかまりを感じる。

真なるものははなはだ少なく、偽なるものははなはだ多い

 私の反発は、現代人の悩みは、真なるものがはなはだ多いことにあると思っているからだ。サンデル教授の正義論(id:oginos:20100927)を読んでも、正義ないし真実と主張されることはあまりにも多く、どの人もその主張を曲げようとしない。それなのに、この黒板を書いた人は、何と浮世離れしたことを、との気持だった。
 これには多分出典があるだろうから、それに当って、どのような意味か調べて見ようと思った。以下はその調査の概要である。出典は親鸞だったが、親鸞のこのメッセージの宛先は、私には予想外だった。
(法語カレンダー)
 出典自体は、グーグル検索で「真なるものははなはだ少なく」とすれば出てくる。例えば、浄土真宗本願寺派天真寺(千葉県松戸市)のホームページでは、次のように解説されている。

今月の言葉(法語カレンダーより)
・・・
「真なるものははなはだ少なく、偽なるものははなはだ多い」
今月の法語は、親鸞聖人の主著『教行信証』の「化身土巻」の文に示されます。
  真は「真理、さとり」をあらわし、偽に対する語です。自分中心のものさししか持たない私たちは、真が真と分からず、偽を真と思い込んで、苦しみ迷いながら人生を送っています。…
(http://www.tenshin.or.jp/jihou-word.html#04)

 先ず「法語カレンダー」だが、浄土真宗では、「真宗教団連合法語カレンダー」なるものを1973年以来発行しているらしい*1。無数の信者に接する末寺の僧侶にとっても便利だろうが、何よりも多くの信者にとって、一定レベルの質が確保された法話が聴ける訳で、カレンダーの役割は高いと思う。仏教界もそれなりに努力していると感心した。
(教行信証)
 原典は、親鸞教行信証と判ったが、どういうコンテクストで使われているのだろうか。浄土真宗の根本聖典とされる教行信証は有名だが、私は読んだことはない。ウェブで探しても読めるかと思ったが、この機会に実際の書物に触れておくのもいいかと、図書館から借りた(親鸞著、金子大栄校訂「教行信証岩波文庫、1957年)。
 先ずボリュームに圧倒される。文庫本だが、一番小さいポイントと思われる活字で447ページある。「教」、「行」、「信」、「証」、「真仏土」、「化身土」の6巻から構成される。前の4巻と「教行信証」のタイトルとは関係がありそうと容易に読み取れ、では後の2巻との関係は如何、となるが、私には説明できない。問題の法語が載っているとされる「化身土巻」は、123ページのボリュームだ。
 私の元来の意図に沿って、問題の法語の場所を探し始めた。内容はよく判らない。いろんな経典の引用が多くて理解できないし、仮に理解できても面白くなさそうだ。後で知ったが、梅原猛が難解な書と言ったらしい。それで、全123ページを眺めた後*2、出所は、最初の第2段落目にある次のくだりだと推測するに至った。

いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難(かた)く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋(しげ)し。
(「教行信証」化身土巻、第2段落)

 「真」「偽」だけでなく、「実」「虚」もあり、言い回しも「少なく」ではなく「難く」とやや異なるが、まあほぼ同じ意味だろう。しかし、「九十五種の邪道」とか「半満・権実の法門」とか、よく意味が判らない。
 浄土真宗の現在の教派が立派だと思うのは、これらの解釈をウェブに掲載していることだ(他の宗派もそうかも知れないが)。例えば、平野修氏の『教行信証化身土巻』講義というのがウェブにある。これは大部で、例えば「九十五種の邪道」だけで、1500字余の解説が載っている*3。その中に、上記のくだりに関してびっくりする解説がある。私なりに簡単にして、紹介すると、

九十五種の邪道・外道(仏教以外)から、半満権実(仏教のこと)に入っても、真、実は少なく、邪道にいた以上に虚偽になると(親鸞が述べている)いうのは、いったいどういうことなのか。

 平野氏いわく「仏道に帰して虚偽になるという理由はここでは触れられていないが、「観経」十九願の意義を問うことでそれが明らかになっていく」という、全く理解できない解説だ。
(感想)
 以上だけの話で感想を述べるのは汗顔ものだが、親鸞のメッセージの相手方は、一般信者だけでなく、仏教界一般すなわち既存宗派にあったのだろうと思う。同じ仏教の他宗派を全て虚偽として、自分が創設した宗派のみを真とする(それで「真宗」と名付けたのかも知れない)排他的な主張だったのではないか。
 私には、仏教の各宗派の違い、真偽の判断はできないし、他の宗教との優劣も判断できない。冒頭に述べたように、真実の多さに悩む、縁無き一衆生である。
以上
 

*1:http://www.shin.gr.jp/activity/publish/calendar.html

*2:全く理解しようとしていないから、これは通読とも言えない。

*3:http://www.icho.gr.jp/bunko/kesin/kesin08.htm 11.九十五種の邪道