新天皇のお言葉

 5月1日の即位の儀式で新天皇のお言葉を聞いた。私の関心は、安倍政権下で改憲論議が高まる中、護憲の意志をどう表現されるのだろうかということだった。聞いて驚いた。「憲法を遵守する」ではなく、「憲法にのっとり」だ。以下、30年前の前天皇のお言葉(以下「30年前」と略す)と比較しつつ、私なりに分析する。その後退位、即位の儀式を見ていての感想を述べる。

 

1) お言葉について

a) この節の最後に引用するように、30年前は「日本国憲法を守り」なのに対し、「憲法にのっとり」だ。30年前の「守り」と10数字後の「ことを誓い」との関係が不明だが、解釈は2つしかない。「守る…ことを誓い」か、「守り」と「誓い」が並列かだ。何れにしても「日本国憲法を守る」と明言されている。

b) 30年前は「日本国憲法」なのに、今回は「憲法」と一般化している。日本国憲法への思い入れは乏しそうだ。

c) お言葉の該当部分を拡げると、「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、」だ。憲法を守るとは言われていないともに、「憲法にのっとり」は、「象徴としての責務を果たす」の修飾句でしかない。

d) 少し細かいが、天皇としての責務が、「象徴としての責務」と限定しているが、30年前は「日本国憲法に従った責務」とやや広かった。

e) 別のポイントだが、新しい表現として、「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」が加わった。これについては後でも触れるが、歴代天皇にもいろいろな人がいただろう。保守的視点に過ぎるのではなかろうか。

 改憲論議が盛んな中で、お言葉の中での表現も、30年前は(大きな)問題にならなかったことが現在では相当の政治的意味を持つことになった。憲法を守ると言うと、政治的発言になるのだろうか。

(余談、国家公務員の宣誓書)

 国家公務員は、宣誓書を提出し、日本国憲法の遵守を誓うこととされている。*1 これは政治的発言とはみなされない。

(参考、天皇の即位時のお言葉)

即位後朝見の儀天皇陛下のおことば(2019年5月1日)

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。

この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い御み心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽さんに励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。

(宮内庁HP http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/47#156)

 

1989年1月9日の先帝の即位の際のおことば

大行天皇崩御は,誠に哀痛の極みでありますが,日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより,ここに,皇位を継承しました。

深い悲しみのうちにあって,身に負った大任を思い,心自ら粛然たるを覚えます。

顧みれば,大行天皇には,御在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され,激動の時代にあって,常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ,今日,我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し,平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。

ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません。

(宮内庁HP http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h01e.html#D0109)

 

 2) お言葉の背景の推測

 新天皇改憲派だとは思わない。先帝のなさりようを見て尊敬されていれば憲法を維持することが皇室存続のベースだと考えられると思う。即位前に安倍首相が時の皇太子に面会するため何回か東宮御所を訪問したと報道されていて、それは元号の案を内々に相談に行ったのだろうと見られていた。しかし、今にして思うと、このお言葉の護憲のくだりの表現の折衝だったのではなかろうかと想像する。

 安倍首相は「護憲」につながりそうな表現を一切消したかったのだろう。以下、誠に不敬だが、そのための取引材料を夢想する。第1は、新元号に首相の名の「安」を入れたものにしたかったが、宮中から難色が示されたので、(報道によると)急遽3月になって新しい元号案を検討させた。第2は、愛子天皇を実現するため皇室典範の改正を検討することを取引材料として提案する。

 しかし、これらは何れもレベルが低い。安倍首相も新天皇もこのような殆ど個人的なことで心を動かされないと思う。第3でもっと不敬な考えだが、雅子新皇后の公務への不適合とそれへのバッシングへの恐れではなかったろうか。首相も馬鹿ではない。直接的な脅迫はしない。例えば、仮に皇后の不適合が生じても、バッシングはあらゆる手段で抑える、皇后の公務もできるだけ廃止する、などはどうだろう。結婚の時、全力で雅子さまを護るとコミットされた新天皇としては真に心動かされる提案ではなかったろうか。

 「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」の文言も、新しいことをしようとする考えへの止めとして入れられたのではなかろうか。

 以上はあくまで私の夢想である。

 ただ、私が不思議なのは、1)で述べたお言葉への私の疑問点は、誰でも容易に気づくことなのに、新聞やネットでは今の所、誰も問題にしてないように見えることだ。忖度論や謀略論を信じたくもなる。

 

3) その他の感想

(退位の式典) 

 最近はやりの生前葬を連想した。式典での挨拶が続くことはなかったが、世のマスコミ、ネットは賛美に溢れ、生前葬もどきだ。ちなみに、私は自分の生前葬は断固拒否する。

(日本人は元号が好き)

 令和には異論も少なくないようだが、それを無視するように、改元騒ぎが盛り上がったのにはちょっと驚いた。「平成最後」と「令和最初」が溢れ、ハロウィーンを思わせるような騒ぎもあった。

 余談だが、「令」の字はバランスが取りにくい、書くのもそうだが、見ていても落ち着かない時がある。変った字だと思う。

(式典が無言)

 式典が無言(天皇と首相の挨拶以外)で進むのに改めて感心した。MC(マスターオブセレモニー)がいなくても恙なく進む。参列者の予行練習が大変だったろうと思った。

*1: (宣誓書) 私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。