今週のお題「受験-大学院受験」

 受験というと、私は、中学、高校、大学、大学院と4回経験している。その中で思い出深いのは大学院の入学試験だ。以下、当時の1)主任教授の稚気溢れる恩情、2)受験勉強の失敗、3)試験問題の幸運について述べる。45年前の想い出だ。
(先生の恩情−前段)
 「大学院を受けたいのか。・・・ (改めて成績表らしきファイルを見てから) うん、なかなかファイトがあってよろしい。」
 大学4年生の夏前(試験は秋)に行われた、学科の進路相談の個人面接での主任教授のこの言葉に、私は当惑した。「就職は、大学院の試験の後でも多分心配ないから、頑張りなさい」とも激励された。君の成績では無理だと示唆された訳だが、先生の態度が明るくやさしいため、気がつかず、しかし、若干複雑な気持で、面接の部屋を出た。
(勉強の失敗)
 ともあれ、入学後あまり勉強していなかったのは事実で、実はその春頃から勉強を始めていた。試験科目は、確か、数学、物理、英語、独語。
独語は大学1-2年生以来だから改めて勉強しなければいけない。思いついて、実家にあった兄のマタイ受難曲(バッハ)のレコードとその歌詞(独語)を借りることとした。音楽鑑賞と試験勉強の一石二鳥だ。しかし、試験場で問題用紙を見て直ちに、この勉強法の過ちを覚った。マタイ受難曲に出てくるのはキリスト教の宗教用語ばかりだが、さすが工学部の大学院入試問題なのでそのような単語は全く出てこない。この科目は散々だった。
(試験問題の幸運)
 数学は、確か10問ほどから3問選択して解答する(物理も同じ)。総じて難しい問題ばかりで、手を付けられそうなのが辛うじて3問あった。しかし、手をつけたうちの1つが答が出ないというか、多分不注意での出題ミスだと思われた。本来はそれなら他の正しい問題に向かうべきだろうが、どれも自信がない。邪道だがその出題ミス(割に簡単なもの)というのを証明して解答とした。仮に正しい設問だったら、多分解けなかったろう。
 この出題ミスの証明が解答として認められれば、手応えありという感じでともかくも試験は終った。
(先生の恩情−後段)
 試験の終了後数日して、正式発表前の再度の個人面接が行われた*1。先生は、ニコニコしながら開口一番、「君は落ちていると思うかね、受かっていると思うかね。」
私は答えに窮した。不合格の学生にこんな質問はあろうか。
 思わず緩みそうになる頬を必死におさえながら私は迷った。合格と思っていたと言えば、可愛げが無いし、また、先生をがっかりさせないか。しかし、おもねて嘘を言うのも本当は先生に失礼だ。
試験の前は心配で、落ちた場合はどの会社へ行こうかなどと考えていました。・・・」
「よかったね。君、合格しているよ。」
 私の合格をこんなにも無邪気に祝福してくれたのは、この先生と親だけだったと思う。

*1:今ではこのような学科内学生だけへの非公式な内示と面談は許されないかも知れない。しかし当時は、不合格者には就職の相談、合格者には研究室の割振りという早めに始めたい手続きがあって、大学学生両者にとって有意義な面接だった。