観光客の哲学
本記事は、前回のブログ(id:oginos:20171206 「米国の戦後政治思想と日本の政治状況」)の追補である。
上記を脱稿して2か月近く経ってから、ベストセラーの東浩紀『観光客の哲学』*1を読んだ。
実は、この本が政治思想に深く関与しているとは知らなかった。題名から見て観光旅行のノウハウ本ないし観光学の本だと勘違いしていた。ということではないが、彼一流の複雑なレトリックで、ポストモダン又はその後の哲学を論じたものと思っていた。東浩紀のややこしい哲学書を高額で買う気はしなかったので、図書館に予約していた。半年ぐらい待ってやっと読めた次第。
これを元原稿に§7(追補)として加えた。加えた全原稿を添付ファイルとしたが、§7は短いので、以下に書き下す。
7 (追補) 観光客の哲学
本稿の政治思想と如何に関連が深いかについては、共通に論じられているテーマと学者、著書を挙げれば判る。『』は著書名。もちろんこれ以外の哲学者も多く論じられている。
「リベラリズム」 ジョン・ロールズ 『正義論』
「リバタリアニズム」 ロバート・ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア』
「コミュニタリアニズム」 マイケル・サンデル 『リベラリズムと正義の限界』
「公的自由」 ハンナ・アーレント 『人間の条件』
「マルチチュード」、「帝国」 アントニオ・ネグリとマイケル・ハート 『帝国』
「リベラル・アイロニスト」 リチャード・ローティ 『偶然性・アイロニー・連帯』
東は、それぞれについて2-3ペ−ジ以上かつ複数個所で紹介し、順次、ほぼ否定していく。例えば、ジョン・ロールズのリベラリズムについては、1970年代に、コミュニタリアニズム(後述の二層構造ではナショナリズムにつながる)とリバタリアニズム(二層構造ではグローバリズムにつながる)とに引き継がれたとされる。今ではリベラリズムは、理想主義、普遍主義として、顧みられない。これは私としてはややショックで、本当かと思う。
詳細は省略するが、東は、現代社会は「二層構造」の世界だと見る。判りにくい概念だが、私なりに表に整理してみた。
(右は私の仮称) | (A層) | (B層) |
---|---|---|
ナショナリズム | グローバリズム | |
政治 | 経済 | |
公共 | 私的 | |
人間として生きる | 動物として生きる | |
コミュニタリアニズム | リバタリアニズム | |
国民国家 | 帝国 | |
主要な権力の質 | 規律訓練 | 生権力 |
抵抗運動の主体 | 固定した党組織等 | マルチチュード*2 |
旧ネットワーク | ツリー(枝分かれ状) | リゾーム(網状) |
新ネットワーク | スモールワールド性 | スケールフリー性 |
A層のナショナリズムの列は、20世紀(19世紀以前も)の哲学者、人文学者が、人間としての条件を目指していたものだ。国家から世界国家、世界市民の成立を期待した。しかし、その後のグローバリズムの進展は、経済、消費の世界の話(B層の動物の生き方)で、政治の世界では国境は依然として残っている。
「二層構造」の世界で、東が抵抗の主体として期待しているのが「観光客」だ。「観光客」とは、「動物の層から人間の層へつながる横断の回路を探るもの、すなわち、私的な生の実感を私的なまま公的な政治、公共と普遍とにつなげる存在の名称」だ。ネグリらの「マルチチュード」 *3の概念に近いとも見られる。ただ、ネグリらは、ネットの力で「連帯」すれば何とかなると考えているようだが、東はそれでは弱いと見る。
東はここで、数学的ネットワーク理論から、人間社会のネットワークの「スモールワールド性」と「スケールフリー性」という概念を導入する。「スモールワールド性」とは、ネットワークの「大きなクラスター係数」と「小さな平均距離」から、比較的小さな人間社会のつながりを示すモデルだ。「スケールフリー性」とは、ネットワークの各頂点の次数(その頂点に繋がる辺の数)が、小さいものから無限に大きいものまである(ロングテールと類似の概念)ことから、大きな格差の存在を示すモデルである*4。
すなわち、人間社会のネットワークには、コミュニティなどのつながりを表わすスモールワールド性(一対一の対等の関係。何故か国民国家に通ずる)とグローバルに大きな格差の存在を表わすスケールフリー性(帝国に通ずる)がある。20世紀の哲学者は、前者が人間本来のあり方で、後者は人間の条件が剥奪されていると考えた。しかし、本当は両者は一つの関係の二つの表現で、つねに同時に感覚される。
一つのネットワーク内の二つの秩序の中を若干不真面目にあちこち見て回る「観光客」は、「誤配」 *5も生じつつ、グローバリズムへの抵抗の主体となる。これが、「再誤配の戦略」、「観光客の原理」である。
私の感想としては、本当かと疑う。本自体は面白く読んだが、実践例が多く出てからナンボの理論ではなかろうか。また、私が懸念している、現代世界の多文化主義の行き詰まりと脱世俗化の動向に果たして対応できるのだろうか。更に、公正と自由との両立を目指すリベラリズムの挑戦は今後も続いていくと期待したい。
苅部ゼミレポート(追補版).docx
*1:東浩紀『観光客の哲学』(ゲンロン0、(株)ゲンロン、2017年4月)
*2:多数の市民やNGOからなる国境を越えたネットワーク状のゲリラ的な連帯
*3:グローバル社会における権力に対抗する勢力として、ネットを介してグローバルにつながる民衆(「4(2)帝国」の項参照)
*4:旧来の社会構造論の「ツリー」は上下の階層関係を表わし、「リゾーム(根茎)」は網目状の関係を示す。その形状から明らかなように別のネットワークを作成しなければならなかったが、ここでは同じネットワーク上で、2つの概念を論ずることができる。
*5:東の導入した概念。「誤配」とは、「郵便」の過程で生じ得るコミュニケーションの失敗。「郵便」とは、存在しえないものは端的に存在しないが、現実世界のさまざまな失敗の効果で存在しているように見えるし、まだそのかぎりで存在するかのような効果を及ぼすという、現実的な観察を指す言葉。