国会事故調報告書−特に全面撤退問題

 7月5日に、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(以下「国会事故調」の最終報告書が発表された。これで、福島原発事故については、政府事故調中間報告(2011年12月2日)、民間事故調(2012年2月27日)、東京電力(6月20日)に次いで4つの報告書が出された。ただ、政府事故調については、今月末に最終報告が出されることになっている。この4つの報告書の比較については、例えば日経新聞(7月6日)に出ている。
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20120706&c=DM1&ng=DGKDZO43436630W2A700C1M10600
 これを見ると「真なるもの甚だ多き」という既視感に襲われ、当惑する(弊ブログ「真なるもの甚だ少なく」id:oginos:20110410 参照)。民間事故調の報告書については、弊ブログ(id:oginos:20120326)でも若干のコメントを紹介した。
(国会事故調)
 今回の国会事故調は、日本の憲政史上初めて政府からも事業者からも独立したものとして、衆参両院において全会一致で議決されて作られた。この国会主導での事故調査委員会の設置の必要性は、後に委員長となる黒川清氏が昨2011年に提議していたものが実現したという。黒川委員長は、米国でのスリーマイル島原発事故、2001年の米国多発テロ事件等において、米国議会が外部専門家による調査委員会を設置したことを踏まえ、日本でも政府から独立して議会が調査した結果を示さないと、世界は日本のガバナビリティを信頼しないという観点だ。
 また私は知らなかったが、黒川委員長は、今までユニークな立場で意見を言ってきた人だということをあるコラムで読み、内心この報告書を期待していた。
 今回の国会事故調の報告書については、報告書をウェブからダウンロードして一部をざっと読んだ。また、黒川清委員長の日本記者クラブでの7月6日の記者会見(7月5日の委員会後の記者会見とは別)をYoutube(http://www.youtube.com/watch?v=X8igI20rl0s)で見た。
 報道では、今回事故を人災と断じたことや、「規制の虜(とりこ)」との語も有名になった。読んで見ると、官邸と東電との間、東電本社と原発サイトとの間の詳細な遣り取りも面白かった。しかし、やや情緒的な表現や極めつけなども見られ、少し違和感を感じた。
 特に違和感を感じた「全面撤退」問題について感想を述べる。
(「全面撤退」問題)
 「全面撤退」問題とは、3月14日深夜から15日未明にかけて、東電清水社長から、海江田経産大臣や枝野官房長官に電話があり、発電所から職員を全面撤退させたいとの要望が出されたとの件についての東電と官邸との食い違いである。官邸は、深夜の社長からの電話であることもあり、全面撤退との明示的な言葉は無かったが全面撤退だと理解したとし、東電側は、全面撤退は社内では考えていなかったし、清水社長もそうは言っていなかったとの主張の食違いだ。
 国会事故調報告書は、全面撤退は官邸の誤解と決めつけ、一方誤解の原因は清水社長の曖昧な態度だったとしている。

国会事故調報告書「要約版」p.33
1)発電所の現場は全面退避を一切考えていなかったこと、
2)東電本店においても退避基準の検討は進められていたが、全面退避が決定された形跡はなく、清水社長が官邸に呼ばれる前に確定した退避計画もまた緊急対応メンバーを残して退避するといった内容であったこと、
3)当時、清水社長から連絡を受けた保安院長は全面退避の相談とは受け止めなかったこと、
4)テレビ会議システムで繋がっていたオフサイトセンターにおいても全面退避が議論されているという認識がなかったこと
等から判断して、全面撤退は官邸の誤解であり、総理によって東電の全員撤退が阻止されたと理解することはできない。
しかしながら、官邸に誤解が生じた根本原因は、民間企業の経営者でありながら、自律性と責任感に乏しい上記のような特異な経営を続けてきた清水社長が、極めて重大な局面ですら、官邸の意向を探るかのような曖昧な連絡に終始した点に求められる。

(全面撤退を判断するのは誰か)
 私は、この官邸の誤解という極めつけはやや官邸には酷だと思う。引用にもある通り、発電所の現場が全面撤退を一切考えていなかったことを第1の理由にしているが、この考え方が基本的におかしい。全面撤退を決定するのは現場ではなく本社すなわちトップであるべきだと思うからだ。
 例えば、企業の海外支店や海外の事業現場で、その国の暴動や災害などの問題が生じて、その国からの撤退を検討しなければならなくなったとする。その場合、社員の撤退は現場判断ではなく本社が決定すべきだと言われていて、私は全くその通りだと思う。理由は大きく2つあって、第1は、現場より本社の方がより広い情報が入り総合的な判断がしやすい(現地の情報が全く入らない場合は違うかも知れない)。第2は、現場の人は駐在国との人的しがらみに捕われやすく、また興奮状態にあることが多く冷静な判断がしにくい状況にある。それに本社からの指令であると言えば、人的しがらみを越えて脱出しやすくなる場合もあろう。
 今回の東電の場合、14日の夜は2号機のベントがうまく行かず、圧力容器破損が危惧され、本社も現場も(官邸も)半ば絶望的な状況にあった(報告書にも詳細に触れてある。本編pp.271-276)。その中で、理由の2)にもあるように本社で退避基準の検討が進められていた(一部退避としても、残す人数は相当少ないこともあり得るとされていた)*1。本社ないし社長の問題意識は、十分可能性があった2号機爆発による社員の犠牲の可能性と爆発回避対策の継続について、どう対応すべきかであったろう。現場の状況は、本社と現場とを結ぶテレビ会議設備により、本社、社長には十分理解できていたはずだ。全面撤退をするとすれば、それは、本社が、社会(ないしそれを代表する官邸)への影響も含め総合的に考えて決定すべきことだったと思う。繰り返すが、現場が全面撤退を一切考えていないという事実は、全面撤退の可能性を否定するものではない。
(深夜の社長の電話の意味)
 本社の社長が深夜に官邸に電話してくるということは、東電として全面撤退ないしそれに準ずる撤退を考えているということで、その時点では誤解しようのない話だ。問題は、それを聞いた官邸がどう対応するかということだ。海江田大臣、枝野官房長官からの報告を聞いた菅首相が、撤退をあり得ないことと考え、それを阻止するため、朝4時頃に清水社長を官邸に呼び、5時半に東電本社に乗り込んだことは、1つの立派な判断だと思う。清水社長が官邸に呼ばれる前に決めた退避計画が全面撤退でなかったこと(理由の2)に上げられている)をもって、「総理によって東電の全員撤退が阻止されたと理解できない」と断言することはできないと思う。
 私は、菅首相の言動を全て支持している訳ではない。3月11日の発災の日の緊急事態宣言の発出の要請を海江田大臣から受けた際に細かい質問をして別の会議に行き、1時間以上宣言を遅らせたことを始めとして、適切でないことも多かったと思う。
(現場は常に正しかったか)
 国会事故調の報告書は、一般に東電、官邸、原子力安全・保安院原子力安全委員会等に厳しく、それは当然な面があるが、現場(福島の原発サイト)には割と優しい。官邸等から直接問合せが来たり、本社が官邸等の言いなりでの指示を流したり、私も極めて同情すべきとは思う。しかし、もう少し余裕があって配慮ができていたら違った面があったかも知れないと思う。
 例えば、東電と官邸との不信感の始まりは、3月11日から12日朝にかけてのベントの実施の遅れの理由が官邸に伝わっていなかったことにあると、報告書でも分析している。遅れの原因がベント弁の電源の喪失、設計図からの手順の作成等にあって作業として手間取っていることを本社に判りやすく(素人にも言える形で)伝えていたら、それが官邸にも伝わり、その後の展開はもう少し違っていた可能性があるのではないかと思う。

*1:7月6日の日本記者クラブでの記者会見の際に、ある記者から、「東電から提供された現場−本社間のビデオ会議の記録には、全面撤退関係の記録が除かれていたようだが、その内容は確認したか」との趣旨の興味深い質問があった。これに対し国会事故調事務局の宇田左近氏は、ビデオには一部音声が無かったことを認め、しかし電話記録などで確認したと答えたが十分な回答とは言えない。