アグラには実は最終日に行った。デリーの南方向約180kmに位置して近いし、同じムガル帝国の首都だったこともあるので、デリー編に次いで紹介する。タージ・マハルとアグラ城に行った。
1) タージ・マハル
前回の写真集(デリー編)でも紹介したように、亡き王妃(1631死亡)を偲んでムガル帝国第5代シャー・ジャハーン帝(在位1628-58)が建設した(1653年竣工と言われる)。建設後、これと対となる自分の廟も立てる予定だったが、息子(第6代アウラングゼーブ帝、在位1658-1707))に王位を追われ、次項のアグラ城に幽閉される身となった。そこでタージ・マハルを眺めつつ王妃を偲んで余生を過したとある(1666死亡)。
当日はデリーでは見られない霧が立ち込め、霧の中のタージ・マハルは、また一興だった。
タージ・マハルの中から望むヤムナー川の景色。ヤムナー川はガンジス川の支流で、デリーの東側からここまで流れており、この後ガンジス川本流に合流して遠く西のバングラデシュまで流れ、ベンガル湾に注ぐ。
2) アグラ城
ムガル帝国第3代アクバル帝によって1565年に建設された。アグラは1658年のデリー遷都まで約90年間ムガル帝国の首都だった。
アグラ城内でシャー・ジャハーン帝の寝殿だったカース・マハル。彼が王位を追われた後死ぬまで幽閉されていたムサンマン・ブルジは、左端に見えるドームの建物。
幽閉されていたシャー・ジャハーン帝に倣って、タージ・マハルを望むが霧のため見えない。
3) アグラ市
ガイドによれば人口200万人とのこと(Wikipediaによれば157万)。次の動画にあるように、道路は混雑し、うるさい。インドの町は全てうるさい。
次の動画は、ガイドが案内してくれた象眼細工の作業場。タージ・マハルの外壁を飾る象眼細工を伝える伝統の技術だとのこと。予想していたように、この作業場に続いて工芸品の売店があり、止むを得ず安価なものを買った。http://d.hatena.ne.jp/oginos/files/%E8%B1%A1%E7%9C%BC%E7%B4%B0%E5%B7%A5%E5%B7%A5%E5%A0%B4.MOV?d=.mov
4) アグラ街道(デリーから)
朝5時半にデリーを出発。街道の途中で霧が深くなり、その中での日の出だ。ガイドは、この辺り、この季節は霧が出ることがあるという。デリーとは気候が違うようだ。ここら辺りでは、その日の天気は挨拶の話題になるのだろうか。
180kmの街道の両側は何も無いインドの平原が続く。その中で、2011年から開催されているというインドF1グランプリの会場、ブッダ・インターナショナル・サーキットが街道沿いに見えた(デリーに近い辺り)。2013年は10月に開催され、日本でも放映された。