東北復興を撫でる

 「群盲象を撫でる」という言葉がある。凡人が大事業や大人物を評しても、単にその一部分にとどまって全体を見渡せないことだ(広辞苑)。本記事のタイトルはこれをもじり、「1人の愚盲、東北復興を撫でる」を省略したもの。差別用語と言われる「盲」がタイトルに表れて目立つのを避ける趣旨もあって短くした。たまたま1月末に仙台から釜石に観光旅行したのだが、それを機会に東日本大震災の復興に関する断片的な感想を述べる。
 旅装は、やかましく、汚れるキャリーバッグではなく、リュックサックだ。やや大きめのバッグなので、はた迷惑な場合があり、体の向きを変える場合は少し周りへの配慮が必要。これでは「矩を踰える」生き方に反するのではないかと言われそうだが、小さな「矩」は気にせず、「踰えない」ことにしている。以下、約9,000字と長いので、目次を付ける。正直言って、長く、余り面白くない。
1) 旅行の経緯 (友人慰問、JR東日本フリーパス、東北復興への視点)
2) 文献調査 (「ゴーストタウンから死者は出ない」、「復興<災害>」、「真の政治主導―復興大臣617日」、「東北被災路線の全貌と復興への道」)
3) 人口の推移 (宮城県岩手県)
4) ハードな復興事業 (ハコモノ復興、事前復興計画、防潮堤、生活再建支援)
5) 観光旅行で撫でる (南三陸さんさん商店街、気仙沼の「海の市」、奇跡の一本松、陸前高田駅、釜石港のガントリークレーン計画)


1) 仙台釜石旅行の経緯
 友人が昨年夏から仙台に赴任した。その慰問を兼ねて、他の友人2人を誘い、仙台に行った。1月29日から3日間、前半(1/29昼から1/30昼まで)は友人4人のパーティ、後半(1/30午後から1/31)は私1人だ。30日午後からの私の日程は、気仙沼から釜石に行って翌31日、新花巻経由で帰京するというもの。友人は最大3歳の年齢差の同輩で、私がたまたま最年長。
 何故こんな寒い季節にかというもっともな疑問が出ようが、大人の休日倶楽部(JR東日本)の「東日本フリーパス」の活用だ。これは、JR東日本管内の新幹線他の諸鉄道が4日間乗り放題で15,000円というもの。1年間に3回ほど適用期間があり、今回は1/21から2/2までの期間だ。このフリーパスを活用したいというケチな発想が動機*1。冬の東北の寒さに怯えて辞退した友人もいた。
 観光もさることながら、私には、東日本大震災の復興がどうなっているのか勉強したいとの思いがあった。震災後5年近くになっているが、観光地はともかく、宮城、岩手の被災地には行ったことが無い*2
 私の被災地に関する視点は主に2つある。第1は、「災害は変化を加速する」との言葉があるが、仙台は元気になったか、三陸などは衰退が加速しているのかとの関心だ。第2は、見上げるように高い防潮提の建設、被災地住民の高台集団移転など、長期間を要し、議論の多いハードな復興事業が順調かということだ。
 2泊3日の遊びがてらの日程では、現地の詳細視察、当局等へのヒヤリングなどは、当初から考えていない。調査手法は、もっぱら文献調査とウェブ情報だ。また、原発事故が絡んで異次元の問題がある福島は行かないし、対象としない。

2) 文献調査
 文献調査と書いたが、大したことではない。1月になってから、Amazonを調べ、財布と頭の容量を考慮しつつ、次を買った。最初からブログの材料を目指しているので、キンドル版ではなく、書込みが容易なリアルな本を注文した*3。各本とも福島関係部分は飛ばし読み。
〇 小熊英二編著 「ゴーストタウンから死者は出ない: 東北復興の経路依存」 (人文書院 、2015/6/29発行)
 タイトルの趣旨は、防潮堤や集団移転のための区画整理等の事業は、合意形成と工事に長期間を要し、完成しても、被災地域や新地域はゴーストタウン化してしまうとの指摘だ。副題にある「経路依存」とは、「過去の制度や政策決定が硬直化し、状況の変化に不適合になっているにもかかわらず、柔軟な対応ができていない状態を指す。手続きに遺漏はないが、本来の目的を忘れているという意味で、「手術は成功したが患者は死んだ」という状態」である。「個々の担い手は善意でも、結果は悲劇的となる」は著者の言。
〇 塩崎賢明 「復興<災害>―阪神・淡路大震災と東日本大震災(岩波新書、2014/4発行)
 タイトルが「災害復興」ではなく、「復興‹災害›」だ。復興事業により2次的に生起する災害を論じている。本文中では単に「復興災害」だが、タイトル中の‹›は、誤読を避けるための強調だろう。
〇 根本匠 「真の政治主導―復興大臣617日」 (中央公論事業出版、2015/2発行)
 復興政策推進者の立場もフォローしたいと思って購入したが、頑張りましたという話の羅列だ。発災時の民主党政権の対応への悪口が多いのも気にかかる。
〇 「甦る! 被災鉄道 〜東北被災路線の全貌と復興への道」 (洋泉社MOOK、2011/12発行)
 三陸等の鉄道の被災写真のグラビア集。改めて凄かったと思う。
〇 柳田国男遠野物語 (原本は1910年だが、その復刻キンドル版)
 計画の当初、震災とは関係ないが、釜石から新花巻への釜石線の途中の「遠野」に宿泊しようかと思って、買った。しかし、天気予報で遠野を見ると、最低気温が低く、零下7-8度というのが普通に出てくる。最高気温も1-2度というのが通常だ。余りの寒さに怯え、列車の時間も不便なので、少なくとも宿泊はしないことに変更。釜石線は31日昼に乗車し、遠野には1時間途中停車して、「とおの物語の館」などを見た。まあまあ面白かったが、特にここで紹介することは無い。当日の最高気温が0度で寒かった。

3) 人口の推移
 「変化を加速」の検証のため、県別人口の推移を見る。震災前の趨勢を、5年ごとに行われている国勢調査の変化率で見よう。
〇 国勢調査による5年ごとの人口増減率(年率)

地域 1995-2000年 2000-05年 2005-10年 2010年人口
全国 0.21% 0.13% 0.05% 128,057千人
岩手県 -0.05 -0.44 -0.81 1,330
宮城県 0.31 -0.04 -0.10 2,348

(出所) 国立社会保障・人口問題研究所 表12-3都道府県別年平均人口増加率 http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2015.asp?fname=T12-03.htm 
 宮城県も2000年以降減少しているが、微小であり、これに対し岩手県の減少率は大きい。
 震災以降は、2015年の国勢調査は未発表で、総務省統計局が各年の人口推計を公表している。最新のものは、2014年10月のもののようだ。
〇 最近の人口推計の人口増減率(各年10月)

地域 2010-11年 2011-12年 2012-13年 2013-14年 2014年人口
全国 -0.20% -0.22% -0.17% -0.17% 127,083千人
岩手県 -1.21 -0.83 -0.66 -0.78 1,284
宮城県 -0.91 -0.06 0.11 -0.00 2,328

(出所)総務省統計局・人口推計 http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2014np/pdf/gaiyou3.pdf  
 宮城県は震災直後こそ-0.91%の減少を見せたが、その後、全国的な人口減少傾向の中で、微減ないし微増を続け、健闘ないし発展していると認められる。これに対し岩手県は人口減少の継続が続いている。人口増減だけで県の盛衰を論ずるのは不適当かも知れないが、「変化を加速」仮説の実証例の1つと考える。私は、岩手県の今後の推移を危ぶんでいる。後で(5節の最後)、私が現地で見た、明るい材料も紹介する。

4) ハードな復興事業
(ハード事業)
 小熊著、塩崎著で批判されているのが、ハコモノ(ハードな)復興事業に偏っている状況だ。ハード事業とは、市街地再開発事業土地区画整理事業、集団移転促進事業、津波防護施設整備事業、住宅整備事業、その他公共施設、インフラの復旧・整備事業である。著者たちは、これらよりも被災者の生活再建を重視すべきとの主張だ(後述)。
 ハード事業の問題点は、再開発、区画整理、集団移転の何れにも地権者(住民)のコンセンサスが必要で、それに長期間を要することだ。避難者数は、発災直後の47万人から約18万人(2015/12段階)に減少したがまだ多い。これらの避難者は現在、原則的に仮設住宅に暮しているが、最終的には、大きく分けて、自力再建、災害(復興)公営住宅(賃貸)に落ち着くことが目標とされる。自力再建の場合、元の宅地は被災して危険区域となって住めない、再開発、区画整理、集団移転等の事業が終るまで建設着工すらできないという実態がある。
 復興庁の資料*4 によれば、災害公営住宅は、2015年度中に計画の95%、28,570戸が着手し、16年1月段階で59%の13,852戸が完成とのことで、まだ仮設住宅住まいが続く人は多い。自主再建等の住宅用地としての、集団移転、区画整理事業の進捗は、2015年度に着工が計画の99%、401地区で、完成が16年1月で30%の6,041戸分だ。被災後ほぼ5年間経過した時点で、この進捗率を遅いとみるか、早いとみるか。早いとは言いにくいが、私は、集団移転、区画整理の着工が99%というのが、もし関係者の合意を得た後のものとすれば、早いと思う。
 復興事業が完了したからといって結果オーライではない。阪神大震災の復興で有名になった神戸市長田区の区画整理事業(新長田駅南地区再開発事業)*5の失敗が紹介されている。完成後もビルの中がシャッター街になっているというのが驚きだ。

(事前復興計画)
 若干余談だが、区画整理等の復興事業は、計画作成や住民間のコンセンサス形成に長期間を要するということで、事前復興計画を作成しておくのが望ましいとの議論がある。たまたま、1月17日のNHKテレビ朝7時のニュースで、事前復興の話をレポートしていた。http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2016/01/0117.html 
 阪神大震災で、神戸市長田区御蔵地区は、住民の合意が思うようにいかず、区画整理に10年かかった。これに対し、同市長田区野田北部地区は、震災の2年前から「まちづくり協議会」が作られており、震災後直ぐに活動を始め、区画整理は6年で終了した。この教訓(それでも6年かかっている)を踏まえて、「事前復興」の重要性が指摘されているとのことだ。具体的に、東京都葛飾区の堀切地区で、中心を通る道路の拡幅が話し合われているとのことだ。
 この事前復興計画というのは、道が狭いなど防災上の観点からも危険で、区画整理や再開発が望まれる地区について、平時では、住民の同意と現存建物の取壊し、住民の一時的引越しなど煩雑だ。大災害になればその地区の建物が全て壊れるから、再開発事業の開始が容易になる。しかし、それにしても新たな再開発計画の策定と住民の合意が必要で、災害後に始めると時間が掛かる。事前に復興計画を作り住民の同意を得ておけば、災害後速やかに復興できる。仮設住宅暮しも最低限の期間ですむ。昔から一部の識者が主張していたアイデアだ。
 しかし、事前復興計画を作る人達に疑問は無いのだろうか。立派な計画ができても、その実現は大災害を待たなければいけない。災害対策のために、大災害の到来を期待するというのは矛盾だ。都市計画サイドの学者、行政官には関東大震災(1923年)後の東京復興の成功体験(墨田区等の東京東部)から抜け出せないのではないだろうか。現代において、事前復興計画など、一部の幸運なケースを除いて、うまく行くとは思えない。

(防潮堤)
 閑話休題。今回の津波被害による復興の中で、最大の問題が防潮堤である。上記の復興庁の資料には触れられていず、より長い資料*6にも防潮堤としての記述は無い。「海岸対策」事業の中に含まれているのかと思う。海岸対策事業の進捗状況は、2015年9月段階で、着工73%、完了17%と遅い。復興庁のHPに防潮堤が無いのはおかしいと思い、HPの中で検索をかけると、各市町村の事業のURLへのリンクしか出てこなかった。
 防潮堤を巡る問題は、私の理解では次の通り。
a) 大津波による被災が甚大だったため、100年程度に1回の津波に耐えられるものとするとの方針が出された。
b) そのため、堤を高くすることに加え、丈夫さの点から断面を台形とした。このため、防潮堤の用地が著しく広くなった(集落によっては居住地面積の20-30%が防潮堤用地となった)。
c) 海岸沿いの景観、住宅からの景観が著しく悪化する、また、漁業では生業に差し障る場合がある、ことが予想された。
d) 津波を避けるための高台での宅地開発、高台への移転が推奨されたが、それと防潮堤で守られた低地での居住の必要性とが整合性をもって説明されにくかった。
e) 膨大な公共投資額となるため、その資金をもっと有効に使うべきではないかとの議論も出た。
f) 以上の点から反対論が出ても、人命を守るためとの大義名分を行政側からかざされると反対の主張を通しにくくなる。
 後述の観光旅行の中で、多くの防潮堤工事現場を見た。週末のこともあり、工事は休みだったが、折からの雪をかぶり、小山のように見えた。c)の問題もあってか、海岸沿いだけでなく、やや陸に入ったところ(計画を変更したのか)にもあった。街中ないし眼前に高く聳えている場所は、確かに若干異様な眺めだ。

(生活再建支援)
 本項の始めに述べたように、ハード事業よりも被災者の生活再建が重要という主張に関する論点の基本は、公金を個人資産の形成のために支出することの是非だ。かねて政府は、憲法上の問題(?)があってできないという立場であったが、阪神大震災(1995年)の後、1998年に被災者生活再建支援法が成立したこと等により、若干修正されている。すなわち、全壊した住宅の再建に対し、最大で300万円の支援金が交付される。他の義援金などによる支給を含めて最大1000万円程度になる場合もあるとされているが、住宅再建にはまだ不十分な額である。ハード事業に支出するよりも、また長期間を要する区画整理、集団移転を行うよりも、相当な額を被災者に直接金銭交付した方が(当人の希望によるが)、早く、かつ仮設住宅→災害公営住宅の流れよりも低額な公金支出ですむ筈だという。
 小熊、塩崎らの主張はもっともと思われるが、では被災者間で公平にどう配分したらいいかというのが、よく判らない。無制限に出す訳にもいかないだろう。また、塩崎の言う、「阪神大震災の際の住宅復興のプロセスは単線型で硬直的、東日本大震災の住宅復興は付け焼刃式で多数のメニューを用意するという混線型で混乱した、これからは判りやすい複線型のプログラムを用意すべき」との主張は興味深いが、詳しい説明は省略する。

5) 観光旅行で撫でる
 復興地を旅行すると言っても、a)実質1泊2日の短期間、b)場所は仙台から釜石まで、c)私の隠れた目的を知らない*7友人との観光旅行で、大したことが見られた訳ではない(ただし、30日午後からは解散し、私の単独行動)。以下、復興地を盲の手で撫でたオブザーベーション。
 一般的なこととして、防潮堤の工事が陸に入ったところでも相当あることにびっくり。タクシーの運転手(釜石)の話では、高台の宅地の工事が進まず、災害公営住宅の建設もあと2-3年かかるということで、やるせなく感じている気持ちを感じた。

〇 南三陸さんさん商店街
 1/30の朝、折からの雪の中、仙台の友人の車で同氏邸を出発した(4人のパーティ)。途中、宮城県三陸志津川地区の「南三陸さんさん商店街」の案内看板を見つけたが、幹線道路から少し離れていて苦労して辿りついた。http://www.sansan-minamisanriku.com/about-us/ 
 ここは有名な仮説商店街で、2012年7月に開設、地元の事業者32店が並ぶ。3分の2以上が食堂(復興工事作業員向けかと勝手に推測)。皆さん頑張っているが、客はそこそこという印象だ。復興への協力とも思い、若干のお土産を買った。

〇 気仙沼の「海の市」
 4人パーティの解散場所である気仙沼(宮城県最北)での食事の場所を探した。私が糖尿病、別に牡蠣アレルギーの人がいて、ふかひれラーメン、鮨、牡蠣という気仙沼の3大外食が食えない。ガイドブックの中からそれ以外の食事もありそうな場所を探し、電話番号で友人のカーナビの目的地に設定した。所が、友人曰く、震災前に買った車なので、カーナビの地図が正しいか判らないとのことだ。確かに、それまでのドライブ途上でも、工事中の道路は通れず、復興道路はカーナビには出ていない。すなわち、カーナビ画面の道路を外れたところを通っていることが多かった。
 カーナビに設定した後、ガイドブックに出ていた電話番号に電話した。震災前のカーナビなので場所が正しいか不安だと聞いたら、返事が振っていた。場所は正しいが、道が違っている。では、近くまで行って判らなかったら電話するということになった。
 目的地は気仙沼「海の市」というところだったが、スマホで調べたら事情が分かった。「海の市」とは観光施設(シャークミュージアムもある)で、震災で被災したが、全面復旧を行い、2014年7月にグランド(再)オープンしたとのこと。http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/ks-tihouken-e/uminoichi-go.html 
 全面復旧だから場所が変らなかったが、周りはまだ防潮堤工事などの工事が行われていて、道路はその都度変っている。この建物は3-4階建てで、幸い遠くからも判り、電話で道を聞く必要もなく辿りつけた。
 復興地では、カーナビへの信頼の仕方にノウハウが必要だ。

〇 奇跡の一本松

 気仙沼(宮城県最北端)から釜石(岩手県)へは、JR大船渡線(BRT)で盛(さかり、岩手県大船渡市)に行き、三陸鉄道(三セク)南リアス線(鉄道)に乗り換える。大船渡線は震災で被災し、不通だったが、2013年3月からBRT(Bus Rapid Transit)で運行している。BRTとは要するにバスだ。線路敷き跡をバス専用線として利用するというイメージだったが、大船渡線は割に一般道路を走っている区間が多かった。
 ところで、途中に「奇跡の一本松」という駅が新設されていて、興味深いので途中下車した。それでその一本松まで歩いたが、驚いた。
a) 駅(というかバス停)から歩いて15分以上もかかる。これは次のことのためで、暫定的なものだと思う。諸工事が完成すれば時間は半分近くになるのではないか。ただし何時完成するか判らない。
b) 歩く通路が、防潮堤等の工事地域の中を通っていて、狭く曲がりくねっていて、かつ周りの景色が、倒壊した構築物、工事中建築物等で最悪だ。
c) 傍で木をよく見ると保存剤、防腐剤等らしきものが穴から滲み出たりしていて、余り美しくない。後で説明するが、枝葉などは模造品だ。しかし、すっくと立った姿は見事だ。
 ということで、往復40分ぐらいかかったが、
季節のせいか、行きかう人には1人も出会わなかった。写真は、全体の姿と周りの風景。
 この奇跡の一本松には、有名な保存の是非論争があり、かねて薄々は聞いていたが、改めてwikiで読むとすごい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E4%B8%80%E6%9C%AC%E6%9D%BE 
 この松は、7万本の松林が津波でなぎ倒され壊滅した中で、ほぼ唯一、1本だけ立ったまま残ったということで一躍モニュメントになったものだ。震災後この木を保存する活動がいろいろ行われた。根を海水から守るため鉄板で囲うなどの工事が行われたが、2011年12月に断念され、枯死状態となり、防腐処理がされたが倒壊の恐れが出てきた。その後保存方法として、幹を5分割し、中心部をくり抜いて防腐処理し、金属製の心棒を通して元の場所に再設置する、枝葉部分は複製を作る、などが決定された。
 工事は2012年9月に開始され、翌13年6月に完成した。約1.5億円かかった。この時期での保存の功罪については、多くの被災者がまだ避難生活を送っている、復興事業も本格化していないなど、多くの異論が出されたらしい。結果、1.5億円に公金は充てられず、募金で賄われたとのことだ。
 私は、一般的に保存運動は好きではないが、この一本松については賛成だ。すっくと立った姿には感動する。反対も多く、大金を要したが、これを推進した人達に敬意を表する。周辺の各種工事が終了し、景観とアクセスが、1日も早くよくなることを期待する。

〇 陸前高田

 BRT大船渡線陸前高田駅にも40分間ほど途中下車した。陸前高田駅とは津波で市街地が壊滅したことで、その写真は有名だ。今はBRTの駅と公共建築物が幾つか建てられ、被災直後の面影はない。住宅地は高台で建設されているのか、よく判らなかった。真新しい公共建築物は建ったが、たまたま歩いている人たちも少なく、今後どうなっていくのだろうか。
 写真は、陸前高田駅と一般道を走るBRT。陸前高田駅のかまぼこ型駅舎の向う側に接してバスのホーム(乗り場)がある。

〇 釜石港のガントリークレーン計画
 釜石は、朝8時台にタクシーで一回りし(本当は釜石大観音という目的地があったが、9時開場で入れなかった)、散歩した印象だけで言うと、商店街の町並みは一応復興しているようでほっとした。防潮堤などの工事の個所は多い。
 興味を持ったのは、ホテルのロビーで無料配布していた「岩手日報」1月31日の1面左トップの記事だ*8。「釜石港に大型クレーン」との見出しで、岩手県の2016年度予算案に、ガントリークレーンを県の港湾として初めて設置するとある。16年度の整備費予算は約10億円。ガントリークレーンとは、港湾でのコンテナーの積み下ろし作業に使う大型クレーンで、従来クレーンの3-4倍の能力がある。
 注目すべきは、釜石港のコンテナー貨物取扱量が2010年の119個から、2014年2662個、2015年4389個と急増していることだ*9
 本記事冒頭で述べた、「災害は変化を加速する」との視点からすれば、岩手県は衰退が加速される。コンテナー取扱量が増加という明るいニュースは、この仮説の反証か。それとも、復興関係公共事業の増大による一時的な取引量増大に過ぎないのか。
 前日30日は、釜石高校が選抜出場決定ということで、夕方のホテルのロビーには、岩手日報の号外が山積みされていた。釜石市民にとっては明るいニュースが続いた。
以上

*1:友人の1人は、1/30に気仙沼で解散した後、一関までドライブし、そこからJRで秋田に行って泊り、1/31は五能線(白神リゾート)に乗り、弘前新青森経由で帰京したとのこと。偉いな。フリーパスが擦り切れそうだ。

*2:福島の第1原発には、たまたまある仕事の関係で2014年1月に行ったことがある。

*3:キンドル版でもメモという形で書込みができるが、やや面倒だし、最近私のキンドル・リーダーは、著しくレスポンスが遅くなりイライラする。

*4:復興庁「震災からの復興に向けた道のりと見通し」(2016年1月版) http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/160119_mitinoritomitoshi.pdf 

*5:面積20万平米。総事業費2710億円で、44棟の再開発ビルを建設(2014/7現在で37棟完成)するという、阪神震災の再開発では最大のもの。

*6:復興の現状 http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/20160119_siryou1_hukkounogenjou.pdf

*7:下手にしゃべると、サービス精神あふれる友人の安全運転に支障が出る恐れがある。

*8:岩手日報のウェブ版は、https://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160131_2 ただ、リアルな紙面より記事量が少ない。

*9:2010年119個、2011年238個、2012年1763個、2013年2038個