新天皇のお言葉

 5月1日の即位の儀式で新天皇のお言葉を聞いた。私の関心は、安倍政権下で改憲論議が高まる中、護憲の意志をどう表現されるのだろうかということだった。聞いて驚いた。「憲法を遵守する」ではなく、「憲法にのっとり」だ。以下、30年前の前天皇のお言葉(以下「30年前」と略す)と比較しつつ、私なりに分析する。その後退位、即位の儀式を見ていての感想を述べる。

 

1) お言葉について

a) この節の最後に引用するように、30年前は「日本国憲法を守り」なのに対し、「憲法にのっとり」だ。30年前の「守り」と10数字後の「ことを誓い」との関係が不明だが、解釈は2つしかない。「守る…ことを誓い」か、「守り」と「誓い」が並列かだ。何れにしても「日本国憲法を守る」と明言されている。

b) 30年前は「日本国憲法」なのに、今回は「憲法」と一般化している。日本国憲法への思い入れは乏しそうだ。

c) お言葉の該当部分を拡げると、「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、」だ。憲法を守るとは言われていないともに、「憲法にのっとり」は、「象徴としての責務を果たす」の修飾句でしかない。

d) 少し細かいが、天皇としての責務が、「象徴としての責務」と限定しているが、30年前は「日本国憲法に従った責務」とやや広かった。

e) 別のポイントだが、新しい表現として、「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」が加わった。これについては後でも触れるが、歴代天皇にもいろいろな人がいただろう。保守的視点に過ぎるのではなかろうか。

 改憲論議が盛んな中で、お言葉の中での表現も、30年前は(大きな)問題にならなかったことが現在では相当の政治的意味を持つことになった。憲法を守ると言うと、政治的発言になるのだろうか。

(余談、国家公務員の宣誓書)

 国家公務員は、宣誓書を提出し、日本国憲法の遵守を誓うこととされている。*1 これは政治的発言とはみなされない。

(参考、天皇の即位時のお言葉)

即位後朝見の儀天皇陛下のおことば(2019年5月1日)

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。

この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い御み心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽さんに励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。

(宮内庁HP http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/47#156)

 

1989年1月9日の先帝の即位の際のおことば

大行天皇崩御は,誠に哀痛の極みでありますが,日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより,ここに,皇位を継承しました。

深い悲しみのうちにあって,身に負った大任を思い,心自ら粛然たるを覚えます。

顧みれば,大行天皇には,御在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され,激動の時代にあって,常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ,今日,我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し,平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。

ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません。

(宮内庁HP http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h01e.html#D0109)

 

 2) お言葉の背景の推測

 新天皇改憲派だとは思わない。先帝のなさりようを見て尊敬されていれば憲法を維持することが皇室存続のベースだと考えられると思う。即位前に安倍首相が時の皇太子に面会するため何回か東宮御所を訪問したと報道されていて、それは元号の案を内々に相談に行ったのだろうと見られていた。しかし、今にして思うと、このお言葉の護憲のくだりの表現の折衝だったのではなかろうかと想像する。

 安倍首相は「護憲」につながりそうな表現を一切消したかったのだろう。以下、誠に不敬だが、そのための取引材料を夢想する。第1は、新元号に首相の名の「安」を入れたものにしたかったが、宮中から難色が示されたので、(報道によると)急遽3月になって新しい元号案を検討させた。第2は、愛子天皇を実現するため皇室典範の改正を検討することを取引材料として提案する。

 しかし、これらは何れもレベルが低い。安倍首相も新天皇もこのような殆ど個人的なことで心を動かされないと思う。第3でもっと不敬な考えだが、雅子新皇后の公務への不適合とそれへのバッシングへの恐れではなかったろうか。首相も馬鹿ではない。直接的な脅迫はしない。例えば、仮に皇后の不適合が生じても、バッシングはあらゆる手段で抑える、皇后の公務もできるだけ廃止する、などはどうだろう。結婚の時、全力で雅子さまを護るとコミットされた新天皇としては真に心動かされる提案ではなかったろうか。

 「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」の文言も、新しいことをしようとする考えへの止めとして入れられたのではなかろうか。

 以上はあくまで私の夢想である。

 ただ、私が不思議なのは、1)で述べたお言葉への私の疑問点は、誰でも容易に気づくことなのに、新聞やネットでは今の所、誰も問題にしてないように見えることだ。忖度論や謀略論を信じたくもなる。

 

3) その他の感想

(退位の式典) 

 最近はやりの生前葬を連想した。式典での挨拶が続くことはなかったが、世のマスコミ、ネットは賛美に溢れ、生前葬もどきだ。ちなみに、私は自分の生前葬は断固拒否する。

(日本人は元号が好き)

 令和には異論も少なくないようだが、それを無視するように、改元騒ぎが盛り上がったのにはちょっと驚いた。「平成最後」と「令和最初」が溢れ、ハロウィーンを思わせるような騒ぎもあった。

 余談だが、「令」の字はバランスが取りにくい、書くのもそうだが、見ていても落ち着かない時がある。変った字だと思う。

(式典が無言)

 式典が無言(天皇と首相の挨拶以外)で進むのに改めて感心した。MC(マスターオブセレモニー)がいなくても恙なく進む。参列者の予行練習が大変だったろうと思った。

*1: (宣誓書) 私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。

初めてのスマホカーナビ

 4月1日から箱根に2泊3日のドライブをした。初使用のスマホカーナビでの失敗談を報告する。

 出発の2-3日前に 洗車をしてエンジンをかけて見たら、車載のカーナビが「データの互換性が取れません」との表示を出して動かない。不吉な予感でディーラーに電話したら、出発当日の1日の午前にしかサービス部門の予約が取れないという。同日にチェックで1-2時間待たされた結論は、その日のうちには直らない、メーカーにデータを送って確認するので、今日は取りあえず車だけを返すとのことだ。ETCは動くとのこと。

(カーナビホルダーを購入)

 困ったが家人と相談して、息子が何時も愛用しているのを真似て、スマホのカーナビで行こうということになった。目的地は箱根の強羅。箱根の仙石原はよく行っているが、強羅は1度しか行っていないし、初めての宿だ。地図で見ると道が細くて曲りくねり、相当ややこしい。スマホカーナビで大丈夫か不安だったが、近くの日曜大工センターで、スマホホルダー(ダッシュボードの上に取り付けてスマホを固定する)を買って取り付けた。取付け説明図は多いが判りにくく、後で判明したが間違って取り付けた。スマホのアプリは、徒歩ナビで馴染みの「グーグルマップ」。

(使えなくなった機能)

 カーナビはもちろん使えないが、ラジオも駄目で無声の運転になった。リアビューカメラも映す画面が無くなったので使用不能に。これは、苦手の車庫入れなどに活用していて便利だった。

 幸いまだ使えるのは、ETC、ACC(オートマチッククルーズコントロール)、ACCが使えるからオートストップも大丈夫だろう。ACCは、高速道路での運転の緊張感を相当緩和してくれて、私には有難い。

(スマホカーナビの利点)

 息子もよく言っているが、行く先の検索が簡単で、音声入力も可。ちなみに、我が家の古い車載カーナビだと、住所や電話番号等で検索できるが、カーナビCDに登録してあるものでないと駄目だから古い場合もある。更新は2-3年毎で高価。スマホのデータはクラウドにあるから、基本的に最新だ。

 スマホは画面が小さいがしょうがない。最初は勝手知った東名高速なので気楽だ。ちなみに、経路は東名から厚木ジャンクションで小田原厚木道路に分岐し、小田原、箱根湯本経由で強羅だ。ローカルな細かい話で恐縮だが、次のの失敗談に通ずる。

(最初のトラブル ー ジャンクションを見落し)

 スマホのバッテリーの残量が30%台になってきたので節約するため、勝手知った高速だからとスマホを切って充電を始めた。ケーブルが短いのでホルダーから取り外して充電。ところが車高の高いトラックの後だったので、小田原厚木道路へ分岐するジャンクションの標識を見落した。従来は、分岐の表示は車載カーナビの画面にもしつこく出てくるから見落すことはない。今まで如何にカーナビに依存していたかを実感。

 しかし、今回は経路を御殿場IC経由(やや遠回りではあるが)に変更してこれは大過なかった。

(スマホがホルダーから落ちる)

 ICを出て一般道に出てから、間違った取付けのためホルダーが緩み、スマホが落ちてきた。助手席にいた家人に頼み、老眼鏡に替え、スマホを持ってもらった。表示内容を大きな声で言ってもらう。内容は「○○メートル先を左(右)折」。運転手は車の距離メーターを見つつ従っていく。強羅への道は曲りくねっていたが、これでどうやら辿りつけて、感激した。

 途中運転中に、スマホアプリに慣れない家人を助けるため、手を伸ばして、危険運転になったこと、停車中だが、カーナビが始まらず、原因が自転車ナビになっていたためとか、トラブルがあった。当然だが、慣れて習熟しておく必要があろう。

 

(今後の対応策)

 車載カーナビの修理の見積りは今後出てくるが、ディーラーの事前の感触だと、機械交換で20-30万円ぐらいかという。あまり運転もしない積りなので、困る。それで帰ってからウェブで調べると、有料の他、無料のカーナビアプリも多い。

 私の使ったグーグルマップも評判がいいが、注目したのはヤフーの「Y!カーナビ」*1。特に注目したのは、ワンタッチで駐車スポットを記録し、そのスポットへの徒歩ナビも可能という機能。広い駐車場では便利だ。早速インストールしてみた。未だ使っていない。

 スマホカーナビのデメリットは幾つかあるが、バッテリー消費量が多いのは共通して指摘されている。これからは長いケーブルで充電しながら使用できるようにしよう。トンネル内や屋内でもGPSが届かず使えない。有料アプリだと、ダウンロードしてオフライン使用ができる場合がある。それから、これからは携帯ラジオなどを持ち込むことも必要だ。

 車載カーナビ修理の見積りが出てきた段階で考えよう。

*1:私は徒歩ナビで評判のいい「Y!マップ」を既にインストールしている。

新元号「令和」

 4月1日に発表された「令和」に違和感を覚える。小旅行をしていたので投稿が遅れたがご容赦を。

 最初の感想は、安倍首相に忖度する「安」を使うとの噂がネットで流れる中で、それがなくてほっとしたこと。更に、「令和」の「れいわ」という響きに清新さを感じた。しかし、その後旅行中にいろいろ疑問を感じた。以下に述べる。

1) 「令」の字は、やはり命令とか上が定める掟の意味が強い漢和辞典の第1義もそうである。令に 「よい 」という意味があるので問題ないとの考えもあるが(次節で反論)、第1印象が重要だ。人名にも使われているが、人の名前の目的の第1は、他人との識別にある(異論もあろうが)。名前の各文字に、親がそれぞれの思いを込めていいと思う。しかし、万人が使う元号では少しまずいのではないか。

 第1義、第1印象が重要との例を、孫の命名候補の例で述べる。息子が、「ジョウ」の響きがいいということで、「丞」を考えていると言ってきたことがある。助けるの意味があっていいのではないかとのことだ。私はスマホの辞書で調べ、「丞」は、昔の官職で補佐役の意味だからどうかねと言った。その後別の名にしたから納得したのだろう。

2) 「令」の「よい」という意味では、令夫人、令室、令息、令嬢など多くの熟語がある。漢和辞典で見たが、その大半が他人の親族を呼ぶときの敬称だ。「美人」というが、「令人」とは普通いわない(少なくとも広辞苑には出ていない)。純粋な「よい」の意味での熟語は非常に少ない。「お世辞のよい」という印象。人間関係⁽上下の⁾を背景とする「よい」だ。

 しつこく言うと、角川の類語新辞典で、語彙分類体系表の「良否」のカテゴリーである172番に掲げられている語を見たが、「令」は無い。「令(よい)」は通常の「いい」とは別の概念であろう。更にいうと、通常の良否では、良否、長短、好悪などの反対語があるが、「令(よい)」の反対語は無さそうだ。

3) 漢和辞典に出ている「令」の意味に、「しむ」(使役)がある。その意味では「令和」は「和(なご)ましむ」とも読める。命令の「令」も合せると、押し付けられた和を連想させられる。真面目に考えて、民主主義の理念に反すると思う。

4) 冒頭に述べたが、「れいわ」の響きは新しく、すがすがしくていい。「令」ではなく、「麗」などだったらよかったと思う。ただし、a)画数が多い(15画以内との条件もあったよう)、b)もっともらしい出典が見つからない、など問題点がある。

5) 安倍首相談話では、「この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております」とあるが、私には理解できない。「麗和」でも似たような解釈ができそうだ。

https://www.kantei.go.jp/jp/headline/singengou/singengou_sentei.html (官邸ウェブページ)

6) 新元号にまつわる諸悪の根源は、それまでも今も、他で使われていない言葉を創り出さなければいけないという条件だ。新しさは、ポイントの1つぐらいに考えて検討したらどうか。そのことも含め、現在の秘密主義での審議は不適切だと思う。

7) 参考までに、本ブログでも、2016年8月14日に、元号について私見を述べた(「天皇生前退位(その2)の第2項(改元への期待)」)。私見の中で実現したのは、中国語の文献を出典としないことだけだ。これは国粋主義からではない。中国に(次いで韓国にも)馬鹿にされるのが嫌だからだ(これも国粋主義の1つか)。

我が家のアポ電対策

(前置き)

 3月初めに報道された江東区の殺人事件。「アポ電」強盗と呼ばれ、マスコミでいろいろ対策が論じられている。こういう言葉が将来も残るか信じられないので、解説ページを残す。例えば、 https://www.fnn.jp/posts/00413289CX 

 かつての「オレオレ詐欺」の系統かと思ったが、強盗殺人事件に発展しているので、凶暴だ。テレビなどで推奨されるのは、電話に出ては行けない、対策の1つとして、「録音しています」などと応答する装置を電話機に付けろという。

 我が家でも家人はうるさい。私はかねて電話が鳴ると待たしては失礼だと思い、発信者番号もろくに見ないで急いで出るがそれがよくないと叱られる。私は今のところ電話で騙されない自信があるし、必要な電話を逃してはいけないと思っている。だけど、家人がうるさいので、4年前に買った電話機で封印していた機能を活性化することにした。その機能「自動あんしん応答」機能は、家に電話が掛かってくると、先方に「あんしん応答モードになっています。貴方の名前をおっしゃってください」とのメッセージが流れ、録音される。これは以前弊ブログでも紹介した。

 https://oginos.hatenablog.com/entry/20150418/p1 ちなみに、この電話機のフル録音機能はずっと使っている。ただし再生で探すのが苦労する。*1

 以上は前書きで、以下、これの活性化に際して感じたことを2点紹介する。

(公衆電話が無い)

 活性化した「自動あんしん応答」機能をテストするには、この固定電話に電話してみることだ。普通は自分の携帯電話から電話するが、この電話の電話帳に登録してある番号からの電話には「あんしん応答」は機能しないというある意味で便利な機能がある。それで外の公衆電話から電話して、機能を確認することとした。

 たまたま買い物に行った近くのスーパー(サミット。相当大きい)に行って公衆電話を探したが無い。店員に聞いて無いことを確認。それで別のコンビニ(セブンイレブン、これは小さい)に行ったが無い。顔なじみの店長に聞いたら、1ブロック半離れたNTTの事務所に公衆電話ボックスがあるというので、そこで我が家に電話した。1度目は家人がすぐ電話に出て失敗。2度目は留守電案内になってまたもや失敗。

 このトラブルは次項で述べることにより解決したが、スーパーやコンビニに公衆電話が無いということでは、災害の時に大丈夫かと心配になる。

(メーカー・サポートのAI化の進展)

 家に帰り、メーカーの電話サポートに電話した。なかなか出ない。ラインの自動サポートサービスの利用を勧める。私はラインは苦手なので迷ったが、2-3回オペレーターを待っても出ないので、諦めてラインに移行した。慣れなくて少し手戻りはあったが、半自動的に対策の候補を教えてくれた。正解は、留守電サービスと「自動あんしん応答」機能との併用はできないとのこと。早速留守電サービスを停止して、外の公衆電話に行ってトライしたら、今度はスムーズにあんしん応答サービスがスタートした。

 感じたのは、メーカーのサポートで、AI化が進展していることだ。メーカーの電話サポートは、引退してから、電話機、テレビ、レコーダーなどでよく利用している。しかし、電話サポートは時間が掛かる。a)先ずつながるまで待たされる、b)器具の不具合、設定を調整する時に、電話のオペレーターの指示通り行うのが疲れる。c)PC上でのFAQなどはよくできている場合はいいが、見つからない場合も多い。最近多いチャットでの応答は、割に結果がよくて満足できることが多く、PCを使ったチャットのサービスはよく利用する。

 しかしスマホでのラインは苦手だ。入力欄が狭くて全体が見づらいし、修正がしにくい。私は最近、スマホ音声認識入力をよく利用していて、検索(これはほぼ全部に近い)、日記、メール、短い原稿など(環境による。周りに人がいると恥かしい)の半分近くで利用している(アプリはSimeji)。ラインは画面のマイクアイコンをクリックすると、音声認識でなく、ボイスメッセージになってしまうので駄目と思っていた(今回調べたら、別に音声認識入力機能はあった)。

 ラインでの自動サポートは、PC上でのFAQの高度化であろう。何れにしろAIの進歩も相まって、自動FAQや自動ラインは今後ますます発達していくと思う。

 

 これで家人は安心したが、私は、我が家が高齢者所帯で迷惑電話を警戒している小心な家族と、直ぐ判るようになったことで不本意だ。それから、冒頭に述べた、電話には出ないという対策は、必要な電話も繋がらなくなるということで世の中大丈夫だろうか。もっと前向きに、電話応答要領教室を高齢者向けに開催するという対策はどうだろう。

*1:機能は豊富だが、マンマシンインターフェースが悪い。従って家人は使えない。

在位30年(おことば)

 2019年2月24日に今上天皇の在位30年記念式典が行われた。本当にめでたい。その際の陛下のおことばに関し感じたことを述べる。全文は宮内庁のホームページに出ている。

(30年記念式典おことば)

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/42#152

(英文) http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detailEn/42#152

  • 皇后が天皇の原稿読み間違いを正した。2-30年前までならバッシングされたであろう。何故なら、天皇のミスを公の前で明らかにしてはいけない、天皇の言動は常に完璧であるべき(綸言汗のごとし)。仮に間違いがあれば、正しい文書を後で配布しておけばいい。
     そのことは多分皇后も判っていたであろう。しかし、このおことばは、天皇が自分でいろいろ考え、長時間かけて作られた。それを知っている皇后は、それが天皇の口から間違って発語されたとすれば、天皇自身が耐えられなくなると思われたのだろう。それであえて訂正されたに違いない。
     このことがバッシングされなかったことで、日本人の皇室観も進んだと思う。
  • 地球温暖化という言葉を使わずに、「世界は気候変動の周期に入り」と言われた。地球温暖化というと、「人間活動による炭酸ガスの増加の影響」を含意している。これに対し、陛下は科学的でないという疑念を持たれているのではないかと推測した。
  • 文体に整理されていないところがあると感じた。想像するに、陛下の原案に異論ないし婉曲化を求める声があり、それに応えて修文していく間に文体が少しおかしくなったのではと思う。それだけ真剣に書かれたのだろう。以下、文体に違和感を感じた例。
  • 「私がこれまで 果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことができるこの国の人々の存在・・・のおかげでした」 
     構文として理解しにくいが、読み返していて気がついた。そうか、「持つことができる」の主語は陛下ご自身で、英語で言うと、複雑な関係詞構文だ。
     宮内庁の英語版を見ると、該当部分は、
    I have been able to fulfill my duties thanks to the people of Japan, whose symbol of unity I take pride and joy in being,
     私の英語力の拙さもあって、依然として判りにくい。次のようにすると、私にも理解できやすい*1。正しいかどうか自信はないが。
    I have been able to fulfill my duties thanks to the people of Japan, having pride and joy in being the symbol of their unity ,
  • (災害に関し)「少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々」 (「多大の関心」でどうか)
  • 「島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきたわが国」 (独自であることに誇りを持っていらっしゃるのか。「比較的恵まれた形」も屈折した表現。)
  • グローバル化する世界の中で、さらに外に向って開かれ、その中で叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくこと」 (「自らの立場の確立」とは具体的にはどういうことか。今は誰も判らないことをあえておっしゃてるとの印象)
  • 「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、・・・次の時代、さらに次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けて行ってくれることを願う」 (「象徴」に関しこれほど自分の主張をはっきり述べられるとはびっくり。次の世代への宿題も明示された。)

 余談だが、書名に全く同感して、次の本を衝動買いしたので、少し感想を紹介する。

〇 矢部万紀子「美智子さまという奇跡」 (幻冬舎新書、2019年1月29日発行)

 書名はいいが、内容に深みは感じられなかった。また著者は、朝日新聞で週刊誌の編集などをやったというのに、僭越ながら、文体が少し稚拙と思う。面白くもない脱線が多い(具体例は略)。

 雅子妃、紀子妃などにも触れている。秋篠宮家の眞子さまも登場する。現在の皇室は問題山積だ。各皇族の多様性を認めていかないと、皇室の明日はないという。もっともと思うが実現不可能ではないか。認める多様性の例は、意義が不明な皇室祭祀への強制的参加の免除、金銭的スキャンダルを抱えた家族との結婚だ。その他今後、精神疾患を抱える皇族が出る可能性があろう。

*1:symbol of unityも修正ポイントの1つ

ブログシステムの変更

 今までの私のブログ「耳不順(みみふじゅん)ブログ→踰矩(のりこえ)ブログ」は、ブログ・サービスとして、「(株)はてな」が運営するはてなダイアリーというシステムを使っていた*1。しかし、同サービスは2018年夏から2019年春にかけて中止となり、同社の運営する別サービスはてなブログへの移行が用意された。

 部外者には意味不明のところがあろうが、私にとっても、このサービスシステムの変更は苦労した。完璧とは言えないまでも、必要と考える機能の維持、更に可能ならばアップに最善を期したいと思ったが、よく判らないまま、この2/28には「はてなダイアリー」の全機能が停止されるとのメールが来た(2019/1/27付け「はてなブログへの移行に関するお知らせ」)。それで観念して、不十分なままながら移行することとした。ちなみに、この予定はかねて予告され、対応作業も説明されていたが、勉強不十分なままさぼっていた。

はてなダイアリー終了のお知らせ」
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20180830/blog_unify

 

 以下、1)移行した後の読者の注意点、2)過去の私のブログの経緯を説明する。

 

1) 移行した後のこのブログの読者への注意点

a) はてなダイアリーの記事

 「はてなダイアリー」の記事は全て「はてなブログ」に移行されている。かつての「はてなダイアリー」のURLにアクセスすると、「はてなブログ」の該当ページに自動的に移行する。記事の中身の移行については、図などは無事移行しているようだ。しかし、下付き/上付き文字は、制御記号がそのまま残っていて見苦しい。そのうち順次修正していきたいとは思っている。

 別URLへのリンクについては、URLがそのまま記載してある場合にはいいが、「はてなダイアリー」のページについては、自信が無い。はてなのページ表記は年月日が記載されているから、それに基づき、自分で探すよりない。その他、表についてもはてな特有の記法で製表されているが、それがちゃんと表示できるかは未確認。

 また、文書ファイルが添付してある場合、それがちゃんとダウンロードできるかも未確認。

b) 有料オプション

 「はてなブログ」には有料オプションとして「はてなブログPro」がある。種々の機能が利用でき、かつ余計な広告が入らないから読者は読みやすい。実は「はてなダイアリー」にも「はてなダイアリープラス」という、月180円(だった?)の有料オプションがあり、私も長く利用してきた。ところが、「はてなブログPro」は月600-700円。最近、ブログのネタ切れ状態でもある私には禁止的な高水準なので、このオプションは断念。従って記事には広告などが入る。読者には迷惑だろうが、ご理解を。その他にも便利な機能が使えないかも知れない。

c) ブログの名称

 まだ新システムに慣れないこと、個人的ながらブログに全力投球する意欲が薄れていることから、特徴のない名称「oginosブログ」を使うことに。そのうちまた変えるかも知れない。

2) 過去のブログの経緯

〇 耳不順(みふじゅん)ブログ(2010‐15年)から踰矩(のりこえ)ブログ(2016‐18年)

 本ブログのそもそもは、諸事に関する私の雑感を2006年頃から非公開ブログで書き溜めていたものを、「耳不順ブログ」の名で2010年に公開したものだ。

 孔子論語によれば、40歳の不惑、50歳の知命(天命を知る)に次いで、60歳は「耳順(みみしたがう。じじゅん)」、70歳は「心の欲するところに従いて矩(のり)を踰(こ)えず(七十而從心所欲、不踰矩)」と言う。60歳になって、それまでと違い、人の話を素直に聞けるようになった、70歳になると、心のままに行動しても、社会的、倫理的規範を外れることは無くなったとかの意味のようだ。

 私は、孔子と違い、若い時からサラリーマンとしてずっと人の言うことを従順に聞き、社会の規範やマナーに外れないように生きてきた。もう十分だ。それで、2006年に60歳になった時、これからは逆に、「耳不順(みみしたがわず)」で行きたいと考えた。

 2016年に満70歳となったので、「耳不順」では60代と誤解を与えると思い、再度論語をもじって、「矩(のり)を踰(こ)えず」ではなく、「矩(のり)を踰(こ)える」をタイトルにした。規範を外れ、心の欲する所に従った生き方に憧れた次第(夢想に終ったが)。

(本ブログの方針)

 ブログの内容については、2010年10月3日(id:oginos:20101003)の記事で説明している。「他人が読んで面白いと思ってくれる可能性のあるものを目指す」ことだ。そのポイントとして3つ。

a) 私を知らない「他人」には関心が無いであろう自分の身の回りのことは、原則として書かない。

b) 「面白い」とは、知的に面白いとの意であるが、本当は私が面白いことであり、視点は偏っている。学術的水準の高いことは書けないが、少しでもinformativeと感じてもらえることを提供できるよう努めたい。

c) 「可能性のある」というのは、多くの人ではなく、何人かからでも評価してもらえる可能性があればいいという意味である。

その後、a)の身辺雑事は書かないということに関しては、近年ネタ切れ傾向なので、少し緩めることとした(2015年8月31日の記事参照 id:oginos:20150831)。

 タイトルの「耳不順」、「踰矩」に従い、偏った視点でと思ってきたが、そのことより、長い、くどい、話題が固いと評判が悪い。

 本ブログにコメントが寄せられても、有難いことだが、かねての方針通り、原則として耳を傾けない(順わず)こととする。マナー違反にご容赦のほどを。(2016年1月記)

 プロフィールの似顔絵の経緯は、2011年12月11日のブログを参照。

*1:システムの名称がダイアリーでも個別の日記に「ブログ」を使って問題ない。少しややこしいが。

購読新聞の変更(東京新聞へ)

 また、新聞を替えた。今度は東京新聞日経→朝日→毎日→東京新聞の順。過去2回の変更の経緯はブログで紹介した。長く購読していた日経から、単に「気分を替えたい」というだけの理由で、昨2017年2月に朝日に替えた。それから半年ほどして毎日に替えた。次は過去のブログ。以下、今回の経緯等の雑談。

  id:oginos:20170216 「新聞の変更」 id:oginos:20180320

(購読料)

  毎日新聞の次に替えるのは普通なら読売新聞だが、半年余りで替えるのは毎日新聞の販売店に悪いかと思って、東京新聞にした。東京新聞の購読料は、次のとおり圧倒的に安い。退職者(私)の家計が苦しくなったからだろうと善意に推測してくれるだろうと思ったからだ。

  購読料について調べると、東京地区で定期購読できる全国紙は6紙。その購読料月額(朝夕刊込み、税込み)は、朝日、読売毎日新聞が4,037円、日経が4,900円、東京新聞が3,343円だ。産経新聞は3,034円だが夕刊が無い(東京新聞の夕刊無しは2,623円で最安値)

http://luckystyle.jp/?page_id=56  

(電子版)

  新聞の電子版は、毎日のニュース・メール、検索等のサービスがあって便利だ。サービス内容、料金(無料も含め)等は新聞によって相当異なる。

https://www.newspaper-navi.com/entry/denshiban-hikaku  

  日経購読時は、プラス1,000円/月で日経の電子版を申し込んでいた。購読を辞めてからは無料会員に登録した(現在も)。ニュースメールが毎日来る。無料会員は月に10記事まで全文が読める。日経新聞だけでなく、日経ビジネスオンラインや健康関係ニュース(他にも多くの分野がある)も読めて便利だ。以前の弊ブログでも書いたが、電子版は日経が量、質ともに最高だと思う。

  次の朝日新聞購読時は、プラス1,000円/月で同紙の電子版がフルに(各種サービスもフル)読めた。購読しない場合は、フルに読めるデジタル・コース(3,800円/月)と1月に900記事だけ読めるシンブル・コース(980円/月)(スクラップ機能が無いなど制約が多い)がある。購読を辞めた後は登録無料会員となった。ニュースメールに加え、1日に1記事だけ全文が読める(読める記事には制約がある)。

  毎日新聞購読時には、購読者には電子版が無料でサービスされた。毎日(これは新聞名ではない。副詞)、ニュースメールが来て、記事は全部フルに読める。現在購読を辞めてから半月ほど経過しているが、まだフルに読める。そのうち駄目になるだろうと覚悟している(購読者向け電子版の申し込みは販売店からで、私には責任が無い筈)。

  さて、新しい東京新聞にも電子版はある。ただ3,450円/月で、購読者向けのサービス(無料ないし大幅割引)は無い。これは高すぎるのでパス。参考までに、他の読売新聞の電子版は、購読者だけが対象だが、紙プラス150円/月で圧倒的に安い。

  それで、現在は、東京新聞を紙で購読、朝日新聞電子版のシンプルコース(980円/月で月に900記事)、日経電子版の無料登録会員(月に10記事)、毎日電子版の購読者用会員だ(何時まで続くか判らない)。ニュースメールが多くて食傷気味だが、読み流している。

(切り替えのタイミング)

  切り替えは、毎日新聞の連載小説に区切りがついたのをきっかけにした。小説は朝夕刊と2つあるが、たまたま1か月以内の間隔で終了するとのアナウンスがあり、遅い方の連載の終了日から切り替えた。毎日の次の小説は、朝刊が宮部みゆき、夕刊が又吉直樹で少し心動かされた。しかし、宮部みゆきは前にもよく読んでいるし、今回は、「三島変調百物語」という江戸時代の怪異小説シリーズの1つで、私としては少し興味の薄いジャンルなので、我慢した。又吉直樹の方は初の連載小説で、題名も「人間」と意欲的で興味深い。しかし、芥川賞受賞作「火花」は、私としては正直それほど面白くなかったし、「人間」というタイトル名も重い。ということで、「気分を替えたい」ことを優先させた。

(最終面)

  最終面がテレビ番組欄でなく、また(全面)広告欄でもないのが日経と同じでいい。テレビ番組表は、一番真ん中の4頁を使っている。抜き取って見てほしいというので、これはこれでいい。最終面は拘りの文化欄だ。

(目次欄)

  目次が1面ではなく3面にあるのが不満だ。正確にいうと、1面に「ニュースピックアップ」という欄があって、数個(最大10個ぐらい)の目玉記事を紹介している。大きさは、紙面換算で横10行、縦6段(半頁)分だ。目次は3面にあり、縦は同じだが、横は8行分(今日の紙面)とやや細い。小説などを真っ先に読みたい人は、3面を開いて目次から探す必要があって不便だ。やはり目次は1面においてほしい。

(ページの段組)

  ほぼ全頁1頁12段。例外は文化欄など変形段組の頁で、12段より少ないように見える場合もある。それにしても毎日新聞の12段組は1-3頁のみ、他は基本的に15段(しかも活字のポイントは12段組と同じで大き目)というのは何なんだろうと思う。なお以前に述べたとおり、日経新聞はかたくなに全頁15段組で、折って読むと、8段目が折れて甚だ読みにくい。

(全頁数)

  東京新聞の全頁数は、価格の安さに相応してか少ない。日経、朝日は40頁が基本(最近の朝日は少なくなっているようだ)だが、東京新聞は基本的に30ページ未満だ(毎日新聞は価格は高いが28頁が多い)。安いから、文句をいう積りはない。頁数が多いからといって読みたい記事が多い訳でもない。ただ、私が不満なのは、全頁数が4の倍数でないことが割に頻繁にあることだ。

  実は私は10年来「新聞クリップ」を愛用している。朝、新聞が来るとこのクリップを真ん真ん中のページに挟んで読み始める。頁をめくっていってもちゃんと折りたためて気持がいい。周りの知合いに寄贈(?)すると大体喜んでくれる。紛失したけどどこで入手できるかと聞いてくる人もいた。家人の友人も喜んでくれて、今までのあの「ぐしゃぐしゃ」感が嫌だったのよねと言っていたらしい。次のウェブページは、使い方が丁寧に図解されていていい。

https://item.rakuten.co.jp/spotshop/shinbun-clip/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868  

  全頁数が4の倍数でないことの問題は、裏表2頁の半分の大きさの紙が残り、クリップに引っかからず、抜けてくることだ。1枚だけだがぐしゃぐしゃとなる。4の倍数でないのは、朝日、毎日などでは1か月に1-2回程度だったが、東京新聞は週に2-3回という感じだ。

(折り込みチラシ広告)

  ぐっと量が減った。ある意味で寂しいが、配られなくなったものを思い起すと、住宅と車関係が殆どだ。料金が安い新聞を購読している家は、住宅や車は買わないと考えているのだろう。しかし、私としては、スーパーや区の広報が入ってくるので問題はない。

(内容)

  普通の人にとって関心の高い記事の内容の比較については、よく判らない。購読を始めた時は、東京新聞は当局発表のフォローが多く、突っ込みが少ないなどと思ったが、それなりに面白い記事もある。ただ、パズルなど娯楽欄が若干少ないかと思う。

  最近朝日新聞が1週間限定の試し読みを置いていった(昨日で終り)。比較の意味で、両紙を丁寧に読んだが、それほど極端な違いを感じなかった。私の読解力が衰えたのと、世の中への関心が薄らいできたのかも知れない。