先進白内障手術

1) 白内障手術の本
 白内障は、加齢に応じて進行し、そのうち手術を勧められる。私もそうで、眼医者からは、近いうちに必要と言われている。白内障手術については、驚くほど眼が見えるようになったと喜んでいる友人と、少数派ながら芳しくないと悔んでいる近親者がいる。それで、図書館で白内障手術への反対派と推進派と思われる本を2冊予約した。
A) 平松類他「その白内障手術、待った! ―受ける前に知っておくこと 治療のウソ&ホント」(時事通信社、2016年7月)
B) 山崎健一朗「人生が変わる白内障手術」(幻冬舎、2017年1月)
 予約状況により、A)の方が先に入手できたが、タイトルとは違って、それほど白内障手術の危険を告発している訳ではない。できる限り手術を避けるための目にいい食事・生活などの勧めと手術に関する知識を伝えるもので、それほどインパクトがある内容ではなかった。それで、もう1冊のB)の方は、入手が1月以上遅れていたが、それほど期待していなかった。しかし、入手して驚いた。
 山崎医師(Bの著者)の推奨する「プレミアム白内障手術」(本稿では「先進白内障手術」という)は、「多焦点眼内レンズ」という特殊なレンズを用いるものだが、老眼、近視を一度に改善できるという。2回私なりに精読して、受けようとの気持になってきた。本来は私が手術を受けてからその結果を報告すべきだが、後述の事情が出てきて当面できなくなった。図書館の本は当然返却しなければいけないので、内容をメモしておいた。そのメモが無駄になるのも悔しいので、この時点で報告する。以下、2)先進白内障手術の概要、3)私の見た夢、4)医者の見立てを紹介する。約5000文字とやや長いがご容赦を。

2) 先進白内障手術の概要
(多焦点眼内レンズ)
 白内障とは、眼球前部の角膜の後にある水晶体が白濁していくことにより見えにくくなるもので、その究極の治療法は、水晶体を除去し替りにレンズを挿入する手術だ。従来の白内障手術はこのレンズが単焦点であるため、一定の距離しかピントが合わず、それより遠方や近方についてはぼやけたままか眼鏡を使う必要がある。このレンズを多焦点にして遠近両方を見るようにするのが多焦点眼内レンズだ。
 3焦点のものも実用化されているが、2焦点レンズを例にとって説明する。2焦点レンズは、光の回折現象の原理を応用して2点に像を結ぶ *1。遠距離の物体は、レンズから例えば20mm(a)と21mm(b)の位置に像を結び、網膜が21mmの位置にあればbの像にピントが合う。近距離の物体は例えば21mm(c)と22mm(d)の位置に像を結び、21mmの距離にある網膜はcの像にピントが合う。この事情を明解に説明した図がウェブ上ではなかなか見当らないので、拙いが自分で図を描いてみた。

 遠方と近方との間、又はそれ以遠、以近の物体については、もちろんピントが完全に合わないが、相当見やすいそうだ。山崎著では、この見やすさを示すグラフが紹介されている。
 そのグラフを撮った次の写真は、私の下手さのため甚だ見にくくて恐縮だが*2、3種類のレンズのピントの合い具合がグラフ化されている。横軸は眼球からの距離で、左方が遠方、右方が近方だ。縦軸はピントの状況で、上の方が見やすいことを表わす。左から1本目のグラフは、左方に山があり、右斜め下方に向う曲線で、単焦点のレンズだ(a)。2焦点レンズのグラフは2本あり、1本目は、遠方とレンズから50-40cmの所にピントが合う(b)。2本目は遠方と30cmの所にピントが合うもので、1番右の曲線だ(c)。(b)は、近距離(30cm以下)の見え方が落ちるが、60-70cm辺りの見え方が相当いい。(c)は、近距離は相当見えるが、60cm辺りの落込みが相当大きいように見える。3焦点レンズだとこれが改善される(乱視の補正もできるとのこと)。多焦点レンズをどのように選ぼうか、これからの問題だ。

 
(フェムトセカンドレーザー手術)
 もう1つ著者(山崎)が推奨しているのは、「フェムトセカンド(秒)レーザー手術」だ。フェムトとは、国際単位系(SI)で、1000兆分の1(10のマイナス15乗)のこと、セカンドは秒で、1000兆分の1秒のパルス幅のレーザーを使う手術のことだ。パルス幅が短くなることにより、高エネルギーが集中できるということらしい。レーザーと言えば私としては、その種類(ガスか個体か半導体か、など)や波長が気になるが、ウェブを見ても余り判らない。
 通常の白内障手術では、メスを用いてa)(前部にある)角膜の切開、b)(水晶体)前嚢切開、c)超音波棒を挿入して超音波による水晶体破砕、乳化、吸引、d)眼内レンズの挿入、設置、という手順で進む。
 これに対し、フェムト秒レーザー手術では、先ずb)(レーザーによる)(水晶体)前嚢切開、c)(レーザーによる)水晶体核破砕、a) (レーザーによる)角膜切開、c')(超音波による)乳化吸引、d)(多焦点)眼内レンズの挿入、と順番が異なる。メスは使わず、レーザーによる切開は小さくて場所も正確とのことだ。高精度が要求される多焦点眼内レンズ手術を実現するにはフェムト秒レーザーが不可欠という。
(QOV)
 私が感銘を受けたのは、著者のいう「QOV(Quality of Vision)」という概念だ。医療や福祉の分野で近年目標とされている「QOL(Quality of Life、生活の質、生命の質)」に対応する、「見え方の質」だ。著者いわく、「視力検査の結果の数値だけでなく、生活の便利さや豊かさにつながる見え方の質を重視していく」ことに多焦点眼内レンズは貢献する。
 確かに、私のQOVの現状は、眼鏡を2つ持っていて掛け替えに忙しい、などミゼラブルだ。眼鏡の1つ(A)は、3-5mほどの距離にピントが合う(一応、遠中両用眼鏡)。テレビ視聴用が主で、遠距離は多少犠牲にしている*3。もう1つの眼鏡(B)は、50cmほどの距離で、パソコン用だ。本、スマホを見るときは、強い近視のため20-30cmの距離で裸眼だ。通常はAを着用しているが、パソコンを見るときはBに掛け替え、本、スマホでは裸眼に、と忙しい。電車、バスの中で本を読むときも眼鏡Aを外して裸眼だ。外した眼鏡の置き場所として従来は手に持ったり、胸ポケットに挟んだりしていたが、最近は100円ショップで買った眼鏡ストラップを使い、首からぶら下げる。だから眼鏡Aは常時ストラップを付けた状況で、外見は余りよくないが便利さには替えられない。
 車の運転の時も困る。眼鏡A着用だが、カーナビは50-60cmの距離にあって多少不便。瞬時に眼鏡Bに掛け替えるのは不可能だ。また、足の爪を切る時も難儀する。本当は20-30cmの距離に足を近づけてよく見たいが、ヨガでも習わないと不可能で、たまに足指を軽く削いだりする(ただ、この足爪の問題は、多焦点眼内レンズになれば解決するのか、まだ解らない)。
 2焦点眼内レンズではどうなるか。仮に40cmと4-5mの2焦点にすると、現在のA、Bの眼鏡は不要になる。必要ならば本、スマホ用に新たに30cm程度にピントが合う眼鏡(C)を購入すればいい(不要かも知れない)。QOVは画期的に向上する。
(先進医療)
 多焦点眼内レンズの手術は「多焦点眼内レンズを用いた水晶体再建術」という名称で、厚生労働省の指定する「先進医療技術」に指定されている。この「先進医療」とは、先進医療に係る費用は、全額患者の自己負担だが、それ以外の通常の治療と共通する部分には健康保険診療との併用を認めるとする、いわゆる「混合治療」の制度で、2004年に発足した。2018年4月現在で先進医療として91種類が指定されている。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/sensiniryo/index.html 
 「多焦点眼内レンズを用いた水晶体再建術」は、2008年に先進医療に指定された。先進医療を実施する医療機関は、厚生労働省により認定され告示されている。
厚生労働省告示 「先進医療を実施している医療機関の一覧」
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/sensiniryo/kikan02.html 
 多焦点眼内レンズを実施できる医療機関は、このウェブページの「先進医療A」の部の「番号14」の部に400機関以上列挙されている。

3) 私の見た夢
 多焦点眼内レンズというQOVを改善できる手術を知り、私の夢は膨らんだ。ただ、問題はコスト。健康保険の適用外のため、高価だ。ウェブで調べると、両眼で50万円から80万円ぐらいの見当だ。すごく悩んだが、今後節約を図ることとしよう、今まで自分のためだけに金を遣ったことがどれだけあったか、ということで自分を納得させた。もう1つの悩みは、眼鏡を外したまぬけ面となることだ。50年前の紅顔の美少年の時代は去った。老いさらばえたしわ顔を人目にさらすのは恥しい。ダテ眼鏡でも掛けようかなどと、くだらないことも夢想した。
 私が眼鏡を掛けだしたのは、大学に入学して、大教室の授業が多くなってからだ。小教室であっても、不真面目な学生だった私は、教室の後ろからこそこそ入っていく人だったから、授業中は眼鏡を着用せざるを得なかった。外で遊んでいる時は眼鏡を付けていなかったが、卒業して勤めだしてからは常時眼鏡着用となった。その後、眼鏡の度数は進み、老眼も混じり出した。
 多焦点眼内レンズで、50年ぶりに眼鏡から解放されるかと思うと心が弾んだ。

4) 医者の見立て
 それで、4月下旬に、かねて予約していた定期検診(緑内障などの)を受けに行った。この病院は渋谷区神宮前にある割に大きい眼科専門病院だ。家人は、私とは別の先生だが、この病院で黄斑前膜と白内障の手術をしている。
 白内障も少し進んでいますねとの診察の後、恐る恐る多焦点眼内レンズでの白内障手術を考えてみたいが、と言い出したところ、緑内障があるから駄目ですとのご託宣だ。明解な拒否に少しショックを受けたが、これは話半分に聞かなければと思った。というのは、事前にウェブで見たところ、この病院はレーザー器械を所有していなく、上述の厚生労働省の多焦点眼内レンズ手術の認定医療機関のリストにも掲載されてない。そもそも多焦点眼内レンズには消極的なのだろう。それでも別の認定病院を紹介してくれるかと期待していたが駄目だった。終り際にもう一度聞いたが、緑内障だからとにべもない。
 帰宅してから、図書館への返却期限が1日過ぎた例の本をひっくり返した。確かに、糖尿病性網膜炎と、進行した緑内障は駄目だと書いてある。これらの病気だと眼のコントラスト感度が低く、暗い場所での視力が低下している。多焦点レンズでは暗い場所で見えにくくなる。従って、事前に精密検査して判断する必要があると書いてある(簡単に諦めてはいけないとも書いてある)。
 家人の了解も取って、やや勇んで病院に出かけていたが、意欲がくじかれてがっかりした。対策としては、a)今の病院に再度話して精密検査を頼むか、b) 黙って病院を変えるか、などだが、どうも元気が出ない。また、c)別の病院のセカンドオピニオンを求めるべく今の病院に所要の手続きを頼むことも考えられるが、どうも踏み切れない。2か月後に定期検診の予約をしたので、それまで先延ばしすることにした。

*1:これは、一般に使われている遠近両用眼鏡の原理とは全く異なる。両用眼鏡(私も長く使っている)は、上部が遠方にピントが合い、下部が近方にピントが合う。遠方はいわば上目遣いに、近方は下目遣い(こういう言い方があるかは知らない)に見る訳だ。しかし、水晶体の替りの小さな眼内レンズは、常にレンズの全面を使うのでそのようなことはできない。

*2:図書館に返却したので、撮り直しはできない。

*3:ただし、近年更に視力が弱まり、テレビの電子番組表(EPG)を見るときは近づいてみている。

スマホの機種変更(6代目)

 1年半ぶりにスマホを機種変更した。2010年11月の日本での初代Androidの購入以来の6代目の機種。5代目は2016年10月に買った「isai vivid LGV32」(韓国LGエレクトロニクス)。前回の機種変更の経緯については、弊ブログ id:oginos:20161030 「スマホの機種変更(5代目)」を参照。
 今回の機種変更の理由は、isaiの電池の持ちと動きが極端に遅くなったことだ。このLG社のisai vivid は、私としては初めての外国製ということもあり、相性が悪かった気がする。それまで日本製ばかり使っていたのは、おサイフケータイが使えること(これはその後外国製も対応)とストラップ穴があることなどで、国産品愛好ということではなかった。しかし、LGのisaiは、購入後1年も経たない2017年8月に電車に乗っている間に画面が消え、その後全く動かなくなった。auショップに行くと、即故障と診断され、購入1年以内ということで無償交換となった。ということもあって、相性悪く感じていて、機会あれば買い替えたかった。
 今では機種変更は身辺雑事の類で、今回の機種変更にも面白い話は殆ど無い。機種カタログを見ても、昔なら心躍らせて新機能を見比べていたものだが、今では目新しいことは感じられない。結論から書くと、買い換えた機種は、ちょっと古い(2017年11月発売)、シャープのAQUOS sense SHV40
 機種選定の経緯を少しだけ紹介する。ほしいと思える新機能の付いた機種が無いまま、音がいいと言われているソニーXPERIAにでもしようかと思ってショップに行った。すると9万7千円と高価なのでがっくりした。携帯ごときに9万円も出す気はもうしない。ストラップ穴も何故か無い。店員に、ストラップ穴が付いている機種は無いかと聞いたら、ショップ中探して、QUA phone(京セラ)しかないと言うので、また驚いた*1。一瞬このQUAにしようかと迷ったが、おサイフケータイ機能が無いということで、断念した。
 買ったAQUOS senseは3万2千円で、価格がリーズナブルというの(だけ?)が取り柄だ。AQUOSは、2年間使った4代目のAQUOS Serieと同じブランドで、懐かしい。バッテリーの持ちがよかったという記憶がある。
 新機種を使っている感想としては、ポケットから取り出す時や操作の時に、スマホを取り落とさないかとの不安に襲われる(精神医学では、不安症のうちの「限局性恐怖症」*2に該当しそうだ)。また、少し相性の合わなかったLGの方が使い勝手がよかったところも多かったと思い直し、懐かしく感じている。例えば、電話がかかってきた時に、前機種では耳に当てると自動的につながったが、新機種ではできない(ようだ)。着信音が鳴って慌てて操作したが、ロック解除のスワイプの方向が違っていて(前は右方向、今は上方向)、出られなかった。家にいたので直ぐ固定電話に掛かってきて実害はなかった。

*1:数か月前のテレビで、古い時代の携帯電話の象徴として、引出し式のアンテナと並んでストラップが挙げられていたのを思い出した。手からの滑り落ちを防止するためのストラップは必要というのが私の考えで、家人もこの意見には同意しているが、今ではストラップを付けたい人は、ストラップ穴があるケースを装着するしかない。ただし、私はケースを付けるとポケットの中で少しかさばるので嫌だ。

*2:閉所恐怖症、高所恐怖症、ケガをすることや虫などを恐れる、など

新聞比較(毎日、朝日、日経)

 1年前に、永年購読していた日本経済新聞(日経)から朝日新聞に替えたことを弊ブログで紹介した。 id:oginos:20170216「新聞の変更」
 その後半年ほどしてから、毎日新聞に変更し、半年ほど経った。精読している訳ではないが、3紙(毎日、朝日、日経)の比較をしてみたい。テーマは散発的で、連載小説、段組、囲碁将棋、数独、電子版、広告だ。
〇 連載小説の掲載頁
 私は、永年日経の連載小説をほぼ欠かさず読んできていて、これが多くの新聞購読者に共通する習慣ないし常識だろうと思ってきた。しかし1年前に朝日新聞に替えてから、この習慣・常識は日経新聞購読者に限られるものだったのだと思い至った。理由は、日経の連載小説の掲載場所は、朝夕刊とも最終面で開きやすい。ところが朝日の場合、最終面は朝夕刊ともテレビ番組欄で、小説の掲載ページは毎日変わる。毎日新聞も同じ。
 日経時代の私の毎朝の日課は、先ず最終面の小説、プラスアルファを読み、次いで1面の主要記事などに移ることだった。家族で旅行に出る際には新聞販売所に取り置きを頼み、帰宅してからまとめて読んだが、大半は小説を読むためだ。
 毎日の場合を例にとると、小説の掲載ページは日によって異なり、第15ページから26ページまでばらばらだ(全32頁)。今では、先ず第1面の欄外にある目次を見て、小説のあるページを開く。それから1面に戻って他の記事を適宜読み進んでいく。
 小説については、日経、毎日とも朝夕刊それぞれにある。ところが、朝日の夕刊には無い。新聞小説をよく読んでいるという知人に聞いたら、朝日の夕刊小説は、週に1回1ページ大で出るという。確かに金曜日の途中ページに出ている。2-3週間読んでみたが、あまり面白くなかったせいか、曜日を忘れて読むのを失念したりして、読まなくなった*1
 朝日の朝刊の小説は、過去の習慣で1年前の買い替え時から読み始めた。しかし、相性が悪く、面白くなかった。半年後に毎日に替えた際に抵抗が無かった理由だ。今の毎日の連載小説は、朝刊が高村薫の「我らが少女A」、夕刊が石田衣良の「炎のなかへ」で、両方とも面白い。今度別の新聞に替えるとしたら替え時が難しいかと今から悩んでいる。
〇 最終面
 朝日、毎日の最終面は、テレビ番組欄という伝統的なスタイルだがこれでいいかと疑問に思う。というのは、現在ではテレビ番組表が、ワンタッチでテレビ画面で見られる。新聞のテレビ番組欄の価値は低下していると思う。
 新聞の最終面は、開きやすさの点で第1面に続く価値がある第1級のスペースだ。読者に伝えたい内容を盛った特色あるページとすることがいいと思う。その意味で日経の最終面は高く評価する。同面は、前述の連載小説のほか、基本的に文化欄だ*2。いわゆる文化評論の他、毎日掲載されるコラムが2つある。有名な「私の履歴書」と「交遊抄」で、私も愛読していた。
 平昌冬季オリンピックの期間中、毎日新聞朝刊の最終面は、全面で日本の代表選手の紹介を行っていて、これは1つの試みとして評価できる。ただしオリンピックが終ると、またテレビ番組欄に戻った。パラリンピックが始まっても選手紹介は無く、番組欄のままだ。
 ただ、最終面の第1級の価値を利用して全面広告に使うのは止めてほしい。読者ファーストが重要だ。
〇 段組
 私が日経に抱いていた不満の第1が、頁の段組が15段のため、2つ折りにすると8段目が折り目にかかり読めないということだった。朝日、毎日は12段だからいい。更に、活字のポイントが少し大きくて高齢者には優しい。
 という触れ込みで、朝日はその通りだが、毎日は少し違うところがある。12段組は1ページから3ページ目までだけで、それ以降のページは従来のままの15段組だ。しかも活字のポイントは大きいままなので、1行当りの文字数が少なく、少し読みづらい。
 朝日についても問題がある。ページの余白が日によって異なることがあって、6段目の最後の1-2字目(又は7段目の最初の1-2字目)が折り目にかかって読みにくい時がある。印刷機の問題だろうが、がっかりする。
囲碁将棋欄
 かつて日経の囲碁将棋欄*3は夕刊で、帰宅後の暇つぶしにはよかった。朝刊に移った時はがっかりした。朝の忙しい時間にゆっくり棋譜を追うのは辛い。朝日、毎日は、伝統的に朝刊だ。毎日だけは夕刊にも囲碁将棋欄がある。ただ、朝刊と異なり盤面が小さく見づらい。10年ほど前から、私は囲碁将棋が難しくなって囲碁将棋欄は殆ど読んでいないがたまに見ることがある。
 毎日の朝刊と夕刊の囲碁将棋欄は、別の棋戦を続けて載せているが、1度違ったことがあってびっくりした。たまたま興味深い局面があって、出ていた朝刊の前後日版を見たがどうもおかしい。不連続だ。よく調べたら、夕刊に出ていたので、驚いた。何の断りも無い。連載をフォローしている読者に対してルール違反ではなかろうか。その後見ていても、このような朝夕刊にまたがる事例は無さそうだ。
〇 毎日の数独
 日経、朝日、毎日とも、土曜日に1ページほどパズル特集のページがあり、その中で数独はよく採り上げられている。それとは別に毎日だけ、毎日(週7日の意)数独の問題が出ている。しかも朝夕刊両方にだ。小説と違い場所も決っていて、朝刊は最終面から3ページ目、夕刊は1面と固定されていて探しやすい。最高のポジションだ。
 毎日(新聞)の数独は、初級と中級と区分が書かれていて、私が解ける時間は、初級では10数分、中級では20数分から1時間ぐらい。問題は所要時間が不確定で、かつ途中で止めにくいことだ。忙しい朝の時間を数独に挑戦する人がいるのだろうか。毎朝出勤する現役のサラリーマンにとって、朝の数独は、囲碁将棋の棋譜と同じく迷惑だろう。私は暇だからいいが、それでも朝夕数独で時間をつぶしていると家人から冷たい目で見られる。1日1回以下に自制している。
 それに毎日の数独の盤面は小さくて、メモが書きにくい(私は候補の数字を沢山書き込むので、小さいと苦しい)。別紙に問題を大きく転写するか、拡大コピーをしないと大変だ(私はその手間が面倒なので大変)。
〇 電子版
 新聞のデジタル版(電子版)については、新聞社により異なるが4種類に整理できよう。
a)新聞購読に月1000円程度プラスしての有料サービス、b)新聞購読無しの有料会員サービス(月4000円弱程度。新聞購読より若干安い)、c)無料会員登録サービス、d)誰でも読めるオープンなウェブページ
 デジタル版のサービスは、a)とb)がフルサービスで、それ以下は、読める記事の数、サービスの内容等で、低下する。私は、購読している新聞についてはa)のフルサービスを利用してきた。現在の購読新聞は毎日なのでa)だが、毎日は無料だ。
 購読を止めた日経、朝日については、c)の無料会員登録サービスを利用している(ちなみに、読売新聞はb)、c)が無いようだ)。無料である分、全文読める記事の数が甚だ少なく、殆どが有料会員限定記事で、冒頭200文字程度しか読めない。登録無料会員にはサービスがあり、日経は月10記事、朝日新聞は銀鍵印記事*4を1日1本読める。
 デジタル版のサービス内容は日経が最高だと思う(http://dsquare.nikkei.com/ )。記事検索、クリッピング(保存)、多様なメールサービスも素晴らしいが、基本的に記事数が多い。上述のウェブページによれば、1日300本の新聞の記事数に加え、電子版オリジナルの記事が600本あるとのことだ。これは、日経新聞社グループの、日経ビジネス日経パソコンなど多数の雑誌を発行している日経BP社の協力を得ているからだ。私は、メールサービスで産業、テクノロジー、メディカル関係のものを多く申し込んでいたが(無料のもの)、あまり多いので食傷し、今では整理を始めた。しかし、最近、日経でナショナルジオグラフィック関係のメルマガを見つけて申し込んだ。
 朝日新聞デジタルも、系列の週刊朝日アエラの記事を掲載すればその価値は高まろう。新聞の記事をネット化しただけでは、便利だがやや魅力に乏しい。
〇 広告
 朝日は、広告が多いとの印象だ。3月に入り、朝日の販売店から、試読ということで1週間の無料配達があった。それで、全面広告のページ数を比較してみた。ここで「正味頁」とは全面広告でないページということで、部分広告は多く含まれている。
毎日新聞と、朝日新聞の正味頁数比較
2018年3月のある5日間の両紙の朝刊(土曜版等の別刷り冊子分を除く)における全面広告の頁数とそれを差し引いた正味頁数

月日 毎日新聞 朝日新聞
全頁数 全面広告頁数 正味頁数 全頁数 全面広告頁数 正味頁数
3/7(水) 32 7 25 40 11 29
3/8(木) 32 7 25 40 11 29
3/9(金) 32 6 26 40 13 27
3/10(土) 32 7 25 40 12 28
3/11(日) 32 5 27 40 14 26

 この間の全頁数は、たまたま毎日が32頁、朝日が40頁と一定しているが、時に増減している*5 。コメントしたいのは、全頁数では32と40とで8頁の差があるが、全面広告のページを除いた正味頁数ではその差は縮小する。3月11日の正味頁数は毎日の方が多い。
 これでの感想は、毎日は広告が少なくて可哀想だということだ。よく頑張っていると思う。

*1:津村記久子「ディス・イズ・ザ・デイ」今も連載されているようだ。

*2:日経のテレビ番組欄は途中のページにある。

*3:本稿では、棋戦の棋譜を連載するものを言う。この他に詰将棋欄、解説等、棋戦の連載でない囲碁将棋欄もある。

*4:朝日新聞デジタルは、限定記事を2種類に分類し、金鍵印、銀鍵印を付けている。金鍵印の記事は有料会員でないと読めない。

*5:ちなみに、日経は日ごとの総頁数が40頁を基準としてよく上下する。たまたま手元にあった古い日経では全ページ数44、全面広告のページ数14。

二子玉川散策

東京にいながらにして四国八十八箇所が回れる地下仏像群と多摩川沿いのセルフサービス・フレンチの店に友人2人と行ってきました。写真とコメントはYAMAPで。ただし、肝心の場所は撮影禁止。
https://yamap.co.jp/activity/1610933

安楽死に反対

 2年前の4月から区の老人大学に週1回通い始めたというのは、弊ブログ「高齢者向け教養講座」(id:oginos:20160417) で紹介した。2年間のコースの最後の授業で、先生の提案により、クラスをグループ分けして(模擬)ディベートが行われた。表題の「安楽死」はそのうちのテーマの1つで、賛成、反対は、数週間前にじゃんけんで決められた。私は安楽死反対のグループで、たまたまの欠席裁判により冒頭立論の担当になった。
 グループは6人程度で、名簿から機械的に組成。ディベートの方式は、a)冒頭立論−各グループ5分、b)グループ内作戦会議−5分、c)質疑・反論−各グループ5分、d)作戦会議―5分、e)まとめ陳述―各5分。各グループでそれぞれの担当発言者を決める。採点は、そのテーマ以外のグループのメンバーが行い、その合計点の多寡で勝敗を決する。
 ディベートは、先生は初めて、多くの生徒も初めて、私も初めて。準備期間は数週間あったが、慣れない中で、論戦は生煮えのまま進んだという印象。採点の結果、我がグループは負けとなった。
 以下は、配布したメモである。上記の経緯からも明らかなように、私が安楽死反対の立場という訳ではない。我々のグループの中には誤解している人がいて、「自分は安楽死を希望しているので、グループ内の検討には参加したくない」と言う。これは一種のゲームだからと説明して、反対論のアイデアを求めたが納得せず、他のメンバーを困らせた。
 それにしても、私についてはどうかと聞かれると、ディベートを始める前は、安楽死ないし尊厳死を認めるべきと感じていたことは事実。しかし、調査を進めると、よく判らなくなってきた。特に迷うのは、下記論点の4)「患者の意思は変化する」だ。無意識状態になった時の患者の意思は、本当にどこにあるのか。患者の意思尊重の立場からは、本当の意思は解らないけれど割り切らざるを得ないということなのかと思うようになった。

(当日配布資料、2018/2/13)
安楽死に反対グループ」冒頭主張のポイント
 本ディベートでは、「安楽死」とは、「積極的安楽死」、すなわち「延命治療の中止以外の手段で意図的に死期を早める行為」*1とする。条件は次である。

患者の耐えがたい苦痛
不治で末期
本人の意思による

(反対の論点) 
1) 死の判定が困難なので、まだ生きている人も死なせるリスクがある。
 1年間の植物状態の後、生還して本を書いた人もいる。
 (当日口頭) 脳死でも75%の人について体が動くことがある。ラザロ徴候が有名。臓器摘出の時に麻酔が必要なのは痛みのためか。血圧が上がるなど、生体反応のある患者にメスなどを入れる手術スタッフの困惑は大きいと言われる。
2) 患者の苦痛については現在相当緩和。
 更に、苦痛を緩和できる方法を開発すべき。
 (当日口頭)現在苦痛の95%が緩和可能。
3) 患者への心理的圧力になる。
 家族の介護の苦労、金銭的負担を忖度し、心ならずも安楽死に同意する。特に高齢者に多い。真の自己決定ではないものが自己決定となる。
4) 患者の意思は変化する。
 容態は日々変化し、安楽死への意思も変化するが、事前表示していると変えるのに躊躇する。本当に死に直面した場合には生きたいと思う人が多い。*2
 また、終末期医療に関する厚生労働省の2013年の意識調査(5年ごと)によれば、一般国民の場合、前回調査より延命措置を希望する人が増えている(ただし、ケース分け、措置の分類が異なるので直接比較は困難)。
5) 安楽死を認めていない国が多い。
 2008年の「ヨーロッパ価値観調査」(47か国)では、安楽死許容度は、ヨーロッパの多くの国で、低度から中程度
 (当日口頭) 安楽死を認めている国は、オランダ、ベルギー(両国とも2002年立法化)、ルクセンブルグ(2009年)、スイス、米国オレゴン州。ただし、尊厳死を認めている国は多い。
6) 安楽死を一旦制度的に認めると、徐々に寛容になっていく
 アルツハイマー病の漸次的衰弱プロセスを経験したくないという理由安楽死が認められたベルギーの作家の例(2008年)。
7) 人間の生存権の否定につながる。
 死ぬ権利や死についての自己決定権という概念は認められていない。
8) 生死の概念に、ムダという概念が入ってくる。
 政府の財政や家庭の経済の観点を入れて、命がないがしろにされる。
9) 嘱託殺人や自殺幇助の可能性もある。
 犯意を持つ家族他の犯罪を容易化する。また、本人の自殺願望に応えやすくなる。

*1:延命治療(人工呼吸器、経管栄養等)の非開始、中止を意味する「消極的安楽死ないし尊厳死」は、ディベートの議論から外すことでかねて相手側グループと合意していた。積極的安楽死とは、毒物の注射等を行うもの。

*2:事前指示書を実際に書き換えた1つの例として、2017年6月5日のNHKクローズアップ現代「人工呼吸器を外す時」を紹介する。同記事の中間あたりに出てくる「透析治療を続ける成富義孝さん76歳」は、初めの事前指示書では、判断能力がなくなったら透析の継続を希望しないと答え、3年間透析を続けていた。しかし、衰弱が進み、食事が口からとれなくなり、胃ろうをすすめられたとき、奥さん(成富五枝さん)の話では、「いま胃ろうしなかったら死んでしまうよというようなことを(私が)言って、2日くらい考えましたかね。本人が自分のほうから言ったんですよ、『してみようかな』って。改めて、いつまで透析を続けるか聞きました。義孝さんは『判断力がなくなっても透析を続ける』と答えました。」 夫の答えを受け、五枝さんは事前指示書を書き換えました。

広辞苑第7版

 2018年1月に広辞苑第7版が発行されたことは、事前に広告もされ、報道もされた。私は紙の辞書は高価だから手が出ない。私の手元の主な電子辞書は2機(外出用、家用)で、広辞苑は5版と6版だ。7版のためだけに電子辞書を買い替えるのも大げさだ(実は買換え自体は魅力的だが)。以下はこれに関連する雑談。
(広辞苑第7版)
 電子辞書の他に、実はもう1つスマホにインストールしている広辞苑がある。富士通パーソナルなる会社が提供する「ウルトラ統合辞書」だ。その中に入っている。月額250円の有料アプリだ。私の目的は広辞苑ではなく、リーダーズ英和辞典(研究社)と角川類語新辞典が主目的だった。他にも漢和辞典など幾つか入っている。
 広辞苑アプリはあまり使っていなかった(スマホには後述のとおり他にも国語辞書がインストールされている)。広辞苑第7版の発売開始後、早速アップデートの案内が来て、それに従うと、最新の第7版がインストールされたので、感激した。
(第7版の訂正)
 さる1月26日にこの広辞苑第7版に訂正があることが新聞で報道された。
岩波書店おわび 「LGBT広辞苑を訂正 「しまなみ海道」も」 (毎日新聞1月26日)
https://mainichi.jp/articles/20180126/ddm/041/040/126000c
 新聞で読んだ日にスマホ広辞苑を見ると修正されていない。ウルトラ統合辞書に出ていた電話番号(後で判ったが富士通パーソナル)に電話して何時対応するか聞いたところ、丁寧に状況を調べてくれたが、結果は、広辞苑岩波書店に聞いてほしいという。
 週明けの月曜日(29日)に、岩波に電話かメールしようと準備していて、念のため、ウルトラ統合辞書を開いたら、アップデートがあるという。インストールすると、LGBTしまなみ海道も見事修正されていた。*1
 ということで、改めてデジタル辞書の威力を認識した次第。以下、この話のついでに、私のスマホの辞書を中心に幾つか雑談したい。
(スマホの辞書)
 上述の電子辞書は便利で、それぞれ100コンテンツ以上入っていて、それにプラスして、仏語、独語、スペイン語、イタリー語の辞書ソフトを昔購入してインストールしている。それらの特殊外国語辞書は今ではほとんど使わず、もっぱらブリタニカ百科事典や国語辞書、英和辞書を愛用している。私のは古くて音声入力が無いのが残念だが(スマホはその点がいい)、取扱いは便利だ。孫たちにもジュニア版の電子辞書を何年か前にプレゼントした。
 電子辞書は好きだが、何時も持ち歩く訳にはいかず(バックパックを持つ場合には入れるが)、スマホに幾つか辞書アプリをインストールしている。前述のウルトラ統合辞書(有料)の他、もっぱら無料の辞書を探して入れている。ただ、auのスマートパス(月額350円で相当数のアプリが無料で使える)も活用しているので、本当に無料かはよく判らない。
 インストールしている無料辞書は、新明解国語辞典(三省堂)、三省堂国語辞典ウィズダム英和・和英辞典(三省堂)、大辞林(三省堂)、ジーニアス英和大辞典・和英辞典(大修館)、Merriam-Webster(アメリカの英語辞典)などだ。幾つかコメントする。
 Merriam-Webster辞典には、他にない特徴が2つある。
a)各語の説明項目に、語源の他にFirst useの欄があり、その言葉が最初に使われたという西暦年が出ている。出典が記載されていないし、根拠もよく判らないが、その言葉について少し想像できて楽しい。
b)相当数の単語クイズがあり、時間があれば楽しめる。ただし私には難しく、何時まで経ってもbeginnerレベルから抜けられない。
 クロスワード辞典も入れていて、週刊誌などのパズルの際の隠し技だ。他にも無料にまかせてインストールしただけのものが多く、使っていず恥ずかしいので省略する。
 最初の三省堂の3辞典(新明解、国語辞典、ウィズダム)には編者達が投稿するコラムがあって、1か月に1回ほどの頻度で連絡が来る。次項はそれに関連した話題で、広辞苑にも話が及ぶ。
(プリン体)
 三省堂国語辞典のコラムは「三国(三省堂国語辞典のこと)のすすめ」と題され、辞書の編者達のコメントが面白くて、このため、私は「三国」の価値を見直し、適宜引くようになった。そのコラムの第62回のタイトル「プリン体の説明、なかなか甘くない」は、この1月に配信された。
 内容は、同じ言葉についての国語辞書の説明と百科事典の説明との違いを解説したもので、「プリン体」を例にとっている。
 「プリン体」は、百科事典的には「ピリミジン環とイミダゾール環の縮合環をもつ塩基性物質」ということが先ずある。しかし、「生活」的には、ビールなどでプリン体がカットされているかが話題である。それはプリン体が体内で尿酸に変わり、高尿酸血症痛風の原因になると言われているからだ。従って国語辞書としては、「尿酸に変わり、痛風の原因になる」という「生活感」を踏まえた説明が中心になる。百科事典ではこのことに触れないものもあるという。
 それで、三国では、「プリン体」の項で、「…尿酸になる。⇒尿酸」とし、「尿酸」の項で、病気との関係の説明を充実させたとある。
 それにしても、何故わざわざ2項目に説明を分散させたかが、私には不可解だ*2。ちなみに同じ三省堂の「新明解」では、「プリン体」の項に、「…痛風になるという」とまで記述してあって、「尿酸」の項を見る必要は無い。この方が「生活感」に沿っている。
(プリン体広辞苑)
 それで広辞苑7版の話だ。三国のコラムの話から、広辞苑7版ではどうかと、「プリン体」を調べた。何とその見出しは無く、「プリン塩基」という生活感の無い見出し中の説明の最後に、「プリン体」と触れてあるだけだ*3。しかも、説明は、尿酸を生じることには触れているが、痛風には触れてない。「三国」式の2項目分散方式かと思い、「尿酸」を見たが、痛風には触れていない。
 これで、考えたのだが、プリン体痛風の原因というのは未だ定説となっていないのではなかろうか。他の辞書では紹介しているのに、天下の広辞苑が、第6版にあった「プリン体」見出しを「プリン塩基」に変え、かつ痛風原因説に触れないのは、それを疑う余程の自信があるからに違いない。私も、ビールのプリン体ゼロなどの表示に騙されず、美味しいビールを楽しむことにしたい。

*1:ダウンロードに要した時間は2-3分で、その前に7版全体をダウンロードした時間と変らない印象だ。2項目の修正のために全部を改めてダウンロードしたようだ。

*2:スマホだから、クリックして簡単にジャンプできるが。

*3:電子辞書内の第6版では「プリン体」の見出しはある。ただし説明は生活感の全くない不愛想なものだ。

観光客の哲学

 本記事は、前回のブログ(id:oginos:20171206 「米国の戦後政治思想と日本の政治状況」)の追補である。
 上記を脱稿して2か月近く経ってから、ベストセラーの東浩紀『観光客の哲学』*1を読んだ。
 実は、この本が政治思想に深く関与しているとは知らなかった。題名から見て観光旅行のノウハウ本ないし観光学の本だと勘違いしていた。ということではないが、彼一流の複雑なレトリックで、ポストモダン又はその後の哲学を論じたものと思っていた。東浩紀のややこしい哲学書を高額で買う気はしなかったので、図書館に予約していた。半年ぐらい待ってやっと読めた次第。

 これを元原稿に§7(追補)として加えた。加えた全原稿を添付ファイルとしたが、§7は短いので、以下に書き下す。

7 (追補) 観光客の哲学
 本稿の政治思想と如何に関連が深いかについては、共通に論じられているテーマと学者、著書を挙げれば判る。『』は著書名。もちろんこれ以外の哲学者も多く論じられている。
リベラリズム」 ジョン・ロールズ 『正義論』
リバタリアニズム」 ロバート・ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア
コミュニタリアニズム」 マイケル・サンデル 『リベラリズムと正義の限界』
「公的自由」 ハンナ・アーレント 『人間の条件』
マルチチュード」、「帝国」 アントニオ・ネグリとマイケル・ハート 『帝国』
「リベラル・アイロニスト」 リチャード・ローティ 『偶然性・アイロニー・連帯』
 東は、それぞれについて2-3ペ−ジ以上かつ複数個所で紹介し、順次、ほぼ否定していく。例えば、ジョン・ロールズリベラリズムについては、1970年代に、コミュニタリアニズム(後述の二層構造ではナショナリズムにつながる)とリバタリアニズム(二層構造ではグローバリズムにつながる)とに引き継がれたとされる。今ではリベラリズムは、理想主義、普遍主義として、顧みられない。これは私としてはややショックで、本当かと思う。
 詳細は省略するが、東は、現代社会は「二層構造」の世界だと見る。判りにくい概念だが、私なりに表に整理してみた。

(右は私の仮称) (A層) (B層)
ナショナリズム グローバリズム
政治 経済
公共 私的
人間として生きる 動物として生きる
コミュニタリアニズム リバタリアニズム
国民国家 帝国
主要な権力の質 規律訓練 生権力
抵抗運動の主体 固定した党組織等 マルチチュード*2
旧ネットワーク ツリー(枝分かれ状) リゾーム(網状)
新ネットワーク スモールワールド性 スケールフリー性

 A層のナショナリズムの列は、20世紀(19世紀以前も)の哲学者、人文学者が、人間としての条件を目指していたものだ。国家から世界国家、世界市民の成立を期待した。しかし、その後のグローバリズムの進展は、経済、消費の世界の話(B層の動物の生き方)で、政治の世界では国境は依然として残っている。
 「二層構造」の世界で、東が抵抗の主体として期待しているのが「観光客」だ。「観光客」とは、「動物の層から人間の層へつながる横断の回路を探るもの、すなわち、私的な生の実感を私的なまま公的な政治、公共と普遍とにつなげる存在の名称」だ。ネグリらの「マルチチュード*3の概念に近いとも見られる。ただ、ネグリらは、ネットの力で「連帯」すれば何とかなると考えているようだが、東はそれでは弱いと見る。
 東はここで、数学的ネットワーク理論から、人間社会のネットワークの「スモールワールド性」と「スケールフリー性」という概念を導入する。「スモールワールド性」とは、ネットワークの「大きなクラスター係数」と「小さな平均距離」から、比較的小さな人間社会のつながりを示すモデルだ。「スケールフリー性」とは、ネットワークの各頂点の次数(その頂点に繋がる辺の数)が、小さいものから無限に大きいものまである(ロングテールと類似の概念)ことから、大きな格差の存在を示すモデルである*4
 すなわち、人間社会のネットワークには、コミュニティなどのつながりを表わすスモールワールド性(一対一の対等の関係。何故か国民国家に通ずる)とグローバルに大きな格差の存在を表わすスケールフリー性(帝国に通ずる)がある。20世紀の哲学者は、前者が人間本来のあり方で、後者は人間の条件が剥奪されていると考えた。しかし、本当は両者は一つの関係の二つの表現で、つねに同時に感覚される。
 一つのネットワーク内の二つの秩序の中を若干不真面目にあちこち見て回る「観光客」は、「誤配」 *5も生じつつ、グローバリズムへの抵抗の主体となる。これが、「再誤配の戦略」、「観光客の原理」である。
 私の感想としては、本当かと疑う。本自体は面白く読んだが、実践例が多く出てからナンボの理論ではなかろうか。また、私が懸念している、現代世界の多文化主義の行き詰まりと脱世俗化の動向に果たして対応できるのだろうか。更に、公正と自由との両立を目指すリベラリズムの挑戦は今後も続いていくと期待したい。
苅部ゼミレポート(追補版).docx 直

*1:東浩紀『観光客の哲学』(ゲンロン0、(株)ゲンロン、2017年4月)

*2:多数の市民やNGOからなる国境を越えたネットワーク状のゲリラ的な連帯

*3:グローバル社会における権力に対抗する勢力として、ネットを介してグローバルにつながる民衆(「4(2)帝国」の項参照)

*4:旧来の社会構造論の「ツリー」は上下の階層関係を表わし、「リゾーム(根茎)」は網目状の関係を示す。その形状から明らかなように別のネットワークを作成しなければならなかったが、ここでは同じネットワーク上で、2つの概念を論ずることができる。

*5:東の導入した概念。「誤配」とは、「郵便」の過程で生じ得るコミュニケーションの失敗。「郵便」とは、存在しえないものは端的に存在しないが、現実世界のさまざまな失敗の効果で存在しているように見えるし、まだそのかぎりで存在するかのような効果を及ぼすという、現実的な観察を指す言葉。