米国の戦後政治思想と日本の政治状況

 私としては珍しく、政治思想に関するレポートを書いたので、紹介する。A4版で15ページと長くなったので、別添ファイル(Word)とした。決して面白いものではないので、お勧めしない。
 背景を2点説明する。
 第1は、今年の春から世田谷区の市民大学のゼミに参加しているが、図らずもそこでレポートを書くこととなった。ゼミの名前は「戦後の政治思想を読む」、指導講師は苅部(かるべ)直 東大教授だ。内容は、宇野重規編『民主社会と市民社会』(岩波書店リーディングス戦後日本の思想体系シリーズ、2016年8月)に掲載されている戦後の日本の識者の評論約20編の中から10数編を選び、輪読形式で報告者を決め議論していくというものだ。最後の2-3回は同書から離れ、何人かが自由にテーマを設定してレポートを作成して議論ということになった。自発的な立候補者が何人かいたが数が少し足りず、ここで図らずも苅部講師から私が指名されてしまった(決して自発的でないという説明)。
 第2は、私のテーマ選定の背景で、詳しくは別添ファイルに書いてある。要するに、私は最近の日本の政治状況に当惑しており、そのため外国、具体的には米国の政治思想論争を調べたということだ。
 内容は、半分強が仲正昌樹アメリ現代思想』(NHKブックス、集中講義!シリーズ、2008年9月)の紹介で、半分弱がその他の本の紹介だ。仲正著は、ウェブでこの調査に関連する文書を調べ図書館で何冊か借りた後、気に入ったのでアマゾンで買った(書込みができるから)。なかなかいい本だと思う。索引がしっかりしているのもうれしい。
 もう1つのpdf版の添付ファイルは、仲正著に出ていた人物関係図に、私が四角や丸などを書き込んだものだ。本文の参考になればと思う。

 今回の調べで、私が印象的に感じたことは、21世紀に入っての世界の潮流として、「多文化主義の行き詰まり」と「脱世俗化(=宗教の復権)」が挙げられていることだ。世界の民族間、宗教間の争いは当分無くなりそうもない。
 それから最後に書いた、日本の政治学で今後議論してほしいこととして挙げた「今進行しつつあることは何なのか、我々の身に何が起ころうとしているのか」は、フーコーが哲学の問いとして言ったことだそうだ(孫引き)。イスラエルとアラブはどうなるのか、北朝鮮はどうなるのか、トランプ大統領はどうなるのか、安倍首相はどうなるのか、そのような細かい具体的な設問への回答は期待しないが、大きな方向についての議論がほしい。

以上
苅部ゼミレポート.docx 直
仲正・米国現代思想のあらまし.pdf 直

アリゾナとミズーリ

 タイトルの米国の州名2つにハワイを加えると何になるか。グーグルで検索すると一発で「ハワイの真珠湾ツアー(アリゾナ記念館と戦艦ミズーリ号)」が出てくる。それぞれ、日米太平洋戦争の発端と結末を象徴する戦艦だ。これは日本語向けの検索だからと思い、言語を英語に変えて検索したが同じ話題が出てくる。
 私は9月下旬に、縁者の慶事でハワイに行った際に見学に行った。ワイキキのホテル内にあるJTBのオフィスで探すと日本語ツアーがある(やはり日本語がいい)。同行者を誘ったら、朝6:10集合の早さに怖じ気づいて誰も参加しない。私1人で出発。
 以下、1)アリゾナ記念館、2)戦艦ミズーリ、3)その他トピック(廊下側窓のホテル、TSAロックのトラブル)、4)参考資料について紹介する。本文は約5,000文字だが、写真(我ながら下手)の数が多いので、長くなった。ご容赦を。

1) アリゾナ記念館
 日米戦争の発端となった1941年12月8日(現地時間では7日)の真珠湾奇襲では、米軍側に艦船22隻の撃沈・大中破、死者2300名余等の被害が出た。中でも撃沈した戦艦アリゾナは1,177名の戦死者を出した。艦の損傷が甚だしかったため、引き揚げは行わず、1962年に、沈んだ艦の真上に慰霊施設としてアリゾナ記念館が建設された。
 昨2016年12月に、日本の首相としては初めて安倍首相が訪問したことで有名だ。
 写真はアリゾナ記念公園で、2枚目はアリゾナ記念館とミズーリ号が遠望できる。


 海上アリゾナ記念館に行くには、対岸のビジターセンターがあるこの記念公園から海軍のボート(150人乗り)に乗る。ビジターセンターは広い公園で、映画館と2つの資料博物館その他の記念設備がある。アリゾナ記念館へのボートに乗る前に、映画館で25分間の映画を観ることが必要だ。
 写真は連絡ボート。

以下若干の感想。

  • 映画館その他の説明が、客観的、中立的と感じた。映画の中で、日本が宣戦布告前にだまし討ちの攻撃をしたなどとは言っていないようだ(たまたま英語版を見ていた)、米国側の対応の不備(事前の予測不足、最初の攻撃も当初訓練と錯覚、等)について触れていることも多い。
  • 火曜日だったが見学客が多い。米国人に限らず、日本人その他の外国人も多い。各国語対応の説明ガイドが用意されているが7か国語に対応している。
  • 写真はアリゾナ記念館の中、2枚目はそこからみられるオイルの流出。沈没した水中の艦からオイルの流出がいまだに続いているのも、改めて眼前で見るとショックだ。



2) 戦艦ミズーリ
 戦艦ミズーリを見学するのは私としては実は2回目だ。たまたまちょうど30年前の1987年7月に米国サンフランシスコ港で2日間一般公開された。当時、同地に赴任していた私は見学に行った。当時社内誌に書いた雑文(短い)を4)に載せたので参照ありたい。
 簡単に戦艦ミズーリの歴史を紹介する。1944年1月に進水式後同年6月から就役。日米戦役に参加。日本の降伏文書の署名は、東京湾に停泊したミズーリ号の艦上で1945年9月に行われた。その後1951年からの朝鮮戦争に参加、1955年に一旦退役。1986年に湾岸危機に就役するために復役して湾岸戦争に。1992年に再度退役、1999年にハワイの真珠湾で記念艦に(現状)。
 満載排水量5.8万トン*1、全長270m、乗員数2,534名(太平洋戦争時)。最後に製造され、最後に退役した戦艦として知られる。ここで戦艦(battleship)とは、大口径の大砲と厚い装甲を有する大型軍艦で、かつては海軍力の中心だった。20世紀後半には航空母艦にその位置を譲って、今では就役しているものはない。1955年に一旦退役した際にはmothball(文字通りでは「蛾丸」、防虫剤)と言われる方法で保存されていた。これは、動力部や回転部を長期間油漬けにして、再度動かせるようにしておく方法だ。かつてサンフランシスコ北方の奥まった湾に何隻もmothballされている艦船が、高速道路から遠望された。現地米国人スタッフから教えられるまま、日本からの旅行者に得意げに説明していたものだ。現在は、記念艦として一般展示されていて動力部等は錆びるままだから、再就役は不可能とのこと。最近のコミックにはミズーリの復活話が登場しているとの質問があったが、あり得ないとの回答。
 30年前の見学と今回との違いで感じたことを幾つか述べる。

  • 30年前は就航している艦船の一時的公開だから、公開区域は、降伏文書調印の場所や砲塔の外観など限られていた。展示内容も基本的に間に合わせのパネルなどだ(それでも十分興味深かったが)。説明員は殆どいなかったと思う。
  • 今回は退役して一般展示用に改造したから、本格的な展示だ。艦内の船員の寝台、食堂など広い区画に見学客用の歩行通路が設定されている。展示パネルや説明員の話も充実していて面白い(日本語の説明員もいる)。
  • 降伏文書関係で面白かった展示は、1853年のペリー提督の黒船来航時の星条旗(31州の星)が調印式時に用意されたとのことで、展示されていた(この展示は複製品だったかも知れない)。日米間の長い絆を示したかったのではないかとの説明であった(日本向けでなく、他の連合国に対して示したかったのであろうと思料)。場所を東京湾にしたのも黒船来航にちなませていたのかも知れないとのこと。

写真は、調印場所である右舷、そこの床に設置されている調印場所を示す丸い銘板、31星の星条旗だ。


  • 降伏文書は、連合軍総司令官分、連合国9か国分と日本分と計11部作られたが、日本用の分だけ署名国の国名(タイプ)と署名欄がずれていたとのことだ。原因は6番目の署名者のカナダが雑談(?)していて署名欄を間違え、その後の署名国が全てずれたからだ。日本側代表団はこのような欠陥文書を持ち帰る訳に行かないとごねたが、下船した代表もおり、再署名は不可能。知恵者がいて国名のタイプ部分をイニシャルで修正したとのことだ(誰のイニシャルだったのだろう)。原本は日本の外交史料館(麻布台)の保管庫に保管されているとのことだ。この原本のコピーがパネルで展示されていた。写真は、6か国目以降の国名が汚く訂正された日本用のコピーと、多分米国用の正規版のコピーだ。*2


  • 署名は、各国代表が順番に11枚もの文書に署名していくが、その全体を上から撮った写真がパネルとしてあった。随分ごちゃごちゃしていたとの感じだ。

  • 降伏文書以外のパネルで興味深かったのは、1945年4月に日本のゼロ戦特攻機が低空で進入して右舷に衝突して大破したことを取り上げていたことだ。艦長はこの操縦員を、名誉を持って自らの任務を全うしたとして海軍式の水葬で弔うことを決定した。乗組員からは反対もあったが、艦長の命により翌日水葬が執り行われた。海軍葬では星条旗で遺体を包むが、日本人には不適当ということで、乗組員が徹夜で旭日旗を見様見真似で縫い上げたとのことだ。

 この旭日旗の話とか、前述の31星旗の話とか、米国人は儀式をできるだけ華やかに行うのが好きなのだと感じた。特に約100年前の国旗をわざわざ用意するなど凝りすぎではないか。日本が負けることを見込み、更に調印式をミズーリ号上で行おうと余程前から準備し、古い国旗も用意していたとしか思えない。

3) その他のトピック
真珠湾とは関係ないが、今回のハワイ旅行で面白かったことを2点紹介する。
a) 廊下側に窓のあるホテル
 今回のハワイでの慶事に出席してくれた親戚の独身男性が泊まったホテル(一応ワイキキ)の部屋は、廊下側に窓があると言って写真をくれた。すなわち外光を取れる外側に窓が無いので、廊下側に窓を開け採光しているのだそうだ。日本のカプセルホテルのようなものだが、大きなベッドがあって立派とのこと。窓の内側からカーテンが引けるので、外から覗けない。
 部屋代は幾らかと聞いたら、フライトと一緒の料金なので判らないとのことだ。このようなホテルを好まない人は注意したらいい。

b) TSAロックの破損
 TSA(Transportation Security Administration)ロックとは、2001年の9.11の事件以降強化された、空港での保安検査に対応したロックだ。米国運輸保安庁は電磁的検査等によって米国に入出する荷物の検査を行うが、一般に疑わしきものについては開封して目視検査を実施できる。そのため一切施錠せずに荷物を預けることが求められている。
 ただし、TSAロック機能が装備された荷物・錠前等は、持ち主が施錠していても、運輸保安庁係官が専用の合鍵を用いて、随意開錠し検査することができる。そのため、航空機への預け入れ時にも、施錠して渡すことができる。
 前置きは以上で、今回の話題は半月ほど前に購入したTSAロック付きスーツケースだ。羽田空港から自宅に帰って開けようとしたところ、2個付いているロックのうち1個が開かない。施錠して預けたものが検査の際に開けられたことは、中身の包装用ビニールが側面から覗いていることからも明らかだ。
 このトラブルは割にあるようで、主要な北アメリカの航空会社は、TSAロックを含む全ての施錠を「しない」よう強く推奨していると」のことだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/TSA%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF 
 全く困った話で、スーツケースがずっと開かないと大変だ。一応こじ開けたが、また閉めると開かない。壊れている。旅行保険の携行品保険で対応できるようなので、保険会社に連絡を取った。保険約款に「空港などの安全確認検査での錠の破損」も対象と明記してあるので大丈夫とのことだ。

4) (参考) 1987年のサンフランシスコ港でのミズーリ号見学記(社内誌に寄稿)
「戦艦ミズーリ号」 在サンフランシスコ 荻布真十郎
 「ミズーリ号がサンフランシスコ港へ……」 通勤中のカーラジオのニュースがこういうことを言ったようだ。ミズーリ号、はて、どこかで聞いたような。耳をそばだてる。「歴史的……、戦艦……、日本……、7月4、5日に一般公開……」 思い出した。太平洋戦争の降伏文書の署名は、東京湾に停泊したミズーリ号の甲板で行われた。傲然と立っている米軍司令官の前で重光葵外相が1人机に座らせられて署名している有名な写真が想い出される。
 あれは42年前の9月2日(後日の調べ)。その戦艦がまだ動いているとは。胸が騒ぐ。7月4日(独立記念日)に見に行くことを決心。ついでに新聞記事を調べて見る。
 同艦の今回のサンフランシスコへの寄港に伴うトピックが2つある。第1は、米艦スターク号がイラクから撃沈されたことが端緒となったレーガン(大統領)のペルシャ湾防衛構想が本決りとなれば、ミズーリ号が7月中にもペルシャ湾に派遣されるとのことで注目を集めている。
 第2は、ミズーリ号の母港を2年後にもサンフランシスコ港に移す計画があり、賛否両論がかまびすしい。賛成論は雇用創出(6,814人との試算)等の経済効果。ミズーリ艦隊は、計11隻からなり、乗員は計5,863名と巨大なもの。
 反対論は、住宅不足、交通渋滞等環境悪化への反対から軍備拡張反対などが普通のもの。変った反対論は、海軍がゲイを「恐喝に屈しやすい」としてミズーリ号母港関連業務から排除する方針を明らかにしたことに始まる。次期市長選に立候補を予定している主要な5人のうち2人が、ゲイへの差別に反対との立場から母港問題に反対だ。
 さて当日、賢明にも混雑を予見した妻が子供を連れて行くのに反対したので1人で出発。駐車場を見つけて長い行列に並び始めるまでに30分。待つ人の中には相当の年配の人もいることがミズーリ号の歴史を語っている。並び始めてから3時間で艦上へ。大きい。資料によれば、排水量58,000トン、長さ266メートル、速さ30ノット以上。
 問題の降伏文書の署名が行われた甲板の床には銘板が埋め込まれ、横の壁には降伏文書と調印式(署名式)の写真が掲示されている。その前には見学の米国人が滞留していて行列が進まない。昨今の日米貿易摩擦への苛立ちから、再び日本が降伏する夢を見ている米国人がいるのでは。
 米国人の関心とは違うであろう感慨で私も降伏文書(Instrument of Surrender)を一読した。主文は「ポツダム宣言を受諾する」で、これが降伏のことかと改めて納得。日本側の署名者は重光葵外相と梅津美治郎参謀総長。英文文書に漢字で署名。持ち慣れないペンで横書きのためか、緊張のためか、船の揺れのためか多少金釘流に見える。連合国側が9か国も署名していることも初めて知った(米、中、英、ソ、豪、仏、加、蘭、NZ)。このため、全員が座れる大きな机が艦上に無く、署名者が順に机に座って署名したものと思い至った。重光外相が皆の前で屈辱的に1人机に座らせられて署名したという、私の昔からのイメージは誤解だったようだ。
 ミズーリ号訪問は、私の小さな戦後に一区切りをつけてくれた。米国人の関心も高いため、複雑な気持ながらも、米国人と共有している歴史があるという実感を初めて味わうことができた。

*1:日本の戦艦大和と武蔵は7.2万トンで更に大きい。

*2:日本版は麻布台の外交史料館のHPにもある、拡大するとその事情が判る。http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000094983.pdf

映画と本(三度目の殺人、メッセージ)

 この記事のタイトルは、本当は「映画と原作」としたかった。しかし、今日紹介する本2冊のうちの1冊は原作ではなく、「ノベライズ」本というジャンルだ。すなわち、先ず映画があって、その後それをノベル(小説)化した本だ。だから映画の原作ではない。むしろ映画の方が小説の原作とも言えるが、小説→映画の場合と違って、脚色されることは少なく、映画の筋をなぞる場合が多いようだ(他に殆ど読んだことがないから詳しくはない)。
 私は、元来しみったれだから、映画と本とを両方鑑賞するということは殆どない。金と時間の二重投資がもったいないと思うからだ。しかし、この2か月で2回も二重投資をした。それぞれの理由は全く異なる。

〇 三度目の殺人
 紹介する映画の1本目は、2017/9/9に公開された「三度目の殺人」だ。是枝裕和監督作品、ベネチア国際映画祭出展ということで、前評判が高く、(前宣伝が効いて)私は公開初日の9月9日に見に行った。
http://gaga.ne.jp/sandome/ 
 映画は面白かったが、次のようなことが気に懸り、確かめたくてAmazonでノベライズ本を注文した(宝島社文庫、2017/9/6発行、著者:是枝裕和、佐野晶)。できるだけネタバレにならないようにして(多少はなるが)、紹介したい。
•先ず 「三度目」という用語に違和感を覚えた。三度目というと同じ人が3回犯した殺人の3回目を指すのではないか。ネタバレだが、映画では3回目の殺人をしたのは1回目、2回目とは異なる人だ。この場合「3番目の殺人」ないし「第3の殺人」というべきではないか。例えば「三度目の結婚」という場合、別の人の結婚回数までカウントしない。それが正しい日本語だろう。私は、映画の途中で、主人公の被告(俳優は役所広司」が裁判で無罪等になり、釈放後、第3(3度目)の殺人を犯すというストーリーだと誤解してしまった。
 くどくなるが、英語では「三度目」に当る適切な形容詞がなく、三度目の殺人は、the third murderではなく、the murder for the third time と表現するだろう。ベネチア国際映画祭の公式ウェブページの英語版を見ると「The Third Murder」と映画のストーリーに従って正しく(?)意訳されている。*1

 以下は、映画を見て抱いたその他の疑問だが、ノベライズ本を読んでも解決しなかった(上記の「三度目」も解決しない)。考えてみれば当然で、以下の疑問は、普通の小説家であれば、十分に検討し、読者に疑問と不満を抱かせないようにして小説にするはずだ。最初が映画だから、その部分はあいまいですまされるのだろう(映画には映画特有のプロットがある)。以下の疑問の詳細は、ネタバレに通ずるし、マニアックな面もあるし、また、とにかく解決していないので、省略する。
• 1度目の殺人について、動機等の詳細を説明すべき。
• 娘(俳優:広瀬すず)の足が悪くなったのが生まれつきか、事故だったかについて、娘がうそを言っているらしいが、その意味が不明。
• 娘と容疑者との関係はあったのか? 無い方が話としてはいいと思うが、あったとしたらその意味を説明すべき。
• 娘と父親との関係(経緯等)を説明すべき。
• 母親の依頼はあったのか? メールの文面が1度しか出ないので分析ができない。
•「器」という言葉に違和感。(これはノベライズ本である程度納得)
 先ほど「読者に疑問と不満を抱かせないようにすべき」と書いたが、世の小説には、結末を示さず、読者の想像に任せるということにしているものが少なからずある。日本のSFや未来派小説に多いが、私は好きではない。具体的事例が思い出せないが、例えばおどろおどろしいエイリアンが出てきていろいろ暴れるが、最後は突然消える、しかしその出現は人類に警鐘を鳴らすものであった、との類である。設定の特異性と結末への期待が、最後に唐突に裏切られてがっくりする。

〇 メッセージ
 映画と原作という観点で、8月に見た映画を紹介する。少し古いが5月19日にロードショーがスタートした映画「メッセージ」だ。ただ、今はどの映画館でもやっていない。私が5月のロードショー開始時の映画評論を読んで興味を持ったのは、地球外から来た知的生命体との意思疎通を図るため、言語学者が活躍するという点だ。
http://bd-dvd.sonypictures.jp/arrival/ 
 言語学者が活躍するというのは、特別な言語体系なのであろう。それとコミュニケーションできるというのはどういうことか。映画をいきなり見ても難解だろう、あらかじめ原作を読んでおいた方がよい、と考えた。しかし、本をわざわざ買うのも無駄遣いかと思い、近所の区立図書館で調べたら、あったので予約した。
 原作は、テッド・チャン「あなたの人生の物語」(Story of Your Life)」(原書は1998年米国、邦訳はハヤカワ文庫SF、2003年9月。なお、映画の方の原題は、Messageではなく、Arrivalとのこと) *2。 安易に図書館で予約しまったのが敗因で、入手できたのは8月になってしまった。読んだ後、ウェブで上映館を探したら、厚木市(神奈川県)の某映画館でしか上映していない。早速観にいった(後述)。現時点の9月では上映館は無く、10月からDVDが発売されるとのことだ。
 原作は面白かった。エイリアンの言語体系は2つあって、発話言語(A)と書法体系(B)だが、2つの文法は全く違うのだ。Aは遂次的、すなわちsequential、時間順の概念がある文法(これが地球人一般の言語)だが、B書法体系では各時制が同じ画面上に記述される。書き順を見ると、結論ないし将来の結末から書き出される場合がある。これから、エイリアンの時間認識は、過去、現在、未来を同時に認識しているらしいことが推論される。また、この時間認識ではBの表現の方が効率的で、Aの時間順はもどかしいのかも知れないとも推測される。科学の分野では、変分法の理解は早いのに、微分は苦手らしいことが観測される(微分は時間変化率が鍵だが、変分法は到達点が判っており、それから経路を分析する)。
 主人公の言語学者(女性)は、このエイリアンとの接触、言語の分析を通じて、エイリアンの時間認識法の影響を強く受ける。すなわち未来が判るようになる。未だ胎内にいる自分の娘が将来若くて事故死することが予見できてしまう。予見できるなら、それを避けるような手筈を講ずればいいと思うが、エイリアンも、その影響を受けた言語学者もそんなことはしない、定まっていることは受け容れるとの精神構造になっているのだ。

 映画はどうだったか。面白かった。だが、原作とは相当違う。巨大な黒い「柿の種」形状の宇宙船で地上(空中)にやってきて、世界の8か所か9か所の空中に留まり、各地の地球人と接触を行う(主人公はそのうちの1か所で活躍)。巨大な柿の種などあったっけと原作を探したが、そんなものはない。映画では8-9か所に過ぎないが、原作では地球上約130か所もの多くの場所に、エイリアンがコンタクトポイントを設置する。コンタクトする画面のサイズも人の高さ程度ぐらいで割に小さい。
 原作の文章では具体的イメージが判らなかったエイリアンの書法体系Bも、映画だから見せてくれる。過去、現在、未来の同時(正確には同画面か)表現とはどういうものか関心があったが、映画で示されたものはセンスがなく、余り感心しなかった(私は)。
 原作に無いエピソードも盛り込まれている。確かに原作通りだと見せ場がなく映画になりにくいかも知れない。両者ともよかったが、総じて、原作の方が深く思索しているようで面白かったが、内容は地味かも知れない。

マイナンバーカードのメリット

 マイナンバーカードを作ったのは、制度発足後間もない2016年4月。その時の事情は弊ブログ「マイナンバーカードの受取」(id:oginos:20160413)で紹介した。その後、確定申告(すなわち今年の3月)にしか使っていなかったが、今回非常に有益な用途を発見したので、報告する。住民票の交付手数料が200円になることだ。
 久しぶりに住民票の写しを取りに、世田谷区役所の某出張所に行った。持って行ったのは、マイナンバーカードと印鑑登録証カードだ。住民票を取るのにマイナンバーカードも使えるようになったと聞いていたが、使うのは初めて。役所の手続きは何があるか判らないから、念のため印鑑登録証カードも持って行った次第。目的は、出張所内に設置してある「証明書自動交付機」の利用だ。窓口だと300円の手数料だが、自動交付機だと250円で安い。これはかねて印鑑登録証カードを利用して実証済みだ。
 それで、自動交付機にマイナンバーカードを入れたが使えない。目を疑って、受付の職員に理由を聞いてみると、マイナンバーカードは国の発行するものだから、地方機関の区は対応してない(できない?)という。コンビニエンスストアならマイナンバーカードを使えるという。
 コンビニで使えるようになったというのは、新聞で知っていたが、区の施設では使えないというのは笑い話だ。念のため、コンビニでの手数料を聞いたら、200円だというので、またびっくり。区の職員は、このことはあまり知られていないから宣伝してほしいという。私がブロガーということを知っていて頼んだ訳ではないだろうが、彼の依頼に応えることにした。
 それで、区出張所の目の前のファミリーマートに行った。よく使っているチケット等を発売する「Famiポート」*1の所に行ったが、住民票というボタンが見当たらない。店員に聞いたら、コピーの機械で発券できるとのこと。コピー機を見てみると、確かにマイナンバーカード等を読み取る機構などを備えた装置が付いている。ということで、200円で無事住民票を入手できた。
 感想を1つ付け加えると、全ての段階で動作が遅い。推測するに、セキュリティチェックのための通信が厳重なためだろう。既存のチケット等発売機(Famiポート)を利用できれば簡単だろうと思うが、少なくとも住民票のサイズを印刷するための改造が必要だ。コピー機の改造もセキュリティの面から楽ではなさそうで、全国的に見ると大変な投資だろうと思う。もっとマイナンバーカードの用途を増やさないともったいないと思った。

*1:ローソンではLoppi

将棋ブームとAI

 14歳の中学生藤井聡太4段が公式戦29連勝の日本記録を作ったということで、大変な将棋ブームだ。一方この5月に、AI(人工知能)の将棋ソフト「ponanza」が電王戦で、佐藤天彦名人を破ったというこたが話題になっている。本稿は、藤井4段が子供の時に遊んだゲームと将棋ソフトに関する感想を述べる。
 ちなみに、私は、藤井聡太4段の28連勝目の試合(対澤田慎吾6段、6月21日)をabemaTVで見た。夜の7時ぐらいから見始めた。私は将棋は殆ど判らないが、8時頃(80数手前後)までの段階では、藤井4段が不利のような感じで、解説者もそのようなことを言っていた。ところが、私には不可解な桂打ち(89手目、5四桂) *1の後、私には判らないまま、澤田6段の投了となった。世に「藤井マジック」といわれるものだろう。

1) ハートバッグとキュボロ
 雑誌「将棋世界」2017年8月号に、藤井4段とAI将棋の記事が出ていたので買った。この雑誌上では連勝記録は25の時点だが、大崎善生(作家)の新連載ドキュメント「神を追い詰めた少年−藤井聡太の夢−」の第1章「将棋との邂逅」が掲載されていたので読んだ。
 藤井が将棋を始めたのは満5歳で、祖母に勧められてからというのは有名な話だが、祖母と母が、この子は少し(相当)違うと思い始めたのは3歳の頃だそうだ。大崎連載ドキュメントでは、幼稚園で習った折り紙遊び「ハートバッグ」と積木玩具「キュボロ」が紹介されている。
 「ハートバッグ」は、モンテッソーリ幼稚園(保育園)で教材に使われているというフェルトを使った折り紙だ。藤井少年は3歳の頃これに夢中になり200個も作ったという。
https://ameblo.jp/montessori-japan/entry-12284254512.html 
 上のURLは、モンテッソーリのHPに出ている作り方だが、よく判らない。いろいろウェブで探しても、作り方のポイントが判らず、私も作れない。上のHPでは、4片に切ったものだが、3片に切った簡易版もある。しかし恥かしながら判らない。日本語のページをいろいろ見ていると、判りやすいという英文ページを紹介したものがあった。
http://gingerbreadsnowflakes.com/node/28 
 これは3片型だが、各辺に番号を付けてあって実に判りやすく、私にも作れた。大人でも難しいものを3歳の子供が100個以上も作ったということで大きく評価されているが、私が思うに、上記英文ページで説明されているとおりに教えればそんなに難しいものとは思わない。多分、藤井少年は、3片、4片に留まらず、多数片のものに挑戦し続けて周囲を驚かせたのだろう。
 次に「キュボロ」だ。大崎ドキュメントによれば、NHK教育テレビの「ピタゴラスイッチ」(毎日午後7時半から5分間、他)に出ているビー玉の動きに夢中になっている藤井少年を見て、母親が気になるゲームを見つけた。溝の付いた5cm角の立方体を組み合わせてビー玉を上から下まで転がす、スイス製の知育玩具だ。父親と相談して、3歳のクリスマスプレゼントに買った。少年(幼児か)は夢中になって大人も理解できない組み立てもしたそうだ。
http://www.deppa-chan.com/article/449529183.html#third 
 私の孫(小3)にはそんな天分があるとは夢思わないが、買えば面白がるかと思ってウェブを見て驚いた。標準タイプで3万円台だ。年金生活者には手が出ない。藤井家の両親は偉いと感心したが、少年も余程の天分を見せたのだろう。

2) AI将棋
 AI(人工知能)ソフトでは、最近では5月に囲碁において、グーグルが開発した「アルファ碁」と世界最強とされるプロ棋士、柯潔九段との3番勝負が行われ、アルファ碁が3連勝した。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFG27H6L_X20C17A5000000/ 
 将棋においては、囲碁よりも前からAIソフトの強さが言われてきたが、本年5月の「電王戦」*2が話題になった。
 2011年から実施されているようで、大体コンピュータ側の勝率が多く推移してきたが、今年は、プロ棋士(叡王戦というタイトル戦の優勝者がなる)側が佐藤天彦名人で、電王戦としては初のビッグタイトル保持者ということで特に注目を集めた。将棋ソフト側はponanza、作者(プログラマー)は山本一成氏。4/1、5/20と2試合行われたが、ソフト側の完勝となった。
 第1戦はponanzaの先手で、第1手3八金、第3手7八金と、人間では予想外の手だった。第2戦はponanzaが後手で、先手(佐藤名人)の飛先の歩突き(2六歩)に対し、4二玉とこれまた驚愕の手で、(録画画像では)佐藤名人は頭を抱えていた。後で調べると、ponanzaの初手は20数通りあるようで、確率的に選んでいるようだ。後手の場合、先手の2六歩に対しては7通りの応手があるとのことだ。
 6/25に放送されたNHKスペシャル人工知能 天使か悪魔か 2017」*3では、この電王戦を取り上げていた(将棋以外のAIの事例もあり、面白かった)。ponanzaの作者山本一成氏と将棋の羽生善治3冠、佐藤名人のコメントが印象的だった。
(山本) (ponanzaが)何で強くなっているか、作者でさえもよく判らなくなっている。
(羽生) 棋士が直面している違和感は、人工知能の思考がブラックボックスになっていて、どうしてその結論になったのかが判らないことだ。今後人と人工知能との共存が必要だが、大きな問題になるのではないか。(ここだけ読むとネガティブな印象だが、羽生自体は人工知能に多大の関心を有しているようだ)
(佐藤) 今まで(定められたルールに基づいて)人は将棋を進歩させてきたが、それは部分的なものだったような気がする。将棋の広い宇宙の中で、今までの将棋は1つの銀河系の中に過ぎなかったのではないか。(今後広い宇宙の中で)どのような将棋があるか探求していきたい。(以上、引用の文責は私。すなわち不正確)
 ブラックボックス化については、ディープラーニング(深層学習)技術ではそうだろうと思える。膨大な学習の各層の関係を人に判るように表現するのは一般に困難だろうと思う。しかし、AIの推論(推論という語が適切かは判らない)の過程を人間に伝える手法の開発、また逆に推論の過程を人間の価値判断で修正しAIにフィードバックする方法、更に、AIの推論過程と結論の正しさを第3者的に監査する人又は機械(これをまた監査する主体も必要になるか)の開発が今後必要になるかと思う。
 それがない場合、現在日本では無視されることが多い、いわゆるシンギュラリティ(技術的特異点)問題が生ずる可能性もあると感じるようになってきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%9A%84%E7%89%B9%E7%95%B0%E7%82%B9 

富士登山(結果)

 さる1月25日の弊ブログ(目指せ!富士山 id:oginos:20170125 )で触れていた富士山に、息子と2人で7月8-9日の1泊で行ってきた。結果は、3400m地点(吉田口ルートの本8合目)で引き返した。私の体力が続かなかったためだ。以下経緯も含め、報告する。最大の目標は、山頂到達よりも、できるだけ人に迷惑をかけないことだったが、何とか達成できた(息子には世話になったし、少なからず迷惑もかけた)。以下、1)簡単な経緯、2)その他のトレーニング、3)低山登山、4)登山用具その他、5)実際の登山、6)反省について述べる。約7000字と長いがご容赦を。

1) 経緯
 今年の元旦に息子が年賀に来て、飲み食いしているうちに、富士登山に誘われた。私が素面であれば即刻断っていた筈だが、酔っぱらっていて前向きなコメントをしたようだ。忘れていたが、数日後家人から言われた。息子と改めて連絡を取り、私の方で、体力チェックなど可能性を調べ、1月末までに方向を決めることとした。
 その後、前述の1月弊ブログでも説明したように、本を読む、友人に聞く、トレーニングをするなどの検討を進めた。基本は50年間使っていなかった身体のトレーニングだ。その過程で、富士山不可能という決定的な要因が出ないまま、なし崩し的に(?)富士登山に進んできた次第。

2) 各種のトレーニン
 1月ブログで紹介したデパートの階段昇りは、バス等に乗ってデパートまで行かねばならないので、少し面倒だ。やや飽きて、目標(階段12階分を10回)も沙汰止みになった*1。それ以外に、近くの国分寺崖線という、多摩川沿いに細長い傾斜地の、階段もよく登った。適当になってきたが若干効果があり、友人たちとの飲食の場所がビルの6、7階だと1人で階段を昇った。エレベーターが混むからだが、みんなにびっくりされた。
(インターバル速歩トレーニング)
 リアルな書店でたまたま、次の本を見つけた。
〇 能勢博「山に登る前に読む本」(ブルーバックス、2014年8月)
 副題の「運動生理学からみた科学的登山術」の「科学的」に惹かれて買った、その中で薦める「インターバル速歩トレーニング」を始めた。3分間速歩、3分間並歩(ゆっくり歩き)を5回繰り返すというものだ。この30分間のトレーニングを1週に3-4回おこない、半年ほど続ければ10歳若返る体力が得られるとのことだ。簡単そうなので、早速、冷蔵庫のドアに磁力で貼り付けていたキッチンタイマー(元は100円ショップ)を持ち出し、3分間ずつ測ることとした。3分間も3回ほど続けると割に息が上がり、トレーニングになりそうだ。

3) 低山でのトレーニン
 春になって、近くの山に行った。高尾山(東京都八王子市、標高599m)に3回、大山(神奈川県伊勢原市、標高1252m)に2回行った。そのうち高尾山の最初の2回は、家族と行った初歩的なコースで、私はトレーニングだからケーブルカーは使わなかった。特に問題なかったので、上々の出足と感じた。
a) 大山の1回目、貧血
 大山の1回目(5/2)は老人大学のグループのハイキングで、途中の見晴台(769m)までのもの。実は途中で(標高678m辺り)、貧血状態になった。ケーブルカーに乗らずに登ったら階段の連続で割にきつく、真っ青になったらしい。茶屋で5分ほど1人で休んでいたら元に戻ったので、皆の後を追いかけた。その後は問題なかったが、一時ダウンしたのはショック。多分4月に香港マカオに行って夫婦でお腹をやられ、1-2週間調子が悪かったことが後を引いていたのだと思う。
b) 高尾山の3回目、足つり
 高尾山の3回目(5/27)は、私の単独行で、少し積極的に試みた。すなわち、高尾山頂から更に足を延ばし(小仏城山峠まで)、計5時間ほど歩いた(昼食休憩を含む)。高尾山は6種類以上コースがあるが、そのうちハードそうなものを選んだ。
 富士山などの下り坂で足ががくがくすることが多いと聞いていたので、試しの意味で少しハード気味(足への衝撃を大きめ)に歩いた。予想通り(予想以上に)、最後の40分の下り坂で、10-15分ほど歩くと足ががくがくしてきて痛くなり、普通には歩けなくなった。どうなるかと思ったが、ゆっくり歩いて辛うじて下に辿りついた。
 帰ってからウェブで調べると、膝の皿が笑うともいわれる症状で、下り坂、段は重力がプラスされ、足への衝撃が大きいからとのこと。対策は、衝撃を避けるためゆっくり、回り道(段の場合は途中の足場を探す)をして降りる、事前対策は上腿と下腿の筋肉を強くするトレーニングをするのが基本のようだ。このトレーニングも始めた。
 友人にこの話をしたら、漢方薬ツムラの68番「芍薬甘草湯」がびっくりするほど効くという。そのメールをたまたま近くのスーパーにいた時に受信した。店の薬剤師に聞くと、ツムラは無いが小林製薬芍薬甘草湯「コムレケア」ならあるという。早速買った。
 持久力の方は5時間歩けたので、なんとかなるかも知れないとの気持になった。
c) 大山の2回目、転倒
 本番までに少なくとももう1度登っておきたい、しかし、登山前の2週間程度は休んで体力を蓄えておいた方がいいとの説もあり、早めに行く方がいい。6/15に大山の2回目の登山をした(私の単独行)。1,252mの山頂を目指し、4時間ほど歩いた。
 前述の通り、5/2の1回目は途中までなのに、貧血で5分間ほどダウンした。再チャレンジだが、今回も割にきつかった。詳細は、次のYAMAPに記載したが、下り坂は、前日の雨で濡れていたせいもあり、数回転んだ。ひじの擦り傷は派手なもので数日残った。額も少し擦ったが髪で隠れるもので誰にも気づかれなかった。
https://yamap.co.jp/activity/948851

 その後は体力温存のため、登山トレーニングは終りとした。残りで気に懸るのは高山病だが、行って見ないとよく判らないし、事前の対策は無さそう。高山病と足つりが無ければ、5時間、4時間歩いた実績をもとに、とにかく我慢して足を出していけば、ひょっとしたら登れるかも知れない。しかし、仮に下山できても廃人になっているかも知れない。
 6月下旬にあった大学時代のクラス会で、山に詳しい友人に、高尾山3回、大山2回と準備状況を話したら、富士山は違うと鼻であしらわれた。しかし、大山で歩いた高低差は前述のYAMAPの記録によれば949mだ。富士山では約1400m(5合目から山頂)の予定だから、相当なものではないか(冗談)。

4) 登山用具その他
 ほぼ50年振りの登山なので、用具は一から用意しなければいけない。
 基本的に登山用具レンタルを利用することとした。東京では2店あり、その中で、「やまどうぐレンタル屋」(http://www.yamarent.com/guide.html )を利用することとした(HPのFAQが親切との雑駁な印象から)。

  • レインウェア(上下セパレート) 天候に恵まれた今回は、幸い出番がなかった。
  • 2本ストック 登山用品店のアンケートでも、持って行ってよかった品目の1-2位に挙げられている。50年前の素人登山の経験しかない自分としては、ストックの価値が判らなかったが、実際に使用して、特に登り道で2本ストックの価値を認識した。下り道は、石段など段差がはっきりした道なら足の衝撃を弱める効果は高いと思われるが、そのようなところは殆ど無く、ストック1本にしたが、実はあまり使い方は判らなかった。
  • ヘッドランプ
  • ザック 当初手持ちの大きめのバックパックで代用しようかと思ったが、腰にザックの重みを分散するようになってないこと等から*2レンタルとした。50年前しか経験のない自分としては驚きの構造で、かつ威力も感じた。
  • ヘルメット たまたま1週間前の7/1に登山用品店(石井山専。靴を買った)で開催された無料の富士登山セミナーで、転倒による頭部打撲の危険を示唆された。自分としては落石による頭部陥没などの事故は、そのような道は通らないから不要と考えていた。しかし、近年とみにバランス感覚の衰えを自覚している自分としては、滑って転倒し、頭部打撲に至ることはあり得る。レンタル店に電話して追加した。
  • ショートスパッツ 下り道で砂などが靴に入るのを防止する靴カバー。砂の多い道では必需品のようだが、今回は使わなかった。

 以上5点で、1泊2日用10,500円。

 購入したのは、

  • トレッキングシューズ (事前の低山登山にも活躍)
  • コムレケア (前述。足のつり、こむら返り対策の漢方薬)、
  • 缶酸素(5L)2缶 (次男*3の推薦。本人も使用実績はないと言っていた。私も使ったが効果はよく判らない)、
  • アミノバイタル (味の素、アミノ酸を含むスポーツサプリメント。登山用品ショップで衝動的に買った。ただし使わず)、
  • ハット (野球帽のようなキャップは持っている。日焼け対策用のツバ広のハットは今まで一般店で探したが、Mサイズばかりで私の頭には入らない。登山用品店ではLサイズも多い。高価(4700円)だが買った)*4
  • 軍手 (100円ショップで、3個108円)
  • 食品 (エネルギー補給のために必須とある。ウェブで見ていると、沢山買っている。つい買い過ぎて、息子からは荷物が多いと言われるし、疲れで食欲が少なかったせいもあり、大半を残した)

(カーボローディング)
 トレーニングに飽きて、本やウェブを見ていて、「カーボローディング」という、注目すべき食事対策を見つけた。マラソンなどの持久性を要求されるスポーツなどでは、活動中に体内のグリコーゲンを大量に消費する。そのため、本番の3日ほど前から炭水化物を大量に摂取し、グリコーゲン化して体内の筋肉、肝臓に蓄える方法だ。*5
 筋肉のエネルギー源は、グリコーゲン(ブドウ糖に分解する)と脂肪酸が主で(タンパク質もあるがやや特殊)、そのうちグリコーゲンの方が長時間の運動には効率的らしい。私は、約2年前から糖尿病のため「糖質制限」を実行している*6ため、炭水化物の摂取は甚だ抑制的だ。2-3日間は大量に炭水化物を食べられるということで、楽しみになった。この2年間殆ど食べたことのないラーメン、パスタ、鮨、親子丼などを3日間の昼、夜で順番に食べようと計画を練った。
 ところが、糖尿病の身では、蓄えたグリコーゲンを当日に費消する前に、血糖値が上昇すること(血糖値スパイクなど)が心配になった。糖尿病の定期検診を受けている糖尿病専門の町医者に相談すると、2-3日ならいいでしょうと気楽にいう。しかし、心配になってウェブで、「糖尿病、カーボローディング」と検索すると、糖質制限を主唱している学者を中心に否定的なコメントが多い。中には、エネルギー代謝について、グリコーゲンは必須でなく、脂肪酸で十分という人もいる。学者の世界は、誰が正しいか、本当に信頼できない。
 結果、私のカーボローディング計画は大幅に縮小し、前日の夜にパスタ、当日の昼、夜に現地でトリモツ丼、カレーライス(山小屋等)、歩行中にキャラメルなど(血糖が増えても直ちに費消される)、しょぼいものとなってしまった。
(家人の挑戦)
 番外として、春頃、家人が一緒に行きたいと言い出した時には焦った。スポーツクラブなどで身体をよく動かしているが、登山の経験は生まれて以来ないという。息子ともども青ざめて、人のことを面倒見る余裕は全くなく、自分のことだけで必死なのだということで諦めてもらった。その後、私がいざとなれば面倒見ないと言った言葉が独り歩きし、嫌味を言われている。

5) 実際の登山
(計画した登山コース)
 最も一般的な吉田口ルートの1泊2日コースを取った。息子のマイカーで、「富士スバルライン5合目」(標高2305m)まで行って登山を開始し、7合目の山小屋「鎌岩館」(標高2790m)に宿泊。2日目は朝3時半ごろまでに出発し、途中で御来光を見(山頂での御来光には拘らない)、山頂に行って下山というものだ。
(登山日)
 7/8-9(土日)の選定は、息子と私との日程調整の結果だが、主に息子に任せていて、特に週末というのは息子の仕事の事情による。一般的にいうと少し早かったかも知れない。7/1が富士山の山開きというのは報道されていたが、それは吉田口ルートだけで、他の3ルート(須走口、富士宮口、御殿場口)のオープンは7/10からだ。ということは、前述の7/1の富士登山セミナーで初めて知った(少なくとも私は)。
 山頂を1-2時間で巡る「お鉢めぐり」のオープンも7/10だ。ということは最高峰3776mの剣が峰には行けないということで、吉田口頂上(久須志神社)の3710mで満足しなければならない。
 7/8-9のメリットもあって、7/10からはマイカー規制が実施されるが、規制前なので、「富士スバルライン5合目」まで、高速道路で行って駐車場に停められる。マイカー規制が始まると、富士急河口湖駅に近い「富士北麓駐車場」でマイカーを停め、それから登山バスで45分間かけ登山口の「富士スバルライン5合目」まで行くことになる(吉田口ルートの場合)。
 7/9以前に登る場合の最大の問題は、天候が不安定なことだ。今回も毎日天気予報のウェブページをチェックした。幸いなことに、だんだん良い予報になっていった。
(登山結果)
 天候については2日間全く降らなかった。特に2日目の朝は快晴だった。問題は私で、体力の限界を知った。第1日目の7合目(2700m辺り)は、予想以上の岩場で山小屋(鎌岩館、2790m)に到着する(17:30頃)までに疲れた。
 夜予想外だったのは、足のつりと悪寒だ。足はコムレケアを飲み、悪寒についてはぶるぶる震え出したので焦った。汗で濡れていたシャツを着替え、フリースを着て寝た。横に寝ていた息子は2つとも気が付かなかったという。夜は割によく眠れて朝3時に起床し、食事をして、3:40に山小屋を出発した。御来光は4:38に山腹で眺めた。
 よく寝たので出発時は快調のように思えたが、厳しい岩場が続き、疲れて直ぐ休みたくなる。缶酸素を吸っても効果が感じられない。3300m辺りで、自分としては撤退を決意した。9合目は更に厳しいと言われているからだ。本8合目(3400m)に登りと下りの接点*7があるので、そこまで登ろうと息子に提案した。そこの山小屋で私が休んでいれば、その間に息子が1人で山頂まで往復できると思ったからだ。それ以外の場所だと落ち合い方が複雑になる。ところが、息子は1人で登っても詰らないから一緒に下りるという。2-3度押し問答したが、結局息子に従った。
 ということで、本8合目*8まで苦労して登り、胸突江戸屋(上江戸屋、標高3400m)脇から下山道に入った(7:15頃)。10:15頃に出発点の5合目に無事戻ってきた。
 私としては、体力の限界と思っていたので、悔しいという気持は余りなかった。ただ息子には悪かった。
 登山の軌跡は、YAMAPに載せた。ただ、疲れのため、写真を撮る元気はなく、写真は少ない。
https://yamap.co.jp/activity/1002311
 
6) 反省
(トレーニングが不十分だったか)
 トレーニングが少し適当になってきた理由は、運動しない歴50年のため、トレーニングの目標と成果計測が判らないまま、多少の改善でいいとしたことだろうかと思う。何時まで経っても、(富士登山に必要な)体力が付いたとの自信が出てこない。一方心なしか体が疲れる気もしていた。
 トレーニングを十分していれば登れたかという問題もある。70歳以上の富士山登頂者については、浅間大社の記帳名簿がある。最新版は2015年夏のようで、数え年*970歳以上が1086名だ。 http://mainichi.jp/articles/20151224/ddl/k22/040/032000c
 富士山全体の登頂者数は2016年の夏で24.8万人(各8合目に設置したカウンターによる)とのこと*10。70歳以上は0.4%でこれをどう評価するかは問題だが、私は結構多いと思った。長期のトレーニングをする人であれば登れるかとも思う。ただ私は余りやりたくない。
(転倒)
 私は、実は自分のバランス感覚の衰えを気にしていた。時々足がもつれたり、よろめいたりする。今回の収穫は、殆ど転ばなかったことだ。岩場を登っていた時に、よろめいたことはあったが、転ばなかった。一度滑って膝をつき、ズボンのすね部に土がついた程度だ。高齢者の3訓として、「転ぶな、骨を折るな、義理を欠け」と言われているので、少し安心した。
 とにかく2人とも全く怪我なく、無事帰ってこれたのはよかった。息子は、翌、月曜日に通常通り出勤したというので驚嘆した。
(息子は若い)
 息子は、先月41歳になったばかりだが、やはり若い。最近は忙しいようで、特に登山前の1週間(それ以前は知らない)は帰宅が11時頃で、電話での相談もままならない。前日も帰宅は11時半頃だ。こんな猛烈サラリーマンに育てた記憶は家人にも私にも無く、本人も不本意だと言いつつ、多忙だ。富士山で体力が持つかと私の方で少し心配だったが杞憂だった。私の荷物が多すぎると言い、少し分担してくれた。2日目は更に分担してくれた。その中で、重いカメラを持ち、景色や私などよく撮ってくれた。
 下山後、息子は再度の挑戦を提案してきた。折角始めたトレーニングをこれからも続け、来年また登ろうというのだ。富士宮ルートの方が短そうだともいう。今回は素面の私は、直ぐ遠慮申し上げた。

*1:階段の近くにいる店員とたまたま2回目が合うと、怪訝な顔をされる。

*2:登山用ザックは上部に蓋が付いた構造で雨に強い(逆に開け閉めが面倒)、防水用のザックカバーが内蔵しているなど

*3:次男は、弾丸のの富士登山やマラソンをよくしている。もし参加していたら、激しくしごかれたかも。

*4:家人からハットとレンタルのヘルメットとの関係を指摘された。確かに、ハットの上からヘルメットをして、ヘルメットの紐をハットの上から首に回すと、ハットの折角のつばが痛む。面倒だけれど両方持っていって、ヘルメットを基本とし、平坦な道などはハットにすることとした。

*5: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

*6:弊ブログ「糖質制限食に挑戦」 http://d.hatena.ne.jp/oginos/20150904

*7:7/10の全山オープン以降は、頂上から6合目までは登りと下りが全くの別道だ(吉田口ルートの場合)。7/9までは頂上から本8合目までだけは共通。

*8:吉田口ルートの8合目は、下から(単なる)8合目、本8合目、8合5勺と3つあってややこしい。

*9:数え年というのが珍しい。最近は葬式でも享年を満でいうのを見ることがある。ちなみに7月生れの私は今数えで72歳。

*10:http://kanto.env.go.jp/pre_2016/28.html

城端曳山祭

 昨2016年12月1日に文化庁は、ユネスコ無形文化遺産に日本の18府県計33件の「山・鉾・屋台行事」が登録されたと発表した。
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/2016120101.html 
 33件のリストは次。 http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2016120101_besshi02.pdf
 その33件の1つに、富山県の「城端(じょうはな)曳山祭」(南砺(なんと)市)があり、今年はさる5月4-5日に開催された。現地の縁者(姪)に誘われて観に行ってきた。以下、1) 今回指定された「山・鉾・屋台行事」とは、2)城端と私との関係、3)城端曳山祭(他の富山県の曳山祭も紹介)、ついでに乗った4)JR城端線の観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール」について説明する。

1) ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」とは
 「無形文化遺産」とは、「世界遺産」(1972年の世界遺産条約*1に基づく)とは別に、2003年に採択された「無形文化遺産保護条約」に基づいて、ユネスコの同リストに登録されたものだ。なお、ユネスコではこの有形、無形の遺産に加え、書物や文書を「世界の記憶(世界記録遺産)」として保護するプログラムを1992年より立ち上げている。また、「無形文化遺産」に正式には「世界」の語は含まれていないが(Intangible Cultural Heritage)、通称「世界文化遺産」と呼ばれることが多く、かつ判りやすい。遺産全般の説明は省略して、今回の「山・鉾・屋台行事」を概説する。
1-1) 「山・鉾・屋台行事」への違和感
 先ず「山・鉾・屋台行事」の言葉に違和感がある。a)山、鉾、屋台とは何か、b)「行事」とは、「屋台」だけに係るのか、「山、鉾、屋台」の全てに係るのか、c)英語では何というか。
a) 山、鉾、屋台
 広辞苑では、「山」の見出しに15個の意味が挙げられている。そのうち14番の「だんじり」、15番の「山鉾」が該当している。「だんじり」は、関西、西日本でのもので、東京地方の山車(だし)に相当するとある。「山鉾」は、京都の祇園の山鉾が有名だが、単なる「鉾」でもいいらしい。次の「屋台」は、私としてはソバやおでんを路上で食べさせてくれる店をもっぱら考えてしまうが、祭礼で練り歩く山車などの類も指すとある。推測するに、リストアップされた33件をまとめるための造語であろう。だが、3つの単語は意味の重複があり、それらの関係はすっきりしない。
b) 行事とは
 冒頭の文化庁の報道発表中の「概要」では、「山・鉾・屋台行事」と「山・鉾・屋台」とが、また「屋台」と「屋台行事」とが、微妙に使い分けられている。ということは、「行事」は「山・鉾・屋台」の全てに係るのだろう。
c) 英語では
 文化庁の報道発表には、ユネスコの決定文が掲載されており、それには「Yama, Hoko, Yatai, float festivals in Japan」とされている。知らなかったが、リーダーズ英和辞書を見ると、floatには、「(パレード用の)山車、台車、屋台」の意味が出ていて納得。「山、鉾、屋台」は流石に日本語そのままだ。
1-2) 何故33件か
 この疑問には2つ意味があり、第1は、33件もあってはユネスコ遺産の有難味が薄れないか、第2は逆に、33件だけでいいのかということだ。
 前者については、ユネスコは同種案件の一括登録を推奨しているとの見方がある。よく理解できないところがあるが、類似事例が多くあるからこそ独自文化との見方もあるらしい(「提案されなかった「山・鉾・屋台行事」―今後に向けての期待―」(福原敏男)より*2 )。
 後者については、他に類似のものが沢山あるだろうになぜ33件かということだ。前述の福原敏男のウェブ記事によれば、今回の日本からの推薦は、「国指定重要無形民俗文化財であること、…保護団体が「全国山・鉾・屋台保存連合会」の正会員であること(会費納入義務負担)の2点が前提とされた」とのことだ。「伝承継続のために、しっかりした保護団体」があること」が条件だった。全国には他に多数の山・鉾・屋台行事があるが、余り最初から多数というのにも遠慮があったようだ。今後、100件程度に増やすべきとの意見も紹介されている。後述するが、私の故郷にも立派な曳山祭があり、登録されなかったのは残念だ。

2) 城端と私との関係
 城端(じょうはな)は、同じ富山県内というだけでなく、私の姉(6年前に死亡)が嫁いだ先ということで、小さいときはよく行っていた。ローカルな話になるが、我が家の高岡市伏木(ふしき)地区と城端とは、富山県の西半分のうち、それぞれ北部(富山湾沿い)と南部(岐阜県に隣する山沿い)とに位置する。鉄道では、伏木からJR氷見(ひみ)線で南下して高岡に出るのに15分、高岡からJR城端線で約1時間更に南下すると城端だ。城端は以前は城端町という単独の地方自治体だったが、2004年の平成の大合併で、近隣の8町村が合併して「南砺(なんと)市」という奇妙(?)な名前になった。北隣の「砺波(となみ)市」の南という意味だ。*3
 8町村の合併ということで、南砺市の面積は669平方kmと東京都区部の619平方kmを上回る。もっとも人口は、2017年3月末の住民基本台帳ベースで、52,242人と少ない(2004年の合併時から6,988人の減少)。そのうち城端地区は8,573人だ。*4
 城端は、1573年に開町したとされ、「越中の小京都」と呼ばれる、古い街並みが残るきれいな町だ。

3) 城端神明宮祭の曳山祭り(無形文化遺産)
 城端の曳山祭りは1710年代に始まったとされる。毎年5月に開催され、近年は5月4-5日だ。獅子舞など各種の出し物があるが、メインは、城端地域内主要6町がそれぞれ所有する6基の曳山と庵(いおり)屋台(後述)だ。
 曳山は、高さ6m前後で花笠の下に御神像(恵比寿他)、からくり人形等が配される。夜は提灯山となるが、周りを無数の提灯で囲うよく見られるものではなく、手持ち提灯を適宜周囲にぶら下げる形でユニークだ。
 庵屋台は城端曳山の最大の特徴で、6基の曳山のそれぞれに付随し、先導して進む。高さ3m、長さ3m、幅2m弱程度で、下部の幕の中には6-8人の人間が入って歩く。役目は各町家の要望(「所望」という)に応じてその家の前で庵屋台を停め、庵歌(いおりうた)を歌うことだ。昼から夜にかけて、所望する家の前で庵歌を詠ずるなどして優雅に練り歩く。*5
 画像は例えば、 http://www.city.nanto.toyama.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp%3Fid%3D10682 
 youtubeは例えば、 https://www.youtube.com/watch?v=XqZSVB5OtEE
 以上は今回改めて調べたことで、実際に観るのは、子供の時以来で約60年ぶりだ。夕方に着いて、昼の山から提灯山への模様替えなどを観た。過疎化が進む町で大変な人出だ。ユネスコ登録の威力は大きい。昨年の人出より多かったと翌朝の新聞で報道されていた。
 私が撮った下手な写真を何枚か載せる。第1は昼の山、2番目は夕方で、夜用の提灯をぶら下げる作業をしている。3番目は夜の山の様子。4番目は少し幻想的に撮れたかと思ったもの。
 
 
 夜にまた一通り観てから、姪の家で他の招客達(兄他)と懇談していたら、10時頃にまた観に行かないかと姪たち(2人)に誘われた。曳山が街の巡行路の末でUターンし(というか、引返しのための180度の転回)、それぞれ自分の町の山倉に帰るのだという。観にいくと、Uターンは大勢の曳手が力づくで山を回転させる。この時などに車輪がきしみギューと大きな音を出すので「ぎゅう山」との別名があるとのこと。町の山倉までゆっくり帰るのを皆と一緒に付いて行った。城端で生まれ育った姪2人は60代なのに、山の後ろに付いて歩いているだけでにこにこして幸せそうだった。同じように街を歩く人たちも嬉しそうな顔だ。夜の11時過ぎまで幻想的な眺めが続いた。
 写真は、姪の家で出された城端料理。自分で摘んだ山菜も多い。懐かしい味で美味しかった。
 
 面白かったのは、女性は曳手になれず、山にも乗れないとのこと。姪が小さい頃山に触ったらすごく怒られたらしい。東京の祭では女性も神輿など担ぐようになったと言ったら、今のままでいいとニコニコしている。皇室で女性宮家が認められるようになったら、城端も変るかも知れないという。
(富山県内の他の曳山祭り)
 ユネスコの上記33件の無形文化遺産には、富山県のものとして、城端に加え、高岡の「御車山(みくるまやま)祭」、魚津(うおず)の「タテモン行事」と計3件登録されている。しかし、この他にも県内に曳山祭は多い。前述した福原敏男の記事にも、射水市新湊の曳山、南砺市福野の夜高祭が出ている。特に新湊の山は2016年1月公開の映画「人生の約束」(主演 竹野内豊、江川洋介など)の主題だった(http://www.jinsei-no-yakusoku.jp/ )。他にも曳山祭りを行っている町が、富山県には多数ある。「日本の曳山祭」(http://www.sit-tokyo.net/hikiyama/frame/frame3_info.html) というウェブページによれば富山県には23件がリストされている(http://www.sit-tokyo.net/hikiyama/chubu/toyama_01.html )。
 特筆したいのが、私の故郷、高岡市伏木の「けんか山」だ。毎年5月15日に、7基の山車が町を練り歩く。1813年に開始されたとのこと。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E6%9C%A8%E6%9B%B3%E5%B1%B1%E7%A5%AD
 山車は高さ約8mで、ぶつけ合うための付け長手を前後に備え、長さは10m以上となる。昼は、花笠の下に7基それぞれに七福神のご神体を置き、囃子方が乗り込む。夜は周りを計約360個の提灯で囲む「提灯山」となる。夜の提灯山がお互いにぶつけ合うけんか山の舞台だ。
 youtubeはいろいろあるが、1日の模様を4分にまとめたのが次。https://www.youtube.com/watch?v=r4CM97UL_zQ
 山鹿流の陣太鼓に乗せて、誠に勇壮だ。この動画を見ると今でも血が騒ぐ。私は子供の頃、高岡や城端の山車は、ぶつけ合いをせずに静かに進むだけなので意義が判らず、内心馬鹿にしていた。しかし、世の中では伏木の山はあまり注目されない。最近たまたま目を通した、JR東日本の「大人の休日倶楽部」の会員向け機関誌「旅マガジン」の2017年4月号に、「高岡伏木けんか山、他を楽しむ」というツアーが掲載されていて(コースNo B5034)、嬉しくなった。5月15日出発なのでまだ余裕があるかも知れない。
 もう1点。近年女性の曳手も可能になったとのことだ(ぶつけ合いの時は駄目)。城端も変るかも知れない。

4) 「ベル・モンターニュ・エ・メール」
 時刻表で時間を調べていたらJR城端線で運行されている特別車両を発見した。城端線氷見線で2015年10月から運行が始まった。フランス語の「Belles Montagne et Mer (美しい山と海)」で、山に近づく城端線と海沿いの氷見線とをつなぐ。名称としてはしゃれているが、少し長い。略称は「ベルモンタ」(ケチャップの「デルモンテ」と紛らわしい)。ウェブは、https://www.jr-odekake.net/navi/kankou/berumonta/ 
 1両編成、定員39名の気動車*6で、運行も、土曜日に城端線2往復、日曜日に氷見線2往復とやや寂しい。城端線氷見線の直通も無いので、名称の「山と海」が泣く。
 城端曳山祭の翌5月6日が土曜日だったので、城端から新幹線乗換駅の「新高岡」まで予約して乗った。乗車券580円に指定席券520円を加えて1,100円、約40分の行程だ。実は、JR西日本の切符をJR東日本管内の東京で予約、購入するのは面倒だ。結局JR西日本に電話で予約し、3日前までにもう1回西日本に電話してクレジット払いをし、発券は新高岡駅となった(城端駅はみどりの窓口が無いので駄目)。JR西日本の電話の人は知らなかったが、予約を最初から駅ねっと(JR東日本が運営)ですればJR東日本の駅で発券できると、後でJR東日本の駅の人が言っていた。本当にJRの分社化は面倒だ。
 乗車体験を幾つか記録。

  • 車両はまあまあよかった。展望のいい大きな窓際のベンチ席を予約したが、くもり空で立山連峰が見られず残念。乗車率は半分ぐらい。
  • 地元のボランティアの人が車内でずっと説明してくれた。内容は面白くなかったが、まあ楽しかった。南砺市内の各駅のホームで、ボランティアの人が歓迎の垂れ幕を掲げてくれていたので恐縮。田んぼのあぜ道に10人ほど並んで手を振ってくれていたのには、「七つ星」などの豪華列車に乗っているような気分になって、やや照れた。
  • すし職人が乗車していたのにはびっくり。ただメニューはパンフに掲載されている「ぷち富山湾鮨セット」のみで、個別の注文に応じてはくれなさそう。この鮨セットは鮨5貫とペット茶で2000円と高い。しかし、ベルモンタに乗車した高揚感のせいか、衝動的に注文してしまった。美味しかった。

 写真は、車両の正面、田んぼで手を振る人たち、2,000円の鮨セット。
 

(観光列車のいろいろ)
 JR九州の「ななつ星」(2013年10月運行開始)、この5月1日から運行が始まったJR東日本の「四季島」、6月17日運行開始予定のJR西日本の「瑞風」など、最近JR各社で豪華な観光列車が登場している。ちなみに、これらの数泊の旅を提供する豪華列車は「クルーズトレイン」と呼ぶ。日帰り用のものは「観光列車」らしい。たまたま買った雑誌「日経トレンディ」の2017年6月号の記事「極上の鉄道旅」で、上記の豪華クルーズトレインの他に、日帰り用の観光列車が11本紹介されている。昨年から今年にかけて運行開始されたものが中心ということで、城端氷見線の「ベルモンタ」は少し早すぎたせいか掲載されていない。
 この記事によれば、観光列車の3要素は、景色、車両、食事ということだ。ベルモンタは、程度はともかく、この3つを一応カバーしていると微笑ましく感じた。

*1:日本は1992年に締約国に。

*2:http://www.isan-no-sekai.jp/feature/201701_08

*3:富山県には、高岡は別として、割に難読の地名が多いということに気が付いた。

*4:https://www.city.nanto.toyama.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=16978 https://www.city.nanto.toyama.jp/cms-sypher/open_imgs/info/0000056646.pdf

*5:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E7%AB%AF%E6%9B%B3%E5%B1%B1%E7%A5%AD#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E6.97.A5.E7.A8.8B

*6:このような観光用の車両を観光列車というのには抵抗がある。電車とは呼べないが、「列車」にも抵抗がある。「列車」とは車両の連なりで、1両のみの編成は当らないのではないか。気動車ないしジーゼル車が正確だが、「観光気動車」では旅情がない。英語でも、trainは2両以上の編成をいうようで、個々の車両は、coach、car、carriageというらしい(ジーニアス英和)。