スプートニクの落とし子たち

 今野浩スプートニクの落とし子たち−理工系エリートの栄光と挫折」(毎日新聞社、2010/6/19発行)を読んで相当がっかりした。著者は、1940年生まれ、日比谷高校から東京大学応用物理学科数理工学コースを1963年に卒業して、電力中研の後、筑波大、東工大、中央大理工学部で教鞭を取ってきて、専門は、金融工学東工大以降)という人。

 本の主題は、ソ連スプートニク打上げにショックを受けた米国、それに刺激された日本での理工系ブームを遠因とする悲劇で、著者の回想録という形式。悲劇というのは、本来は文系に進むのが適当な人であるのに、優秀な生徒は理工系にという熱気に流されて理工系に進んだことから起きたものという。

 具体的な主人公は、慶応高校から東大に入り、著者と同じ応用物理学科の物理工学コースの同期生だった後藤公彦氏。後藤氏は、応物学科を学部で卒業して富士鉄に入り、社長を目指したとのこと。しかし、うまく行きそうもないと思い、ハーバードのMBAに留学した後、暫らくして退社し、いろいろあってリバブリックニューヨーク銀行(ニューヨークで8位のランク)の上級副社長日本支店長ということで、一時は羽振りがよかったらしい。最後は法政大学工学部教授になったが、体を悪くし失意の中で63歳で(多分)、死んだ。

 私は、新聞の書評で読んで興味を持ち、買ったのだが、変った本だった。以下、若干の感想。

a) 主題の「文系に進むべき人がブームに流されて理系に進んだ結果の悲劇」というテーマが十分論証されていないと思う。例えば、小説っぽく、フィクションでもいいから、主人公が自分の人生を後悔する真情の吐露という形であってもいいし、著者が友人の立場から、主人公の内面を鋭く分析したという形でもいい。しかし、書いてあることは、著者が表層を撫でただけの感想と推測ばかりだから、読者はフラストレーションを感じる。
 私から見れば、主人公は、プライドの高い自信過剰の変わり者という感じが拭えない。著者の言うような悲劇であるなら、フィクションでもいいからもっと読者に説明してほしいと思う。悪口を言えば、著者も自信が無い仮説だから、個人的な感想と推測しか書いてないのではと思う。

b) 主題とは別に、著者のランク好きと差別意識には辟易した。
「応物学科物理工学コース同期の野口悠紀雄は日比谷高校の模試で連続1番、東大理科1類で2番」、「物工同期の神谷武志は理科1類で1番、浅井彰二郎や後藤公彦(主人公)は1桁」、「応物学科数理工学コースの同期生のピカ1は駿台予備校でトップ、理科1類でも1桁の伏見正則」、「野口悠紀雄は、大蔵省に入ったとき、半年しか勉強しなかったのに公務員試験の経済で2番」
 これによれば、理1の1桁(9名)中5名が応物学科(当時定員50名、理1全体で550名)に進学した。すごかったな。

 差別意識としては、「教授ポストは、都内の一流大学工学部 > 近郊の主要大学の理工学部 >地方の新設大学の文系学部」、「MITとバークレーが東大とすれば、スタンフォードは慶応で、ブルジョアの子弟が行く金持ちの田舎大学」(流石に留学後認識は変った)
「数理工学の同期(8人)で、普通の話ができる相手は新宿高校出身の斉藤朝三だけ。残りの地方高校出は数学等の話ばかり。恐らく地方から理科1類に入るのはその高校のダントツの1番だから、友人ができないのでは。都会の進学校であればダントツは少ないから友人ができる」

 この他にも、嫌味な著者の謙遜話、余計な裏話など、気に懸かる記述が多いが省略。

c) 人の資産の中味を勝手に憶測する。
 主人公は、羽振りがよかった頃、一生分を稼いだと言っていたが、死んだ時には、2DKのアパートと100万円ぐらいしか無かったらしい。そこで著者は、勝手に、主人公が稼いだ資産とその使い方を推測するが、それが大胆すぎ、また他人のプライバシーに踏み込んでいて、付いていけない。
 また、自分の病弱な奥さんとの約束を守るため、主人公の葬式に出席しないが、本当の友人なら出席するのではないかと思う。ということで、著者と主人公との友人関係には相当疎遠なところがあったようだ。それにも拘らず、プライバシーまで含めていろいろ推測し、それを公の本にまでしていることは、失礼ではないかとの印象が拭えない。

d) 私の友人の感想
 ちなみに、東大電子を出た同年の友人と、たまたまこの本のことが話題になり、著者は変な人だということで意見が一致した。数理卒にはこういう人が多いかと問われて、問題は日比谷高卒じゃないかと逸らした。その後、札幌出身の同氏と富山県出身の私は、田舎者の哀感をシェアした次第。