すべて僕に任せてください

今野浩「すべて僕に任せてください-東工大モーレツ天才助教授の悲劇」新潮社2009年4月
9月7日のこのブログでやや否定的に紹介した「スプートニクの落とし子たち」の著者が、1年前に書いた本。書評などでも紹介されていてかねて若干の関心はあったが、「スプートニク・・・」を読んだ後は、とても書店で購入して読む気はしなかった。しかし、図書館ではただで読めることに気付き、借りることにした。
図書館も便利になり、インターネットで予約すれば同じ区内の全区立図書館を検索し、指定の図書館に届けてくれる。私は、勤務地の東京都港区と世田谷区にそれぞれネット予約可能なメンバーとして登録しいる。この本は世田谷区の図書館に予約した。
ネットで流れている書評やコメントでは、大学の内情の暴露物、実名でここまで書くか、てなものが多かったので、先に読んだ「スプートニク・・・」のこともあり、やや警戒して読んだが、それほど違和感は感じなかった。細かいことは省略して、興味深く読んだと言える。 しかし、最後の数十ページ辺りに来ると違和感を覚える部分があった。以下、それも含めた幾つかのコメント。

1) 主人公白川浩の死後(42歳の早世)、友人達のアレンジで、生前にドーフマン教授と書いた論文があるジャーナルに掲載され、その論文が年間最優秀論文に選ばれた。表彰委員会の関係者から、著者今野に連絡があり、故人に替わって賞を受け取ってほしいと強く頼まれたが、奥さんが受けたらいいと言って断った(相当かたくなに)との話が出ている。
このこと自体におかしいところは無いが、著者は、「表彰委員会の意図を十分理解していた積りである。O氏は私の対応を大人気ないと思っただろうが私には、これを引き受けたくない理由があった」と書いている。 この委員会の意図と、著者の引き受けたくない理由が、本を再読したが、少なくとも明示的に記載されていないし、普通の読者には推測できない。
 本には書かれていない事情があったのだと思うしかないのだが、読者に対してルール違反ではないかと思う。このような話を紹介するなら、事情や理由を説明するべきだし、事情が話せないなら、そんな話を書いて読者を当惑させることは不適当ではないか。

2) 著者と主人公とで推進した東工大の理財工学研究センターは、主人公が死んでまたその後著者が退官した後、廃止され、他大学の同種のセンターが発展したとある。東工大のセンターが無くなったのは、MOT大学院構想に道を譲ったためとの見方のようだが、同センターはそのような根の浅いものだったのかとの印象になる。廃止の原因をもっと分析して解説してほしかった。
また、主人公が生前発案し、著者のサポートも得て具体化を推進していた「インターネット・ファイナンス・システム」構想がどうなったかについても、どこかでコメントしてほしかった。このインターネットファイナンスは、一般の投資家が優良な中小企業に直接融資するためのインターネット上のオークション(?)的システムらしいが、著者は、主人公の天才振りを示すものとして、本の中で何回も触れており、実際にもそのプロジェクトが進み始めていたとある。
 私としては、そんなシステムが実際に可能かとの疑問もあるので、そのシステム構想の行方と著者のコメントを聞きたかった。

3) この本は、いわゆる金融工学についていろいろ教えてくれる。著者が正直な人であることにはちょっと感心した。金融工学の泰斗として知られる著者が、数理ファイナンス、情報システム(信用リスク計量システム、同データベース)、確率論等の分野については識見が無く、従って、主人公やその周りの研究者の議論が理解できないと書いてあるのにはびっくりした。
 では著者の専門は何かというと、資産運用理論だそうだ。 金融工学がこのように細分化されているとは想像できなかった。

4) 著者やその出身学科の専攻分野は、数理工学、応用数学と言われるが、純粋数学者にとって数学の各分野がどのような序列で見られているかの話が面白かった。第1に代数学(その中でも整数論)、第2が幾何学、第3が解析学、次いで、純正数学と擬似数学の中間として確率論。これら以外は数学とはみなされていず、数理工学などは論外であるらしい。私の理解の外の話である。

5) その他
いわゆる金融工学に対し、理財工学という言葉を提唱しているが、私には違和感がある。理由は、a)「理財」は古い言葉で、新しい概念を盛り込むのに不適当、b)現在は「財務省理財局」でしか使われていず、それ以外の概念を盛り込むのに違和感がある。
その他、著者の用語には独特のものがある。「突き抜けた」は、卓抜したという意味で、主人公を評するのに何回も出てくる。 「○○学部校、市など○○年来始まって以来の秀才」、「天才」も、表現を違えてよく出てくる。「研究時間が、年3000時間、3500時間(主人公は4000時間)」は確かにすごいが、何回も書かれると嫌味になる。