日本中枢の崩壊

A) 古賀茂明 「日本中枢の崩壊」(講談社、2011年5月13日第1刷)
B) 古賀茂明 「官僚の責任」(PHP新書、2011年7月29日、第1版第1刷)
 話題の著者である。私は全く面識が無いが、次に関心があって、Aを買って読み(6月初旬)、知人に貸したら、知人がBを買い、私に貸してくれた。関心があったのは、a)著者が考えている理想の公務員制度というのは何か、b)著者が考える公務員制度と本人の生き方(退職勧奨を拒否して居座る)との関係、c)著者の主張する東電の原発事故賠償スキームの詳細だ。
 ちなみに、公務員制度に関して私のかねてからの諦観を先に述べると、「国民はそのレベル以上の政府を持てない」である。日本国民がいくら自分達より遥かにハイレベルな官僚を求めても無理であり、公務員制度をいくらいじっても実現しないだろう、可能なのは公務員倫理を維持するための懲戒や罰則適用の強化ぐらいだろうと思っている。
 A、Bとも似たような話が多いので、以下まとめて両著の概要と、上記の視点での感想を述べる。ただ、c)についてはよく判らなかったことをあらかじめ断っておきたい。
1) 両著の概要
 話題は多いが分類すると、a)公務員制度改革とその挫折、b)霞が関官僚の悪行、c)民主党政権の躓き、d)福島原発事故の背景と賠償制度案、e)著者の霞が関官僚としての数々の実績、ということであろうか。筆が立つ文章で、概ね問題点は指摘のとおりだと思う。私も幾つかには異論があるが、それほど違和感は無い。本稿では個別なコメントは省略する。
 ただ現在では、役人と政治家の悪口を言えば概ねポイントを付いたことになる。そうでない場合や立派な人もいると部分的に反論するのが精々であろう。霞が関の住人ではない友人が、この本を買おうかと思うがどうかと聞いてきた。私は、ある程度面白いし、もっともな指摘も多いが、所詮霞が関インサイドストーリーだと言ったら、妙に納得していた。多分買わなかったと思う。
 ここで、著者を簡単に紹介すると、1955年生れ、1980年東大法学部卒、同年通産省(現経済産業省)入省、途中を飛ばして、2008年7月公務員制度改革推進本部審議官、2009年12月経済産業省大臣官房付に左遷。その後民間への出向斡旋を蹴り、本年7月には正式の退職勧奨を受けたがそれも拒否した。その間、標記の著書や雑誌への投稿、テレビへの出演等華々しく活動している。
2) 公務員制度改革
 渡辺喜美 行政改革担当大臣のもとで、2008年6月に成立した国家公務員制度改革基本法に基づき、「国家公務員制度改革推進本部」が設置され(著者も出向)、新たな公務員の人事管理制度を立案することとされた。前年2007年の国家公務員法改正により、各省による天下り斡旋が禁止され、再就職を内閣で一元化するための「官民人材交流センター」が2008年12月に設置される*1など、公務員制度改革は、自民党政権の下で着実に進むかに見えた。
 著者は、公務員制度改革の具体的目標は、「身分保障の廃止」と「実力主義の採用」であるとしている。その鍵は人事評価制度であろう。人事評価制度は、民間企業でもいろいろ検討導入されており、最近(といっても何年も経つが)の流行は、成果主義、目標管理等であろう。私も10年ほど前、ある法人で導入すべく何冊か読んで勉強した。人事評価に、客観性、量的指標を貫徹させるのは無理で、上司などの主観的評価の要素が相当入ってくるのは止むを得ないと考える。そうすると、評価制度を実効あらしめるためには、a)組織の存在意義と目的・目標が明確で、構成員に共有されていること、b)トップのイニシャティブによって制度が絶えず見直されることが不可避である。そうでないと、ある時期に完璧な制度が整備されたにしても、必ず弛緩していくであろう。民間企業でさえそうだから、利益という共通的な定量的目標の無い公務員の世界では、如何なる評価制度も年が経てば腐敗していくのは当然である。
 今の(過去もだが)日本国民の政府への期待は過剰ではないかと私は感じている。著者によれば、公務員制度改革の大目的は、国民のために働くイノベーション軍団を構築する仕組みの整備であるという。私は、そのようなエリート的、前衛的な役割を公務員集団に求めるのは無理ではないかと危惧する。それよりも、公務員集団を国民平均レベルをやや上回る程度の人材で構成されるものと想定して、政府の役割をそのレベルで実行可能な程度まで引き下げるような社会システムを構築する方が実際的でないかと思う。イメージとしては、今の地方公共団体行政の役割ぐらいである。マスコミも世論もそれを前提とすれば、ヒステリックではなく、もっと冷静な議論ができるのではないだろうか。
 米国やドイツでは国家公務員の社会的ステータスは低く、企業経営者の方が尊敬されるという(英国やフランスでは、官僚の地位はもっと高いらしいが)。日本でもそろそろ国依存、官僚依存は終りにしないと、国民と基本的に差の無い官僚が立案する政策を無為に待っていて、知らぬ間に船全体が沈没していくという結末になるのではないかと思う。
3) 官房付としての居座り
 著者は先に説明したとおり、退職勧奨を拒否して経産省の大臣官房付に留まっている。1年半前に官房付に転じた時に、当然ながら役職手当に相当するものは無くなり給与は下ったはずである。また今回退職勧奨を拒否したことにより、退職手当の割増分が無くなり相当の減収になっている筈で、また今後毎年給与の引下げが行われる筈である。実利面で相当な影響があるのだが、何故辞職しないかということについて、著者はテレビなどで、自分にできる仕事がある筈でそれを認めてもらいたい、また退職勧奨の基準を明確にしてほしいと言っている。いわば当局への抵抗である。私は、真面目に彼の勇気に敬服している。
 著者は、2010年10月に週刊東洋経済に、民主党政権天下り規制を批判した記事を書いた。今ウェブでも読める*2。これによって、既に禁止された天下り斡旋には当らないとして民主党政権が認めることとした、独立行政法人、民間企業への現役出向を、天下り規制の骨抜きとし、また退職できない官僚を処遇する高位の「専門スタッフ職」も公務員人件費抑制方針に反するとして厳しく批判した。
 これを読んだ当時、私は、著者はどうするのだろうと心配した。審議官経験者クラスが付けるポストはもう無いだろう。斡旋を受けての退職天下りは当然駄目だし、自分が舌鋒鋭く批判した民間等への現役出向には応じられないだろうし、残された道は自発的な退職だろうと推測していた。しかし、本人は踏み止まっている。
 これは、上述のように当局へのたった一人の反抗と美談化することもできようが、気に懸るのは、仕事が無いのに、(ダウンしたとは言え)相当な高給を得ていると思われることだ*3。当然ながら、元は国民の税金である。
 著者の主張する公務員制度改革のポイントの1つは上述のように「身分保障の廃止」だ。本人が如何に仕事がやりたいと言っても民間企業では認められるものではない。さる8月4日に34歳で急逝したサッカーの松田直樹選手は、昨年横浜マリナスから戦力外通告を受けた時、引退試合の後のセレモニーで、「俺、マジでサッカー好きなんですよ。もっとサッカーやりたいです」と叫んだ。仕事がしたいと叫んで仕事が続けられるほど企業は甘くない。不当に処遇されたと思うなら、民間では労働基準監督署、公務員では人事院に訴える道がある。
 仕事をしないで税金から給与を受け取る状況を続けているのには、本人なりに何か理屈があり、また減俸という代償も払っていると言うのかも知れないが、説得性に欠け、残念である。
4) 東京電力賠償処理
 先週8月3日に、東京電力福島第1原発事故の損害賠償支援の枠組みを定めた「原子力損害賠償支援機構法」が成立した。かねて著者は、この支援スキームは、東電、株主、債権者たる銀行の責任を不問にし、巨額の補償負担を料金値上げと増税で国民に押し付けようとするものだと反対していた。その替りに、現在の東電は破綻の可能性も含む会社更生法ないし類似の手続きに入るのがいいとする。その上で、事故の補償債務等で東電の資産で賄えない部分は政府が保証するとの考えである。
 このような考え方に類似した主張は、その他の識者でも見られ、私も理解できるところがある。この著書で、新法の支援スキームとの違いをより定量的にシミュレーションなどした比較分析があればと思ったが、無かった。従って、私には、どのスキームがいいか、また政府のスキームが選ばれた理由、経緯は何かということは今でも判らない。

*1:この人材交流センターの活動は、2009年9月に政権交代した民主党政権により2010年3月に終了した。

*2:民主党政権脱官僚」というウソ、国民の期待を裏切る天下り規制の骨抜き http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/34240b6cdd0ad5d861a82b5ff84e4112/

*3:私の従来の公務員給与法に基づく推測。その後制度変更されているかも知れないし、また本人が自発的に返上しているかも知れない。