昨年暮の話だが、米国のTime誌恒例の2010年のPerson of the Year が、facebook(フェースブック)の創業者マーク・ザッカーバーグに決まった(同誌2010年12月15日号)。
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2036683_2037183_2037185,00.html
私は、グーグル創業者の2人(ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン)がPerson of the Yearに一度もなったことがないのに、フェースブックなどのSNS(Social Networking Service)如きの創業者が選ばれるのは不当と思った(参照 d:id:oginos:20101211)。というのは、私は、SNSに抵抗感があったからだ(今でも若干あるが後述)。本稿では、1)SNSに対する私の偏見、2)フェースブックに関する本を読んだ後のソーシャルメディア論の紹介、3)私見、4)その他個人情報保護との関係等について述べる。いずれも素人のにわか勉強に基づく感想である。
1) SNSに対する私の偏見
Timeによれば、フェースブックは、2004年にハーバード大学の学生だったザッカーバーグが学内用に始めたシステムで、2006年に公開した後、2010年7月には、会員数が5億人を越したとのことだ。仮にこれを人口とすれば、中国、インドに続いて世界第3位となる。誠に驚異的である。現時点では6億人に達したとも言われる。
SNSについて詳しくは知らないが、私はかねて否定的な印象を持っていて、どれの会員にもなっていなかった。理由は、SNSは、元来クローズドなサークル的なものだから、会員になると人間関係のメンテナンスで手間が掛かるようになるだろうという警戒心だ。具体的には、他の知人の会員から送られるメッセージにはある程度丁寧に対応することが望ましいだろうが、そういうことに時間を取られるのはかなわない。
その意味で、ツィッターでの遣り取りも苦手である。ツィッターには一応登録してあるが、一度も発言(ツィート)したことがない。140字と短すぎて自分の考えが丁寧に表現できない、レスポンスを迅速にしなければならないが、生来ぶきっちょな自分には対応できそうにない。発言はしないが、時々他の人の発言を見ている。短くてよく判らないな、発言を頻繁にする人は大変だな、と思っている。
2) グーグルとフェースブック
それにしても、フェースブックがPerson of the Yearになったことに敬意を表し、少し勉強しようと思い、本を買った。
○ オガワカズヒロ「ソーシャルメディア維新−フェイスブックが塗り替えるインターネット勢力図」(マイコミ新書、2010年10月)
○ 田中泰英「フェースブック完全活用本」(青志社、2010年7月)
後者は、フェースブックの利用法だが、前者の方は、フェースブックの歴史的意義を相当理解できて、面白かった。以下、私なりに理解して、フェースブックの意義を紹介する。ちなみに、同書は「フェイスブック」の表現に統一しているが、グーグルで検索したところ、「フェイスブック」が約60万件、「フェースブック」が約120万件だったので、本稿では「フェースブック」とした。
(グーグルのビジネスモデルと目的)
グーグルは、先進的な検索エンジンを開発したが、ビジネスとの接点で見れば、検索ワードと広告とをマッチングさせる方法(検索連動広告)を導入したことが画期的である。グーグルの検索エンジンが普及すれば、検索エンジンを発生源とするインターネットのトラフィックが増大し、そのトラフィックに依拠する検索連動広告の収入が増大するというのが、単純化したグーグルのビジネスモデルであろう。ただ、グーグルは広告収入だけを直接の事業目的としている訳でなく、「世界の全ての情報をデジタルな形で整理する」という大きな目的(それが人類にとって絶対に善であるとの信念)を持っている(梅田望夫の書による)。それにより、Gmail、GoogleEarth、ストリートビュー、その他革新的で、かつ我々をわくわくさせるサービスを次々に供給しており、それが利用者の圧倒的支持を集めていると言えよう。
これに対し、フェースブックの場合は基本的に友人関係(ソーシャルグラフ、後述)の構築であり、ビジネスとの接点もやや異なっている。ビジネスモデルの代表例として、グルーポンについて説明する。
(グルーポン)
グルーポンは、2008年米国で始まり、2010年に日本にも上陸した、大幅な割引率(普通50%以上)のクーポンの共同購入のシステムである。その仕組は、販売期間(例えば24時間)及び最低人数を限って販売される。所定の最低人数が時間内に集まらなければクーポンは中止というのがミソで、このクーポンをぜひ買いたいと思う人は、知人に積極的にPRして最低人数を確保しようと行動することがある(もちろん、誰もそのような努力をせずとも最低人数に達して無事クーポンが発行されることもある)。グルーポンとフェースブックは直接な提携関係にある訳ではないようだが、知人に積極的にPRする場合に、フェースブックが活用されるのが、米国で大ブレークした理由だとのことである。人間は、一般的な評判よりも、名前を知った友人の評価を頼りにするためとされている。
更に、フェースブックのメンバーは、クーポンでレストランなどを利用した後も、フェースブック上で、そのレストランの評価をしあうことが多く、他の友人にも影響を及ぼす。インターネットを活用した口コミである(ちなみに、英語では、口ではなく、ウィルスのようだとして、viral marketingというらしい)。
3) ソーシャルメディアとソーシャルグラフ
前項で述べたフェースブックの「口コミ」(個々のレストランの利用者による評価、コメント集)は、グーグル的な世界(検索エンジンからウェブのトラフィックが始まるという意味で、グーグルに限らない)でも可能で、例えば、「食べログ」(http://r.tabelog.com)などにも利用者のコメントはたくさん掲載されている。しかし、フェースブックの場合は、基本的に名前を知った友人による情報という点が圧倒的に優れている。
(インターネット・トラフィックの発生源)
著者(オガワカズヒロ)は、これをグーグルなどの検索エンジン始動のインターネット・トラフィックに対して、「ソーシャルメディア」(SNS、ツイッター等、誰もが情報発信でき参加可能なメディアのこと)を発生源とするトラフィックと言い、現在、その重要性が増大しているという。検索エンジンは、ウェブページ間の静的な関係を整理しているが、ソーシャルメディアは、友人間の絶えざる情報の交換という動的な流れ(「ソーシャルストリーム」)を捉えて価値を創造しようとしている。この検索エンジン起動とソーシャルメディア起動のトラフィックの対比が、新しいウェブの世界の主役の交替とする見方が斬新で、啓発された。
オガワによれば、SNS上の友人関係の情報は、「ソーシャルグラフ」(単に人間関係とも)と呼ばれる。ソーシャルグラフは、狭義では単なる友人の関係図だが、フェースブックにおけるソーシャルグラフは、a)友人関係に加え、b)当人のプロフィールとc)当人の「モノ」、「コト」への活動が組み合わされている。「モノ」とは、当人が購入した、ないし関心を示してフェースブック上にコメントや「いいね」マーク(フェースブックのミソの1つ)を付して共感を示したモノの記録で、「コト」とは、当人の発言や行動の記録である。
あるソーシャルグラフにアクセスすれば、当人のプロフィール、モノ、コトの記録に触れるだけでなく、その友人関係も表示され、それらの友人のプロフィール、モノ、コトの記録にもアクセスできることとなる。この総体が、拡大されたソーシャルグラフだ。逆の方から見ると、あるモノにアクセスすれば、ソーシャルグラフを通じて名前を知った友人達の評価を知ることができる。モノ、コトへのリンクについては、フェースブック内に留まらず、他のシステム(アマゾン他のECのサイト、他のSNS)とも自動的にリンクできるツールが整ってきており、一般のEC(エレクトロニックコマース)のサイトがフェースブックに熱い視線を注ぎ始めているのも当然である。
4) フェースブックを体験
上述のとおり若干勉強したので、おっかなびっくりフェースブックに登録して見た。実名登録がフェースブックの基本で、プロフィール(自己紹介)を最小限で(私は殆ど空白)記入すると、フェースブックのホームが表示される。左側が当人の顔写真をトップに友人、メッセージ等が掲載される欄で、中央部が当人のプロフィール、最近の活動内容等の欄、右側がスポンサー広告などの欄だ(人によってカスタマイズが可能であろう)。
1日経つと、私の右側欄には、「知り合いかも?」として、4人の顔写真(顔写真はプロフィールの基本要素の1で大半の会員が掲載している。私は未だ)が並んだ。うち2人は確かによく知っている知人だ。「すべて表示」ボタンをクリックすると、50人ほどの顔(実名付き)が並んだが、先ほどの2人以外は知らない人ばかりのようだ。これらが私に推薦された基準はよく判らない。それぞれに、「友達になる」ボタンがあり、クリックするとその人にそのオファーが届き、承認されればめでたく友達としてお互いに登録される。友達関係作成のお誘いの仕組だ。
試みに、知っている顔をクリックすると、その人のページに移り、プロフィール等が表示される。そこにも左側に友人欄があって、当人の多くの友人がリストされている(これは両者が友人になることに合意したもの)。友人の友人には私の知人も何人かいる。興味をそそられていろんな人をクリックした。友達数は、大体2-30人から数十人。ある知人には328人の友達がいて仰天した。
それ以上、フェースブック上では何もなさそうだ。友達を作るか、詳細なプロフィールを作る、積極的に発言する、関心分野を積極的に提示するなどしないと、フェースブックでは物事が始まらないようである。冒頭に述べたように、人間関係のメンテナンスで手間が掛かるようになるだろうということで、覗くだけで静かにログアウトした。
5) 私見
オガワが述べているようにソーシャルグラフ、ソーシャルメディアが本当に今後のウェブ世界のメインプレーヤーになっていくかについて、私は疑問を感じている。友人の友人との繋がりのネットワーキングで6段階かければ世界中の人とつながるとの理論もあるが、実際には、あまり拡がらずに同じようなメンバーでの狭い社会が多いのではと思う。
(参考)6次の繋がり
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%AC%A1%E3%81%AE%E9%9A%94%E3%81%9F%E3%82%8A)
ということも踏まえ、私自身はSNSの世界はある程度評価するが、それほど好まない。前述のとおり、フェースブックでは、早いレスポンスが期待されてストレスを感じそう。自分が時々発言していないと何をさぼっているかと思われそう。友人との関係が親密にならざるを得ず時間が取られそう。ということで、積極的な活動はためらわれる。
それから、何時も自分のページにプロフィールが出ていて、誰からも(フェースブックの会員であれば)見られるというのは、顔に履歴書を張り付けているようだ。自分のプロフィールに特段の秘密がある訳でないが、今まで慣れていた人間関係からは大きくずれていて、少なからず鬱陶しい。
(ソーシャルグラフと個人の知的基盤)
また、ソーシャルグラフの力により、新しい知的パワー、ビジネスが生じてくることは理解できる。しかし、それだけで個人の知的パワーを高めるのに十分であろうか。個人の知的能力は、広い分野への関心と深い考察を絶えず続ける努力により向上するのではないかと思う。グーグルの検索は、少なくとも当人の主体的発意により起動される。フェースブックの場合、当人の主体的発言ももちろんあるが、友達の評価に安易に流されることがないか。狭い、ややクローズドに流れる可能性もある人間関係の中だけの議論に堕さないかとの疑問である。
(日本でのフェースブック)
日本でのフェースブックについて、世界の6億人の会員数に比べ、現在の日本では200万人と後れているが、今後の増大は確実であろう。日本のSNSの代表は、会員数2000万人と言われるmixi(匿名会員が基本と言われる)だ。フェースブックとの競争の行方が気懸りだが、私には予想することはできない。
(クローズドとオープン)
SNSの性格としてはクローズドが基本だが、上述のビジネスとのリンクを考えた場合、オープンが望まれる。すなわち、商品の広告も現在は、SNS内の会員プロフィールにリンクするのが基本で、商品のクチコミもSNS内のソーシャルグラフを通じて流れる。ビジネスの観点からは、他のECでの購買履歴とオープン化したソーシャルグラフとがリンクできれば望ましい。他のECサイトの企業サイドからは、フェースブック内のソーシャルグラフに入り込んだ効率的な広告を出したいとのニーズもあろう。友人関係のクローズドとビジネス側のオープンとの相克をどう調和していくのかが、今後の課題であろう。
6) 個人情報保護
フェースブックでは、上述のように、当人の個人情報がウェブ上に相当掲載されている。個人情報保護法が2005年に施行された際の国内での議論が極端だったという思いが私にはあるので、その落差に驚いた。日本での個人情報保護法の弊害(誤解に基づくものもあったと言われるが是正はあまりされていないと思う)は大きいと思う。
弊害の1例として、小学校から大学まで、クラス名簿を作らなくなったことを上げよう。私は、学校などでの友人関係は個人情報を知ることから始まると思っている。大学に入学した時、クラス名簿に書かれた氏名、住所、卒業高校などを見て想像をたくましくし、本人の自己紹介やその後の付き合いの際に、何度かクラス名簿で確認するなどで、交遊を深めていったとの記憶がある。クラス名簿が無いという息子に、名前を覚えられないだろうと聞いたら、先生の点呼の際に覚える、忘れた時はおいおいと呼びかけるという答えだった。不便極まりないと思う。卒業生名簿も作れないという問題がある。(http://www2.jukuin.keio.ac.jp/policyfaq.html)。
これでは学歴詐称が増えると思われる。卒業生名簿は、学校側の寄付金集めのためだけに存在すると考えているようだ。
フェースブックの個人情報の取扱いは、本人が秘匿したい項目への若干の配慮もあるが、基本的にオープン(少なくとも会員同士では)である。当人達が承認しているから日本でも構わないとの説明はできるが、問題は、日本の個人情報保護法とは基本的スタンスが異なっていることである。これからはクラス内の友人関係よりもSNSでの友人関係が濃厚になっていく可能性がある。SNSの場合、クラス内での教師という統制監視役がいない分、危険性が大きいと考える。
冒頭の日付のTime誌の中でたまたま読んだ「Only Connect」と題するエッセイ中に、ザッカーバーグのプライバシーに関する見方が紹介されていた。
ザッカーバーグは、この世界は潜在的な友達に充ちていると考え、プライバシーを敵視する。プライバシーは文化的なアナクロニズムで、より効率的かつオープンな人間関係への障害と考えている。
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2036683_2037181_2037179,00.html
実を言うと、私の個人情報への思いも複雑である。過剰な個人情報保護(住所、メールアドレスなどの個人情報は、漏洩を神経質に規制するようなものではないと考えている)は不適切と考えるが、上記のように、フェースブックに個人情報は登録しなかった。それは、メッセージが来た時への対応が嫌だということで一応説明はできる。しかし、本当はシャイなためである。もし、自分が若ければこれでこれからの時代を生き抜いて行けるかと気になる。
7) その他
このフェースブックが、私の若い頃に存在していたらどうだったかと考えることがある。今の米国並みに普及していたら当然会員になって、何らかの活用をしているはずだ。1つの可能性は、いいソーシャルグラフの中で切磋琢磨され、大きく成長する。2番目は未熟な生煮えの議論を出して、皆から疎外される。また、それらの争いから脱落して、怠惰なソーシャルグラフに安住することも十分考えられる。
「ソーシャルネットワーキング」という映画が、日本では1月15日からロードショー公開される。フェースブックの設立時のエピソードが若干スキャンダラスに描かれているということであまり期待しないが、やはり見に行こう。
1月10日の日経新聞では、2010年のサイト訪問数で、フェースブックがグーグルを抜き第1位になったとある。
http://www.nikkei.com/biz/focus/related-article/g=96958A9C93819696E3E2E2E2998DE3E2E2E3E0E2E3E3869891E2E2E2;bm=96958A9C93819499E2E5E2E0948DE2E5E2E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E3
寂しいが、私の心情としては、グーグルよ不滅であれ、である。
8) 追録(2011年1月19日)
映画「ソーシャルネットワーク」は、1月15日(土)に早速見に行った。ストーリー展開が凝っていたこともあり、予想に反して面白かった。ただ、何故フェースブックが伸びたのか、エドアール・サベリン(ハーバード時代の共同創業者)とショーン・パーカー(ナップスターの開発者で、フェースブックに参加して社長)との仲が悪かった理由がよく判らなかった。
それを理解するには、今本屋に山積みされている次の本を読む必要があるのだろう。買おうかと思ったが、ぶ厚いので躊躇している。
○ デビッド・カークパトリック「フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)」 (日経BP社、 2011/1/13)
http://amzn.to/hnQWZg
それから、17日に報道されたが、この映画は、ゴールデングラブ賞を取った。http://jp.techcrunch.com/archives/20110116the-social-network-wins-golden-globe-awards-for-best-picture-screenplay-director-score/
あれやこれやで、フェースブックは、大変な人気だ。国の人口と比較するのはナンセンスな面があるが、冒頭に述べたように、現在の会員数6億人は、中国(13億人)、インド(11億人)に次いで第3位だ。2026年にインドが中国を追い抜くという予測がインド政府から昨年発表されたが、その前に、フェースブックが両国を追い抜くのではないか。
http://gigazine.net/news/20100713_india_overpopulation/
以上