やさしくない日本人

 今日の記事は、今月の私の次のブログで紹介している友人故T君(太皷地武君)の主張の紹介である。また、有料道路障害者割引制度に係るこれらのブログの続編でもある。
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 太皷地君が大学のクラス会メンバーへの同報メールの中で、前述の障害者割引制度の前にも、嘆いていたことがある。5月中旬にある雑誌に2週連続で投稿したという「やさしくない日本人」と題する原稿をメールに転載してくれた。私はその雑誌は読んでいないので、彼のメールから引用する。

 結論から言うと、彼の雑誌記事は「やさしくない日本人」の個人版で、私は、前述の障害者割引制度は「やさしくない日本人」の行政版と考える。長文なので全文は紹介せず、原文には失礼ながら短く編集して紹介しよう。

1) やさしくない日本人(抄)(故太皷地武、「週間社会保障」(法研)2010年5月17日、24日号)

 私は心臓病患者で、6年前に心臓のけいれん発作で倒れて以来、ペースメーカーを左胸に植え込んでいる。その後病気は進行して私の心臓は常人の6倍程度の大きさにふくれあがっているらしい(拡張性心筋症(難病))。昨年暮れには、脳梗塞を併発した。息切れや咳き込みのリハビリとして24時間酸素療法を始めた。
 以来酸素ボンベを引きずりながら地下鉄の優先席の前に立つ(鼻に装着したチューブも見える)。今や誰の目にも私が重度障害者であることが丸見えになった。そこで実感したのが「日本人てやさしくない」ことだ。
 席を譲ってくれる人は少ない。意外だった。観察すると大半の人は優先席に座ると目を閉じる。疲れ切った様子である。文庫本や携帯電話、パソコンに集中する人も多い。共通するのは周囲を見ないことだ。一般席よりもその傾向は強い。私の姿は彼らの目に入らないらしい。私の方から座席譲りを頼み込むほどの勇気はない。
 もちろん、席譲りをしてくれる人もいる。うれしい。ありがたさが身にしみる。「ありがとう」と普通に礼を返すだけではもったいなく、今では「何かよいことがありますように」と付け加える。こちらも何かお返しをしたいという気持を見せたい。そうすると、たいていの場合「にこっ」と微笑を返してくれる。電車に乗る前には今日はなんと言ってお礼の気持を表わそうかと考える。下車する時にはその人に席を返したいと思う。しかし席を譲ったらすっと離れて立つ人も多い。席譲りを恥ずかしがっているようだ。
 むかし、やさしいことは日本人の美徳で皆が求め合っていた。今やその面影は乏しい。日本人はやさしくなって欲しい、周囲を見渡して欲しいと心から願っている。

 今年の3月5日のクラス会に出てきた彼は、この記事にあるように、酸素ボンベをカートで引いて、鼻にチューブをさしていて、誠に痛々しかった。それでも元気に話をしていた。結局直接会ったのはこれが最後だったが、その後は同報メールの交換が多く、11月7日まで続いた(16日に逝去)。彼はメルマガと自称していたが、それほど彼からの発信は多く、今から思うと我々に伝えたいことを残しておきたかったのであろう。

 彼の雑誌寄稿の後編は、「やさしい日本人への道」と題して、国の社会保障施策への反省ないし提案が述べられている。以下その抜粋。

 やさしさの基本は家族愛だが、家族の価値を評価し高めようとする政策は乏しく、核家族化に迎合して家族の結合を弱める方向に流れて来たのではないか。
 高齢者、女性、児童等に制度が分かれ、家族は常に分断されている。医療保険は単一世帯でも被用者と国保世帯に分割分断する。最近は介護も高齢者医療も年齢で区分し個人単位にして世帯はバラバラだ。制度管理の精緻化を目指してだが、生活者側は複雑化して迷惑する。厚生労働省こそ家族政策の基地の筈、家族局を設置して家族問題の改善強化を図るべきではないか。

 傾聴に値すると思われるが、どのように具体化していくかも課題で、ここではこれへのコメントは省略する。

2) 政府と国民
 かねて説明してきた障害者割引制度の問題点は、明らかに行政サイドの怠慢である。しかし、そのバックグラウンドは、「やさしくない日本人」で述べられているような国民レベルの怠慢、無関心なのであろう。「国民は、自らのレベル以上の政府を持つことはできない」と言われている(出典はよく知らない)。政府や政治家の悪口を言う知人に、私はよくこの言葉を引用したコメントをしたが、余りにも真実を述べていて具体的な解決策に繋がらないので、ひんしゅくを買っていた。

 話は少し横道に入るが、私は、この言葉の古い出典は、旧約聖書の「Like mother, like daughter この母にしてこの娘あり」にあるのではないかと思っている。現代でははなはだ女性差別的な表現だが、その点は取りあえず無視する。この言葉は、預言者エゼキエルが用いた寓話の中で用いられていることわざだそうで、彼は、イスラエル(当時の都市)の堕落を糾弾した。堕落した母親から堕落した娘が産まれ、それが続くということわざのように、堕落が続くから、ソドムのようにイスラエルを攻めるべきだと言っている(西尾道子他「旧約聖書の英語」講談社学術文庫2000年)。
 話を元に戻すと、この旧約聖書の警句によれば、やさしくない日本人は、国民、政府間のスパイラルを通じて、ますます悪化、堕落する可能性がある。最後は、罪業の都市ソドムのように火と硫黄で焼き尽くされることになるかも知れない。
 これを避ける抜本的な対策が今の日本で可能かはよく判らない。しかし、可能と思われる対策があれば、一歩一歩進めていくことが必要でなかろうか。私の有料道路障害者割引制度の改善提案についても、行政サイドでは、過去のしがらみに捉われることなく、検討してもらいたいと考える。
 国民レベルでもできることはした方がよい。ちなみに、電車の優先席の件で、2-3年前から(太皷地君の嘆きを聞く前)、私が個人的に心掛けていることは、可能な場合には率先して優先席に座ることである。それで、駅に着いて乗り込んで来る乗客に注意して、必要な人がいれば席を譲ることとしている。やさしくない日本人に対抗しての席の先取りである。残念ながら、私の前にそのような人が現れることは少なく、今までの活用例は2例に過ぎない。ただ、何れも喜んでもらった。
 最後に、カエサルが言ったとされる箴言を紹介したい。「どれほど悪い事例とされていることであっても、そもそもの動機は善意によるものであった。」(塩野七生の書や記事で何回か読んだ)
以上