母べえ

 先週末の1月31日(日)にテレビで、「母べえ」の映画(2007年)を見た(山田洋次監督、吉永小百合主演)。
 2時間39分の長番組(CMを含む)で疲れたが、違和感が残り、泣けもしなかった(最近、涙を流せる映画が見たいと思うが、殆どが不発)。違和感は、例えば、a)父親が思想犯で特高に検挙、留置されるが、その思想は何が問題だったのか、また特高でどう議論を闘わせたかの内容が無い、また、b)拘置所中で突然死亡するが、その原因は何だったのか、などが触れられていないので、唐突の感がする、などである。

 それで、ウェブを見ていたら、この映画には原作があるということで、それを読めば、この違和感が氷解するのではないかと思った次第で、図書館から借りてきた。

○ 野上照代著「母べえ」(中央公論新社、2007年初版)

 結論から言うと、違和感は解消されなかった。事実と経験談の持つ限界という気がする。私の関心があった思想犯罪の具体的内容は、本当はこの原作に感動した山田洋次吉永小百合にはどうでもいいことで(本に感想が寄せられていた)、戦争中の母娘と父の愛情と苦衷が、多少ユーモアも混ぜて書かれていることが読者に感銘を与えたと考えればいいのかも知れない。

 しかし、著者があとがきで正直に述べているように、実際は、この父は、1940年12月には保釈で出所しており、54歳まで生きていた(1927年に大学卒とあるから、多分1955年頃と推定)とあると、私の疑問に作品中で答えられないことが理解できる。1940年の出所には、転向声明があったのではとも想像される。ちなみに、この作品の原作は、1984年の読売新聞の「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」で入選したもので、その時に、応募規定には多少のフィクションは許されるとあり、「拘置所で急死」とのフィクションも了解を得ていたとのことである。
 私は、このような作品が評価されることに異論はないが、事実の一部が触れられないとか、ドラマ的な効果を高めるための唐突な終り方には、やはり、ある読者には、違和感や無理を感じさせることがあるのではないかと思う。フィクションであるなら、もっとプロット等を練って、読者の涙を引き出す工夫をしてほしいと思う。繰り返すが、事実(往復書簡等)面に制約を受けた小説の限界であろう。