東京駅赤レンガ駅舎復元

 かねて復元工事をしていた東京駅の丸の内赤レンガ駅舎がオープンした昨10月1日に(ステーションホテルの開業は10月3日)、見に行った。オープン日にわざわざ見に行くという趣味は無いが、たまたま田舎の兄が、同日パレスホテルで開催される催しに出てくるというし、数か月来会ってなかったので、同日昼に東京駅で会うこととした。丸ビル5階のレストランで東京駅が見える席を予約し、男2人で出かけた。

 私はかねてC級の鉄道マニアで、東京駅も大好きだ。東京に出てきた1965年以降、東京駅に関する本も買って、出かけた。後述するが、原敬浜口雄幸の遭難場所を示すタイル銘を探して他愛なく喜んでいた。と言うことで、今回は楽しみに出かけた。以下、赤レンガ駅舎復元計画の概要、私のかねての違和感、次いで雑多な感想を述べる。
(赤レンガ駅舎復元計画の概要)*1
 東京駅ファンではあったが、赤レンガ駅舎の創業時への復元には違和感を覚えていた(後述)。話の前提として、戦後の改修後60年余を経た丸の内駅舎の再建については3つの立場があったことを説明する。すなわち、a)近代的な高層ビルへの建替え、b)戦後に改修した姿を維持した復元、c)1914年の辰野金吾の建設当時の姿への復元だ。b)とc)との外観上の相違は、2階建てを当初の3階建てへ、南北ドームの八角屋根を球形ドームに復元だ。
 a)案はJR東日本の構想(1981年の計画では35階建て30万平米)だった。しかし反対運動もあり、1988年の政府決定では「赤レンガ駅舎は、・・・現在地で形態保全」となり、消えた。しかしb)案かc)案かについては「形態保全」というあいまい表現で先へ延ばし、結局1999年10月に、松田JR東日本社長との会談を終えた石原慎太郎都知事の「東京駅は創建時通り復元」との発表でやっと決着がついた。
 再建工事は2007年にスタートし、工事費は500億円。述べ床面積は43千平米。工事の概要は、次の鹿島やJR東日本のウェブページにある。
http://www.kajima.co.jp/tech/tokyo_station/data/index-j.html
http://www.jreast.co.jp/press/2011/20110906.pdf
(復元計画への私の違和感)
 私の感じていた違和感を分析すると次のとおりだ。
1) 丸ドームがいいと言う人たちの感覚がやや理解できない。この扁平なお椀のふたを逆さにしたような形の丸ドームは、世界的、歴史的にあまり例が無い。「世界のドーム建築」というキーワードで、グーグルの画像検索をしてみると、ドーム型球場のような現代の大型建築物を除いて、何れも半球部の高さが高く、大きい。東京駅のような扁平な形状は殆ど無い*2
 私に美的センスが欠けているからだろうが、あのもっこりした扁平お椀伏せ型形状にはかねて馴染めず、八角ドームもすっきりしていていいのではという感覚だ。懐古趣味以外に何か理念があるかと疑問を感じる。
2) 現在の1、2階の枠組を残し、地下構造に大規模な耐震工事をし、しかも電車の運行に影響が出ない形での工事ということで、非常なコストが掛かったのではないか(前述のとおり500億円)。懐古趣味だけに金を掛けることの意味が理解できない*3
 ちなみに、「東京駅復原反対論サイト」というのがある。 http://homepage2.nifty.com/datey/tokyo-st/index.htm
これは、上記のb)案を支持するサイトで、戦後復興の記念碑としてその姿を保全すべきという主張だ。なお、私は、このb)案でもいいし、新しく作るa)案でもよかったとの考えだ。
(雑多な感想)
 10月1日は、前述のとおり、丸ビル5階のレストラン(カサブランカ・シルク)の窓際の席でビールを飲みながら、新駅舎の外観を満喫した。その後、丸の内の南口から中央口、北口と回り、改札口から入って中も見てきた。幾つか感想を述べる。
a) ドーム内の装飾
 装飾を旧来通りに復元したとのことだが、懐古趣味以外のどういう意味があるのだろう。例えば、南北両ドーム内で昔通りの干支のレリーフを復元したとのことだが、干支では詰らないと思う。また、南北両方が同じ装飾で、干支も同じで、折角のスペースがもったいない。新しいアーティストに新しい理念で創作してもらった方がよかったのではないかと思う。
 次は私が撮った北口と南口の両ドームの内部の写真だ。縮尺も違っていて下手な写真だが、装飾の区別がつかないことは理解してもらえるだろう。

b) ステーションホテル
 ステーションホテルのオープンは未だだが、9月29日のNHKテレビの放送(「独占公開! 東京駅復活大作戦」、午後7時30分から)を見た。廊下が狭く、天井が低いと思った。多分昔のフレームに従ったためだろう。また、客室については、窓が狭く(縦に細長い)、眺望が悪い。考えてみると、3階建ての「超」低層ホテルだ。西側(皇居側)は通行人が歩いているし、通りを隔てた丸ビル、新丸ビル等からも見下ろされる形で遠望される。東側(ホーム側)は3階の中央線ホームとほぼ同じレベルで眺望はよくない。ただ、南口ドームを望む部屋が幾つかあって、ドームと人の流れの眺めを楽しむことは可能だ。
 標準客室は約40平米のゆったりした間取りだそうだが、このような眺望の悪さと狭い廊下で大丈夫だろうか。都市中のホテルでこのような「超」低層階に部屋があるのは、安価なビジネスホテルとかラブホテルぐらいではなかろうか。JR東京の当初計画のように高層ビルに建て替えて上層階をホテルにすればもっと人気が出たのではと思う。
 とは言いつつも、私はこのステーションホテルは未体験で、1度は泊ってみたい。私のような人が多いせいか、ホテルの予約は好調で何か月か先まで埋っているそうだ。私は、ホームの電車が覗ける部屋か、ドームを望む部屋がいいが、高価だ。
c) 喫茶店とキオスク
 南北、中央口を見て気が付いたのは、喫茶店とキオスクが無いことだ。改築前は、確か南口に喫茶店があった(5-6字のカタカナ名だったと思うが覚えていない)が、昨日見た限りでは無かった。待合せや時間つぶしに不便だ。キオスクも改札の中に入ればあるが、外でもちょっと週刊誌を買いたい場合があろう。ただ、南口に何故か松屋デパートの小さい店が出ていた。中を見なかったが、週刊誌やチョコ菓子など売っているのだろうか。
d) 首相の遭難場所
 冒頭でちょっと触れたが、東京駅で遭難した首相が2人いる。1921年11月4日の原敬首相暗殺と1930年11月14日の浜口雄幸首相狙撃事件だ。事件の概要と駅内の場所について、詳しくは、http://murakumo1868.web.fc2.com/02-modern/02-001.html
 原敬の現場は丸の内南口で、今回の工事の囲いが撤去されて再度場所が確認できた。場所を示すタイル銘が埋められていて、私の上京時以来変っていない。ただ、何時からかその経緯を記したプレートが壁にかけられ出したらしく、私は今回発見した。
 浜口雄幸の現場は、今回の駅舎復元工事には関係ないが、併せて触れる。本来は4番線のプラットホームだったが、現在は構内の新幹線乗換え口の近くで、同様、場所を示すタイル銘と経緯を記したプレートがある。1965年の私の上京時には、新幹線が無く、このタイルの場所は、確か7-8番線のプラットホームに中央口から昇る階段の途中の踊り場にあった。
 何れも今回再確認できて懐かしかった。
e) プロジェクション・マッピング
 新しい芸術として、9月下旬にテレビでも報道されたプロジェクション・マッピングは面白い。次にYouTubeの映像のURLだ。東京駅の新駅舎の外観をスクリーンとした映像(CG)だが、プロジェクターを30数台使い、また駅舎の凹凸を巧みに活かした楽しい映像だ。
http://www.youtube.com/watch?v=f483N9EPj3M
 駅舎の中ではアーティストの活躍の場は無かったが、外部ではこのような素晴らしいものができた。

*1:JRは「復元」ではなく、「復原」という言葉を使っている。

*2:私は、通常の大きな半球ドームならいいという訳でもない。ただ、丸ドームは、日本での建築物には合わないと思う。

*3:工事資金は、「空中権」という、余った容積率を周囲の他のビルに売却することで相当賄えたということだが、その周囲のビルの建築コストがアップしたことになる