インド雑記(11) 写真集(プネ編)

 インド旅行記も、一応今日で終り。帰国後1か月で区切りもいい。
 最後に紹介する都市はプネ。wikiの「プネ」によれば人口550万で(土地のインド人は600万人と言っていた)、インド第8の都市だ。マハーラーシュトラ州ではムンバイと並ぶ都市で、ムンバイの南東200kmほどに位置する。歴史はムンバイより古く、前回のムンバイ編で述べたマラータ王国*1の後身のマラータ同盟の首都であった。
 プネは、大学都市として知られ、またハイテク産業の集積地でもある。本記事はその紹介から始める。
1) ハイテク産業の集積
 プネでの見学希望先の1つとして、IT企業を外から見たいと希望を出していた。案内してくれたのは、ツアーガイドではなくU氏の相方のビジネスマンで、日曜日だったが丁寧に案内してくれた。何故IT企業に関心があるのか、専門なのかと聞く。私は、日本でインドのIT産業に関する本*2を読んだら、インドのシリコンバレーとして有名なバンガロールの他に、プネもIT企業が多いと書いてあった。それで雰囲気だけでも見てみたいのだと答えた。
 「ラジーブ・ガンジー・Infotech Park」(場所はプネ市Hinjewadi)に案内してくれた。ラジーブ・ガンジーは、1984年から89年まで首相を務めたが(91年暗殺)、その時にスタートしたハイテク工業団地計画だという。既に多くの企業がゆったりした敷地で立地していて、実に広い。まだ整備計画が進行中という広大な土地も案内してくれた。

 この写真はWiproというソフトウェア企業だが、この工場だけで確か1万人ぐらいいるとのこと。他に、Infosys など多くの企業があった。http://en.wikipedia.org/wiki/Hinjawadi

 これは、インフォテックパークの第3次計画が進行中という広大な土地だ。
2) パターレシュワラ石窟寺院
 石窟寺院というと、ムンバイから北東数百kmの所にある、エローラやアジャンタの石窟群が有名だ。そのような所に行く時間的余裕は今回は全く無い。プネ市内に小さな石窟寺院があるというので行った。8世紀頃に作られたという。



 外観、内部の通路、中に飾られている本尊の写真だ。パターレシュワラとはヒンドウー教の地下世界の神と説明してある資料もあり、ヒンドウー教のシバ神が祭られていると書かれてある資料もある。参拝している人はあまりいなかった。wikiのページは次のとおり。http://en.wikipedia.org/wiki/Pataleshwar
3) ヒンドウー教の寺院
 ヒンドウー教の寺院に幾つか行った。
○ カスパ・ガナパティ寺院

 写真は横向きだ。どうしたら回転できるか判らないのが恥かしい(時々はうまくいくのだが)。「地球の歩き方」によれば、小さいながらもプネで一番重要な寺院とある。しかし、正面は小さいし地味だ。多分別の所で結婚式を挙げたらしいカップルが、参拝していた。中に入ったが中も広い訳ではない。
○ ダグダシェート・ガネーシャ寺院

 ガネーシャは象の頭をしたヒンドウー教の神で、プネの守護神だ。この寺院は繁華街にあって、多くの人が参拝していた。中には入らなかった。
○ チャトシュンギ寺院 長い階段の上にある。写真は省略。
4) パールシー教の寺院
 ムンバイ編で述べたように、8世紀にペルシャからイスラム教に追われてインドに来た、ゾロアスター教(拝火教)の寺院だ。案内してくれたプネの人もここを訪れるのは初めてとのことだった。

 夜になったので、暗い。たまたまいた外にいた信者に、案内の人が寺院のことを訊ねたら気軽に教えてくれた。寺院の中は信者でないと入れない。中には昔(8世紀の移住の後)ペルシャから運んだ火が燃えている。それから、当日はたまたま信者の集まる儀式をやっているということで、寺院の隣の広場が照明で明るかった。
5) オショー・インターナショナル・メディテーション・リゾート
 「地球の歩き方」に紹介されていた施設で、ラジニーン(1931-90)という神秘思想家が作ったものだ。ラジニーンは米国オレゴン州にも大規模な施設を作り注目されたが、スキャンダルなどで米国を追われ、1987年にプネに戻った。この施設内では瞑想のためのコースがあり、入場料を払って登録することが可能だ。日本人でこのコースを体験した人の次の記録が面白い。なお、オショーとは、日本語の「和尚」に由来し、ラジニーンが好んだ名前だという。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/182434/156017/72173657
 ラジニーンについては、wikiのページに詳しい。*3

 私は、瞑想コースを経験しようとは思わないが、正門の前を通ってくれるよう頼んだ。夜になって暗い写真しか撮れなくて残念だったが(全くひどい写真だ)、周りの囲いは長く、人もいず、中の広大さを窺わせた。
6) アガ・カーン宮殿

 英国領時代の末期に、マハトマ・ガンジーと彼の妻、秘書が監禁されていた(1942-44)。ガンジーの妻と秘書はここで亡くなった。現在は、ガンジー記念館として、ガンジー関係の資料が整備されている。帰ってから、アガ・カーンとは誰かということを調べて見たが、不思議なことがある。
 この宮殿は、アガ・カーン3世により、1892年に建設された(wiki: “Aga Khan Palace” *4 )。敷地は77千平米と広い。3世の息子のアガ・カーン4世が1969年にインドに寄付したとある。
 それで、アガ・カーン3世をwikiで調べると(wiki: “Aga Khan III” *5 )、1877生1957没のムスリム(イスラム教徒)の大富豪、政治家、実業家だ。現パキスタンのカラチで生まれ、インド・ムスリム連盟の設立に活躍するなどの、インド独立運動の際のムスリム側の大物だ。
 不思議なのは、プネの宮殿が作られたという1892年は未だ15歳だし、プネとの関係が判らない。Wikiの“Aga Khan III”のページでは、このプネの宮殿の話は全く出ていないようだ。結局アガ・カーン3世と宮殿やガンジーとの関係はよく判らなかった。
6) シャーニワル・ワーダ
 マラータ王国の宰相が18世紀に作った城で、19世紀に火災で焼失した。その跡ということで市民の憩いの場となっている。写真は省略。
7) その他
 「インド雑記(3) 料理と浄・不浄」で述べたように、プネでは、「ナチュロパシー(自然療法)国立研究所」にも行き、付属の「ダイエット・センター」で昼食を食べた。その他、プネの鉄道駅にも行った*6。 しかし、前述したように、カメラを車の中に忘れたので写真を撮れなかった。駅はやはり人が多かった。
 1つ感心したのは、プネでは物乞いに出会わなかったことだ。デリー、アグラ、ムンバイの有名な観光地では何人か寄ってきて悩ましい。限られた観光地以外、そのような人が見られないということは、インドが発展してきたことの表れでないかと感じた。
8) 終りに
 帰国後1か月経ち、取りあえず終ることとするが、まだまだ書きたいことが多い。と言いたいが、実はこれ以上何も書くことが無い。インドは大きくて(人口12億人、面積329万平方キロ)、多様だ(民族、言語、宗教等)。「群盲象を撫でる」という言葉があるが、私の場合、「1人の愚盲(正しくは愚蒙)巨象を撫でる」だ。盲に加え、聾唖だ。とてもインドを論ずることはできない。

*1:マラータ王国は、ムンバイの駅と空港の名前となっているチャトラパティ・シヴァ―ジーが17世紀に創設した。

*2:小島 眞 「インドのソフトウェア産業−高収益復活をもたらす戦略的ITパートナー」 (東洋経済新報社、2004年4月)

*3: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B7

*4:http://en.wikipedia.org/wiki/Aga_Khan_Palace

*5:http://en.wikipedia.org/wiki/Aga_Khan_III

*6:プネの道路の混雑状況については、「雑記(2)警笛を鳴らせ」の中に動画がある。インドの都市の道路の喧騒は何処も凄まじい。