政府事故調報告書

 先週7月23日に政府事故調の最終報告書が発表された。これで、民間事故調、国会事故調、東京電力の各事故調査報告書と合せて、4種の報告書が出揃った。4つの報告書の比較が7月29日の日経新聞に2ページに渡って掲載されていた。
http://www.nikkei.com/paper/article/?ng=DGKDZO44276830Y2A720C1M10400 (ただし、日経電子版会員以外が読めるかは不明)
 それぞれ微妙に異なっており、例えば、事故の原因が津波だけか、それとも地震の影響もあるかについて、国会事故調は地震説の可能性を指摘した。しかし政府事故調は徹底的に議論した末として、地震説を否定した。「真なるもの甚だ多し」*1とまた皮肉を言いたくなる。今後もこの日経記事のような訓詁学ないし注釈書(比較研究)が増えるし、必要だと思う。訓詁注釈のための研究材料は豊富だ。大部な報告書に加え、委員会会合の詳細な議事録、記者会見の記録、更にこれらの膨大な映像記録がウェブ上にある。
 私は、東京電力の報告書は読んでいないが、その他の3つの報告書はタブレットにダウンロードして、ごく部分的に読み散らしている。このブログでも一部紹介した(「福島原発民間事故調id:oginos:20120326、「国会事故調報告書」id:oginos:20120709 )。訓故注釈とはとても言えないが、本稿では断片的なコメントを述べる。1)政府事故調への失望を1つ、2)国会事故調の役割についての疑念、3)その他のコメント。
1) 政府事故調は何が目的であったか
 政府事故調の設置目的は、同委員会のウェブ・ページでは次のように書かれている。

(政府事故調の目的) http://icanps.go.jp/
 東電福島原発事故調査・検証委員会は、東京電力福島第一・第二原子力発電所における事故の原因及び当該事故による被害の原因を究明するための調査・検証を行い、当該事故による被害の拡大防止及び同種事故の再発防止等に関する政策提言を行うことを目的として発足しました。

 これは、昨2011年5月24日の閣議決定東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の開催について」に基づいている。私ががっかりしたのは、「同種事故の再発防止等に関する政策提言」が不十分だからだ。すなわち、福島事故の原因究明、被害拡大防止もさることながら、最近の政府の最大の懸案は、他の原発の稼働の可否の判断であった筈だ。例えば、7月に入って再稼働した福井県大飯原発の再稼働の是非である。
 まだ福島の原子炉の中が開けないから事故の具体的状況が判らないとか、再現実験をやりたかったができなかったとか、事故調査が不十分であったことの弁解がされている。しかし、現時点で具体的な原発の再稼働の是非を判断しなければならない政府のことを考えれば、判断基準の提供等何らかの支援をすることが政府事故調の役割ではなかったのかと思う。事故調査が不十分だからという前提を付けての暫定的な基準でもよかったし、ノーという結論でもよかった。
 多分、途中段階で政府側から調査委員会にそのような要請があったのではないかと思う。しかし、委員会の方で、荷が重い、当初の約束には無い、閣議決定には明記されてないから必須ではない、とか言って断ったのだろうと想像する。
 このような実社会のニーズに応えられないから、日本のアカデミーは信頼されないのだと言うのは容易だが、実は学者の方も大変だと同情する。具体的な再稼働の基準については、委員会の中でもまとまるかどうか判らない*2。仮に、委員会の中でまとまったとしても、世の中に出せばどんな基準でも、特に再稼働を容認するような基準だったら世論の反発を買う。また世の多くの学者からは、神学論争的な批判が出てくる。ということで火中の栗は拾わないことにしたのだろう。
2) 国会事故調の役割
 上述の政府事故調の目的に対して、国会事故調の目的は、次の法律に書かれている。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 第1条
 平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故の直接又は間接の原因及び当該事故に伴い発生した被害の直接又は間接の原因並びに関係行政機関その他関係者が当該事故に対し講じた措置及び当該被害の軽減のために講じた措置の内容、当該措置が講じられるまでの経緯並びに当該措置の効果を究明し、又は検証するための調査並びにこれまでの原子力に関する政策の決定又は了解及びその経緯その他の事項についての調査を適確に行うとともに、これらの調査の結果に基づき、原子力に関する基本的な政策及び当該政策に関する事項を所掌する行政組織の在り方の見直しを含む原子力発電所の事故の防止及び原子力発電所の事故に伴い発生する被害の軽減のため講ずべき施策又は措置について提言を行い、もって国会による原子力に関する立法及び行政の監視に関する機能の充実強化に資するため、国会に、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会を置く。

 長いが、最後に近い所にある「もって国会による原子力に関する立法及び行政の監視に関する機能の充実強化に資する」ことが、基本的な目的であろう。この「国会の機能の充実強化」が意味のあることかというのが私の疑問だ。
 この目的のため、提言(7つある)の中に、今後の原子力法規制に対し国会の関与を高めるとの内容が、次のように3項目盛り込まれている。

a) 規制当局を監視する目的で、国会に原子力に係る問題に関する常設の委員会等を設置し、専門家からなる諮問委員会を付置する。(提言1)
b) 電気事業者の監督に関し、政府での監督に加え、立ち入り調査権を伴う監査体制を国会主導で構築する。(提言4のうち)
c) 国会に、原子力事業者及び行政機関から独立した、民間中心の専門家からなる第三者機関として(原子力臨時調査委員会〈仮称〉)を設置する。(提言7)

 私の疑念は、現在の日本の国会の現状を見る限り、このような屋上屋の管理体制を設けても機能するだろうかということだ。
 私の理解では、従来の日本の国会の委員会での調査活動の特徴は次の2つだ。a)個々の委員(国会議員)が他の人(政府側の大臣、役人の他、証人、参考人として招く民間人)に質問し、回答を引き出すだけで、委員同士で議論しない。b)調査内容を評価分析した報告書を作成しないし、委員会としての結論が無い(質疑の議事録が残るだけ)。
 例えば、厚生年金基金の資産消失事件に絡んで、本2012年3月から4月にかけて、AIJ投資顧問浅川和彦社長らが衆議院財務金融委員会等で参考人招致、次いで証人喚問された。この時もその委員会で議員からの質疑が行われただけだ。国会として告発するなどの結論はされなかったと記憶している。これとは独立に(のように見える)、6月になって警視庁が詐欺容疑で逮捕した。
 事故調の提言に基づいて、このような国会に設置される委員会は何をするのであろうか。2案あって、第1は、国会議員が主導権をもって進めて評価分析する(米国での多くの例)、第2は第三者に運営を任せるということだろう。第1案は、そういう委員会が日本には無かったということから機能しないのではないか。従来どおり政府や外部の参考人に質疑をするだけで終るのではないだろうか。第2案については、第3者がまとめた報告、提言を国会が受けた後何の対応をするのだろうか。今回の国会事故調の報告書も黒川委員長から両院議長に提出するとのセレモニーは行われたが、それを受けて国会が何かしようとの動きは、1か月近く経ったが見えてこない。
 これに対し、米国議会による特別調査は日本とは異なる。第三者に委員長を委嘱するにせよ、議員が新委員会の委員長になるにせよ、既存の委員会で調査するにせよ(こちらの方も多いとの感じがする)、自ら分析評価と結論を含む報告書をまとめているようだ。
 提言に盛られた各委員会等は実際に何をやるのだろうか。政府又は企業から報告を求めるだけで、直ぐにそのような報告は形式に流れ、屋上屋の繁文縟礼の世界に入るのではなかろうか。
3) その他コメント
 以下、散発的なコメントを3つ。
a) 官邸の活動の評価
 どの報告書も、官邸、原子力安全・保安院原子力安全委員会東京電力の悪口ばかりだ。特に官邸については、3月12日朝の菅首相福島原発視察、3月15日朝の菅首相の東電本社での叱責(全面撤退あり得ず)などの評判が悪い。私の疑問は、保安院、安全委員会、東京電力が、批判されているような最低な組織であったとすると、官邸が何もせず、これらの機関に任せていればうまく行ったのだろうかということだ。
 仮定の話だから想像でしかないが、保安院、安全委員会は、各報告書が指摘しているように実質的能力が無いから、原発を抱える東電のベースに引きずられるだろう。ここで東電が考慮すべきことは、(順不同で)作業員の被曝、放射能の放出、住民の被曝、原子炉のメルトダウン、施設の爆発、官庁への報告、等色々ある。その中で多分、作業員被曝への恐れが、東電幹部の中では相当の地位を占めていたのではないかと思う(幹部によって軽重の差はあろうが)。1999年の東海村JCO臨界事故における犠牲者は現場の作業員だった。
 3月14日から15日早朝にかけて東電が検討した全員撤退ないし一部退避は、原子炉対策としては相当の戦力ダウンであるはずだ。これを清水社長から電話で打診された、海江田経済産業大臣も枝野官房長官も、人命に関係することであるとして判断できず菅総理に上げたとされている*3
 国会事故調の報告では、東電が検討していたのは、官邸が誤解したような全面撤退ではなく、最小限の要員(この意味がずっと不明)を残した一部退避であったとする。しかし、要員の減少が事故対応能力の劣化を意味するのは間違いない。菅総理ないし官邸が主導していなかったら、最小限の要員を残した一部退避ないし全面撤退となり、結果として原発が制御不能となっていた可能性があったのではなかろうか。作業員の被曝よりも原子炉対策が優先との菅総理の信念(盲信?)が、結果オーライとなったと私は感じている。
b) 菅総理の現地視察
 私は菅総理の言動を全て支持している訳でないが、政府事故調の報告書の中で違和感があることを1つコメントする。
 3月12日朝の菅総理福島原発視察について、報告書は「代理派遣など問題の少ない方法を取るべきだった」と批判している。総理が行くか行かないかは議論が分かれるが、あの時点での代理派遣は最悪の選択だと私は思う。すなわち代理に派遣された者は、総理のいろいろな疑問への答を用意して帰らなければいけないという任務がある。従って現場の所長にいろいろな質問をして自分でも理解しなければならず、それこそ現場の作業の大変な邪魔になったはずだ。
 行くなら、実際に行われたように、総理本人が行き、本人が気に懸っていることだけ質問し、現場の空気に触れ、最小限の時間で帰京するとの方法しかなかったと思う。それから副次的効果もあった。総理が現場に行ったということで、総指揮官としての総理自身の認識振りが、国民一般と現場作業員に伝わった。更に現地の放射能がその時点では安全であることが示されたということで、私は悪くない行動だったと思う。
c) 外国への発信
 国会事故調の活動のキーワードは、黒川委員長の「はじめに」によれば、国民、未来、世界であり、その3番目の「世界の中の日本という視点(日本の世界への責任)」から、世界への発信を積極的に行ったとされる。すなわち、委員会のヒヤリング等は公開され、英語の同時通訳も付けられた。記者会見も同時通訳付きだ。これらの映像はウェブ上に全て保存されている。これは大変なことだが、気に懸るのは、ヒヤリングされた関係者(菅総理以下)の発言に、日本人的なあいまいな論理、判り難さがあった場合(十分あったと推測)、同時通訳ではどのように訳されたのだろうかということだ。
 また報告書の要約版(相当長い)が英語化されており、本編も英訳準備中だ(http://naiic.go.jp/en/)。この英語版で、原発事故の原因が日本文化のせいであると書かれており、それが海外から批判されているそうだ*4。確かに、犯罪者の罪を責めずに、犯罪の原因を、育った家庭環境や社会の貧困に求めているような気配を私も感じていたので同感だ。
 また、英語版が日本語版と違っていること自体が、日本の島国根性ではないかと指摘している人もいる*5。この記事は痛快で面白かった。国会事故調の「世界」的視点も、外国から見れば判り難い日本人の論理なのだろうと思う。

*1:2011年4月の弊ブログ「真なるものは甚だ少なく」id:oginos:20110410 参照

*2:冒頭の事故原因の地震説の否定については、政府事故調の中でよくまとまったと思う。国会事故調との共同審議でもあったらどうなっていただろう。

*3: (政府事故調報告書p.203)清水社長の前記申し入れを拒否することは福島第一原発の作業員を死の危険にさらすことを求めるという重い問題であり、最終判断者の菅総理の判断を仰ぐ必要があると考え、・・・・・・ 菅総理は、・・・即座に撤退は認められない旨述べた。

*4:朝日新聞2012年7月12日、「原発事故、文化のせい? 国会報告書に海外から批判」http://www.asahi.com/national/update/0711/TKY201207110806.html

*5:gooニュース、2012/7/12「英語版と日本語版の内容が違う、それこそ”島国根性”では」http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120711-01.html