映画「風立ちぬ」

 宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」(2013年7月20日公開)を見てきた。宮崎駿のアニメを見に行くというのは、元来の私としては全く考えられないこと(後述)だった。見に行こうと思った主な理由は2つあって、第1は、たまたま半月ほど前に、零(ゼロ)戦パイロットを主人公とする小説を読んだこと(後述)。第2は、この映画が、実在の人物すなわち零戦の設計者として有名な堀越二郎の半生と堀辰雄の「風立ちぬ」とを一つにまとめたような内容ということで、宮崎監督の従来のファンタジー作品とは違うらしいことで関心を持ったからだ。その他、新聞の映画評でも割に好評のような気がしたことと、知人が見に行って好感を持ったようだったこともある。
 結論は、私の全く個人的な思いからだが、がっかりした。以下、1)小説「永遠の0」、2)堀越二郎、3)堀辰雄の「風立ちぬ」、4)宮崎監督作品に対するイメージ、5)今回の映画の感想等を述べる。
1) 小説「永遠の0
 私の友人があるSNSで、次の小説を読んで涙したというのを読んで、買いたくなった。
〇 百田尚樹永遠の0(ゼロ)」(講談社文庫、2009年7月1刷発行、2013年6月6日30刷、単行本は2006年8月太田出版から)(文庫本の帯には、240万部突破、本屋大賞受賞とある)
 友人は、単行本で泣き、文庫本で泣き、映画(2013年12月公開予定)でも泣くだろうとしている。余りの思い入れに釣られて私も買ったが、面白かった。天才的な零戦パイロットが、上官、同僚からの非難を浴びつつも、生きたいとの強い意志を示し、それが戦後60年経っても周りの人に大きな精神的影響を与え続けてきたという話だ。娘と妻に会うまでは死ねないと言っていたのに、終戦日の直前に何故特攻隊で死んだのかという謎が順次明かされていく。戦闘機の空中戦の模様と零戦に関する技術的な説明も詳細だった。
 印象に残っていることの1つに、主人公が「自分はこの飛行機(零戦)を作った人を恨みたい」と言っている場面がある。零戦は3000kmという当時としては驚異的な航続距離を有していた。そのためにラバウル基地から1050km離れたガダルカナルを長躯攻撃する作戦(攻撃後帰還)が立てられた。
 「片道3時間以上かけて飛行した後戦い、また3時間以上かけてラバウルに帰還しなければならない。合せて8時間も飛べる性能は素晴らしいが、そこにはそれを操る搭乗員(零戦は1人搭乗)のことが考えられていない。8時間もの間搭乗員は一瞬たりとも気が抜けない。いつ敵機が雲の蔭から襲うか判らない。特に帰りに編隊と離れたら、1000kmの洋上を地図とコンパスだけで帰還しなければならない。この8時間も飛べる飛行機を作った人は、人間が乗ることを想定していたのだろうか。」
 私が映画を見ようと思った理由の1つは、堀越が「人間が乗ることを想定していたのか」どうかを確かめたかったことだった。
2) 堀越二郎の「零戦
 三菱重工業(現)における堀越二郎零戦の開発話は2-30年前に読んだことがある。映画を見に行く前に読み直したいと思ったが、我が家の本棚を探しても出てこない。それでAmazonで探した。零戦の開発ストーリーを紹介した本は、本人の堀越二郎の他、柳田邦男、吉村昭等が書いている。自分が読んだのは柳田邦男著かと思ったが、それの電子書籍Kindle版は無いので、Kindle版の次の堀越著をダウンロードした。読んでみると、かつて自分が読んだのはこの本のようだ。映画館に行く前にダウンロードして、電車の中と映画館席でコマーシャル映画上映の間に、スマホで3分の1ぐらいまで読んだ(便利だな)。
〇 堀越二郎零戦−その誕生と栄光の記録」(Kindle版は講談社文庫2013/7/26、講談社文庫は1984年12月刊、初刊は光文社1970年刊)
 文庫本580円に比して電子版は420円だから安いが、口絵写真、図番、解説は割愛したとある。それなら、もっと安くすべきではないか。
 航続距離について映画では触れられていないので、この本で説明する。航続距離は当然ながら、発注者である海軍の当初からの仕様の1つだった。1938年4月に海軍内で、零戦(開発時点では「十二試艦上戦闘機」)計画の検討会が開かれた。その際に受注者としては異例なことながら、堀越は、航続力、速度、格闘力(空戦能力)の3つの能力の重要さの順をどのように考えているかと海軍側に質問した。これに対し、海軍内の少佐2名が全く違う立場で激論を闘わしたとある*1。結局結論は出ず、堀越サイドは全ての仕様を充たすべく軽量化に注力した。
 この海軍内の論争でも、また同書のどこにも、人間が長時間乗ることの是非についての論点は無い。多分問題点は戦闘機の性能だけでなく、日本のパイロットには十分な休養が与えられなかったことにもあるのだろう(米国のパイロットは違ったらしい)。「永遠の0」によれば、ガダルカナルまでの往復8時間の激務は連日続けられたらしい。そのような現場での過酷な運用は、設計者の予想できなかったものだ、との堀越側に立った弁解ができるかも知れない。
 後述の映画では、堀越の悲運な婚約者・新妻は、基本的に山中のサナトリウムで療養している。実際は、奥さんと子供達は、会社のある名古屋にずっといらしたようだ(長男が1937年に生まれたとの記載がある)。奥さんが病気との記述は無いが、本人の方が無理をして体をこわし、1941年の9-10月に休暇療養をしていた。事実と異なるということで批判する積りは無い。
3) 堀辰雄の「風立ちぬ
 堀越二郎堀辰雄がどう1つにまとまるかにも興味があった。「風立ちぬ」は確か中高時代に読んだことがある。その時は詰らなくて、名作に感動できない自分を恥じていた。内容も忘れていたので、電子書籍青空文庫から無料でダウンロードして、改めて読んだ。
〇 堀辰雄の「風立ちぬ(青空文庫版は2003年、初収単行本は野田書房1938年)
 結核を患って長野県のサナトリウムで療養を続ける女主人公と、そのサナトリウムに一緒に住んで看病する婚約者との会話が続くが、半世紀前と同様、私は退屈で殆ど理解できなかった。何を考えているのか、何を悩んでいるのか、何故直截な言い方をしないのか、このような会話で両者間ではどのような意思の交流がされているのか、判らない。
 時代が違うのか、私の感性が鈍いのか。後述の映画での女主人公は、小説よりも情熱的で、言い振りもやや現代的だ。
4) 宮崎駿監督作品に対するイメージ
 私はかねて宮崎監督のアニメ映画が苦手だ。ファンタジーということで評価が高く、テレビで幾つか見る機会があったが、何を言いたいのか判らなくて好きではない。それに、「何時」、「何処」の話かが判らないのも嫌だ。
 昔、私の子供が小さい時、見てきた映画などの話をする際に要領を得ないので、「何時」、「何処」の2点だけ言えと注意していた。この2点が判ると映画の枠組が相当明確になるが、はっきりしないと落ち着かない*2。子供の方はそういう意識で映画を見ていないし、歴史や地理も十分学んでいないので、どうでもいいじゃないかと言って反発していた。それで、私の見た宮崎監督作品では、見事にこの「何時」、「何処」が判らない。
(日活 無国籍映画)
 私の小中時代(1960年頃)、日活のアクション映画で、「無国籍映画」と呼ばれたジャンルがあったのを思い出す。「現代日本なのに馬に乗り、田舎町なのに東京にあるようなキャバレーが登場し、西部劇まがいの衣装で現れる」(http://www.8107.net/akira/30nagaremono_2.html)。小林旭の「渡り鳥シリーズ」などだ。当時私は結構熱中して見ていて、新聞などの「無国籍映画」という批判には、何が問題かと反発を覚えていた。しかし、今だと、そういう無国籍映画はよくない、見ていて落ち着かないと言える。宮崎駿の抒情溢れるファンタジーを無国籍映画と言うと叱られるだろうが、落ち着かなさでは似たようなものかと思う。
 私は、史実に基づいた小説にしか価値が無いと考えている訳ではない。ただ、小説、映画で伝えたいメッセージが人の心を打つためには、何らかのリアリティの基盤が必要ではないかと思っている。今回の映画は戦前の日本ということで、時代も場所も明確だ。メッセージも理解できそうと期待して出かけた次第だ。
5) 映画の感想
 冒頭に述べたように、本当にがっかりした。何を言いたいのか判らない。反戦平和を暗示的に訴えていると言えればいいのかも知れないが、そのようなメッセージは無いと思う。兵器開発ストーリーだから戦争賛美かとも思うがそうではないだろう。結核患者との純愛物語かというと、男は飛行機開発にのめり込み過ぎている。
 情感に溢れる風景、場面が多くて印象的だ。しかし、それぞれのシーンの意味が判らない。また、不自然に思われる所が多い。例えば、結核なのにキス場面が多いが大丈夫だろうか(飛沫感染が怖い)。主人公が戦闘機開発で忙しい時に軽井沢に多分半月以上1人で避暑に行っているというのも信じられない。
 よく判ったのは、宮崎監督が根っからの飛行機好きなことだ。飛行機を作る人も好きなのだろう。それで飛行機作りの話を映画にしたかったのだと思う。映画で堀越が開発している戦闘機は、実は零戦ではなく、その前の九試艦戦(採用後は「九六式艦上戦闘機」)だ。何れも堀越の設計で、名機と言われている*3零戦のことは映画には殆ど出てこない。私の想像だが、「零戦」の開発を題材にすると、同機の実戦争での活躍、特に特攻との連想が強くなる。宮崎監督が伝えたかった堀越の飛行機設計の努力話が裏面に引っ込むことを恐れたのだろう。堀辰雄の純愛話と無理に繋げたのも、戦争への連想を避けたかったからだと思う。
 驚いたことの1つは、できた飛行機を牛車に乗せて飛行場に運んでいたことで、その場面が幻想的で本当とは思えなかった。しかし、前掲の堀越著によれば事実だ。すなわち、名古屋市大江町の工場から岐阜県各務原市の飛行場まで48kmの道を牛車に実際に乗せていた。理由は道が悪いことにより、自動車や馬車では振動がひどいためだったらしい。時速3kmで1昼夜かけて運んだとのことだ。虚実取り混ぜた幻想的な場面が続く中で、一部事実もある訳でややこしい((イタリア人飛行機製作家カプローニが、三葉3セットの計9枚の主翼を持つ100人乗りの飛行機を作り、初回飛行で短距離飛んで墜落したという漫画のような場面が出てくる。しかしこれは事実らしい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%8B_Ca.60)。)他に幻想的な嫁入りのシーンがあるが、これも事実だったかも知れないという気になる。
 宮崎監督が試写会で、自分の作品を見て初めて涙を出したというが、それほどの映画とは思えない。想像するに、自分の飛行機好きから作りたかった飛行機の開発ストーリーという地味なテーマが図らずも実現し、かつ戦争とのリンクが薄らいでいる出来栄えに満足したのだろうかと思う。私は、不自然な所も多かったし、涙など出なかった。
 ちなみに、冒頭で紹介した、友人が涙、涙したという「永遠の0」については、私も涙した。しかし、大感激というものではなかった。多分戦争もの一般への評価が私としては定まっていないためだろう。「涙」と「感激・感動」とは少し違うと思っている。涙腺を動かす神経は若干別系統ではないか。不覚にも涙するというのはそのためではなかろうか(異論もあろうが)。

*1:2少佐のうち、空戦能力の優位を主張したのは、終戦後、航空自衛隊から参議院議員を24年務めた源田実氏。

*2:例えば、「23世紀の〇×星」、「中世のイングランド」などだけでも相当イメージが出てくる。

*3:九試艦戦は、沈頭鋲など新規の設計で有名。また1号機は「逆ガル」と言うユニークな形の主翼で、映画でもよく出てくる。